異世界転生やってみた。
トラックに跳ねられると異世界に転生して天地がひっくり返るくらいのチート能力が手に入り、沢山の女子とキャッキャウフフ出来る、所謂チーレムと言う男の浪漫が待っているなんて都市伝説が、とある業界ではまことしやかに流れているらしい――。
勿論異世界転生など出来る訳がない。
普通ならそんなデマは鼻で笑うか、白い目しながら「あーそうなんだ、ふ〜ん」と棒の読みを口から垂れ流し聞き流して終わりなのだが、「もし本当にそんな事があったなら……」なんて考えが一時、一瞬、刹那でも頭に過ぎる程、今の自分は病んでいた。
時は夕暮れ。学校帰り。
目の前には横断歩道。信号は赤である。
自分が病んでいると思う原因――それは家にも学校にも、この世界の何処にも居場所が無いと感じるからである。
学校で酷い虐めを受けている……訳では無い。
可もなく不可もなく、当たり障りなく、誰にも深く踏み込まず誰にも深く踏み込ませず、教室の空気のような存在として学校生活を送っている。
家庭が荒れ狂っていて酷い虐待を受けている……訳でも無い。
父と母は共働きで普通のサラリーマンとスーパーのパート主婦。姉は地元の大学の学生で、弟は一つ下のクラスでそこそこ人気者であるようだ。今から家に帰り、今度ある中間テストの勉強をして夕飯を食べ適当にテレビでも観て遅くならないうちに寝て明日に備える。
思考停止してしまいそうな代わり映えのしない日常生活が延々と繰り返され続ける。
そんな日常生活を送る何処にでもいる大量生産された普通の高校生――それが自分である……訳なのだが、そんな自分に違和感がある。
破滅願望がある……訳では無い。
アメリカなりロシアなり中国なり北朝鮮なりがトチ狂って第三次世界大戦が勃発すれば良いのにとか、隕石でも墜ちてきて全てが更地にならないかなとか切望なんてしてはいない。
英雄願望がある……訳でも無い。
突然現れた自称ヒーローに個性を与えられ悪党どもをバッタバッタと薙ぎ倒すとか、宇宙人に改造されてオーバーテクノロジー満載のサイボーグに作り変えられて不治の病に侵された病人を助けたいとか思ったりはしていない。
波乱万丈よりも平穏無事の一生の方が良いに決まっている。
平穏無事の一生の方が良いに決まっているのだが、それを良しとしない自分がいる。ジレンマに苛まれる。胸の奥底で荒れ狂う不可視の猛獣が何時か明日か今にでも、このちっぽけな身体を惨たらしくも喰い破り、辺り構わず無差別に、例えば今車道の向こうを歩いている買い物帰りの女の人や散歩途中の老人に、その暴威を振るってしまいそうになる。
病んでいる。こんな自分はこの世界に居ても良いのだろうか。何か問題を起こす前に何処か別の場所にでも逃げてしまった方が良いのではないだろうか。
そんな益体もない事を考えていると何時の間にか青に変わっていた信号がチカチカと点滅していた。
急いで渡る必要も無いか。帰ってもテスト勉強くらいで他にすることも無いし……。
逃げ場所なんて何処に有るのだろうか。異世界? もし本当に異世界なんてものがあるとして、そんな場所で本当に暮らしていけるものなのだろうか。
とある業界で砂糖のように吐き出されている異世界の世界観と言う物は、中世ヨーロッパを基調とした剣と魔法のファンタジー世界で、政治形態は封建主義。人間以外にもエルフにドワーフ、獣人、魔族等と言った所謂、亜人と呼ばれる人為らざる者も同時に住んでいると言う。人同士でも互いに理解出来ず、土地や利権、宗教にその他諸々で醜く争い、戦争や紛争を引き起こしているのに、そこに亜人なんて存在まで自己の権利の主張しているのであれば一体どのような血で血を洗うディストピアが待ち受けているのかと言う話だ。
そして封建社会である。「平家に非ずんば人に非ず」みたいな事がまかり通る世界に生まれ落ちた場合、ほんの一握りの支配者階級の元に生まれなかった場合完全に負け組、記憶をそのまま持っていたとしても、それがなんの役に立つと言うのだろうか。成り上がりなど夢のまた夢と言わざるを得ないように思える。
例えば学校で習うような一般教養に加え、スマホやパソコンを扱う知識。車やバイクの運転技術。果ては戦車や戦闘機の操縦知識を持っていたとしても封建社会の剣と魔法の異世界にそんな道具が有るはず無いではないか。一般人には扱う技術や知識は有っても組み立てる技術や知識は持ち合わせて無いのだし、よしんば組み立てる技術や知識があったとして、ならば工具や部品は? プラ版1枚ネジ1本作る材料は? 金属や希土類が採れる場所は? 問題は山積みであり、生涯掛けても一人の知識では成し得ないのでは無かろうか。
そんな時の為に手に入るチート能力が有ったとしよう。
正直言ってそんな力に頼っても恥ずかしいだけである。
考えてみて欲しい。
ひょんな事から手に入れたチート能力。何の努力もせず、若しくは僅かな努力で身に付けたその能力を自分より劣る相手に振りかざし、過度と言っても過言では無い信頼や名声を得て、自重や謙虚を謳いながら踏ん反り返るその姿――。
まるで、働きもせず穀を潰すだけの駄目なおっさんが、親を宥めすかして手に入れた小遣い銭で買ったお菓子を近所の幼稚園児に振る舞う事で「凄い凄い!」と信頼を勝ち取り、一般社会では毛程の役にも立ちそうにない無駄な知識や技能を披露して「隊長隊長!」と褒め称えられる姿とダブってしまう。
人としてそれは如何なものだろうか?
