◆121◆
帰りは、丁度納入されたプライベート・ジェットで日本に飛ぶ。
帰国直後、隣の国の造船所から、RO・RO船をもう一隻買わないかという話を持ち掛けられた。ブルー・ドルフィーナを買った時と同じ条件で良いと言う。どうやら例の海運会社が注文していた同型らしい。
船体が完成し、代金支払いの時期が来たのに、海運会社の会長は相変わらず収監されたままだ。先行きの見えない状況では、銀行が融資してくれるはずもない。だから船体を引き渡しても、その代価が支払われる見込みは低い。下手をすると代金が支払われないまま、渡した船体が別の債権者によって差し押さえられる可能性さえあった。
そうは言っても、完成せずに船体をそのまま船台に置いておくわけにもいかない。船台を使うスケジュールは何年も前から決まっているからだ。完成して進水させなければ、次に予定している船が建造できないのである。
造船会社としたって、それほど資金繰りに余裕があるわけではないし、販売予定価格百億円ものデッドストックを、何時までも抱えているわけにはいかないのだ。
たださすがに俺も、飛行機やらヘリやらを何機も買いまくった後である。手元に直ぐ動かせるキャッシュが無かった。
だから一度断ったのだが、相手が支払いは直ぐでなくとも良いと言う。俺が大統領に、合衆国に対する継続的な製品供給を約束したという情報が、大統領側近からリークされたらしい。
大統領にしてみれば、国務省や商務省の失点を、直接交渉でリカバリーしたという成果を、自国民にアピールしたかったに違いない。
つまり六角産業の将来の収益は確定している。どうせ進水させても、艤装が終わるのには更に何ヶ月もかかるのだ。支払いの見込みの無い相手のために、費用を掛けて艤装を進めるわけにはいかないが、我が社が買ってくれるなら別である。
そういう話であった。
俺はどん亀と相談し、このもう一隻をドルフィーナと同じ目的で購入することにした。ただし、航行用の電子機器や船内の生活施設などはこちらで準備して設置するという条件で、更に二十億円の値引きを求める。
この図体の大きな商品を、在庫として持っていたくはない相手の足元を見た形だが、造船会社側も粘り、結局間を取って値引きは十億ということになった。それでも八十億円の契約である。
「社長、本当に同じ物がもう一隻、必要なんですか? 製品の輸送を、どこかの海運会社に任せるわけにはいかないんですか?」
財務を任せている桃花には、散々問い質された。まあ最初は、日本国内で製品をトライデントに引き渡し、国外への輸送は任せていた経緯がある。だが製品の供給元として、六角産業の存在を公にした現在とは状況が違う。
俺は高価でもあり、ある意味軍需物資でもある我が社の製品の輸送を、自社で行う必要性を、彼女に説明せねばならなかった。テロの対象になる可能性も、強奪を目的とした海賊行為の的になる可能性もあるのだと。
「いいか、今海賊行為と言ったが、それをどこかの国家が行うということも、十分あり得るんだぞ」
「えー、本当ですか?」
桃花が引き連れてきた大城が、口をポカンと開け、大きな目を見張ってそう言う。桃花は、一対一では俺に押し勝てないと判断し、援軍のつもりで連れて来たようだが、当てになるのか?
「そういう場合もあるということだ。そうじゃなくても、一度海賊行為が発生すれば、どうなる?」
「それは……保険料が上がるとは思いますが……」
桃花は頭の中でその金額を概算で弾き出し、苦い顔をした。
「それだけじゃない。直接被害が出なかったとしても、海運会社が荷の引き受けをその後拒否する可能性が、高くなる」
「そりゃー、命の方が、お金より大事ですものねー」
大城は、俺の味方らしい。うんうん頷きながらそう言った。だが、続けて言う。
「そしたら、日本なり米国なりに護衛の軍艦を出して貰うことはできないんですか?」
まあ、当然そう考えるよな。だがそいつは拙いんだ。
「だって、米国は我が社の製品が欲しいんですから、やってくれそうですよ」
「だがそうなると、我が社が商品を売るためには、米国の軍隊の力を借りなければならないことになる。もし米国に護衛を拒否されたら、俺たちは商品を日本国内にしか売ることができない」
「あー、それは困りますねー」と、大城。
「それじゃあ社長は、米国がその海賊行為を働く可能性が十分あるとお考えなんですね」
俺の話の裏を読んだ桃花が、確かめるようにそう言った。
「無いと思うか?」
「じゃあじゃあ、自衛隊にたのめませんか?」と、また大城。
「自衛隊に米軍から守ってくれとたのむのか? この前のパーティに、日本の大使も総領事も、招待したのに来なかったろう。だから、そういうことだよ」
