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◆106◆

 アメリカ合衆国では、国民に選ばれた政権の政策を実現する政府を構築するという名目の元に、他国では類を見ないほど政治任用制というものが肯定的に捉えられている。


 これは「王侯ではなく、民衆によって選ばれた代表」が官僚の任命権を持つことが、合衆国が成立した歴史的理念に合致していたからだ。またこの国が成立した当時の行政制度が、専門性を持たない人間でも運営できるほどシンプルだったからでもある。


 大統領の官職任命権については、合衆国憲法第二章第二条第二項第二節に明記されている。ただしこの任命の際には、上院の助言と承認を得ることが必要条件となっていて、それがまた厄介の種となっているのも事実だ。


 政権交代のたびに執政部門を中心に約三千五百の重要な官職が入れ替わり、それによってその後の政権運営が方向づけられる。大統領が政治任用によって新政権に応答的な政府を構築することは、さまざまな政策を実施していくうえでも不可欠な手立てと見なされていた。


 ただ大統領による重要なポストへの任命が、支援者への利益供与や議会への取引材料として利用される場合があることも否定できない。だから時として、十分な専門性や人格的適性を持たない人材が候補者とされることで、議会の承認が長期間得られないというケースも起こるわけだ。


 ただし今回登場したステファニィちゃんの場合、議会で検討の対象になるほど重要な官職を割り当てられた訳では無い。


 また合衆国には大統領研修員プランという制度があって、大学院修了者がオンラインによる選考を経て各省庁に研修員として採用され、実務研修後に採用される道筋(採用される保証があるわけではない)もある。


 しかしステファニィちゃんは、隠れた名門(ヒィドン・アイビィ)の筆頭として上げられることの多いジョージタウン大学で人文科学を学び卒業してはいるが、学士号しか取得していないので、これに該当する人材でもない。


 合衆国では、高級官僚や将来の幹部候補生となる研修員の他にも、政治任用あるいは自由任用と呼ばれる採用枠がある。それは秘書や運転手などの、官吏としてはあまり目立たない仕事の、数千人分のポストだった。これは各州で実際に行われた選挙運動で活躍した人間や、選挙資金の調達に貢献した相手の縁者などに割り振られることが多い。


 ステファニィちゃんが在日大使館のアシスタント・スタッフとして採用されたのは、まさにこの制度枠によるものであった。


 ただし、彼女の日本語能力はけっこう高いので、現ポストに対する職業適性が無かった訳ではない。 現在の職に就くに当たって、彼女は日本国際教育支援協会が実施している日本語能力試験(JLPT)で最高レベルであるN1の成績認定を受け、その証明書を国務省に提出していた。


 彼女は子ども時代に日本のアニメに触れ、そこから東アジア全体のポップ・カルチャーに関心を持つようになった、ちょっとオタクっぽい部分を持つ人間である。


 しかし決して残念な女性というわけではなく、社交的で普通の人間関係を好み、将来についても自分の能力と興味を生かしたキャリアを築くことに野心を持っていた。


 ただ惜しむらくは経験不足からだろうが、現時点ではその努力がいささか空回りする方向に向かってしまう傾向が、否めない人物なのである。


 何で俺がそんなことまで知っているかというと、このオフィスを開設して一ヶ月余り経った頃、突然電話が掛かってきたからだ。ちなみにうちの電話番号は公開されていないが、彼女は松田副大臣の秘書から、それを探り出したらしい。


 その番号に掛けると、三コールで電話口に出るのは明るく若い女性の声だ。


「はい、有限会社六角産業東京オフィスでございます」


「こちらは在日合衆国大使館経済課主席参事官のミズ・ステファニィ・ショートです。そちらの会社社長であるミスター亀甲と会ってお話ししたいので、アポイントメントをとって下さい」


