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西日チタニウムは東方特殊金属と共に、この国の純チタン生産では双璧を成す大手である。
ただ東方が戦後になってから、銅製錬で明治起業の東日本鉱業と旧財閥系の商社である大地物産株式会社の合弁で新たに設立されたのに対し、西日の前身は、昭和の初めに関西で起業した、鉱滓や硫酸滓から電気銑を作る銑鉄工場を経営する特殊製鉄会社だった。
太平洋戦後に起こった朝鮮戦争による好景気の波に乗り、同製鉄所は新たに電気銑鉄製造設備を建設したのであるが、高炉銑との競争に敗れ経営が傾いてしまう。
そこで地元の政友金属工業の出資を受ける形でその傘下に入り、西日本チタニウム製造株式会社と名を改めた後、新たにチタニウムの試験生産を開始した。
政友金属がこのような経営手法をとったのは、まだ未知の分野であるチタニウム製造の事業化に失敗した場合、深手を負うこと無く切り捨てるためだったと思われるが、結果として関西にルーツを置く西日が生き残り、世界でも有数の非鉄金属メーカーが誕生した訳である。
「いやー、社長、この度はご契約、ありがとうございます」
営業部新素材営業グループという部署名の下に、鷹木豪介という名が印刷された名刺を受け取った俺に、濃紺の営業スーツを着たその若い男は、やけに元気な声でそう言う。
まだ、契約の話なんか始まってもいないんだけど。
ホテルにチェックインして車と荷物を置き、カジュアルな服装に着替えてロビーに出た。
桃花はスタンドカラーのストライプ・ワンピースの上に黒いノーカラー・ジャケット、ジャケットの袖をロール・アップして男物の腕時計、ダークブラウンのローヒール・パンプス、黒い大ぶりのバッグに緋色の絹ストールを添えて持っている。
耳にはこの前買ってやった、ダイヤのイヤリングをしていた。首が見えるショートカットと相まって、二十代後半のやり手オフィス・レディって感じである。
俺は薄手のデニム・テーラージャッケット。ビジネス・シャツにペンシルストライプの細いレジメンタル・タイ。ベージュ千鳥格子柄のスリムなパンツにスエード革のプレーン・トゥシューズ。バッグは無しだ。
どう見ても若造だよね。相手も三十になってそうもないから、まあバランスが取れているっちゃ取れてるけど。
俺だって、六角産業代表取締役社長って肩書きの名刺を渡していなければ、「社長!」なんて、呼んで貰えないだろう。
鷹木に聞いたら、入社三年目だった。まあ東京からいきなり電話が来て、名前も聞いたことのない会社の役員だという男から、勤務時間外に話をしたいと申し込まれれば、普通偉いさんは出てこないよね。
多分、「無視するのも拙いかも知れないから、お前ちょっと行ってこいや」とか、上司に言われたんだろう。
「社長、取りあえずご挨拶に、一杯どうでしょうか?」
んー? こいつ、交際費で落とそうとしてないか? スポーツをやってそうな爽やかイケメンなのに、少し軽くて頼りない感じだ。
「一杯って、まあ良いけど……大阪らしい所がいいな」
「えっ、大阪らしい所ですか? えーと、そちらのお嬢さんは?」
「俺の秘書の謝花だ。彼女もいける口だから、大丈夫だ」
「へー、秘書ねぇ。羨ましいですね。そんな美人を」
「彼女は運転手代わりだ。東京から運転してきて貰ったが、車はホテルに預けてあるし、問題無いさ」
「新幹線じゃあないんですか! いやー、優雅ですね社長。さすがです!」
こいつは男芸者か何かだろうか? やけに俺を誉めるというか、囃し立てる。
単にこういうキャラなだけかもしれないが、それにしても今時こんなのが会社員やっているなんて、怪し過ぎないか?
