◆129◆
元自衛隊員の葛巻陽太と共に、上田のサポートに付けられたのは金沢賢史朗という二十一歳の大学生である。彼は卒業後七ヶ月目から返還を始めなければならない有利子の、奨学金の貸与を受けている。
修得が容易な一年次二年次の内に可能な限り単位を取り、三年次の前期までには卒業に必要な単位のほとんどを取り終える目途をつけていた。経済的に余裕があるわけでは無いのに、同じ条件の仲間ほどはバイトをせず、また遊びにも時間を使わないで、ほぼ毎日講義に出続けた成果だという。
ただその分周囲の学生たちからは、講義ノートを借りるのには便利だが、人間としてはつまらない奴だと扱われていたらしい。奨学金の返還のため借金地獄に落ちることを、トラウマでもあるかのように怖がっていたのは、身近に余程それで苦労した人間がいるのだろう。
面接時には、四年生になったら卒論のために週数回ゼミに顔を出す以外は、すべての時間を就活に振り向けるつもりだと言っていた。若い頃から将来のことを堅実に考えるのは、悪いことではない。
六角産業に就職するつもりなら無利子の融資をするから、今まで借りた奨学金を一括返還しろと言ったら、信じられない顔をした。卒業後五年間勤めれば、その金も返さなくて良いという条件を提示すると、どんな裏があるのかと尋ねられた。
卒業までは試験採用で現場研修を兼ねる期限付き雇用で、報酬は首都圏での新卒者平均程度だが、在学中のバイトと考えれば悪くないはずだ。それに契約社員であっても福利厚生面では正社員と同じ扱いになり、社会保険の適応も受けられる。
あれやこれやの条件を確かめた後、彼は雇用契約にサインした。
「とは言うものの、のっけからこんなに使い倒されるとは思いませんでしたよ」
「いや、葛巻たちには、ちゃんと超過勤務手当が出てるから」
君嶋は座っている国産のミニバンの助手席から、隣でハンドルを握っている金沢にそう言った。名前を挙げられた葛巻は、後ろでイビキをかいて寝ている。もう深夜の二時過ぎであった。
「部長は年に四千万以上貰っているはずだって、先輩が言ってましたよ」
「それは経費込みの話だし。いや、だいたいそんな情報、どこから出てくるの?」
俺が見ている社長室のモニターには車内の様子が映し出され、二人の会話が聞こえている。君嶋たちは無事かどん亀に尋ねたら、ミニバンに配置された監視用のボットから送られてきた映像だ。
それにしても君嶋の奴、身内に対してとは言え、口が軽すぎる。いや最初の情報は、秘書課から葛巻に流れたのか? 陸自で一曹まで勤めたあいつは、何気に秘書課の娘たちに人気がある。
サンフランシスコのパーティでうちの護衛たちとペアを組ませたら、まだ大学生の男どもでは頼りなく見えるようになったらしい。せめて葛巻ぐらいの逞しさが無いと……というわけか。でも護衛たちはボットなんだけどね。
「まあ、正月の挨拶回りが終わったから、一段落だよ。上田さんも二・三日は休みを取らないとな」
「あれ?」
「どうした?」
「何か、後ろの車、近づいて……」
その途端、ドガッという音と共に画面が揺れ、大きく傾いた。ちゃー、やられたな。俺は急いで部屋から飛び出し、ビルの屋上に駆け上がった。
「どん亀!」
「直グニ、発進デキマス」
屋上に待機していた短艇に俺が乗り込むと、機内にはすでにボディ・ガードのボットたちが待機していた。斜路が引き上げられ扉が閉まり、短艇は音も無く東京の夜空に浮かび上がる。
北の工作員たちが動き出したという連絡を、どん亀がよこした。上田の自宅であるマンションには公安が網を張っていて、ベランダから侵入しようとした男二人組が捕まった。ほぼ同時に、片岡未亡人の家に放火しようとした男も、警戒していた警察官たちに追跡された後、逮捕されている。
