ぼくらの夕暮れ
やつれていた。月は蒼く、路地を照らしていた。不気味だった。建物の影も蒼かった。ぼくは一人だった。一人で歩く京都の丸太町は、さみしかった。
あともう少しだけ座ってていいよ
この街の景色をよく見ておきなよ
もうじきに日が暮れ、夕焼けが見える
日が落ちるまで君を待っててあげよう
もうすぐ終わる
もうすぐ消える
最後くらいそばにいさせておくれよ
跡形もなく君が消えていく
写真の中で君は微笑んだ
あともう少しだけここにいていいよ
この間の話の続きをしよう
もうじきに街中、真っ赤に染まる
日が落ちたら君を連れて行かないと
もうすぐ終わる
もうすぐ消える
夜の闇よ、僕を独りにしないで
跡形もなく君が消ぇ……
イヤホンを外すと、静けさが、耳を満たした。ヤンベがyoutubeにバンドの動画を上げているという話を、ぼくはどこからか聞いていた。ライブに行く前に予習しようと、いくつかイヤホンで流して、歩いた。僕は、ヤンベが女性ボーカルの人とカバーした、ハンバートハンバートの『日が落ちるまで』が気に入った。
住宅街の路地の真ん中に、ネガポジというライブハウスはあった。
兵庫県西宮市、阪急夙川駅を出て左手をまっすぐ行くと、川を挟んで両側に桜の並木道がある。
春になると桜が満開になって、お花見の大学生達がどんちゃん騒ぎを始める。夜には、飲まされ過ぎた女が救急車で運ばれていくのを、よく見かける。
その先の住宅街を抜けたところに、大手前大学がある。キャンパスの所々は有名な建築家の設計らしく、コンクリート剥き出しの四角い形をしている。
そこの四角い図書館の隅に、二十畳ほどの学習支援センターという自習スペースがあって、ヤンベはそこでチューターをしている。
チューターというのは、自習する学生に助言を与えて補助する仕事だ。尤も、学習支援センターに来る学生は、うちは外には友達が一人もおらん、わいの居場所なんてどこにもあらへん、このさい誰でもええから人間と話したい、というような連中が八割を占めているので、学習支援というよりは話を聞いて頷くのが仕事と言った感じだ。また、ぼくもそういった学生の一人だ。
憂鬱になったら文章を書く、その文章を人に見せて喜ぶ。そういう性癖が、ぼくにはある。
「これ、書いたんですけど、見てもらってもいいですか」と、話しかけたのがヤンベとの出会いだった。「いいね、君みたいな子はもっと作品を世に出すべきだよ。僕、ヤンベっていいます。已むに已まれない家と書いて已家、変わった名前だけどよろしくね」
ヤンベはバンドマン。ミディアムヘアが特徴的な男だ。ぼくの文学の師、吉野小吉とはたまたま同じ大学の音楽サークル出身で、定期的にビールを飲みに行くらしかった。吉野は文学好きのヤニ臭い喫煙者で、髪は小奇麗なツーブロックにしてまとめているが、内心はパンクを気取っている。何故だかヤンベをとても慕っているようだ。ぼくにはしょっちゅう文学のことを教えてくる。ぼくは二十二歳、吉野は三十、ヤンベは三十八だ。
付き合っていた哀菜さんと別れ、その後、哀菜さんの友人の城三田憂子に告白し、挙句、城三田にはストーカー扱いされ、ぼくは学習支援センターを訪れ、そこで吉野とヤンベに出会った。
パンプキンズ(ヤンベが京都を拠点にやっているバンドだ)の十七周年ライブに誘われたとき、ぼくは断らなかった。デカダンな気分だった。どこでもいいから、どっかに行きたかった。
ネガポジは、知らないおじさんとおばさんの家族連れでごった返していた。そこに紛れて、若い学生もちらほらいて、後で聞いたら、ステージのうしろに貼ってある絵や、スクリーンに流していた映像は、その学生たちが無償で作ってくれているそうだ。ぼくにも絵がかけて、映像が作れたら、さぞ気持ちがいいだろう。
入り口を入るとすぐに、ヤンベが居た。ヤンベは驚いて、嬉しそうにした。
