◆105◆
桃花が沖縄のリゾートでスタッフを務めていた人材を引き抜いてきた。専門学校の後輩で二十四歳だ。
語学はそこそこだが、気配りのできる娘だそうである。しかも頑張れる人間だというので、会社で学費を援助して勤務時間外にスクールへ通わせ、英語と華語を学ばせることにした。
最初は年収四百万。仕事は当面、社内での事務及び雑務。会社近くに用意した社員寮の寮費は、無料だ。語学が実用レベルに達すれば昇給させると約束してある。その代わり単年度の試用契約なので、東京に住むことになっても遊ぶ余裕は無い。
「君に出す学費は会社の投資だ」と説明してあるから、成果を上げなければ次年度の契約は無くなると本人も承知している。だから必死である。ブラックだって? まあそうだけど、俺も経営者で慈善家ではない。
君嶋が見つけてきた男は、元は自衛官だったという四十代で、社用車の運転手としての採用である。高卒後、陸上自衛隊に入隊して十五年間輸送科にいた。国際平和協力業務で南スーダンにも行き、一曹になった二年目で辞めたらしい。
退官後、最初は限定解除試験を受けて民間の大型貨物の運転手を、そこから二種免許を取得してハイヤー会社のドライバーに転身したという経歴の持ち主だ。名前は女川征史、車が好きでそれに関わる仕事を続けてきたそうである。
俺が社用車を購入することを聞いた君嶋が、前の仕事で度々使っていたこの男に声を掛けた。人当たりが非常に良く、言葉遣いも柔らかい人物である。元自衛官だとは、最初君嶋も思わなかったと言っていた。
結局あの後買った車は、ハイブリッドの六〇〇hLだった。しかしこれなら、別に専用運転手を雇用する必要がない。
君嶋に、国内で社用車として使うなら、センチュリーの新型を買った方が良いと薦められたのだ。
ただし月産五十台の手作りだから、どんなに急がせても納車まで半年以上待つ必要がある。この不景気でなければ、もっと待たされるはずだと言われた。
六〇〇hLを買ったのは、その納車までの繋ぎである。
だから運転手としての採用は、センチュリー納車後になる。それで良いというので、契約金という名目で六十万渡し、それまでは今の会社で仕事を続けてもらうことになった。
「えーと、すると紹介料はどうなるんですか?」
社長室のソファに座った君嶋が聞いた。桃花の出したコーヒーカップに口をつけず、右手に持ったまま俺の答えを待っている。
「六十万の一割だから、君嶋には六万だな。謝花には四十万か」
「そんな、殺生な!」
桃花は知らんふりで、俺の前にもそっとカップを置いた。どういう風の吹き回しか、今日着ているのは、白いブラウスに紺のタイトスカートのシンプルスタイルである。えっ、夏だから?
