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魔素の哲学―伝説の精霊樹―  作者: 晴乃チユキ
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第四話「原因の究明(前)」


 目が覚めると、男の子と女の子が俺の顔を覗き込んでいた。目をしょぼしょぼさせながら見つめ返すと、二人も興味深そうにじっと見てくる。窓から差し込む光はうっすらと白んでいて、外からはパヨンパヨンと鳥のものらしき鳴き声が聞こえてくる。どうやら朝日が昇って間もないようだ。

(やべえな、パヨパヨに驚かない自分がいる)

 そして案の定、昨日の出来事は夢ではなかったらしい。再び子供達に目を向ければ、クリクリとした瞳でこちらの様子を伺っている。大きくあくびをすると、キャーキャーワーワー言いながら逃げ出した。――部屋の出口はそこか。なんて思いながらもう一度あくび。


 体を起こすと、背広がしわくちゃになっていることに気がついた。一瞬がっかりしたが、考えれば俺はもう仕事に行く必要もないんだった。と言うか、行こうにも職場が燃えた。うん、問題なし。

(結局なんだったんだろうな、あれは)

 燃える地球を思い出していた。こうして落ち着いて考えてみると、やはりあれは夢ではないと思う。体にも服にも、焦げ臭い匂いが染みついている。見ればスラックスには白い灰もついていて、ちょっと払ったくらいでは落ちそうにない。


 ベッドを汚して申し訳ないと思ったが、木製のフレームには藁のような植物で編んだ簡易的な布団しか敷いてなかった。多分汚れてもいいようなものなんだろう。おかげで全身が痛い。筋肉痛と打ち身、擦り傷切り傷に火傷もしていそうだ、怖くてスーツを脱ぎたくない。

(なんにせよ、今は現状の把握が最優先だな)

 さらにあくびを一つして、寝坊けた頭を起こさせる。ベッドから立ち上がったところで、先ほどの子供二人が、黒ローブの婆さんを連れてきた。


「お目覚めかい? 気分は……、まずまずと言ったところかね」婆さんがヒヒッと笑った。


「おはようございます、おかげさまでこの通りピンピンしてますよ」


 体調はいいとは言えませんがね――そう続けると、この婆さんは少し驚いたらしい。


「おや、昨晩と違って嫌に冷静じゃないか」


「その節はすみませんでした。なにせ昨日は信じられないようなことばかりが起こっていたものですから」


 地球滅亡からのジャングルマラソンだ、落ち着けと言う方が無理だろう。そう考えると昨日の俺も頑張った方だと思う。


「ま、いいさね。でもお前さんのその話し方はなんだか気味が悪いよ。気楽に話しておくれ」


 そう言って彼女はベッドの脇の椅子に腰掛けた。この部屋には他に椅子が見当たらないので、そのままベッドに腰掛ける。彼女はそれを見て満足そうに――ん、と頷くと、


「さて、朝餉まではちと時間がある。先にちょいと話をしようじゃないか」


 口元の布を外しながら、優しげな口調でそう切り出した。彼女の顔が露わになると、今度はこちらが驚く番だった。

 声の感じからかなりの高齢だと思っていたのだが、精々が五十そこそこの顔つきだ。薄茶色の瞳は、先ほどの子供達と同じように朝日に照らされてキラキラ輝いていた。だがよく見れば、吸い込まれそうなその眼差しには、深い愛情と鋭い知性が見え隠れしている。長くを生きたという確かな説得力に、自然と畏敬の念を抱いていた。不思議な人だ。