眼鏡をかけた三人のおじさんがヤンベを囲んで、それぞれギター、ベース、ドラムの位置についた。三人とも中肉中背で、ウクレレが似合いそうだった。
ライブが始まり、ヤンベはギターを抱えて歌い始めた。演奏を聴いているとパンプキンズは、いろんな物を犠牲にして、ステージに立っているんじゃないかと思えてきた。十七年は、すごい長い気がした。
ヤンベと出会ったときのことだ。
「ヤンベさんは、どこかの大学で教えてるんですか?」専門分野の話でも聞こうと思った。そういう話を聞いて賢くなった気になるのが、ぼくの趣味だ。
「いや、僕はここだけだよ」ヤンベは呟くようにそう言って、ぼくはいろいろ思案したのち、黙った。
このときの会話を、ぼくはネガポジに来る前に思い出していた。
ぼくは日の落ちる前から、丸太町駅前のマクドナルドで大学の課題をやっていた。そのとき、パンプキンズの曲を聴こうとyoutubeを開いた。何曲か聴いていると関連動画のサムネイルにヤンベの顔をみつけた。音楽の動画ではなかった。
『大学非正規労働者の雇い止め』というニュースで、ヤンベがインタビューを受け、切羽詰った顔で演説をしている動画だった。「書類選考も通らない人をね、働かせてるってことですよ。僕達はいくらでも換えが効くんですよ」前の大学をクビになったときの物らしかった。
大学の助手は三年間で契約が更新されるらしい、三年に一回新しい助手が入ってきて、古い助手は細胞のように消えていくんだそうだ。再雇用もしないらしくて、ヤンベが働いているうちに既に新しい助手を募集していたという。ヤンベ自身も履歴書をもう一度自分の大学に送ったが、落とされた。今、働いている職員が書類選考で落ちる。皮肉な話だ。助手というのは、やるせない仕事だと思った。
ぼくはその映像のヤンベの顔に、城三田を見ていた。
「私は男に弄ばれました!」一年のころ、城三田が授業のプレゼンで言っていたことだ。
城三田は、ぼくらの大学で絵画を学んでいるおセンチなサブカル女で、このときのプレゼンでは『デザイン業界における女性の雇用が少ない件』みたいなことを、グラフを交えてとても上手い具合に発表していた。
ぼくは感心しながら聞いていたが、一通り語り終えたのち、色恋沙汰で痛い目をみたという暴露話を、城三田特有の含ませた言い回しを用いながら話し始めた。あいつは何でもかんでも含ませた言い回しをするから、話の内容は曖昧にしか分からなかったが、付き合っていた男に悪口やら何やらを触れ回られて、いろんなところで除け者にされたり、とんでもないアバズレ女とかそういうレッテルを貼られて、ムシャクシャしていたらしい。
それはなんだか破れかぶれな主張だったし、話の締めくくり方も稚拙だった。「でも、私はこんな出来事もいい経験だと思います。こういった経験を活かして、これからも頑張ろうと思います!」
ぼくは鼻で笑いながら聴いていたが、ぼくの頭には鼻とは全く逆の想念が浮かんでいた。
≪いいやつそうだ! 俺はこいつのことを何一つ知らん。知らんでも構わん! 美人に悪いやつは居ない。だから、何もかもこいつの言う通りということさ! 男なんて、本当に下劣な代物だ! つまり、俺も、下劣な生き物なんだ!≫
ライブは進む。秋の終わりの砂浜みたいに、静かな演奏だった。
最後の曲、『ライムライト』は、ヤンベが京都を離れようと思ったときに、書いたらしい。ヤンベは、昔から京都に住んでいるそうだ。今もまだ、京都を離れてはいない。
この町をはなれるときがきた
もうなにも残ってないし
夕やけが君の指を染めるころ
靴紐を締めてたんだ
町あかり、カモメは歌うよ
きみがいた愛しい夏の日
It’s a blue and blue night
星が輝くアリゾナの空
夜は長いけど
いつだってそんなもんだろ
今思うと城三田は、ぼくの唯一の親友だった。
