2話:先生に偽名を貰う
手違いで異世界に召喚されてから五日。
私は偉いおじさんこと、フォルライン卿のお屋敷で居候をしている。
「マリーさま、今日のご予定ですが、昼餐にて旦那さまのご子息、シオンさまのご挨拶を予定しております」
「えっと、もっと砕いて、スピちゃん」
「昼食を、フォルライン卿の五男でいらっしゃるシオンさまとご一緒していただく手はずになっております」
私専属のメイドとしてつけられたシュピーリエが、理解の追いつかない私のためにわかりやすく言い直してくれた。
言葉通じるんだけど、なんか固有名詞になると言いにくさを感じる。
日本人的に「シュ」より「ス」のほうが言い易いから、本人に許可貰ってあだ名で呼んでる。って言っても、シュピーリエは「仰せのままに」って即頷いちゃったんだけど。
「ま、スピちゃんも私をマリーって呼んでるからお互いさまか」
「ご不快でしたら改善いたします」
「あー、いいのいいの。それより、さまってつけられるほうが違和感あるし」
「マリーさまが寛大なお方とは存じておりますが、旦那さまのお客さまに対して、敬称を抜くことはできません。まして、私個人もマリーさまには敬意を持ってお仕えしたいと考えております」
淡々としたシュピーリエは、何故かこの五日で私を気に入ってくれたようだ。
いや、メイド長って人がシュピーリエの不愛想さをすごく気にしてたから、その辺り評価の低さを本人も気にしてたんだろうけど。
日本人で庶民の私としては、甲斐甲斐しく立ったり座ったりまでしつこく世話を焼かれるより、言葉数少なく大袈裟な感情表現なんてないシュピーリエくらいがちょうど良かった。
だから、シュピーリエは十分お世話をこなしてるし、静かで安心できるってメイド長に伝えてる。
そしたら、たぶん本人の耳に入ったんだよね。
三日目くらいから、表情が和らいだ。そんな変化の理由を聞いたら、なんでかシュピーリエに喜ばれた。
シュピーリエ曰く、無表情の自分の気持ちを読み取ってもらえるのは珍しいことなんだって。
いや、シュピーリエを基準にすると、日本人ほとんどが無表情な民族になっちゃうよ?
「昼餐にあたりまして、お着替えいただくドレスをご用意させていただきました」
「え、お昼食べるだけで着替えるの?」
「…………正餐というお言葉はわかりますでしょうか?」
「わかんない」
正餐というのは、格式高い食事でドレスコードがあるものらしい。なんかお高いレストランみたいだな。
それを個人の家でやっちゃうなんて、あの土下座してたおじさん、ほんとうにお偉いさんだったんだなぁ。
そんな庶民には馴染みのないお昼になり、私はスッとしたドレスから、フンワリしたドレスに着替えさせられた。
何を言ってるかわからなないって?
私も説明されたけど、ドレスの種類なんてわかんないよ。
色で言えば、水色から赤になった。あと、めっちゃ胸元とか肩が露出してる。
正直、恥ずかしい。なんだこれ?
「お初にお目にかかります、マリッさま。魔法学園にて教鞭をとっております。シオンと申します」
そう言って、私の手に顔を寄せる魔法学園の先生。
リップ音はするけど本当に唇はつけないらしい。ちょっとドキドキした。
てか、やっぱりこっちの人、私の名前伸ばさないと詰まるんだね。シュピーリエもそうだったから、マリーって呼んでいいって言ったんだよ。
「言いにくいならマリーでお願いします。私は、こちらの常識に疎いので失礼があっても許してほしいです」
私がそうお願いすると、シオンは灰色の目を見開いた。
っていうか、フォルライン卿のおじさんは白髪だと思ってたんだけど、息子のシオンが二十代半ばくらいの今で銀色の髪ってことは、あれ、最初からあの色だったのかな?