「ヒヒッ、そんなに面白い顔をしていたかい」


「あ、失礼致しました、つい……」


 思わず見とれてしまったが、初対面でガン見は戴けない。興味があると目が離せなくなる、昔からの悪い癖だ。


「そう熱い視線を向けられると悪い気はしないがね、老いぼれを口説かんでおくれよ?」からかわれた。


 多少の気恥ずかしさもあり、咳払いをしてから問いかける。


「あの、昨日といい今日といい、言葉が通じるのは一体どういう仕組みなんでしょうか。確か魔法だと仰っていましたが」

 いの一番に聞きたかったことだ。


「それを説明するにも順序立てた方がいいだろう。お前さんとあたしで、随分と認識が食い違っているようだからね」


 まずは自己紹介といこうじゃないか――そう言って、懐から丸い水晶を取り出した。


「これは〈ルラの雫〉というものでね、簡単に言えば嘘を見抜く魔道具さ」


 手の中の透明な水晶は、光をそのままに透き通している。それをベッドの上にそっと置いた。


「気を悪くせんでおくれ? お前さんを疑うわけじゃあないが、これは効率的な問答をする上で役に立つのさ」


「構いません、ありのままをお話しします」


「ヒヒッ、素直な子は嫌いじゃないよ」

 それにね――と続ける。


「この魔道具の効果範囲は、この部屋の中全て。当然私も嘘をつけば反応する」


「反応するとどうなるんですか?」少し不安げに尋ねる。


「なに、大したことはないよ。故意に嘘をついた場合、水晶の表面が泡立って白くなる。例えば、そうさね――『あたしの年齢は百歳だ』」


 彼女がそう言った瞬間、水晶がプシュ――と間の抜けた音を発しながら白くなった。表面がザラザラで、まるで磨りガラスのようだ。触ろうとしたら、すぐに透明に戻った。


「そして、『あたしの年齢は百歳ではない』」


 今度は水晶に反応がない。というか、嘘の例えが〈百歳か否か〉って、逆に言えばそれに近しい年齢という事なのだろうか。

(いや、待てよ。実年齢を百歳未満で考えてたけど、この質疑なら百歳より上の年齢でも同じ結果になるよな)

 こうして魔法もあるのだから、「実は二百歳じゃよ」とか言われても信じざるをえない。でもこの容姿で百歳越えだとしたらかなり複雑な気持ちだ。日本なら化粧水の広告に起用されるレベルの美熟女だもの。

 妙な考えにもぞもぞしていると、目の前の彼女がこちらをニヤニヤしながら見ているのに気がついた。またからかわれたらしい。


「あ、あの、魔道具についてはわかりましたが、なにをお話しすれば……」右目尻にある泣きぼくろを掻きながら聞いた。


「さっきも言ったが自己紹介さ、まずはあたしからいこう。名前はヤヌ・クチヤ、このシュク村の出身で今年九十八歳になる」


 皆には、ヤヌ婆と呼ばれているよ――そう話す彼女は、やはり五十代にしか見えない。いや、下手したら四十手前でも通用するか……いや、落ち着け俺、考えるべきはそこではない。


「私は千代田栄一と言います、栄一と呼んでください。日本の神奈山県山崎市の生まれで、現在二十八歳です。ここに来る前は東京で仕事をしていました」


 そう告げると、婆さん……ヤヌ婆はあからさまに困った顔をした。


「ふむ、エーイチか。そのニッポンというのは国の名かい?」


「はい、国外では一般的に『ジャパン』と呼ばれています。その首都が東京都で、その隣の県が神奈山県、その中の山崎市という街で育ちました。あ、県というのは、市や村の集まりで、日本国内には四十七の都道府県があります」


 ヤヌ婆は、なるほど、と呟くと続けて質問してきた。


「お前さんの国では姓を持っているのは普通のことなのかい?」


「はい、日本だけでなく、世界的に見ても当たり前なことだと思います」


 もっとも、俺の知る限りでは、だ。もしかしたら違う国や地域もあるかもしれない。


「世界、ね……」ヤヌ婆はますます神妙な面持ちになった。


「あの、ジャパンといえば世界的に有名なんですが、ご存知ありませんか?」


「悪いがない。聞いたことがないというより、おそらく存在しないよ」


「いや、それは――」


 あなたの知る世界が狭いからでは。そう言おうとして口を噤んだ。ヤヌ婆の思慮深い眼が、そうではないことを物語っていたからだ。と言うか、ナチュラルに失礼である。


「念のため聞くが、お前さんの言う世界、それはどの程度の範囲だい。例えば地図や人口さね」


「そうですね……世界といえばまず地球を指します、自分たちの星ですね。そして地球の人口は約七十億人、日本は一億人ほどだったと思います。さらに広い意味では宇宙を指しますが、観測と研究が主体で本格的な進出はしていませんでした。一般人が別の惑星に居住出来るのは八十年後とか百年後だとか言われていましたね」


 ヤヌ婆は水晶をちらりと見ると、大きくため息を吐いた。そして、そのまま難しい表情でぶつぶつと呟いている。


「そう考えれば――いや、しかし、説明がのう――」

 邪魔しないようにじっと待っている。結局のところ、現在俺が頼れるのはヤヌ婆だけなのだ。そうして窓から差し込む日差しがやや強くなったころ、声を掛けられた。――エーイチ。


「お前の話を聞いて、あたしなりに考えた」


 わずかに頷いて言葉を待つ。ヤヌ婆は目を瞑り、そしてゆっくりと見開いた。


「まず断言しよう。ここはお前の知る星ではない」


 確信を持って告げられた言葉だった。


「自分で言うのもなんだが、あたしはこれでいて世界最高峰の魔法師でね、世間では『魔導の賢哲(けんてつ)』なんて呼ばれていたりもする。そのあたしが半生をかけて編み出した術が〈遠見(とおみ)〉と〈御神渡り(おみわたり)〉。それぞれ、離れた場所を見る術と、そこへ瞬間的に移動する術さね」


