◆109◆
米国に対する全体計画を確定し、その中でリストアップしていかなければ、俺がすべきことを明確化できるはずがなかった。まずはホワイトハウス対策だな。
「第一案。アノ大統領ノ全テノ記憶ヲ、転送ヲ利用シテ、消去シテシマイマス」
「却下! 副大統領が権限を継承し、政策を引き継ぐだけだ。一時的対処に過ぎない。副大統領は今の大統領と同じ位訳の分からん奴だ。共和党内でも右派で、福音主義的カトリック教徒という、俺から見たら矛盾だらけで危ない信仰を持つと、自分で公に言っている」
今の大統領から副大統領に指名された理由の一つが、こいつの公言している福音主義だ。
それは何だって? それ自体神の奇跡である聖書に書いてあることは、一言一句絶対正しい。世界は神が七日間で創造し、女は男の肋骨から作られた。聖書と異なる考えを口にするのは悪魔の業である。とか言うあれだよ。俺はそう思わないけど、信じるのは本人の自由だ。
だが福音主義者の中の右派、つまり急進的な連中は“キリスト教原理主義者”とも呼ばれ、相手がキリスト教徒であろうと無かろうと、自分の信仰を“宣教”と称して押し付けようとする傾向を持つ。
この世界一科学的で進歩していると思われている国には、巨大教会と呼ばれる毎週末の礼拝参加者数が二千人以上になる教会が、千八百以上あって、全米のクリスチャンの八人に一人、六百万人以上が、このメガ・チャーチ礼拝に参加しているんだ。
コンサートホール並の音響・照明施設を使った、大規模なライブ仕立ての礼拝で人々を魅了し、宗教になんか普通は無関心な者の方が多い若年層にも支持されて、現在もその勢力を拡大している。一度の礼拝に万を超える人数が集まる所も、珍しくないんだぜ。これらのメガ・チャーチは、ほとんど全部がプロテスタント系福音派だ。
この国では、教会には法人税が課せられない。それを利用し、数千人もの信者に寄付をさせたり書籍を販売したりすれば、間違いなく儲かる。だからメガ・チャーチには、拝金主義や商業主義という批判も多く投げ掛けられる。巨大な詐欺的搾取のマシーンだと言う者までいるほどだ。
それでも彼らは、数の力と資金力を背景に、合衆国の政治に隠然たる影響力を持っている。いやそもそも、この国の成り立ちから考えても、これら派手なアピールによって宣教活動を行い、宗教的熱狂を喚起するプロテスタント的勢力を無視することなどできない。
この国を昔作ったのは、福音主義的な熱心さに突き動かされ、生まれた国を棄て、大西洋を渡ってきたピューリタンだったんだから。
そういう宗教勢力に根を張った男が、万が一の場合は大統領に成り代わると考えれば、非常に危険な事である。
「必要ガアレバ、ソノ男モ転送スレバ良イノデス」
「だから却下だ。切りが無いことになるだろう。それにそんなことができるという憶測が広がったらどうする! 確実に犯人捜しが始まるぞ。大統領なんて目立つ地位にいる奴に使うのは、危険すぎる。将来、俺という存在の正体を公開しなければならなくなった時のリスクを考えてくれ」
「デハ第二案。合衆国内デ騒乱ヲ醸成シ、国外ニマデ手ガ回ラナイ状態ニシマス」
人種の坩堝であり、不法移民が流れ込み続けるあの国は、経済格差と差別やヘイトが激しく、争いの種となる不安を常に抱えている。どん亀が意図的に介入すれば、この案は低コストで実現可能だ。
「これも却下。騒乱が大きくなれば世界情勢に悪影響を与えるから、軌道エレベーター建設に向けての計画が遅延する。経済が停滞し、各国の勢力バランスが崩れると、手に負えなくなる可能性が大きい」
「多少ノ遅延ハ構イマセン」
「いや、俺が構うから。十年単位の誤差は、お前的には無問題かも知れないが、俺はそんなに長生きする訳じゃあないからな」
どん亀と俺の時間感覚の違いは、結構厄介な問題だ。この前それについて話し合った時、俺の記憶バックアップを利用した、俺という人格のAI化を提案された。
自分で働かなくとも、疲れを知らない俺のAIが二十四時間休むことなく働いてくれるという、非常に魅力的な提案だった。
だが、即断った。
どん亀は、俺の意思に反してそのプランを実行することは絶対しないと言っている。しかしそれが可能だと知ってしまった俺の気持ちは、決して平穏ではない。
