◆116◆
十月初めになって、鈴佳を元住んでいた家に移した。移動に使ったのはヘリである。
羽田空港から飛び立ち、目的地までの距離は約三百四十マイル。増槽タンクを取り付けたH一二〇の航続距離は三百八十マイル超だから余裕だった。
ちなみに一ノーティカル・マイルは一・八五二キロメートルである。だから飛んだ距離は六百三十キロ程度、高速巡航速度が百二十ノット毎時のH一二〇なら三時間もかからない。車や新幹線を利用することも考えたが、鈴佳のことを配慮して、結局短時間で移動できるヘリにした。
鈴佳と俺、それに看護師の安藤と樋田の四人が乗客だ。操縦士は当然どん亀の手配した人型ボットである。ステルス状態の戦闘艇が、上空で護衛に付いた。
ヘリの騒音は予想していたほどではなく、防音用のイヤーマフを付けさせたこともあって、鈴佳は落ち着いていた。実は一番興奮していたのは、看護師である安藤のおばちゃんであった。
俺の家の敷地は、国土交通省航空局の出している回転翼機の空港外離着陸基準で、「山岳地、農地その他離着陸経路に人又は物件の無い特殊地域」に該当する。だから許可を得てヘリパッドが設置してあった。
どん亀はここのヘリパッドに付属して、敷地内にヘリ用の格納庫まで建設したが、普段はメンテナンスの関係もあって、ヘリは近くの大館能代空港に待機させている。
家に近づき上空から眺めてみると、元々ある建物から少し離れた場所に、ゲストハウスとスタッフ用の宿舎ができていた。どん亀の設計により作られた二つの施設は、どちらも俺の家よりも大きい。
カントリー調のゲストハウスは二階建てで、五寝室、七つのバスルーム、吹き抜けのある大きなリビングとダイニングがある。その他に海外とのテレビ会議もできるように壁一面に大型ディスプレイを設置した会議室とか、パーティ用の広間とそれに隣接するキッチン、地下には屋内プールとトレーニング機材を揃えたジムやプレイルームなども設けられていた。
そこからちょっと奥まって樹木で隔てられた場所には、三階建てのスタッフ宿舎が建てられている。三十二ある個室は全てバストイレ付きで、寝室兼リビングの部分が九坪という広さだ。スタッフ宿舎は社員寮であり賄い付きなので、三十人が一斉に食事を摂れる食堂や、それに対応した調理室もある。
看護師二人にはこのスタッフ宿舎で寝起きして貰うのだが、現在ここで他に暮らしているのは、ゲストハウスの管理を担当する三人と調理師の、合わせて四人だけであった。
映像記録を見せ続けてきた成果だろうが、鈴佳は直ぐに元の家に馴染んだ。俺は前の時と同じように、家の掃除や農作業の手順を教えたが、せいぜい三歳児程度の経験値しか無い鈴佳には、教えられたことの意味がなかなか理解できない。
だから度々癇癪を起こし、時には暴れることもあった。それを俺が宥めて、根気強く接する態度に、看護師たちがまた感心する。プロでもそんなには、とってもできないと言うのである。
「きっと社長の愛情が通じてるんですね」と賞賛され、俺はどうにもいたたまれなくなった。そんなロマンチックなものではなく、どん亀が鈴佳の頭の中に設置した、マイクロ・マシンによる条件付けを利用しているだけだからである。
だがそれが又、彼女たちには奥ゆかしいと見えるらしい。愛情というものを、ロマンチックな見方で考えている看護師たちは、すっかり俺の信奉者になってしまった。そしてそれは、後から現地で雇った三人の看護師にも伝染してしまうのである。
それから一週間後、俺は台東区にある、以前は工場だった場所にいた。建物は残っているが、中の機械類はすっかり撤去され、ホイスト式天井クレーンが残っている他は空っぽである。
建物の正面にある駐車場は、大型のトレーラー・トラック三台が入るとほぼ一杯であった。
「岡田社長、お約束した通り、三百トンの純チタンを集めて持ってきました。ペレットで一トンずつフレコンに詰め、積んであります。ただご覧のように大型トラックで運んでも十二台分になりますので、一度に荷下ろしするのは無理です。待機させてある場所から順次持ってきて、荷下ろししなければなりません。よろしゅうございますか?」
寒河が揉み手でもしそうな腰の低さで、俺に頭を下げる。何だこいつ、標準語を喋れるじゃないか。
「建物の中にある天井クレーンは定格荷重三トンだから、一トンなら余裕だな。フォークリフトも用意してある。で、荷台にあるのが、注文した純チタンなのか?」
「はい、ご希望の純チタンでございます。ただペレットの在庫が一番多く、今回の納品は全品ペレットになります。確か、それでも良いというお話しでした。はい、一トンのフレコン詰めが、一台に二十五個積んであります。はい」
「ああ、うちとしてはどんな形状でも、指定通り純チタンであれば良い」
「はい、この前の当方の値付けは、はい、ペレットでの価格になりますです、はい」
標準語で話すと、随分「はい」の多い奴だ。調子の良いことだが、これからどうなるかな?
