◆100◆
振り返ってみると、俺がドーベルマン・ボットを作ってくれと、どん亀に依頼したのは、突然現れた脅威から身を守ろうとしてのことである。
その脅威とは二十歳にもなっていなかった一人の女、鈴佳だった。後から考えれば、何と意気地の無いビビり野郎だと、我ながら思う。
だが、俺のパーソナル・スペースにズカズカ踏み込んできて、それまでの落ち着いた田舎暮らしを思いっきり引っかき回してくれた鈴佳に対し、俺は恐慌を起こしていた。
あの時、取りあえずでも俺が落ち着きを取り戻すため、ドーベルマンたちは必要だった。それはその後、俺と鈴佳が共有した時間によって、彼女という存在の意味が変わったとしても、また別の話だ。
俺は自分が大事、それが正直に自分を見つめた結果の、俺の人間性である。臆病と言われようと、雑魚と嘲られようと、自分を守ることを疎かにするつもりは無かったはずなのだ。
ところが俺は、どん亀が生む富がどんなに危険をもたらすかから目を背け、結果として大事な存在を失うことになった。
鈴佳があの貨物船上で俺を守ろうとしたことを俺は忘れない。鈴佳が身を挺して俺をあの射線から押し退けてくれなければ、たぶん死んでいたのは俺だったろう。左脇の肋骨を撃ち砕いた銃弾が、もう十センチ内側に寄っていたら、そこは俺の心臓の位置だ。
いくらどん亀でも、死んでしまった人間を、蘇らせることはできない。あの時、俺だって死にかけたのだ。
俺は自惚れていた。どん亀のアプリの成果で、いざとなれば超人的な力を発揮して事態を乗り越えることができると思っていた。東平安名崎の駐車場で俺を襲おうとした二人組や、多分強かったであろう功夫使いをぶっ飛ばした時は気分が良かった。
だが慢心と一瞬の油断により、自分が負傷したばかりでなく、鈴佳を死なせた。
俺は間違いなく気の小さい、利己的な人間である。そして鈴佳が俺の所に突然姿を現した時と同じように、新たに見えてきた脅威を怖れている。
だからまず、身辺の安全を脅かすテロに対抗するために、どん亀にガード・ボットを作らせた。しかしそれだけでは十分ではない。多分将来俺は、国家権力、それも世界の強国と言われる複数の国の標的となる可能性がある。その時になって、何の準備もなく戦う羽目になるつもりはない。
「ますたーノ望ムモノハ“軍事力”デスネ」
「そうだ。国単位の相手と敵対することになれば、いずれ必要になる」
「“軍事力”ヲ保持スル目的ハ、敵対勢力ノ意図ヲ阻止シ、ソノ武力ヲ無効化スルコトデス」
「まあ、大雑把に言えばそれで間違いないだろうな」
俺は六角産業のオフィスがあるビルの五階にいて、どん亀と話し合っている。この階と屋上は、俺と鈴佳の居住スペースだ。
「デハ最大火力デ、敵対スル勢力ヲ殲滅スルコトガ、最モ効率的デス」
七時間勤務で鈴佳の介護をしている四人のナースと八時間勤務のハウスキーパーの計五人が、このスペースには出入りしている。鈴佳のことを考え、全員女性だ。
ナースの勤務には前後に三十分ずつの重複があり、そこで申し送りが行われるようになっている。リハビで入院していた病院の担当医師が定期的にチェックし、指示を出していくが、こちらも女医さんである。
俺が居るのは広さ十坪ほどの書斎で、どん亀の声が聞こえるのは、壁に掛けられた五十五インチのディスプレイからだ。
画面に映し出されているのは、亀甲博士とは別の、どん亀の用意したアバターである。南アジア系と思われる褐色の肌をした男だが、こいつには実体は無く全くのヴァーチャルな存在であった。
「地球上の全国家が束になっても、どん亀に敵わないことは理解しているよ。ただ、そのやり方で一度始めたら、人類絶滅、までは行かなくても、文明の完全崩壊あたりまでは行ってしまうだろう。そうなると、どう考えても後始末が大変なことになる。俺は荒廃した廃墟のような世界に取り残され、生き残りの人類の面倒を見るなんて仕事は真っ平だ」
「敵対者ノ人的損害等ヲ最低限ニシタイ、ト言ウコトデスカ?」
「程度問題だけどな」
「スルト必要ナノハ、様々ナ状況下デ即応性ト柔軟性ヲ兼ネ備エタ武力ニヨリ、最低限ノ犠牲デ相手ヲ打チ砕クぱわーデス。軍事上、ソノタメニ必要ナ兵科ハ“歩兵”デスネ」
