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魔素の哲学―伝説の精霊樹―  作者: 晴乃チユキ
3/8

第二話「邂逅」  ※12/31 訂正


 木々の合間から差し込む光は弱まり、陽が幾分傾いている事を教えてくれる。草木は生い茂り、枝からは(つた)や葉が垂れ下がる、まるでカーテンのようだ。


「――くっ!」


 そんな薄暗いジャングルの中を、男がガサガサ大きな音を立てながら駆け抜けた。歯を食いしばり、顔面の筋肉という筋肉を引きつらせながら走っている。そう、栄一だ。そのトップアスリート並みの美しいフォームには、見るものを惹きつける何かがあった。


「ギギッギギギッ」


 しかし、感動的ですらある全力疾走を見ているのは、体長三十センチメートルほどのガガンボのみ。――別名を「蚊トンボ」とも言うが、このサイズだと()トンボとは到底呼べないだろう。

 

 この一人と一匹が奇妙な追いかけっこを始めてから、かれこれ三十分ほど経つだろうか。


――――――――――――――――――――


「ぎゃああああああ!」


 肩に何か触れたと思って見て見たらでっかい虫が乗っていた。

(いっ、いつの間に近づいてきたんだコイツ!)

 一瞬だけ後ろを振り返れば、大きな虫が、その図体に違わぬデカい羽音を発しながら追ってきている。これほどの音量なら遠くにいても気づきそうなものだが、飴玉一つという事実が俺の耳を遠くしたらしい。……我ながら阿呆だ。

(にしたってデカすぎるでしょうが! これはジャングルか! ジャングルだからデカいのか!)

 赤道に近い地域の虫は、エサが豊富であることから肥大化する傾向にあるという。がしかし、アレは幾ら何でも大きすぎる。そもそも俺は虫が大嫌いなのだ。

 再び後ろを見れば、先ほどよりも距離が縮まっていた。

(うおおおおおお! 燃え上がれ俺の魂!)

 木の根や葉っぱを避け、時に払いのけながら走る。普通の人間には歩くことすら困難な原生林を、だ。あの虫から逃げたい、その一心が、驚異的な集中力とエネルギーを生み出しているに違いない。そう思うと、不思議ともっと早く走れた。



 ふと気がつけば、青かったはずの空がオレンジ色に染まり始めている。どれだけの距離を移動したのかはわからない。とにかく真っ直ぐに、ひたすら前に走り続けていた。


「はっ、はっ……ング、ゴホッ」


 もはや唾を飲み込むことすらままならない。それでも足を止めないのは、大きな羽音が背後から聞こえてくるからだ。それでもさすがに苦しい。なんならもう諦めて戦おうかとさえ思い始めたその時、それまで行く手を阻んできた大きな草花が途切れた。急に目の前が開けたのである。

(あ、植生が変わったのか! これならまだ走れる!)

 先ほどまでのような背の高い植物は見当たらず、せいぜいが腰くらいまでの草だ。地面は変わらず緑に覆われているが、場所によっては茶色い土も見えている。今までがアマゾンの密林だとすれば、今は富士の青木ヶ原樹海くらいだろう。走りづらいことに違いはないが、それでもかなり楽に思えた。


(というかなんだな、ここ最近走ってる記憶しかねぇぞ)

 少し余裕が出て、これまでのことに思いを巡らせている。するとある事に気がついた。――というのも、燃える街を走っていた時にもそうだったが、普段の自分からは考えられないほど体力があるのだ。

 学生時代をいえば、人並み程度に体力はあった。体力作りも兼ねて筋トレをしていたから、体型だってそう悪くない。しかし、今の会社に就職してからは運動という運動をしなかったので、少し長いくらいの階段でも息切れしていたくらいなのだ。

 それなのに今は、それこそ一〇代の自分よりもはるかに体が軽く、風のように早く走る事が出来ている。幾ら何でもおかしいだろう。生存本能が――とか、危機感が――とかいうレベルの話ではない。