「じゃあ、検品させてもらおうか」
「は? 検品でございますか? 出荷前に当社で確認してありますが……」
それまで愛想笑いが貼り付いていた寒河の顔が強張り、急に挙動不審になる。
「それは西日でやったことだろう。受け取り側の当社が検品して、何か不都合があるのかね?」
「い、いえ、全数を検査する手間を考えますと、大変な時間が掛かると思われますので」
「ふーん、六角さん、こう言っていますが」
俺はいつの間にかトラックの荷台に上がり込み、並んでいるフレキシブルコンテナを調べていた青い作業服の後ろ姿に、そう声を掛けた。
「このフレコンには一トンずつの純チタンが入っているんだな」
「は、はい。その通りで……あの?」
「ああ、あれはうちの工場長だ」
「で、このコンテナ袋は表のマークによると、金属素材用の二百リットル詰めだ。金属は重いからな、一袋にそれ以上入る袋は、普通使わない」
どん亀が今言った二百リットルというのは、一般に使われているドラム缶の容量である。ただ同じ円筒形でもフレコンの直径は太いのでその分高さが低く、ドラム缶よりズングリした形に見える。黄色い安全ヘルメットを被り六角の顔をしたどん亀は、作業手袋をした手で、その袋をポンポンと叩いた。
「はい、その通りです。あの、それが何か?」
「じゃあ、これは不良品か、何か混ぜ物がしてあるな」
「そ、そんな! 言いがかりだ! だいたい袋を開けもしないで、そんなことが分かる訳はない! 中を調べもしないで! それに開けて調べるにしろ、そんなに簡単に見分けることなんて……」
最初は顔を真っ赤にして叫びだした寒河だが、直ぐに言葉尻が曖昧になった。俺の後ろから現れた、初老の男の顔を見たからである。
「だそうですよ、袴田社長」
「し、社長。何でこんな場所に?」
袴田祐介は西日チタニウムの取締役社長である。元々は三星政友銀行からの出向であるが、十年以上今の地位にいる。「もう銀行屋と言うより工場の親父ですよ」と言うのが口癖で、関西の財界でも、既に製造畑の人間と見られていた。
「寒河主任、だったな。大きな契約をまとめたという報告は聞いていたんだが……。しかし、我が社から企業向けに供給する純チタンは、インゴットかビレットの形に限定していたはずだ。そのペレットはいったい、どこから……?」
それから寒河の顔をじーっと見ると顔を上げ、荷台の上に向かって尋ねた。
「工場長! あなたは不良品だと言われたが、どうしてそんなことが分かったのです?」
「比重ですよ」
短く、そう返事が返ってくる。
「比重……とは?」
「純チタンの比重は四・五一だ。二百リットルなら、重さは九百二キログラムになる。だが、この男は一トン、つまり千キログラムだと言った。一トンに対し九十八キログラムの差は、誤差としては大きすぎる。不純物が混じっているか、混ぜ物をしたとしか考えられない。重量は計れば直ぐ分かるから、一トンにはしてあるでしょうな」
工場長が見上げた天井クレーンのフックには、三トンまで量れる吊り秤が取り付けられてあった。あれはキログラム単位で、小数点以下一位まで計測できる。
「これは……製造屋の親父としては失格ですな。そんなことに気付かないとは……」
がっくり肩を落とした袴田は、やがて直ぐに向き直って俺に頭を下げた。
「岡田さん、この不始末はどうお詫びして良いやら。田丸頭取に声を掛けられて今日ここに来ていなければ、取り返しの付かないことになるところでした」
どん亀が不正を指摘するのに使った説明は、ご存知『アルキメデスの原理』発見の際の、逸話を模しています。別に液体を利用しなくても、体積と重量の比を考えれば同じことでしょう。
件の哲学者が“ Eureka!Eureka!”と叫びながら、裸で街中を走り回ったというアレですよ。それにしてもアルキメデス、ロックな奴でした。
バレないと考えていた寒河は、主人公を余程甘く見ていたんでしょうね。
重量を実際に計測する前にどん亀が「重量は一トン」と断言したのは、アニメの子ども探偵のノリです。吊り秤は荷の積み卸しと同時に重量計測ができるため現場でよく使われている器具であり、台秤ほど精密には量れませんが、それでも目量は0.1キログラムが普通です。
2020.09.23. 野乃