あいつはビー玉みたいに大きな琥珀色の瞳をしていて、いつもマスカラで睫毛を五ミリくらい伸ばしていた。頑丈そうな前歯はリスみたいに生えそろっていた。軽く波打った黒い髪は、シャンプーとお線香が入り混じったような良い匂いがしてエッチだった。俯くと、白く整った鼻先に影が落ちる。恐ろしいほど、美しかった。
城三田とは大学一年の時から必修の授業が同じで、顔はよく見かけていたが、面白い名前のやつがいる、くらいにしか思っていなかった。
ぼくらが仲良くなったのは、大学二年の春だった。ある日いつものように一限の授業に遅れてとぼとぼ歩いていると、手塚治虫みたいなベレー帽を被って、裾のふわふわしたワンピースをはためかせ、でっかいリュックサックを背負った、可愛らしいうしろ姿を見つけた。
一年のとき、城三田は静岡に親戚の墓があるとかで、たまに静岡に行くと、友達と話していたのを、ぼくはこっそり聞いていた。ぼくも母親が再婚して大阪に引っ越してくるまでは静岡に住んでいたから、静岡でも口実にして、この美人とお近づきになれるかも知れないと思った。
だから、ぼくは少し歩幅を早めて、素知らぬ顔で城三田を追い抜いた。そして、斜め前三メートルくらいの位置を保ちながら、大学に向かって歩いた。
「おはよう、岸辺君やんなあ」城三田は話しかけてくれた。
やつと会うまで、ぼくは女子には腕毛も脛毛も生えないものだと思っていた。あいつはかなり熱心にバイトをしていたし、大学の絵画の課題にも絶対に手を抜かない。だから腕毛も脛毛も剃っていないことがあった。「今日、脇毛も剃ってへんのにキャミソール着て来てもうた」とか、言い出すこともあった。そんなに色々なところの毛を剃らなきゃいけないのは、ぼくには耐えられない、と思った。
あいつは、ぼくが毎日髭を剃っているのを、偉いと言って褒めた。「そんな目立つとこに毛が生えんのは、大変やな」とまで言った。
神戸元町のフレッシュネスバーガーとか、大学近くの川沿いにある砂浜とか、いろんなところに行って、ぼくと城三田はいろんなことを言い合った。梅田のTOHOシネマズ、三ノ宮のミント神戸、塚口サンサン劇場、映画はよく観に行った。すごく楽しかった。
二年のとき、ぼくが読んでいたカフカの『城』を見て、「城三田の城やん!」と言って笑っていた。あの時はよく分からない話だと思って、途中で読むのを止めたが、最近、最後まで読んでみたら、あれはKという主人公がいつまでたっても城に辿り着けないという話だった。
哀菜さんと別れてすぐ、城三田に、愛してる、付き合ってくれ、と言った。今さら男としては見れないと、振られた。
「付き合ったらすぐ別れるかも知れんけど、友達やったらずっと一緒におれるんやで?」と言っていた。今思うと、ずっと友達でも良かったのかも知れない。
照明がオレンジからブルーに変わると、スポットライトがヤンベのギターを照らした。
後で聞くと、ギブソンのES330というらしい。柔らかいオレンジの木目柄が、遠目ではレスポールに見えた。音楽部で一緒にバンドをしていたころ、哀菜さんはレスポールを使っていた。メーカーは、ぼくと同じグラスルーツだった。
勘違いしたまま、音色も哀菜さんのギターにそっくりに聞えてきた。泣いた。
どしゃぶりの夜をこえていけ
もうなにも見えなくたって
手のひらに握り締めた汗だけは
きみのこと忘れないから
照明の下のステージからは、ぼくの顔は影になってるだろうな、と思った。もうすぐライブが終わる。
哀菜さんとは大学一年のときからすこぶる仲が良くて、よく天野と三人でカラオケに行った。
ぼくは高校時代まで、女子とは一言も会話したことがなかった。あのころのぼくは、やけになっていたから、手当たり次第に女子と遊びに行っていた。その頃ちょうど両親が二度目の離婚をして、姉と母と三人で逃げ出すように摂津市から新大阪に引越し、大学受験にも失敗して、馬鹿な大学に行くことになったので死にたかった。死ぬか、彼女を作るしかないと思った。