「第三案。大統領ノ側近めんばーヲ洗脳シテイキマス。同時ニ、アノ国ノ政治・官僚組織ヲぼっとトまいくろ・ましんノねっとデこんとろーる下ニ置キマス。コレノ難点ハ、時間ト手間ガ掛カルコト。結果ガ必ズシモ予測デキナイコトデス。無論、必要ナ資源モ他ノ方面カラ融通シナケレバナリマセン」
「第二次世界大戦時、大統領側近にコミンテルンのスパイがいた。そして実際に、世界情勢はそれによって、今にその爪痕が残るほどの大きな影響を受けた。上手くいけばかなりな成果を得られるだろうな。問題はその資源をどう準備するかだ」
もっと過激なプランが出てくる前に、第三案を検討しておいた方が良い。そうは聞こえないかも知れないが、一種のソフト路線なのである。可能ならこの線で行く。
「日本ノ野党ニ今後投入スル予定ノ資源ヲ、全部ソチラニ転用シテモ到底十分デハアリマセン」
実は日本でも、同様な計画は進行中だったりする。二正面作戦になるどころか、今後戦線はどんどん拡大しかねない。でも、使える資源は常に有限だ。当面は一部を米国に振り向けるか。
「まず、当分の間、野党が仲違いして効果的に連携できないように誘導しよう。適当に見繕ったスキャンダルやトラブルの種を、効果的なタイミングで週刊誌の記者や反対陣営にリークするんだ。こいつは君嶋にやらせる。あとは、ボットやマイクロマシンの増産だな」
「原材料ノ調達トせきゅりてぃノ問題ヲ同時ニ解決スルタメ、日本海溝ノ深部ニぼっとトまいくろましん専用ノ工場ヲ設置スルコトヲ、提案シマス。コノ工場ハ、金星デ製造サレタ素材ヲ利用シテ牧場ノ地下デ構造ぱーつヲ製造シ、短艇デ輸送、海上カラ投入シマス。タダシコレニヨリ、他ノ事業ノ日程ガ後ロヘ、ズレ込ムコトニナリマス」
ボットとマイクロマシン専用工場ということは、他の物を作ることはできない訳だ。手順として、海上で組み立て、完成した後に深海まで沈めるのだろう。
「どの程度影響が出そうなんだ?」
「優先順位ノ高イとらいでんと社ヘノ出荷ガ、三十日間程度遅レマス。他ノ分野ハ二十カラ二十五日間ノ間デショウ」
「トライデントとの契約項目に、あちら側でトラブルがあった場合、解決するまで出荷を停止するという条項があったな。あれを利用しよう」
元々は資金調達で支払いが滞るような場合を想定した条文だが、トライデントのトップであるアルフレッド・グリーンCEOとランドグレンCOOの間で、重大な方針の食い違いが生じている現状では、契約に沿った生産は続けられないと通告しよう。
何しろ向こうのやっていることは、片手でこちらの顔を殴りつけながら、反対の手でうちの製造している商品を売れと求めているようなものである。法的にもこちらに十分な理があるから、むこうも内部の問題を解決した後でないと対処できず、こちらは時間を稼げる。
その間、日本と米国の官僚組織同士でいろいろと揉めて貰えば、さらに都合が良い。そうだな、あの松田副大臣と一緒に来た秘書官を利用することにしよう。確かあの時、どん亀がマイクロマシンを、あいつのスマホに取り憑かせたはずである。
俺は桃花を社長室に呼び、トライデント社に出荷停止の通告を送るよう指示した。
「良いんですか社長? トライデントと全面対決することになりかねませんよ」
「非は向こうにある。法的にも問題無い」
「でもトライデントは製品出荷が遅れ、ペナルティを負うことになります。経営陣の気分を害することになりませんか?」
「こっちの渡した生産物を小分けし、パッケージングして販売するだけで、月に何千万ドルもの利益を上げているんだ。自分の尻の始末ぐらい、自分でして貰うさ。ランドグレンには役員会でグリーンの責任を追及させ、辞任に追い込ませるつもりだ」
グリーンの一派が抵抗すればするほど収拾が付かなくなり、問題の解決が先送りになる。
トライデント社の現在の増益分は、ランドグレンが我が社と結んだ契約から生まれているのだから、株主たちの支持は彼に集まるはずだ。
グリーンの背後にいる者たちが欲をかいたせいで、黄金の卵を産む鶏を失いかねないと知ったら、誰が奴を支持するだろう!