同時多発で仕掛けられたことから、二人に直接関わっていた君嶋たち三人は無事かと心配したら、案の定だった。さすがにこちらまでは、公安の目も届いてはいない。
上田を都内のマンションまで送っていった帰りなので、場所は同じ都内だ。短艇で飛ぶと、二子玉川から十分もかからなかった。
牽引ビームで空中から吊り降ろして貰う。夜中で人気の無い近くの路地に着地し、走り出した。前方の様子が監視用の昆虫ボットたちから、送られてくる。
角を曲がると、ミニバンは二トントラックに斜め後方から追突され、ガードレールの側に横転していた。
三人とも車から這い出たは良いが、大勢に囲まれ、乱闘になっている。相手はどう見ても十人近くいた。俺とガード・ボットたちはそっちに向かって走る。
乱闘と言っても、戦っているのは葛巻と金沢で、君嶋は逃げ腰だ。ただ相手が多いので包囲を突破できず、葛巻と金沢はそんな君嶋を庇って不利な情勢だ。
まだ圧倒されていないのは、相手の半数が周辺から近づいて来るだろう人間に備え、後衛に廻っているせいだろう。それでも五対三、いや実質五対二である。
俺の前を走っていたガード・ボットたちが前を塞ごうとした男たちと激突した。相手は鉄パイプを振りかぶって向かってきたが、鎧袖一触である。何人もの人間が、鉄パイプを握ったまま空中へ弾き飛ばされる。その後ボットたちは、三人を囲んでいた男たちの背後に走り寄った。
ガードたちのあまりの速さに、その五人も振り返るだけで精一杯で、その時にはもうボットたちの手が背中や首に掛かっていた。バスッ、ベキッ、ドシン。そんな音がして、地面に男たちが転がる。
男たちを排除すると、ボットたちは二トントラックを押し退け、横になったミニバンに手を掛けて引き起こした。
「おーい、怪我は無いか?」
「社長!」
二人の陰に隠れていた君嶋が顔を出す。辺りを見廻してから尋ねた。
「こいつらは、いったい?」
「多分、相手側の陣営に雇われた与太者だな」
「ヤクザ……ですか?」
その時、パトカーのサイレンが近づいて来るのが聞こえた。多分、近所の誰かが通報したのだろう。
「車に乗れ。チャックがまだ動くと言っている」
ミニバンの運転席から、黒いサングラスをしたラテン系の風貌の男が、ハンドサインを送ってきていた。夜中にサングラスは思いっきり怪しいが、いつものスタイルだ。
「こいつら放置ですか?」
君嶋が腹立たしげに、路上に転がっている男たちを見廻して言う。いやお前ずっと、葛巻と金沢の後ろに隠れていただけだろう。
「面倒は避けたい。急げ!」
俺に怒鳴られ、三人は慌ててミニバンに乗り込んだ。
ガード・ボットがトラックの荷台下にある燃料タンクを蹴破り、軽油が漏れ出していることを確認する。路上に零れて溜まった軽油に、点火した発炎筒を投げ込んだ。
軽油の着火点は摂氏二百五十度以上、しかし緊急用発炎筒の炎は六百度にもになる。直ぐに燃え出したが、ガソリンと違って爆発的に広がりはしない。ただ炎は舗装のアスファルトやタイヤを焼き、煙が上がった。
俺とボットたちは集まってきた野次馬たちからその煙に隠れて逃げ出し、目撃者がいない場所で短艇に引き上げて貰う。
「どん亀?」
「周辺ノ監視かめらノ記録ヲ改竄シテイルトコロデス。アノみにばんガ、コノ道路ヲ通ッタ記録モ消去シマス」
「事故や乱闘の記録は?」
「アノ男タチモ、かめらノ無イ場所ヲ襲撃地点ニ選ンデイマシタ」
「君嶋たちは?」
「大丈夫、掠リ傷程度デス。おふぃすニ向カワセマシタ」
「特製防護スーツを着せていて正解だった。覚悟はしておけと言ってはあるが、ビビって辞めると言い出さないといいがな」
特に金沢はただの大学生だし、その可能性は大きい。一応あのスーツを渡す時、襲撃されるかもしれないが、その時は逃げろと言ったんだ。その話を素直に受け取っていたのは君嶋だけか。
いや、どっちみち逃げられないと覚悟を決めて反撃することにしたのかもしれない。あの二人を責めるのは無理だな。こういうのは臨機応変で、正解なんてあるわけではない。