 流暢な日本語であった。言葉の障壁が最初から無いことで、面会を断られる可能性が一つ減じられていることになる。


「社長でございますか?」


「はい、そうです」


「申し訳ございません。生憎、現在、当社の社長は亀甲ではございません。四月の社員総会以降は、代表取締役社長を岡田が務めております」


「ミスター亀甲は退任されたということ?」


「はい、研究と製造の業務に専念するため、取締役を退任しております。製造現場で働いておりますので、現在このオフィスにはおりません」


「そう、製造現場にいるのね。では、そこでお会いすることはできないですか?」


「生憎ではございますが、社外の方を製造現場にご案内することは社内規則によって禁じられております。ご希望があればショート様の電話番号を亀甲に送達いたしますが、お聞かせ頂けますでしょうか?」


「そう、駄目なの? 残念ね。じゃあ、現在の社長であるミスター岡田とのアポイントメントをお願いするわ」


 電話を受けていたのは謝花桃花であった。秘書室長という肩書きで、社長室の中の俺の机の横にも、サブ・デスクを持っている。もっとも当時まだ秘書は一人しかいなかったし、それどころかこのオフィスにいたのは、俺と彼女の二人っきりだった。


 オフィス内は静かで、微かな空調の音がするだけである。そのやり取りを聞いていた俺は、二メートルも離れていない位置で電話機に向かって話している桃花に、首を振って見せた。


「現在、岡田はスケジュールが詰まっておりまして、三ヶ月程度お待ち頂くと思われます。それでもよろしければ、後ほどこちらからお電話いたしますので、お電話番号をお聞かせ下さい」


「よろしくない、まったくよろしくないわ。三ヶ月ですって。そんなに待ったら、あたし、お婆ちゃんになってしまうじゃないの! あのねえ、あたしは合衆国大使館の者なの。もう少し便宜を図ってちょうだい!」


「申し訳ありません。そのような権限を与えられておりませんので、できかねます。ショート様の電話番号を伝えることなら可能ですが、いかがいたしましょうか?」


「もう、それじゃあこれからそっちへ行くから、中へ入れてちょうだい。直接ミスター岡田に話すわ」


「お約束の無い方をオフィスに入れることは、社内規則によって禁じられております」


「規則規則って固いわね。そちらにも絶対良い話よ。これを逃したら、あなたのボスは損をすることになる。良いの? そんなことになったら、あなた首になるかもね。それがいやなら、ボスに繋いでちょうだい」


「ショート様、失礼ではございますが、ショート様のご提案というのは、大使館として承認された案件なのでしょうか? どうもお話が性急で、手順を踏んでいないように感じられます。念のため申し上げますと、当社では連絡間違い等を避けるため、電話内容はすべて録音することになっております」


「何ですって! ああ、もう! 後ほどかけ直します」


 突然ブツンと通話が切れる。何かせわしい大使館員だった。


「本当に合衆国大使館の主席参事官なんでしょうか? 声と話し方が若過ぎるように感じましたが」


 桃花の疑問に、俺はサイドデスクの上のディスプレイに向かい、キーボードを叩いた。これは別室に置かれたサーバー・システムに繋がっており、そいつはどん亀が組み上げたAIのネットワークと接続している。


 首都圏を中心にばら撒かれた多様なボットたちの形成する一次情報収集システムと、この国のネット・インフラを侵襲しつつあるマイクロ・マシンたちがモニターして得た情報を、選別分析しているのが、このAIネットワークだ。


 無論この動き出したばかりのAIネットは万能ではない。だが、それが構築した情報網の範囲の中にありさえすれば、俺がリクエストした情報を掘り出し、俺の目の前のディスプレイに直ちに送ってくる。桃花に対しては、俺が個人的に契約している調査会社のデータ・ベースだと説明してあった。