「社長、ステファニィちゃんから伝言です。祖父さんがグリーンを裏切るから、ランドグレンとの仲を仲裁して欲しいと言っているそうです。次には、株主総会で仲間を引き連れてランドグレン支持に回る代わりに、製品供給を再開しろと言ってくるはずだと、彼女は言っています」
君嶋がまたノックと同時にドアを開け、社長室に入ってきてそう言った。こいつにもやらせる事があったのを、思い出したぞ。
だが随分とステファニィと仲良しになったようじゃあないか。君嶋、お前、新婚のはずだろう。
「部長、中から返事が無いのにドアを開けるのはマナー違反ですよ」
「あ、スマン。次は気を付ける」
「もう! 中学生ですか!」
桃花に眉を吊り上げて怒られても、反省の色が見えない。元々こんなキャラだったっけ? いや、そんな疑問は脇に置こう。
「トライデント社を通した出荷も含め、合衆国への供給を暫く停止する。君嶋はそのことを、あの何とか言う秘書官、この前副大臣といっしょに来た奴だ、あいつに知らせてこい」
「上田秘書官ですか? 知らせるのは良いですが、出荷を止めたら、うちにも代金が入りませんよ。在庫はどうするんです?」
「六角さんに連絡して、製造工程をストップして貰った。再開しても一ヶ月は出荷できないが、それはまだ秘密だ。在庫の販売先も、スポット扱いで確保してある」
「ロイヤル・ダッチ・ケミストリィですか! すると社長は、この事態を予想していたんですね」
「顧客が一社しか無いというのは良い関係じゃあない。それじゃあ子会社と一緒だからな。だから顔つなぎに行ったのさ。あれは観光旅行じゃあないんだぞ」
「そう言えば、ステファニィちゃんの祖父さんが、三千万ドルなんてドロボウ価格で、我が社を買収しようとした理由が分かりました。あれはあの爺さん個人で、当座に調達できる資金だそうです。つまりあの狸爺、我が社を自分一人のものにしようと企んだわけです」
まあ、俺たちがガレージに実験室兼工場を作って、たまたま大当たりを引き当て、起業したばかりの若造と大差ないとしたら、三千万ドルという金額に、眼が眩んでも不思議はない。
実際あの国には、そういう若者を言いくるめて金のなる木の種を取り上げ、肥え太った自称善意の投資家たちが山盛り暮らしている。奴らの言い草は、「その金で、俺たちみたいに投資して、お前たちも儲けろよ」という、優しいお言葉だ。
「つまり、俺たちに喧嘩を売る気は無かったと、そう言いたいのか?」
「彼女はそう言っています」
「お前、信じるのか?」
「彼女には、良いお祖父ちゃんらしいですよ」
「だから許せと?」
「一時的にでもトライデントの株価が下がると、それを担保に借金した爺さんが、かなりの痛手を被るそうです」
「そうなったら、君嶋がステファニィちゃんの傷心を慰めて、癒やしてやるんだな」
「あー、自分には女房が居るんで、社長、どうですか?」
「おい!」
※ご注意※
いろんな人物を“危ない奴”扱いしていますが、一番“危ない”のは主人公ですから、間違えないで下さい。
“良い子は決して真似しないように” と、言っておきます。
by野乃