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十環伝  作者: kiori
才獄城編
1/92

船上の少年

 母国へ戻る為の長い船旅に疲れた壮年の男は、甲板に上がってどうにか気分を紛らわそうと海を眺めたが、船に揺られ、水面も揺れ、視界も揺れて、胃の中も揺れている気がした。


「これを噛むと、気が紛れると思いますよ」


 不意に後ろから声を掛けられて振り返ると、くたびれた外套を羽織った少年が、飴玉のような丸い個体を差し出してきた。

 切れ長の涼やかな目元で、青みがかった緑色の瞳は神秘的な輝きを放っていた。


「しょうがとハーブを入れて作った飴です。甘くしてあるので食べやすいと思います」


 普段は慎重な性格の男だが、少年の曇りのない澄んだ瞳に吸い寄せられるように、その飴玉を受けとって口に含んだ。噛み砕くとすっと爽やかな香りが鼻を抜けて、確かに気分がマシになった気がした。


「帰国ですか?」


 気を紛らわそうとしてくれているのか、少年は近くに腰を下ろしてあぐらをかいた。華奢な身体つきは少女の様にも見えた。


「……あぁ、李国りこくで商売をしていてね。三年ぶりに家族のもとに帰るところさ」

「それは、楽しみですね」


 少年はにっこり笑ったが、どこか寂し気に表情が陰る。


「もしかして、染物の商売ですか?」

「えっ……どうしてそれを」

「指先が染料で染まっているし、その着物、とても珍しい色をしているなと思ったので」

「あぁ、これは、李国で見つけた珍しい花を使って染めた物なんだ」

 

 少年の観察力に驚き、まじまじと彼を眺める。擦り切れた外套からのぞいた手首に深い古傷があり、先ほど飴玉を差し出してきた手のひらには、何度も潰れて硬くなったマメがあった。

 男は少し躊躇ったが「君も、天黎国てんれいこくの出身か?」と尋ねる。


「はい。七年ぶり、くらいですね。国王が代替わりしたと聞いたので、戻ってみようかと」

「あぁ、そうらしいな。次期国王として期待されていた清蓮せいれん王子が四年前に急死されて、白羽の矢が立ったのが第五王子だったそうだ。ただ、とても気の弱いお方で、既に側近達の操り人形になっているらしい。この先、天黎国は荒れるかもしれないぞ」

「李国にいたのに、詳しいですね」


 男自身、いつもよりも饒舌なのを自覚していたが、どうしてか抑えることが出来なかった。


「俺は生地の商売をしていてね、商人には知人が多い。その中には王宮に商品を納めている者もいるから、そういう噂話はよく聞くんだ」

「王宮に?」

 

 少年の表情が硬くなり、これまでの柔らかい空気を変えて、深刻な顔で黙り込んだ。

 七年ぶりに祖国へ戻るというその少年は、まだ十六か十七そこらに見える。十歳に満たない子どもが李国へ渡ったのには、どんな事情があるのか。

 壮絶な苦労をしたことは想像に難くない。


「あの、もしよければ、その人を紹介してもらえませんか?」


 長い沈黙のあと、少年は重い口調で言った。


「え? その人って、王宮に商品を納めている者のことか?」

「…………あ、いえ、やっぱり何でもありません。今の話は、忘れてください」

 

 少年は眉根を寄せて俯いた。不思議な色の瞳の奥が、闇を湛えた気がした。


「君、祖国に身を寄せる場所はあるのか?」


 男は、自分の口がした言葉にとても驚いた。

 十年前に亡くなった疑り深い性格だった父親からは『自ら先に相手の懐に飛び込むな』と口うるさく言われていて、自身もそれに倣って生きてきたつもりだった。

 しかし、考えるよりも先に口をついて出た言葉は、まさに相手の懐に自ら飛び込むものだった。

 飛び込まれた少年は、とても驚いた様子で目を大きく見開いた。


「いえ、あの……」

「もし、ないのなら、俺のところで働かないか? 空いている部屋もある。今なら三食昼寝付きだ」


 誰も知らない新しい染物の素材を見つけた時の気持ちに似ていた。この機会を逃したら、二度と出会えない素材。

 青みがかった緑色の瞳が、どんな深みを秘めているのか興味がある。どんな色を帯びていくのか傍で見ていたい。

 そんな好奇心が男を動かした。


「俺は、紫楽しらくだ」


 紫楽は『先に名前を名乗るな』とも父に言われたことがあったが、この瞬間だけはすっかり忘れてしまっていた。


 信じられない幸運を見るように瞳を揺らした少年は息を呑み、深々と頭を下げた後に少し声を震わせて言った。

 

十季ときです。どうか……よろしくお願いします」



 

プロローグとは言ったものの、既に色んな苦難を越えた後の十季ですね。

どんな苦難を越えて来たのかを、徐々に明らかにしていきます。

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