そう思っていたら、タクシーに押し込まれ、連れて行かれたのが鶴橋にある高架下の、串焼きホルモンの「大○」とかという店だった。ちなみに「○」の所は伏せ字ではない。聞き取れなかっただけだ。
近くまで行った時点で、俺たちはもうもうとした煙(湯気?)に包まれ、看板もよく見えなかった。
「社長、この臭い、クリーニングしても、取れないんじゃあないでしょうか」
桃花が俺の耳元で、そう囁いた。
「その時は服ぐらい俺が買ってやるから、気にするな」
俺もそう囁き返した。
この男、何か面白くなってきたから、もう少し付き合ってみよう。
「えっ、何です? あ、社長、こっちこっち。生でいいですか、それとも焼酎? バケツ・ワインもありますよ」
「バケツ?」
「あれー? バケットかなあ? 確かそんな名前だったと思うんですが……」
俺にもよく分からんよ! 何だ、この男は? いつの間にかジョッキを飲み干した俺は、お代わりを要求していた。
センマイ、コリコリ、ズリ、ミノ、ハツと食べ、合間にキャベツで口直しをする。生ビールも量が行った。二時間もすれば、鷹木の奴はもう半分以上出来上がっている。
「おい鷹木!」
「何でしょう、社長?」
何でお前はモツの串焼きを咥えて、そんな真面目な目付きができるんだ?
「お前が潰れてしまう前に商談だ。取りあえず、最高品質の純チタンがインゴットで三百欲しい」
「そりゃあ豪儀です、社長! えーと、航空機用のインゴットだとすると、キロあたりの単価は千五百円ほどですから、三百キロだと、工場渡しで四十五万ですね。助かります、社長! これで自分、ノルマ達成まであと少しです。いやー、今晩来て良かった! ありがとうございます、社長!」
「いや、勘違いするな、鷹木!」
「えっ、何です、社長? 値引きしろっておっしゃるんですか? いやー、申し訳ありませんが、自分には権限が無くって。明日上に掛け合います。ですから、他へ行かないで下さい。お願いします」
ビールのお代わりを横向いて注文した直ぐ後に、俺にそんな哀れそうな顔をされてもなあ。
「そうじゃあない。単位の話だ。いいか、三百キロじゃあない、三百トンだ!」
「トン? ホントですか! えっ、それじゃあ、一トンで百五十万として、その三百倍だから、えーと、えーと……」
「三百トンで四億五千万という計算になるな」
「よ、四億……ですか」
鷹木は口をポカンと開け、呆然とした表情で俺を見た。
「五千万が落ちてるぞ。そんなに値引きしてくれるのか?」
「い、いや。それはダメです。値引きの権限は自分には……」
うーん、そこは「ドーンと任せておいて下さい。交渉してみます」と言う所じゃあないのか? 後で「頑張ったけど無理でした。力不足ですみません」となっても、俺は怒らないぞ。少しでも値引きして貰えれば喜ぶしな。お前、社内交渉力が足りないんじゃあない?