「日本の政府は、軍事力を持っていても、それを自国民を守る為には使わないと言うんですか? それなら、何の為の軍隊なんです! 自衛隊と言っても、日本以外の国から見れば、軍隊そのものじゃあありませんか。あれは何の為にあるんです?」
桃花が腹立たしげにそう言った。たしかに、俺たちの支払っている税金の中からも、防衛費という名目で多額の予算が支出されているはずだ。じゃあ、何故……と、普通はなるよな。
「それを決めるのは政治家の責任だ。軍人、いや自衛官がそれを勝手に決めることは、許されないんだよ。許してはいけないんだ」
安全装置が無い銃が暴発したからと言って銃を責めるのは、愚か者のすることだ。責任は暴発を防ぐ手立てを取らなかった人間にある。銃という道具が、勝手に撃つか撃たないか決めるなんてのは、認めるわけにはいかない。同様に、武力をどう使うかに責任を持つのは、軍以外の人間であらねばならない。
うーん、この辺、大城は理解できていないか。
「でもそれは、自社で船を持っても同じなのでは……」と、桃花。
「ドルフィーナが改造されていることは知っているだろう。それは別に、あの贅沢な居住部分だけじゃあないんだよ」
「まさか、武装しているんですか!」
大城が驚いた顔でそう言った。いや、俺は海賊船長じゃないから! そんな、期待を込めたキラキラした眼で、俺を見るな。
「そうじゃあない。あの船は元々の設計では二十二ノットが最高速度なんだが、オボチカ船長によると、今は三十五ノット以上出るということだ。日本の自衛艦はね、四十四ノット出る二百トンのはやぶさ型ミサイル艇を除き、最新型でも三十ノットが最高速度なんだよ。これは合衆国海軍の軍艦でも変わらない。一時的にはそれ以上出るかも知れないがな」
今度は桃花までポカンとした顔になった。まあ、そう簡単に、俺の言っている意味が理解できるわけが無いか。次に口を開いて俺に疑問をぶつけたのは、大城だった。
「それって、あの船は逃げ足が速いから大丈夫ってことですか?」
何だ、がっかりしたのか? 逃げるなんて腰抜けめ、みたいなノリで鼻を膨らませるな!
「速いって言っても、当たり前だが航空機には敵わない。軍艦から発射される亜音速の対艦ミサイルを撃ち込まれたら、逃げることは難しい。だけどこういうタイプの攻撃は、どこかの国の軍艦や攻撃機によるものだと、直ぐにバレるだろう。それ以外の方法での攻撃、例えば携帯式の誘導弾や中古の機関砲程度を載せている船相手なら、これだけの優速があれば回避できる」
「元々は遅い貨物船が、どうしてそんなスピードを出せるんですか?」
桃花がその点を突いてくる。ここで企業秘密だから漏らすなと釘を刺し、説明した。
「外部には未だ秘密だが、六角さんが発明した素材がある。それを船体の表面に貼り付けてあるんだ。これには特定の条件下で、海水による流体抵抗値を大きく減らす効果がある。あとは機関の強化や推進装置の改良だな。実際には四十ノット以上出せるらしいが、そうなるといくら一万五千トンの船でも不安定になり、危険だそうだ」
本当はもっといろんな改造がどん亀の手で施されているんだが、そこまでは話せない。
「六角さんて、何でもできるんですね」
「ああ、天才だよ、彼は」
「それで、もう一隻を購入すると言うなら、増産の見込みが立ったんでしょうね」
桃花は俺を説得する気を失ったようだ。前向きな姿勢に考えを変えてくれるならありがたい。大城にはまだ、こんな風に世界を見据えての考察は無理だったな。
「ああ、六角さんから次年度の生産計画が提出されて来た。それに欧州方面への、販路を開拓して欲しいそうだ」
「航空貨物として出荷するわけにはいかないんですか? 重量当りの価格から計算すると、十分ペイすると思いますよ」
「さっきと同じ理由で、うちの商品を積む航空機が標的にされるのは避けたいんだ。それに航空機が、洋上で原因不明で行方不明になっている例がいくつもあるだろう。小さな爆弾一つで墜落させられる航空機は、テロリストにとって格好な獲物だ。例えばあの大統領が、どこかに然るべき情報をリークさせ、事故が起こってしまうことだってあり得るんだぞ」
「いくら何でも、そこまでやるでしょうか?」
「やらないと思うか? 納期に間に合わなければこちらの契約違反だ。国防上大きなリスクを合衆国に負わせた、とか難癖を付け、我が社を接収しようとする可能性だってある」
「他国の、いえ同盟国である日本の企業をですか?」
大城はまだ分かっていないようだ。いくら若いと言ってもこれでは困る。桃花、もっと秘書課の連中を教育しておけ。
「自国での裁判に持ち込むか、日本政府に圧力を掛けるか、我が社に不利なキャンペーンを張るか、やりそうな事はいくらでもあるだろう。さっき話した六角さんの発明一つ取っても、我が社がどれだけ美味しい獲物か分かるはずだ。それに相手は、合衆国だけじゃあない。我々がいるのは、文字通り弱肉強食の世界だということを忘れるな」