それはいつも神様のせい 〈前〉
その海延という町は、港が近いこともあり、異国の物で溢れていた。
ここ数日、山道をひたすら歩いていたこともあり、町にたどり着いた時には、その活気に胸が躍った。
「おじさん、これは何でしょう?」
見たことのない形をした作物のようだが、凸凹していて不気味な黒い色をしている。
「あぁ、それは李国の果物だ。おいらも食べたことはねぇが、とにかく甘いらしい」
「へぇ……これが……」
とても美味しそうには見えなかったが、未知の物への興味が湧いてくる。とても高級な品のようだ。
「一つ食べてみるか?」
「うん」
斜木は、普通の子どもの様に満面の笑みを浮かべた十環を見て、笑顔を返した。
旅を初めてしばらくの間は、よそよそしく何事も遠慮がちだったが、一緒に過ごすようになって半年を過ぎた今では、こうして時々砕けた話し方をしたり無邪気な笑顔も見せてくれる。
「わ、本当だ! 凄く甘い!」
店主に皮をむいてもらうと、中から赤い果実が現れた。それにかじりつき、青みがかった緑色の瞳をまん丸にした。
そして徐に、それを斜木に差し出した。
「おいらは、いいから。十環が全部食べろ」
「どうして? 甘いものは嫌いなの?」
「そうじゃねぇが」
「じゃあ、おじさんも食べてみて。いつかずっと先に『あの時食べたあれは、美味しかったね』って一緒に話したいから」
十環は何の裏もない心で、斜木に純粋な好意を向けた。
その真っ白な心で接されるほど癒されていく一方で、傷の残る右手を見るたびに胸を締め付けられ、後悔の念が増すばかりだった。
才が言った通り、十環の存在が、罰にもなり救いにもなっていた。そして、その何倍も愛しく思う気持ちが芽生えていた。
果物を受け取って一口かじる。
「お、おお、これは、本当に甘い! 口の中が溶けるんじゃねぇか? 今までこんな甘いものは食べたことねぇっ」
スリをして、金に困ることのない生活をしていたとは言え、贅沢とは無縁の暮らしをしていた斜木は、興奮して言った。
そんな斜木の様子に、十環は楽しそうに声を立てて笑った。
立ち並ぶ露店に目が回りそうなほどだったが、疲れも空腹も忘れて一日歩き回った。
日が傾いてきた頃に、いい香りを放っていた飯屋に入って腰を下ろした。
「この町には何日か留まりますか?」
「そうだな。十環もこの町が気に入ったみたいだし、ここ数日歩き詰めだったからな」
「そしたら明日、市場に行って仕事を見つけてきます」
年相応にはしゃいでいたかと思えば、次の瞬間には大人と話しているような気分にさせられる。斜木は、未だに十環のいろんな面に驚かされる。
才から、しばらくは食うに困らないだけの金貨を渡されたことを、十環は斜木から後で聞かされた。しかし、出来るだけそれには手を付けず、行く先々の町で仕事をもらって稼いだお金で旅を続けていた。
丁度、飯屋の女将が注文したものを運んできた。
柔らかく炊いた米、解した鶏肉、しんなりした山菜が入ったものに汁をかけただけの簡単なものだったが、香りのいい出し汁が胃にじんわり沁みて、足腰の疲れまで癒されていく。
利き手だった右手はまだ握力が完全には戻らないが、生活する上で別段不自由を感じることは無くなった。ただ、時折固まって動かなくなることがあるので、利き手を左にするよう訓練した。
斜木が気に病んだ表情をするので、傷が完全に塞がった今でも、腕に布を巻いてできるだけ見えないようにして過ごした。
その日は、飯屋の女将に紹介してもらった安宿に泊まり、翌日、日が昇り人々が動き出す時間を見計らって、十環は斜木と別行動で仕事を探しに出かけた。
「すみません、ここらへんで仕事を紹介してくれそうな人を知りませんか?」
「ん? どんな仕事だ?」
荷車の傍で休んでいた男に話しかけると、愛想よく話を聞いてくれた。異人や商人、様々な人種が行き交うこの町には、朗らかな人柄の人が多い印象だった。
「数日間稼げれば、仕事はどんなものでも構いません」
「それなら、この通りの先の『仙葉堂』っていう茶屋を訪ねてみるといい。あそこは宿もやっていて、ここら辺では一番大きいから、商人たちが集まるんだ。何かしら仕事をもらえるだろう」
教えてもらった仙葉堂は立派な門構えをしていて、想像したよりも大きく、人の出入りが頻繁だった。
これなら、仕事もすぐにもらえるかもしれない。
十環は衣の埃を払って身なりを整えた後、店の者に声を掛けた。
十環と別れて、船着き場に来た斜木は、すぐ荷下ろしの仕事にありついた。
五十を前にした身体には少々こたえるが、一番実入りがいい。
「見ない顔だな。ここの仕事は、きついだろう」