「ステファニィ・ショートね、大使館に勤務しているのは間違いない。二十六歳で、経済課に名前がある。ただし、主席参事官“補佐”だな」


「“補佐”ですか?」


「そう。“アシスタント”つまり“走り使い”だ」


「じゃあ、なぜ?」


「ああ、たまたま現在はあの国の大使が“不在”で、欠員になった大使館内の人事も……」


「そう言えば前任の大使は去年の夏に退任して、本国に戻ったんでしたね。あれから十ヶ月以上経ったのに、まだ後任の大使が決まっていないんですか?」


「今の合衆国大統領はアレな人だからな。世界における米国の役割とか、外交とか、ぜんぜん頭の中に無い。次の選挙のため、国内でどれだけ票を集められるかしか考えていないんだろう。献金してくれる米国内の企業や有権者に利益誘導することなら、略奪的交渉でも何でもやるんだろうが……」


「それで在日大使が決まらず、あおりを受けて主席参事官も不在ですか!」


「らしいな」


「あれ、でも、うちの製品の供給についてステイツから来た役人たちが経産省から合意を取り付けて帰国したって言ってませんでした?」


「あれは国務省の連中だ。本来なら経産省の交渉相手(カウンター・パート)は、商務省なんだ。それなのに国防がらみということで、国務省が出てきてまとめた。面白くないのは当然……」


「縄張り争いですか。また面倒臭い!」


「ただ、彼女は大統領のスポンサーである人物の孫らしい。大使館でポストを得たのはその爺さんのコネで、キャリアを得るためだな。繋ぎをつけておく価値はあるかもしれない。君嶋に接触させよう」


 というような経過があり、無視されたと判断されるのも拙いので、渉外部長である君嶋がアプローチすることになった。その君嶋が彼女につけた呼び名が「ステファニィ()()()」である。


 金髪で青い眼、少し雀斑があり色白、そして身長は百五十センチほど。顔が小さく眼が大きい。白人にしては童顔である。身長のせいとは限らないだろうが、話しているとどうも「背伸びしている」感が付きまとう相手だそうだ。


 大統領とのコネを使って自分を現在のポストに押し込んでくれた祖父からのリクエストだ。期待に応えようという意気込みがあっても不思議ではない。


 ただ彼女には今まで、事務的な仕事しかあてがわれてこなかったようで、外交的な交渉とか、商取引上の駆け引きとかいうものの経験は皆無らしかった。


 祖父さんも多分、交渉の窓口となる相手を見つけてくることでもできれば、「良くやった」と頭を撫でて誉めてやろうという位の気持ちだったのだと思う。


 ランドグレンとの契約による現在の出荷契約の分だけでも、トライデント社の営業利益は五年以内に最低でも倍増する。けれどもアメリカン・ドリームの信奉者であるステファニィの祖父やその仲間たちは、それだけで満足するつもりはないようだった。


 俺の指示で、君嶋はステファニィと何度か会っている。ただし、まだ空っぽなオフィスの様子を見せたくはないので、一度も中へは入れていない。


 その中で突然彼女は、言わされている感満載ではあったが、「六角産業の買収に応じるか、取引を取りやめるか」のどちらかを早急に選択しろという、ある意味で恫喝としか聞こえない提案をしてきた。俺の考えでは、トライデントの経営陣はこのことについて、知らないだろう。


 君嶋に言わせると、その話をする際のステファニィちゃんは、「とってもオドオドして、気の毒なほど」だったそうである。


 そして君嶋が、ロンドンで俺がロイヤル・ダッチ・ケミストリィの役員と「何かを」話し合った件について口を滑らしたのは、次に会った時であった。


 どん亀の情報収集システムが、一般のインターネット検索エンジンと違うのは、どんなセキュリティ・システムでも突破し、一部のスタンド・アローンのはずのシステムにまで物理的に侵入して、情報を集めていることです。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ 最初に捕らわれた内省的で孤独な青年は もうどこにもいないのだな 過去の彼と深く関わった友人でも居たら 「お前は誰だ?」となると思います ところで 六角さん 戸籍 出身校 人間関係その…
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