一人目と二人目の彼女とはネットで知り合ったが、メールと電話をするだけの関係で終わった。
一人目の彼女は中学三年生で、名古屋に住んでいた。あの人は小学六年のときに父親がウツ病で自殺していた。母子家庭同士話が合った。当時ウツ病だったぼくが、死にたいというと、そんなこと言って脅さないでよと言うので、ぼくは死にたいと言えなくなった。その人には一ヶ月で振られた。
二人目の彼女は高校三年生で、福島県に住んでいた。ごく普通の元気な女子高生に見えたが、昔から父親が暴力を振るうと言っていた。元彼の家にタバコを貰いに行って、そこで襲われて口で抜かされたと謝られたことがあった。会うのは嫌じゃなかったけど、やるのは嫌だったと言っていた。その頃から、男とタバコが嫌いになった。でも、ぼくは、男だった。その人には半年で振られた。
何もできない自分を殺したくなるから、次は近くに居る人と付き合おうと思った。
二人目の彼女と別れたころ、哀菜さんはちょうど、ぼくの友達の天野に粘着質に付きまとわれていると言って相談していた。天野の兄はヤクザの組員らしい。天野はよく、自分の家庭環境は複雑だ、と言っていた。そういう自分に恍惚感を抱いていて、同時に、自分は被害者で、被害者である自分にはすべてが許されている、と思っているように見えた。
ぼくは毎日哀菜さんを注意深く見ていたので、顔が日に日にやつれていくのが目に見えて分かった。
哀菜さんは毎週ぼくをカラオケに誘って、夜中には無防備に隣で寝息を立てていた。たぶん、ぼくを好きなんだろうと思ったので、チューして彼女にしてしまった。
ある日食堂に向かう天野を見かけて、「殺すぞ! 飯を食うならそこの弁当屋で弁当を買って、便所で一人で食え! 死ね! 食え! 死ね!」と、大学のキャンパス中に響く声で怒鳴ってやった。それきりやつとは会っていない。
哀菜さんは銀河で一番可愛かった。
ぼくが「哀菜さんは銀河一可愛い」と言ったら、「健太郎の銀河には哀菜しかおらんのやな」と言って嬉しそうに笑っていた。
あの人は、ぼくが大好きだった。ぼくもあの人が大好きだった。ぼくがタトゥータイツが好きだと言うと、何も言わずに次の日タトゥータイツを履いてきた。淀川の花火を見に行ったときは、黒髪は似合わないからといつも茶髪にしている長い髪を複雑に編みこんで、浴衣を着ていた。うなじにしゃぶりついて匂いを嗅いだが、すごく良かった。
七月七日のぼくの誕生日には、三ノ宮のお洒落なバーを予約してくれた。食後に大きなケーキと記念のボトルが出てきたから、驚いた。
初めて哀菜さんのお父さんを見たとき、ぼくは久しぶりに父親という生き物を見たせいか、よく分からない涙が出た。哀菜さんは、ただぼくを抱きしめてくれた。
――おっとっけ?
――さらんへよ、ぽっぽちゅせよ。
感傷に浸るほど、ヤンベの歌が骨身に染みた。
ライムライトは、涼しげな、お別れだった。
町あかり、カモメが歌うよ
忘れてた愛しい夏の日
It’s a blue and blue night
星が流れるアリゾナの夜
きみを思うけど
胸のなか風が吹いてる
「岸辺くん、今日は来ていただいて、どうもありがとうございました。飲まないの?」
ヤンベに呼ばれ我に返ると、ライブは終わっていて、照明が眩しかった。
京都のライブハウスはライブが終わったあと、だらだらと居残ってお酒を飲めるところが多いらしい。この日も朝までビールを飲むようだった。「帰ります、CD、いくらでしたっけ」と聞いて、アルバムを一枚購入した。
「じゃあ、原稿よろしくね!」ヤンベは上機嫌だった。
ぼくはヤンベの作っているフリーペーパー『イツカノユウグレ』に話を載せることになっていた。自分と、今まで出会った人たちのことを書きたいと思った。
気にも留めないありふれた場所が、気付けば新しい居場所になっている。
みんなどっかで、幸せになれ。