筋肉隆々の脂がのった男が、斜木の三倍の荷物を肩に乗せながら言った。
「あぁ、そうだな……」
肩で息をしながら答えた。
すると、その男は少し休むようにと飲み物をくれた。この町の人は、とても人当たりが良い。
「この町に移り住んできたのか?」
「旅の途中で、昨日着いたんだ。何日か、いるつもりだ」
「俺はここの生まれだが、賑やかささえ嫌じゃなければ、良い所だ。ゆっくりしていってくれ」
男は少年のような人懐っこい笑顔で言った。自分の故郷を誇りに思っているのが伝わってくる。
「旅は一人で?」
「いや…………娘と」
説明が難しいからそういう事にしておいた方が楽だ。どうせこの町には数日しかいないし。
ただそれだけの理由だ。と、斜木は自分の良心に弁解する。
「娘か」
男の声が突然重くなった。
「……何だ?」
「いや、娘は幾つだ?」
「……十歳だ」
ここだけの話だが、と前置きして男は音量を落として口を開いた。
それは、近隣の町で、ここ数年の内に十数人の子どもが行方不明になっているという話だった。
住んでいた町はバラバラで、姿を消した場所にも手掛かりはなく、年齢が八歳から十三歳、子どもの性別が女の子だという共通点しかなかった。しかし、ここ最近になってある噂が流れ始めたらしい。
行方不明になった後に、その子どもらしき少女を海延で見かけた人がいたらしい。それからと言うもの、行方不明の子どもは、海延の海に沈められているのではないか、という尾ひれのついた噂が徐々に広がっているようだった。
「俺はこの町が自慢だし、この町で悪いことが起こってるなんて思いたくもないけどな。そういう噂がある以上、気を付けておくに越したことはない」
「……」
海延の海に生息している青魚のような顔色になった斜木を見て、男は慌てて付け足した。
「まぁ、あんまり心配するな。行方不明になっているのはほとんどが、裕福な家の子どもだそうだ。旅人の子どもは対象外さ」
斜木は、才から聞かされていた十環の話を思い出し、背筋を何かが這う感覚に襲われて身震いした。
十環が仕事を探していることを話すと、店の者は宿に泊まっている商人が、この町に滞在中だけ小間使いが欲しいと言っていた、と教えてくれた。
「その方は、何日くらい滞在するんですか?」
「今日到着したから、恐らく七日間くらいだろう。いつもそれくらいだからな」
「それくらいなら大丈夫です。その方に、紹介していただけますか?」
「あぁ、いいよ。ただ、今日は戻るのが遅くなるようだから、明日の朝またおいで」
「分かりました」
この町に来てからは何もかもがいいように進む。
安い宿を紹介してもらったし、仕事もすぐに決まった。食べ物も美味しいし、町の人も親切だ。
この町でなら、おじさんと二人で暮らしていけるかも。
そんないい予感に、十環の心は弾んでいた。
宿へ帰ると、部屋にはすでに斜木の姿があった。
「おじさん、早いですね。もしかして、仕事が見つからなかったんですか?」
部屋に入りながら声を掛けると、斜木はすごい形相で十環の右腕を掴んで引き寄せた。
傷が塞がったとは言え、回復中の皮膚が引っ張られて、十環は顔を歪めた。
「あ! 悪いっ! 痛かったか……」
斜木は瞬時に手を離し、泣き出しそうな弱々しい声で言った。
その顔は青白く、妙な脂汗が額に浮いていた。
「おじさん……何かあったの?」
「十環、今すぐこの町を出よう」
「えぇ? どうして急に」
普通でない様子の斜木は、落ち着きなく視線を彷徨わせ、何かを考えているようだった。
「おじさん」
何かに怯えている斜木の手を握ると、ようやく目が合った。
「おじさん、どうしたの?」
緑色の瞳が、不安げに揺れたのを見て、斜木は少し冷静さを取り戻した。
十環を守れるのはおいらだけだ。
まだ、この町周辺で起きている事件が、十環を苦しめた奴の仕業だと決まった訳じゃない。今、こんな不確かな話をして、苦しい過去を思い出させるのは酷じゃないか。
ようやく笑うようになったのに。斜木は、心を奮い立たせた。
「おじさん?」
「あ、あぁ、悪かった。ただ、遅いから、心配しただけだ」
まだ昼過ぎで外は快晴だった。
明らかに態度がおかしいが、十環はそれ以上は何も聞かなかった。
先程までの高揚した気分は一瞬にして消えてしまい、ざらついた不安が心に広がった。
一話に収めようとしていたのが、嘘のようです。前後編に分かれます。
この話は、プロローグに繋がる重要な流れです。
そう言えば、斜木は五十歳ですから、十環は娘よりも孫ではないかと思いますよね。
でも、斜木の本当の娘は大人になる前に亡くなっているので、孫娘という発想が無かったのかもしれませんね。