「だって、半年後には正規採用の契約でしょう。えっと、年収はどうなるんですか?」
「半年後からは六百万かな」
「じゃあ、自分の紹介料は六十万じゃないですか」
「だが、最初の報酬の一割は六万だろう?」
「いや、それを言うなら六百六十万の一割で六十六万じゃあないですか!」
君嶋にしては随分食い下がる。まあ、最近何かと物入りなようだからな。
「やれやれ、君嶋も交渉が上手くなったもんだ」
君嶋が臨時収入を欲しがっている事情は知っていて、元々出す予定だった。まともに渡してやったら気恥ずかしいだろうし、ご祝儀のつもりだ。
「えっ、それじゃあ?」
「六十六万にするから、嫁さんをどっかに連れてやってやれ。籍を入れたんだろう」
てっきり結婚していると思っていたのに、ずっと内縁関係だったそうである。桃花が社会保険の関係で調べて本人に確かめたら、入籍日は君嶋が六角商事の社員になった後だった。二人はその頃、オフィスへの通勤に便利な賃貸に引っ越している。
「来年になったら、ビジネスジェットが入るんでしょう。それに乗せて下さいよ」
「お前、会社の金で新婚旅行に行く気? 熱海かどこかにしておくんだな。だいたい、君嶋に海外の仕事が勤まるのか?」
「うーん、自分も四十の坂を越えましたんでね、これから語学の勉強はちょっと……」
なんとこの歳まで、君嶋は海外に出た経験が無いらしい。あ、嫁さんに尻を叩いて貰う手もあるか。
「そんなこっちゃ、新人の大城に追い越されるぞ」
「そうですよ。由唯ちゃん、頑張り屋ですから」
大城由唯というのは桃花の連れて来た後輩で、ちじれっ毛で少し色黒な、眼の大きい娘である。今は秘書室にデスクがあり、桃花に事務仕事を教えられていた。二ヶ国語をマスターするため、退勤後毎日スクールに通っている。
「TOEICで九百点超えたら、初飛行に乗せて合衆国に連れて行ってやる約束だ。BCTの方は五級だな」
「TOEICは分かりますが、BCTって何です?」
「ビジネス・チャイニーズ・テスト、中共の国家漢弁が作った中国語の検定試験だよ。大城は二つの言葉を同時に勉強しているんだ。君嶋も一つぐらいチャレンジしたらどうだ?」
外国語についてはズルをしている俺が、こんな言い方でハッパを掛けるのは卑怯な気もするが、君嶋にだって戦力になって貰わねばならない。
「英語ですかぁ?」
「ロシア語なんてどうだ?」
「えー、勘弁して下さいよ」
「英語だと大城と比べられるから、その方が良くないか?」
服飾に関してあれだけ深い知識とセンスを持つ君嶋だ。その気になれば、地頭は悪くないはずなんだ。基本俺は、「自分に優しく、他人には厳しく」がモットーである。経営者として「給料を出しているんだから使い倒してやる」ぐらいのつもりで臨もうと思う。
「はーっ」
「部長、そんな顔して同情を買おうとしてもダメです。そんなんじゃあ、由唯ちゃんに馬鹿にされますよ」
落ち込んでソファに沈み込む君嶋に、嬉しそうな顔で桃花がそう言った。
「二階に来てくれると思ったのに……」
「自分の部下は自分で見つけてきて下さい。社長、女川さんのデスクは二階に置きますか?」
「運行記録とかも出して貰わなければならないから、一応席は作ってくれ。良かったな君嶋。これでボッチ解消だ」
めげた顔の君嶋を見て、俺は話題を変えることにする。君嶋が担当している、政治家たちの話だ。
「ところで首相は河見さんで続投だが、合衆国との関係は相変わらずか?」
「社長がロイヤル・ダッチ・ケミストリィと接触した、ロンドンでのあの件を商務省が知って、大統領から日本政府へ圧力が掛かっているようです。ステファニィちゃんが焦って、本国に連絡したんでしょう」
ステファニィ・ショートというのは、在日米国大使館の経済課主席参事官のポストに、臨時で就いている二十六歳の女だ。本来の参事官は前任の大使が任期を終えて帰国するのと一緒に、本国へ帰った。
その後どういうわけか、未だに後任の大使が決まらず、元の主席公使が臨時代理大使を務めている。このため大使館内の人事が滞っており、本来であれば交代人員が本国からやって来るまでの一時しのぎであったはずの、元アシスタントであったステファニィが、いまだに代理を務めているのだ。
君嶋に言って、彼女にこの件をリークさせたのは、トライデント社からの増産要求を躱すためだ。最初に取り交わした契約に従った量は出荷している。だが、向こうの経営陣はこの時期を逃さず、一気にシェアを握ろうと考えているのだろう。ランドグレンのルートを迂回して、連絡を取ろうとしてきていた。
その際走り遣いに使われたのが、件のステファニィちゃんである。選挙の時、大統領に資金援助をした支持者の孫だという、金髪のヤンキー娘だ。スポンサーである祖父さんが、トライデントの株主であるらしい。