「歩兵? えっと、短艇を改造した程度の物ではダメなのか? 現にあの貨物船だって、簡単に沈めてしまえたじゃないか!」
「想定サレル軍事力行使ノ形態ハ、我々ト敵対勢力ノ軍事力ガ大幅ニ異ナル“非対称戦争”デアリ、限定戦争デス。敵対者ガ既成事実ヲ作ル事ヲ阻止シ、同時ニ相手ニ交渉ノ余地ヲ与エルヨウ制御サレタ、限定的ナ戦闘ヲ行ウコトニナリマス」
「短艇じゃあ自由が利かないし、そもそも相手に交渉するという発想が生まれないか……」
よく考えて見て欲しい。停戦とか捕虜交換みたいな条件を交渉しようとした時、交渉相手が無人の戦闘機や戦車のような、戦闘する機械の姿しか見せないとしたら、あなたは話し合いを持つことが可能だと感じられるだろうか? いや実際にはもっと小規模な戦場で、戦闘中に個人や小隊単位での降伏を受け容れ、非戦闘員を制御するなどの、対人交渉も必要になるはずだ。
「普通の軍隊みたいに、都市なんかの拠点を占領・維持することを目的とするなら、住民との良好な関係を築くことも必要になる。だとすると“人間らしい見掛け”が求められるから、生身の人間を“リクルート”するのが、コスパ的に有利だと思ったんだよね」
「必要トサレル個体数ノ確保ト、ソノ維持費用ヲ含メルト、人間ノりくるーとハ、ソレホド有利トハ言エマセン」
「生かしておくだけで衣食住のコストがかかるからな。おまけに継続的に訓練しなければ短期間で使い物にならなくなる」
「忠誠心ヲ維持シ、目的ニ従ッタ行動ヲサセルタメニハ、思想教育モ必要デス」
何人かの人間を“改造”してみて体験した“手間”から考えても、人間を改造して教育し、私兵に仕立て上げるのは割に合わない。
そもそも統一された価値判断の基準を持たせなければ、軍隊としてまとまった作戦行動を取らせることができないのだ。ボディ・ガードにするレベルなら、よさげに思えたんだが。
「じゃあ、ボットでそれを実現するにはどうすればいいんだ??」
融通が利かないという欠点があるにしろ、一度作ってしまえばボットの維持費はそれほど掛からないし、第一裏切られる心配が無い。ただ“人間らしく”振る舞わせるためのコストは半端じゃあない。
「原住民トノ関係構築ノ優先順位ヲ、最低限ニ設定シマショウ」
どん亀のやつ、今“原住民”って言ったよな。まあ、どん亀にとっては“原住民”そのものなんだろうけど、俺の扱いはどうなる? あ、原住民“出身者”なのね。
「いくら何でも、最低限は拙いだろ。でも、武力による敵対勢力の意図の阻止と戦力の撃破という目的の内、対人戦闘と地域制圧、占領地域の調査と確保、あたりを優先するか。うーん、地下の秘密基地で使っている多目的ボットじゃあダメかな?」
多目的ボットは多関節の上下肢を持つ作業用ボットである。フレキシブルな支持架の上に複眼のように沢山のレンズが付いた半球形の頭部があり、何となく節足動物っぽいボットだ。
「アレノ動ク姿ハ昆虫ノヨウニ見エルト言ッテイマシタネ。人類ニハ昆虫ニ対スル嫌悪感ヲ持ツ者ガ多イヨウデス。複数体ノ、アレニ攻撃サレタラ、ホトンドノ人間ガぱにっくヲ起コスデショウ」
言われてみればその通りだ。歩兵は集団で運用しなければ戦力として本来の意味を成さないのだ。節足動物の群に襲われた人間がどんな反応を示すか、想像に難くない。
じゃあどうすれば良いのか……悩む所だ。何か良い考えは無いだろうか?
「そうか、ボットを無理に人間らしく見せようとするから上手くいかないんだ!」
「ドウイウ意味デス?」
「外見はおおむね人型だけど、人間らしくは見えないボットが、時々人間のように振る舞うとする。それ見た時、人間はどう解釈しようとすると思う」
「ワカリマセン。前後ノ状況設定ガ曖昧過ギマス」
「その人型の中味は人間なのに、我々が人間ではない何かだと思わせようとしているのではないかと疑うはずだ」
「ソウマデシテ、中ノ人ガ人間ダト思ワセタイ理由ガ示サレテイマセン。ソレニ、ソンナニ都合良イ方向ニ誤解スルデショウカ?」
「そういう誤認をするように誘導すれば良い。彼らが信じたい“真実”を我々が隠そうとすればするほど、彼らはその“真実”を信じ込むはずだ。」