 ヤヌ婆曰く、あたしが言ったことのない場所は、地中と宇宙だけだ。だから言える、この星には七十億人もの人間は存在していない。と――


「おおよそ二億五千万人、余程多く見積もってもせいぜいが三億人だろうさ」


 これをもってして、ここが俺がいた地球ではないとの結論だ。『魔法があって、場所が違う』これだけを見れば、異世界転移だとか、世界線の移動だとか言う想像がつくのだが、彼女が言うには、それこそが問題らしいのだ。



「エーイチ、お前さん、魔法を知らなかったと言っていたが、それは本当だね?」


「はい、魔法や魔術という概念自体は地球にもありました。ですが、それを実践した人はいなかったようです」


 その言葉に嘘はないようじゃがな、と顎をさするヤヌ婆。


「しかしエーイチ、お前さんは魔法を使っていたぞ」


「え?」思わず聞き返した。


「意図したものではなかったのだろうがの、昨日のお前さんには強化魔法を使用した形跡があった。警ら隊の指揮長であるカウリの報告から考えても間違いなかろうて」


「カウリさんというと、きっと昨日のリーダーのような方ですよね。一体どういうことですか?」


「うむ、詳しく話すと長くなるので端的にまとめよう。つまり……」


 彼女の言うことには、魔法を使用すると魔力のカスのようなものが残るらしい。これを残留魔力といい、空中で使えば空中に、体内で使えば体内に残るそうだ。昨日の俺は全身に残留魔力が見て取れた、と。


 また、カウリの報告では、例のガガンボが突然に飛んでいき、それを捜索した結果、罠にかかっていた俺を発見するに至ったらしい。そのガガンボが飛んで行った時刻と俺を発見した時刻を逆算すると、少なく見積もっても3時間はジャングルの中を追い回されていたことになる訳だ。

 それを強化魔法なしで、と考えるのは馬鹿馬鹿しいことだそうな。


「確かにいつもよりはるかに早く走れていました」


 うむ。とヤヌ婆が頷く。


「しかし、元の世界で使えなかったのは間違いありませんよ」


 使えてたらトップアスリートになれていたでしょうし……と、


「本当に使い手はいなかったのかい? その存在を知らなかっただけでなく?」


「一応ですが、超能力者と呼ばれる人たちはいました。ですが、ほとんどはペテン師です」


 ――科学技術の発展がそれを証明しました。俺はそう言った。しかし彼女は静かに言葉を返してきた。


「だがエーイチ、お前さんがこうしてここに居ることは、その科学とやらで証明出来るのかい?」


「それは……確かに私には出来ませんが、あるいは科学者なら――」


「あたしは出来るよ」ヤヌ婆は俺を真っ直ぐに見つめた。


「あたしには出来る。見当がついているんだよ、エーイチ」


 あまりに鋭く投げかけられた言葉に、俺は黙るしかなかった。


「お前さん、ここに来る直前に何かあったろう?」


 あった。当初は夢とも思えず、また現とも思えなかった異常な出来事が。

 なんとも言えず眉を寄せて押し黙った俺に、ヤヌ婆は声をかけるでもなくスッと立ち上がった。そのまま部屋の入り口に向かうと、いつの間にいたのか、顔だけ出すように覗いていた二人の子供の頭を優しく撫でた。


「ま、話の続きは朝食の後にしようじゃないか」


 お腹の虫が、思い出したかのようにグウと鳴いた。そう言えば、昨日からずっと食べていなかった。

 ――あぁ、それとね、エーイチ。とヤヌ婆が振り返りつつ言う。


「お前さんが寝ている昨夜のうちに通訳魔法を固定化しておいたから、今後言葉に不自由することはないよ」


「そう言うことでしたか、ありがとうございます」


 最初の質問の答えはそういうことらしい。あまりの便利さに感謝しながら、その仕組みを解明してやろうと思った。俺は御都合主義なんて認めないのだ。


 何はともあれ、ヤヌ婆のおかげで少し心の整理が出来た、この後の話し合いのためにもしっかり食べようと思う。そして何より、ここでは魔法が使えるのだ、俄然やる気が出てきた。



 ちなみにガガンボだが、ここでは〈カワウィ〉と呼ばれ、ペットや狩猟のお供として高い人気を誇っているらしい。名前に納得がいかなかった俺は当然のごとく食いついたのだが、まさかの「うざい」で一蹴された。しかしながら、バカみたいにデカい昆虫との共生は到底受け入れがたいので、抗議と改名要求は、不屈の意志を持ってこれにあたる所存である。



――――――――――――――――――――



 ヤヌと栄一が出て行った部屋は、朝の柔らかな空気が満ちていて、窓からは風がそよそよと入ってくる。ちょっぴり焦げ臭いベッドの上で水晶玉がコロリと転がると、わずかに朝日を浴びて煌めいた。

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