第七話「資質(前)」
自然に囲まれたシュク村は、そこかしこから生き物の気配がする。木々の枝には鳥が留まり、草花には昆虫が集う。耳を澄まさずとも聞こえる鳴き声に、生命の多様性を感じる。
しかし、そんな村の中で、たった一箇所だけ様子の違う場所があった。魔法師ヤヌ・クチヤの家だ。
その裏庭では、栄一が静かに目を閉じている。いや、静かなのは栄一の様子だけで、彼の周囲では鋭い風が吹き荒れている。突然現れた旋風に、動物たちは方々へ散ったらしい。その側でヤヌは、切れ長の目を細めてじっと見つめていた。
「これほどとは……やはり波乱は免れえぬかの……」
つぶやきは風によってかき消され、ヤヌの頬に一筋の汗が流れ落ちた。
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――魔法を使う
そんなことを試みる日が来るとは思ってもみなかった。
(静かに、冷静に)
深呼吸を繰り返しながら、丹田に溜まる温かな魔力を気脈へ送る。
(血流に沿うように、滞りなく、淀みをつくらず)
魔力の行く先に行き止まりをつくらぬように気をつける。体の隅々を通し、流れから逸れる魔力を引き戻す。
「フゥー……」
吸って吐く、たったそれだけで流れに加わる魔力が増える。少しでも呼吸を乱せば、容易く決壊することはすぐにわかった。
(集中、集中)
余計なことに気を向けないよう、魔力変換と循環に意識を集中する。すると、体が軽いことに気がついた。それだけではない、頭が妙にスッキリしている。
(これなら、まだまだいける)
自分の魔力の状態を正確に把握するだけの余裕が出来た。ならば、と魔力変換の速度と効率を上げる。これまで魔素を十の消費に対して、生成する魔力は半分の四か五程度。それを上げる。
(七割……八割……くっ)
変換効率が上がるにつれて、体内を巡る魔力が一気に増えた。これまでの変換に重きを置いた方法では手綱を握れない。
(循環を圧縮して、さらに速く廻す……)
魔力を無理やり圧縮し、気脈を細くした。細くなった分だけ循環速度も飛躍的に伸びる。循環に引っ張られるようにして魔力変換も加速し、思考が追いつかなくなる。それでも続けたのは、なぜだかこれでいいと確信していたからだ。
(やれるとこまでとことんやる、廻せ……廻せっ!)
変換効率が限りなく完成に近づき、循環速度が神経の伝達速度をも超えた時、それは訪れた。
「あっ……」
変換と循環が、絶妙なバランスでもって安定したのだ。目を開ければ周囲の地面は水面をかき混ぜたかのように荒れていて、草や葉が散乱している。台風が通り過ぎたようなその場所は、今は静寂に包まれていた。
「なんなんだろうねこの子は」
振り返ると、ヤヌ婆が疲れた顔をしてこちらを見ていた。いつ戻っていたのか、隣にはトゥパもいる。
「まったく、一体どこから指摘したらいいのかも判らんよ」
「驚きを通り越して、もはや意味不明ですね」
二人が遠い目をしながら呟いた。少し距離があっても聞こえるのは、この身体強化のおかげなのだろう。視力も上がり、二人の毛穴までも見えそうだ。
「あの、魔法を使ってみてもいいですか? 変換と循環が出来ましたので」
今の安定した状態なら思考を魔法に割くだけの余裕がある。
「とりあえずそのふざけた量の魔力変換を止めな、このあたりの魔素が無くなっちまうよ」
さすがにやり過ぎたらしい、変換を止めた。
「ちなみにどんな魔法がいいですかね?」
彼女は少し考えた後、こう答えた。
「とりあえず、自分の手のひらに大きめの炎を出してみな。火力で消費量を調整すれば、あっという間に無くなるだろうさ」
頷いた俺は、手のひらを上にして前に突き出した。
(炎のイメージ、燃焼……酸化、いや言葉ではなく、そのままに――)
ボッという音とともに赤い炎が現れた。
「出たぁ!」
よし、このまま火勢を強め、温度も上げてみよう。燃焼とは物質変換であると同時にエネルギー変換だ。魔力を酸化剤と見立てれば、魔力放出量が火の勢い、魔力濃度が温度の調整になるはず。
「ていや!」
二つを同時に調整した結果、白に近い青色の炎が吹き上がった。音と熱にびっくりして魔力を遮断したのだが、勢いのついた炎は側の木よりも高く登っていった。
(特大のガスバーナーを作ったらこんな感じなのかね……)
予想以上の火力に唖然としていたが、ここにいるのが自分だけでないことを思い出した。
「あ、あの、大丈夫でしたか? 調整を間違えてしまって」
物凄い熱量であったから、火傷でもしていないかと二人を見る。
「はぁ」
「これほどの火力を生む魔法師、特科部隊でもお目に掛かれませんよ……」
異常はなさそうだが、随分と疲労の色を濃くしていた。ちなみにこれは後から聞いた話なのだが、特科とは、正しくは〈特殊戦術科〉といい、王国軍の中の精鋭部隊らしい。
「エーイチ、こっちは大丈夫だからそのまま続けな」
「わかりました、少し威力を落とします」
そう言ってもう一度空に手を向ける。
(今度はほどほどにしてみよう)
先ほどの感覚から、放出量と濃度を調整した。結果、先ほどよりも勢いの小さい火炎放射になったので、その出力を維持する。
(よし、試しにバランスを変えてみるか)
現在は3メートルくらいの赤い火柱なのだが、濃度を上げると……青い5メートルほどの火炎放射になる。放出量を上げつつ細く絞り込めば、今度はターボライターのように綺麗な形の炎になった。……なるほど、これは自由自在だ。
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「ババ様、エーイチは今日初めて魔法を使うのですよね?」
トゥパトゥルカは目まぐるしく変わる炎を見つめながら聞いた。
「ルラの雫は何の反応も示さんかった。魔法の存在を知らなかったのは間違いないさね」
顎を撫りながらヤヌが答える。
「それで、アレですか……」
栄一が、もう片方の手からも同じように炎を出した。と思ったら、左右で炎の質や火力を変えている。
「二つ同時かい……まぁ、王室育ちのお前からしたら〈無詠唱〉ということに驚きなんだろう? 魔法学会でさえ研究中のものだ」
「世界的に見れば、即効魔法は未だに詠唱が主流ですからね。そして実用的な無詠唱魔法が使えるのはババ様だけです」
「昨日まではの。……だがあたしに言わせれば無詠唱自体はそんなに驚くべきことではない」
物事を正しく理解すれば誰にでも出来る事だからさ――そう言うヤヌに対して、トゥパトゥルカは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「それを知るのに二年掛かったのですがね……」
「お前も十分早い方だよ。エーイチに関しては考えるだけ無駄だ、アレは育った環境が違う。それに、あたしが驚いたところはもっと他にある」
トゥパトゥルカは先を促すようにヤヌの顔を見た。
「気づかないかい?」
ヤヌがニヤリと笑う。すると、ひたすらに炎を出していた栄一がこちらに向き直った。
「あの、この調子だと一向に魔力が減らないのですが……」
「はい?」
トゥパトゥルカの顔が引きつった。
区切りがいいので短めです。