シオンは銀色の髪にちょっと暗い灰色の目をしている。顔立ちは頭良さそうで、育ちの良さっていうのが雰囲気でわかる。緊張なのか表情が神経質そうだけど、私の手を取った動きはとても優しかった。
「手違いでお呼び立てした上に、こうして歓待すべき父もいない中、お気遣いまでいただけるとは…………」
あー、おじさんね。
あの私を間違って呼び出したせいで、色々仕事が増えてここ五日まともに家にも帰ってこれない過労死しそうなフォルライン卿ね。
この世界の貴族としては、お客さん放っておいて仕事って、すごく失礼なことらしい。
いや、こうして衣食住全部他人に丸投げしてるだけ、こっちのほうが申し訳ないくらいなんだけどね。
ってことをなんとか伝えたら、なんか、シオンはお昼そっちのけで食いついて来た。
「女性一人がそのように自立した考えを持つにいたる文化とは、どのようなものかお聞きしてもよろしいでしょうか? 天の国には上下の身分が存在しないと伝承されていますが、本当なのですか?」
「えっと、はい、ありません。いや、ちゃんと政治をする偉い人はいるけど、ここみたいに貴族じゃなきゃ駄目なんてことないですし。あと…………」
「マリーさま、シオンさまのお話につき合っていては、日が落ちても昼餐が終わりません」
シュピーリエがこっそり耳打ちしてくれた。
うん、確かに部屋の外で使用人たちが料理を運び入れる準備をしてる音がしてた。
この挨拶終わらなきゃ、部屋に入れないんだと思う。
「まずは、席に着きませんか?」
「こ、これは失礼いたしました」
シオンも状況を思い出したようでちょっと赤くなる。
興味関心のあることに熱中するタイプかな? 真面目そうだったのに可愛いところあるもんだ。
そんなことを考えながら、コース料理的なお昼を終えて、食後のコーヒーを飲みながら、シオンが私に挨拶に来た理由を聞いた。
「来月から、魔術学園のほうにお移りいただくことになりました。そのための説明と、学園生活において私が後見人となることのご挨拶をさせていただきたく参上しました」
「後見人ってことは、私の保護者になるってことですよね? だったら、もっと普通に喋ってくれません? いや、普通がそれだと申し訳ないけど、その…………」
「こちらから申し出をさせていただこうと考えておりました。お許しいただけるなら、学園生活の練習も兼ねてこれからは少し無礼な口調で対応させてもらいます。それと、マリーさまも言葉遣いはお気になさらず。父に聞いていますから」
何を聞いたの? え、土下座命じた時のこととか?
やめて! ちょっと調子乗ってたのは自覚してるから!
…………まぁ、常に丁寧語で話すとか面倒だから、シオンの申し出はありがたく受け取っておく。
「私、学生としては入学できないんだ?」
「あの学園は王侯貴族の通う名門校であるため、出身地や血筋の事前調査がなされるんです。マリーさまのことを調べられるわけにはいきません」
どうやら私は、名目上はフォルライン卿の遠縁の娘で、行儀見習いとしてシオンのメイド名目で学園に入るらしい。
学校での生活って、そういう意味じゃなかったんだけど、まぁいいか。
「もちろん表向きだけですので、不自由があれば申し付けてください。念のため、そこのシュピーリエも帯同します」
「え、スピちゃんも来てくれるの? 良かったー」
後ろに控えるシュピーリエを振り返れば、何でもないような顔で頷き返される。けど、機嫌よく頷いてくれたのは空気感でわかった。
「マリーさまが召喚されたことを秘密にするため、名前もマリー=アイネスという偽名を用意しました。母親の転地療養のため長く一所に住んだことのない娘ということにしておりますので、少々常識とは違うことをしても深くは疑われないでしょう」
「わー、思ったよりしっかりしてる。そういうの、権力で押し込むのかと思ってた」
「…………何か、天の国でそのような風評でもあるんでしょうか?」
おっと? シオンの目の色が変わった。
何か疚しい心当たりがあるみたい。これは揺さぶってみる価値あり?