「それからな、俺は“取りあえず”と言ったぞ。できればその三倍かそれ以上欲しい。九百トン、いや一千トンだな。用意できるか?」
「一千トンて……十五億円にもなるじゃないですか!」
「一千トンは無理か?」
「いえ、在庫を掻き集めれば、三千トンくらいにはなると思います……ただ、全部インゴットは無理ですね。低酸素粉末とか水素化した粉末とかスポンジとかペレットとか、いろいろです」
「うーん、それ、そのままで良いから、売ってくれ。あれ、インゴットじゃあない場合、単価はどうなるんだ?」
「ペレットとかは、シリンダーより安いですよ。線材は高いですが。それにしても、何に使うんですか?」
「将来やりたいことがあってな、ただそのプランを公開すると資材がガガーンと値上がりしそうなんで、今からある程度、確保しておきたいんだよ。保存性は、インゴットが一番だろう」
「ん? あー、資産形成ですか? でも貴金属とは違って、あまりお薦めは……」
鷹木はちょっと首を傾げた後、ポンと掌を打ってそう言った。まあそうだろう。保管場所だってコストの内だしな。実際には直ぐ使ってしまうんだが。
「違う違う、本当に材料として使うんだよ。ただ実現には特殊金属を含む、大量の資材が必要だ。それが分かると市場価格が高騰しかねない。だから、ある程度の量は既に確保してあるという、見せ札みたいな物が欲しいんだよ」
「そんな物、必要なんですか?」
「相場ってのは、理性だけじゃあなくって、感情でも動く生き物みたいな代物だからな。実物に裏付けられた演出は効果的さ。ある程度のバッファーにもなるし」
「社長のやりたい事って、何です?」
「あ、それは私も興味あります」
背中の方から、桃花が首を出すようにしてそう言った。半分に切ったグレープフルーツを片手に持っている。あれは、これから搾ってサワーに入れるのか。若いっていいね、どれだけ飲んだり食べたりしても平気だ。オジサンにはできんよ。
「軌道エレベーターって知ってるか?」
「あ、スーパーゼネコンの大森建設が二〇一三年にぶち上げたプロジェクトですよね。確か会社の季刊誌で「塔」がテーマでした。建設期間二十五年で二〇五〇年に供用開始って。でも実現する気配は、今のところありませんね。二〇二五年って、あと五年ですよ」
おや鷹木、お前勉強してるじゃあないか。あの社誌、人気のあった記事だけしか電子公開してないんだよ。全巻電子書籍化してくれないかな。でも「塔」は五巻目のテーマで、肝心の五三巻のテーマは「タワー」だ。前の年に、スカイツリーが竣工しているからな。
「うちが生産して出荷しているのは、あの計画の必須条件になっている超長尺のカーボン・ナノ・チューブだ。俺が挑戦したくなって、当然だろう」
「軌道エレベーターって、静止軌道までケーブルで登っていくあれですか?」
「お、謝花も知ってたか!」
「馬鹿にしないで下さい。でも社長、私あの計画のことを最初にテレビで視た時、芥川の「蜘蛛の糸」を連想しました」
おお、意外な所に文学少女か。それとも単にロマンチックなだけか? ロマン主義って言うのは、結局は「死」の追及だからな。子どもが夜を怖がるようなもんだ。
「ケーブルが切れて、宇宙から落下すると想像すると、確かに怖いな。でも、そんなことを言い出したら、飛行機にも乗れんよ」
「し、社長! 鷹木は感動しました! 何としても社長のために、純チタン一千トン、集めてみせます。ですからどうぞ、社長も鷹木を見捨てないで下さい。鷹木は必ずやります。お約束したことは実現させてみせます。ですからこの鷹木を、どうぞ鷹木を……」
お前は、自分の名前を連呼して、選挙運動中か! だが、この後聞いてみると、鷹木の意外な素性が分かった。
何と鷹木豪介は、西日本チタニウムの前身である特殊製鉄会社に、縁の者だったのである。
当時、電気銑鉄製造設備を新たに建設したことで会社を傾かせた責任を取り、彼ら創業者の一族は会社から身を引かざるを得なかった。従業員やその家族の生活のことを考えると、ある意味当然の責任の取り方と言うべきだろう。
だがそういう過去の経緯があれば、創業者の血筋である鷹木が捲土重来の念を抱いていたとしても、少しもおかしくは無い。七十年が過ぎても、そういう記憶を日々新しくして持ち続ける人間たちは、いるのである。
ただ残念なことに、この男には、営業のセンスは無かったようだ。入社後さしたる成績を上げることもできず、毎日をある意味飄々と過ごし、今日に至ったとのことだ。
そういう毎日を過ごした結果、現在のようなキャラができあがったということらしい。でも、こんな男にこの取引の窓口をまかせて、大丈夫だろうか?




