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十環伝  作者: kiori
才獄城編
6/92

その光を掴め

 季節は移ろい、木々の葉が地面に落ちてカサカサと音を立てた。

 まだ思うように右手は動かせないが、身体がじんわり熱くなるくらい集中すれば、指先を動かせるくらいには回復した。

 やることもないので、医院内を掃除した。小さな箒を見つけたので、右手を添えて、左手だけの力でで木の葉をかき集める。


『傷の消毒はもう必要ないし、後は、日常生活の中で徐々に動かす訓練をしていくことだ。……君は、ここを出た後、行く当てはあるのか? ないのなら、何処か働き口を探してもらえるように才様に頼んでみるが』


 十環は医者の言葉を思い出した。この先のことを考えると、どうしようもなく不安だった。


「ここにいたのか」


 声がして振り返ると、長い髪を藍色の紐で一本に結った青年が歩いてきた。


「……燦利様」


 十環は、時々尋ねて来る青年に頭を下げた。

 才と親子であることは、既に予想がついていた。一重瞼の鋭い目元と、それを細める時がとても似ていた。


「……右手は、どうだ?」

「もうだいぶ良くなりました。痛みもほとんどありません」


 本当はまだ、力を入れると傷口がズキズキするが、安心させたくてそう言った。

 すると、燦利は少し目を細めた。


「……夜は、眠れているのか?」

「温かい毛布を貸していただいているので、とてもよく眠れます」


 悪夢を見て、夜中に何度も目が覚めるが、毛布が温かいのは嘘ではない。


「お前は…………。まぁ、いい」


 燦利は、何か言いたげだったが、一旦口を噤んた。

 

「父上が呼んでいる、一緒に来てくれ」


 少し身体が緊張したのが分かった。右手の傷が脈を打つ。


「心配するな。悪い話をする訳ではないはずだ」


 燦利の口ぶりから、彼も才が何を話すのかを知らないようだった。

 悪い人ではないと、十環も感じていた。

 この医院に運び込まれた後、一度だけ会いに来てくれた。その時はまだ痛みが酷くて、ほとんど会話をしなかったが、代わりに時々尋ねて来るこの燦利という青年を見れば分かる。


 燦利に連れられて行くと、そこは才獄城だった。ただ、あの日とは違い、奥の建物に案内された。

 書物がたくさんある執務室のような場所に入ると、その奥で才は資料に目を通している所だった。


「父上、連れて参りました」

「あぁ、ご苦労」


 十環は燦利に軽く背中を押されて、促されるままに椅子に腰かけた。

 

「右手は、どうだ?」

「あ、はい。もうだいぶ良くなりました」

 

 才が目を少し細めた。


「夜は、眠れているのか?」

「……はい、毛布が温かいので……」


 先程の繰り返しに、十環は吹き出しそうになって思わず口を左手で覆った。


「……?」

 

 才は不思議そうに瞬きをし、燦利は照れ臭そうに咳ばらいをした。

 身の回りの書物をすべて閉じると、才はすっと真っ直ぐ十環を見た。

 

「今日は、そなたのことを聞きたい。答えてくれるか?」


 十環は驚いて目線を泳がせ、俯いた。

 思い出すのもおぞましい光景が脳裏に蘇る。

 鉄の擦れた匂い、纏わりつく嫌な視線。そして、深い土の中の焦燥と恐怖。


「困ったことがあるなら、心配せずに言いなさい。悪いようにはしない」


 身体を小刻みに震わせる十環の後ろで、燦利はじっと背を見守った。

 長い沈黙の中に、床が軋む音が鳴った。十環が、俯いていた顔を上げた。


「……私は、黄蘭こうらんという人の所から、逃げてきたんです」

「黄蘭……? それは、何者だ?」

「私も、詳しくは、知らないんです。でも、黄蘭と言うのは、通り名で、本名は別にあるみたいです……。彼は……子どもを…………」


 全身に寒気が走る。白粉を塗った顔に紅を差した、不気味な顔を思い出す。

 

「……子どもを集めて、いました」

「集めて……」


 集める。と言う曖昧な言葉に、才と燦利は顔を見合わせた。


 それから、十環は、黄蘭のもとで見た全てを語った。

 迷い込んだ森の中で、たまたまその屋敷を見つけた。屋敷に入ると、そこは閑散としていて、人の気配がなかった。奥へ進むと、地下へ続く階段を見つけて、迷った末にその階段を下った。