自分がそんな子供相手に悦に浸っているおっさんを目にしたら何とも言えない物悲しさしか胸の奥からは湧き上がっては来ないだろうし、自分がおっさんの立場で他人にそんな悲哀に満ち満ちた目を向けられでもしたらきっとその場で舌を噛み千切ってしまうかも知れない。
それならばいっそアフリカや中東辺りの発展途上国やアマゾン奥地の部族の元へ渡り、その土地の発展に従事した方が世の為人の為になるではないか。
そうか……自分はそう言った方向に進路を取れば良いのかも知れない。しかし生粋の日本人である自分がそんな衛生管理のままならない場所に赴いて実際役に立つのだろうか。早々に病気に罹り邪魔者になるのが関の山だろうか……。
「おかあさんみっけーっ!」
益体の無い夢想から自分の将来について考えを巡らせ始めた所、それを破るかの如く降って湧いたその声に目を向けると、丁度歩道の縁石を飛び越え車道に走り出す3、4歳くらいの子供の姿が、更にその向こうから走り来る巨大なダンプカーと共に視界に飛び込んできた。向かいの歩道から母親と思しき女の人の悲鳴が空気を切り裂く。
トラックに跳ねられると異世界に転生して天地がひっくり返るくらいのチート能力が手に入り、沢山の女子とキャッキャウフフ出来る、所謂チーレムと言う男の浪漫が待っている――。
頭の中を過ぎるフレーズ。無論異世界転生など出来る訳がない。
しかしもし、億万が一にでも異世界転生なんてものが有るとするのならば――。
それは年端もいかない子供にも適用されるのであろうか?
自分はその場を動かない。動けない。動ける訳がない。
何とかしなければ! と、思う反面、赤の他人の身よりも自分の身の方が可愛いと言う思いが億万倍勝った。もし万が一、億が一、異世界に転生したのならそこで頑張って貰いたいと切に願う。
時間がゆっくりと流れる。
これが世に言う『聖域に入る』と言うやつなのだろうか? 自分以外の通行人も自分と同じ、驚きの表情を浮かべ、若しくは次に起こるであろう惨事を想起して顔を背けるだけで誰も助けに動けない。推定母親の悲鳴と形相、ダンプカーのけたたましいブレーキ音にパニックに陥った子供がその場で頭を抱えるように踞る。フロントガラスの向こうでは運転手が必死の形相でハンドルを切る。ロックされた前輪がアスファルトの地面を噛みながら急速度で捻じれ縁石に乗り上げる。車体が弾む。中空で横倒しになりながらダンプカーが子供の頭の上を飛び越えこちらへと向かって空を滑る。
動かない。動けない。動ける訳がない。
トラックに跳ねられると異世界に転生して天地がひっくり返るくらいのチート能力が手に入り、沢山の女子とキャッキャウフフ出来る、所謂チーレムと言う男の浪漫が待っている――。
頭の中を過ぎるフレーズ。
ワンチャン……有ると良いな…………。
辺りが真っ暗闇なのは、どうやら自分が目を瞑っているからのようだ。背中や腰に触れる柔らかい感触は布団? 何時の間にか寝ていたのだろうか。いつも以上に重い目蓋を苦労してゆっくりと持ち上げる。
寝起きの視界にぼんやりと世界が映る。明るい真っ白な空間。見知らぬ天井。ここは……何処だろう?
目だけを左右に動かすと人影が映り込んできた。どうやら女性のようである。何処か見覚えがあ有るような無いような……と、その女性がこちらの反応に気が付いたようだ。慌てふためき立ち上がる。
「せっ…先生! おと、弟が…弟が目を覚ましました! 先生っ!!」
叫びその場から走り去ってしまった。
ピッ ピッ ピッ ピッ
機能し始めた聴覚が一定のリズムを刻む電子音を捉える。
シュコーー フシュゥーー シュコーー フシュゥーー
次いで空気が何かに擦れるような音。
どうやら自分は異世界転生は出来なかったようだ。
十年後――。
とある病院の一室に、欠損した四肢と殆ど動かない身体をベッドに投げ出し、ただただ四角く切り取られた代わり映えしない灰色の景色を眺める自分が居た。
トラックに跳ねられると異世界に転生して天地がひっくり返るくらいのチート能力が手に入り、沢山の女子とキャッキャウフフ出来る、所謂チーレムと言う男の浪漫が待っている――。
結果異世界転生など出来る訳がない。
思い付き。
所要時間およそ4時間半。
なにがしかの感想等有れば気軽に宜しくお願いします。