「物語としてね、召喚された人の話があるの。色んな種類があるから、私はそのどれとして召喚されたのか、知りたいとは思ってるよ」
「…………なるほど。父の言うとおり私たちの旧悪を隠すべきではないようだ。ただ覚えていてほしいのですが、今から語るのは、この国ができる前の三百年も昔のことです」
シオンは思ったより素直に教えてくれた。
そして、魔王が活発に戦争を起こしていた時代、聖女召喚が頻発していたらしい。
「天の国では長く戦争が起こっておらず、聖女さまに能力はあっても、戦う心得のない方が多かったそうです。そのため戦争に放り込まれた聖女さまの多くは、身を持ち崩してしまっていたとか。天の加護もご本人が生きることを諦めれば効果を発揮しないらしく」
そだねー。私もいきなり聖女ですって召喚されても、知るか! って感じだし。
「魔王を倒す目的を告げられると、逃げる方もいたそうで。…………召喚する際に、命令を聞くよう精神魔法をかけられた例もあるそうです」
「うわ、最悪! 誘拐しておいて、強制的に戦争に放り込むなんて!」
「えぇ、ですから、聖女さまの中には魔王に与する方も現れ…………。懐柔策として見目良い高貴な貴公子を侍らせたこともあるのですが、そうすると各家同士の権力争いを誘発することにも繋がり」
「魔王討伐どころじゃなくなる、と」
追放ものに逆ハーもの。
うーん、意外とパターン豊富だな。
「で、今は違うってわけだよね?」
「もちろん。とは言え、それも過去の聖女さまの尽力があってこそでした」
聖女の中に、内政Tsueeeをやった人がいたらしく、この統一連邦という国の集合体の基礎を築いたんだとか。
そして聖女召喚の儀式を連邦政府で管理して、聖女に使命を受け入れてもらえるよう教育し、協力を求めるための学校も作ったと言う。
「それが、来月行く魔術学園?」
「えぇ、統一連邦の国々の子弟が集まる中で、国を守るとは何か、世界平和とは何かを学ぶ場です。…………伝承の一つに、天の国の方は魔法に惹かれるというものもありましたので、聖女さまにこの世界への興味関心を抱いていただく足場にもなっております」
「う、確かに魔法には興味ある。ねぇ、私も魔法って使える?」
「今こうして相対していても、強い魔力を感じます。が、どうやら自覚はないようですね」
強い魔力! わお、そんな特典付いてたんだ!
魔法についてはシオンが教えてくれるということだった。
「聖女さまの中にも強大な魔力を有する方がいらっしゃったと伝わっています。中でもマリンさまの獄炎魔法、レイアさまの氷結魔法、ニコさまの電撃魔法、チナさまの台風魔法などは歴史に残る大魔法でした。他にも、回復魔法に関してラビさま、ロゼさま、アイさま、カトリさまなど著名な方々が奇跡を起こし」
「待って待って待って!」
え、今なんて言った? 多くない? じゃなく、その名前って…………。
「ねぇ、それって何人?」
「何人、とは? 天の国に住まうお方ですから、天人でしょうか」
「いや、そうじゃなくて。えっと、見た目の特徴は? 金髪碧眼とか、黒い肌だったとか?」
「伝承では全員、黒髪黒い瞳の、幼げな少女だったそうですが」
「日本人? え、名前…………」
あれ? しかも一人苗字っぽいのがいなかった?
後で正式な記録を持ってきてもらったら、聖女たちの名前を表す文字も残ってた。
鈴木真凛、田中麗亜、堂島笑、笹川智凪、安藤良美、嫩薔薇、伊藤愛、香取愛乱…………。
カトリさま! 苗字表記を徹底したんだろうなぁ! 残ってるけど!
「けど、これって最近の名前だよね。もしかして…………すごい短期間で呼び出されてる?」
三百年以上昔から、二十一世紀の日本に限定して呼び出されているのだとすれば、私は三年経っても召喚された日の日本へ帰れるかもしれない。
うーんこれは最初に土下座させたの、フォルライン卿に謝っておかないとなぁ。
毎日更新、全十六話予定
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