オフィスに戻ってこの仕事を続けるか確かめたら、金沢には「今さら辞めろと言われても困る」と言われた。実家には「もう仕送りはしなくて良い」と言ってしまったそうだ。葛巻の方は、ガードの連中の戦闘力に驚いていた。
「あの人たち、自分で現場を見ていなければ信じられないぐらい、凄いスピードとパワーでした。あれは人間業じゃありませんよ」
「陸上総隊の特戦群にも化け物みたいな奴がいると聞いたがな」
「確かに特戦の人たちは凄いです。肉体的にも精神的にも……、でも所詮は人間です。四人で横倒しになったミニバンを引き起こしたりはできません」
あ、そこかよ。それにしても、あの乱闘中に良く見ているな。車を起こしたのだって、直後だろう。これはちょっとフェイクも混ぜて説明しておこう。
「ふーん、ところでうちの特製スーツはどうだった?」
「は、怪我をしなかったのはあれのお陰です。鉄パイプで打たれた所が硬化して撥ね返すなんて、まるで魔法みたいでした」
「実はガードたちの着ているのは、あれの強化版だ。中に筋力強化外骨格が仕込んである。ただまだ外部には秘密の製品だし、訓練無しではまともに扱えない。君たちに着せているのは、防御機能のみに特化して軽量化したものだ」
「そうだったんですか! このちょっと分厚い生地で仕立てられたスーツが防弾着だと言われた時は、信じられませんでした。何しろ普通のボディ・アーマーとは全然違います」
「言っておくが、そいつで防げるのは刃物と、せいぜい拳銃の弾丸までだ。それにむき出しになっている頭や首を狙われたら、それまでだ」
あまりスーツの性能を過信して、大怪我されても困るからね。鋼鉄の男になれる訳じゃあ、ないんだから。
「しかし陸自で使っている二型なんか、プレートを挿入しない状態でも重さ五キロはあるんですよ。このスーツはせいぜい一キロでしょう。これが普通科で装備化されれば、どれだけ助かることか!」
本当は至近距離からの小銃弾でも貫通させず防ぐことができる。葛巻が使ったであろう二型の防弾チョッキに、これと同等の性能を求めるためには、大量のセラミック・プレートを追加で挿入する必要があるが、そうすると総重量が十二キロ越えとなってしまう。
「しかし酷いですよ社長」
「何がだ、君嶋?」
「自分たちを囮に使ったでしょう。でなければあんなにタイミング良く助けに来られる訳がありません。そうならそうと、最初から言っておいて下さいよ」
それを聞いて金沢が、「あっ」という顔になった。葛巻の方は、多分そうだろうと思っていたようだ。「でなけりゃ、こんな防弾着なんか支給されるはずないだろ」と、したり顔で金沢に言う。
「じ、じゃあ、襲撃されるの分かってて……」
「あんまり近くから追従していくと悟られるからな、直ぐには助けに入れなかった。そこは謝るよ」
俺が軽い態度でそう言うと、金沢は他の二人を見る。どう受け取って良いのか、態度を決めかねているのだろう。
「社長、この平和な日本でこんな目に遭うなんて、金沢は思ってもみなかったはずです。それは葛巻だって同じです。ここはどーんと、自分たち三人に、危険手当をはずんで下さいよ」
君嶋の奴、抜け目なく「三人」と言いやがった。まあ今後のしこりにならないよう、ガス抜きしておくつもりなんだろう。
「分かった。今回は、一律百万出そう。それで文句は無いな?」
「百万!」
金額を聞いた途端、金沢の目付きが変わった。葛巻は君嶋を見てから、ニヤッと笑う。こいつは自衛隊で海外派遣され、治安維持活動に従事した経歴もある。自分が採用された理由も、多分そんな辺りだと予想していたんだろう。
「まあ、そんなとこですか」
君嶋、そうやってお前は、危険と引き替えに金を手にすることを、初心な若者に教え込んでいくんだよな。