 すると、そこには獣が入るような牢いくつもあり、その中には子どもが閉じ込められていたのだ。

 十環の姿を見るなり、助けてと叫ぶ子と、既にぐったり横たわったまま動かない子もいた。

 立ちすくんでいると、いつの間にか背後に数人の男がいて、首のあたりに衝撃があって、その後気を失った。

 気がつくと、他の子どもと同じように檻の中だった。


「黄蘭は、時々、私たちを見に来ました。品物を選ぶように……。あの人は、貴族の子どものような、気位の高い子どもをわざと選んで、それを屈服させて、奴隷のようにしていくのが、好きなようでした」


 才は、これを語っているのが十歳の子どもだという事実に、心臓が絞られていくように感じた。


「……屋敷に、黄蘭とは別の人が来て、たまに彼を別の名前で呼んで話しているのを聞きましたが、聞き取れませんでした」


 才は、十環の淡々とした語り口から、十環はその黄蘭に気に入られたのではないかと仮定した。

 気位が高いとは思わないが、意志が強く、何者をも侵し難い空気を持つ少女に目を付けたとしてもおかしくない。

 

「しばらく経ったある時、鍵が、開いているのに気がついて、逃げ出しました」


 しばらく、と言うのが、どれくらいの月日を差すのかを、この場で問うのは残酷の思えて、才は敢えて口にはしなかった。

 

「他の、子どもは?」

「…………その時には、もう、他の牢に、子どもは……いませんでした」


 十環は左手で心臓の上を押さえた。

 

「父上、もう……」


 十環を気遣って燦利が声を掛けたが、才は、静かに問うた。


「……そなた、森の中で迷ってその屋敷を見つけたと言ったが、どうして、森の中に入った? 家はどこだ。……家族は?」


 この質問こそ、才がここへ呼んだ理由だった。


 そしてその質問こそ、十環が一番語りたくない話だった。

 秋の肌寒い空気のせいではなく、足先から冷たいものに覆われていく。


「……………………」


 話から察するに、黄蘭に気に入られてもなお、十環がここにいるのは、最後まで屈しなかったということだ。無数の傷跡を思えば、どんな仕打ちを受けたのかは想像できる。


 その状況でも屈しなかった十環が、才の問いに呼吸を乱す。

 苦しそうに途切れ途切れに息を吐いた。


 燦利は戸惑って十環の肩に手を添え、様子を伺った。


「大丈夫か……?」


「…………帰る、場所は……ありません」


 小さく消え入りそうな声を、才と燦利の耳は捉えた。

 俯いたその顔から、膝に雫が落ちる。

 

「実は、そなたに頼みがあるのだ」


 唐突に切り出された言葉に、十環だけでなく燦利も才を見た。

 才には、頬を濡らした十環の顔は、この時ようやく年相応の子どもに見えた。


「斜木のことだ」


 燦利は『ん?』と心境を思わず顔に出した。いかなる動揺も表に出さない父親を見習っている身としては、減点だ。ここで、まさかあの男の名が出るとは思いもよらなかった。

 

「斜木…………? あの、おじさんのこと、ですか?」


 燦利は、時々十環に斜木のことを尋ねられたので、牢の中で大人しくしている、食事も与えられたものをしっかり摂っていると話した。

 全くの嘘ではないが、あの日以降、斜木は一言も話さず、魂が抜けたように過ごしていた。


「私は、二度と同じ罪を犯さぬよう罰を与えるが、斜木には、それが出来たのか分からないのだ。だから、そなたが見張って欲しいのだ」

「……私が……?」

「斜木には、娘がいた。二十年前、病で亡くなったそうだ。その頃、貧しかった斜木は、薬を買う金がなかった。しっかり治療すれば、治らない病ではなかったのだ」


 斜木にそんな事情があったとは。燦利も驚きを隠せなかった。

 

「腰に金を下げた貴族を見かけた当時の斜木は、魔が射しかけたが思いとどまった。しかし、それで娘は亡くなり、斜木は心から悔いた。……その後から、スリをするようになった」


 善良なだけでは生きていけない。それを知り、悪事に身を落とした斜木には、十環がこの上なく崇高な存在に思えただろう。悪事を犯してなお、娘を救えなかった、と錯覚するくらい。


「そなたは、斜木の罰にもなり、そして、救いにもなる。そう思ったのだ」


 そして、帰る場所のない孤独な少女にとっても、心の拠り所になるのではないか。

 燦利は才の、口にはしない思惑を感じ取った。


 十環は、目の前が眩しく思えた。絶望に沈んでいた世界に、ようやく夜明けが近づいていた。

 斜木が手を伸ばし、才が掴んだ。

 

 後は、掴まれた手を握り返すだけだ。

 

十環の過去が少し明らかになりました。

辛すぎる……


家族についても、深い傷をもつようですが、それについて明らかになるのは、もう少し先です。

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