(極限の環境が未知なるパワーを目覚めさせたとでもいうのかっ――)

 手を上品な形で口元に添えつつ白目を剥く。イメージ的には「この子…!」的な感じである。

 

 余裕こいてバカな事を考えていたせいだろう、足元がお留守だった。地面の上数センチのところに、ピンと張ってあった(つた)に気がつかなかったのだ。もっとも、既に薄暗い中、足元を覆う草に隠れていたのだから、ゆっくり歩いていても気が付かなかったのかも知れない――。何はともあれ、気付いた時にはすでに逆さ吊りになっていた。と同時に辺りに響くやかましい音。罠にかかったと理解するのに長い時間はいらない。


「うぐおぉ! なっ、なんでじゃっ!」


 もがくたびにガラガラと音が鳴り響く。身をひねってみたりもするが、宙吊りではどうにもならない。そんな風にクルクル回っていると、例の羽音が近づいてきたのがわかった。視線を向ければ、奴がゆっくりと近づいてくる。


「いやあああ! 来ないでぇ!」


 自分でもわかるくらいに情けない声をあげながら腕を振り回すが、構わずにギーギー言いながらまとわりつこうとしてくる。巨大な虫の気持ち悪さと、逆さ吊りの気持ち悪さでもうこの上ない絶望感だ。


 いよいよもってこれまでか! と思ったその時、5メートルほど先の木の陰から半裸の男性が現れた。


「ウィ! グァワノィ!」


 こちらに向かって大声で叫ぶ。何がなんだかわからずに固まっていると、もう一度、今度は少し静かに呼びかけてきた。すると目の前のガガンボが男性に向かって飛んでいき、なんとそのまま上腕に()まったではないか!


 男はじっとこちらを睨むと、眉をひそめて首を傾げている。突然の邂逅(かいこう)にあたふたしていると、男は自分から目を離さないようにしながら後ろに声をかける。そしてわずかに間を置いて四人の男が出てきた。見れば全員半裸で、黒く日焼けした体はかなり筋肉質だ。みんな似たような格好だが、唯一最初の男だけが、左肩に黄色の布を巻いている。その布にしがみつくようにしてガガンボがじっと止まっていた。

(彼はリーダーなのかね。なんというか、まさに〈原住民〉って感じだ)

 なんて感心していると、ふと足の痛みに気がついた。考えてみれば蔦の絡まった片足で全体重を支えているのだ、痛くないわけがない。そう思うと途端に痛みが激しくなるから不思議である。


「いっ、痛っ、ちょっと、ギブギブ!」


 くねくねと踠いていると、リーダーらしき彼が他の四人に指示を出した。うなづいた四人は腰から黒色のナイフを抜くと、こちらにゆっくりと近づいてくる。


「え? って、ギャー! ノーノー! アイム ノット 怪しい人! ラブ アンド ピース!」


 この状況でナイフを持った苦境な男たちが迫ってくれば、誰でも慌てるだろう。パニックに陥って、普段ならそこそこ話せるはずの英語も片言だ。てか怪しい人に向かって「私は怪しい人じゃありません」て、仮に意味が通じても無駄である。落ち着け、俺。


 そうこうしているうちに体を抑えられた。あぁ終わった、今度こそ終わった。そう思い、辞世の句を詠もうかと考えたところで、一人がナイフをこちらに向けたまま何かを話しかけてきている。

(ん? なんだね、よく分からないが苦しくないように殺しておくれ……あ、そういえば辞世の句って季語いるのかね?)

 というよりも歌を詠んだことなどない。それっぽい服を着た人が、まにまに言っている程度のイメージだ。

 自分の知識の無さに軽く絶望していると、再度男が声をかけてきた。所作を見るに、どうやら〈動くな〉と言っているらしい。疑問に思いつつもとりあえず頷いておく。すると男は手慣れた様子で蔦を切っていくではないか。足が緩んでいくのに合わせて、残りの三人が体を支えてくれる。そしてあっというまに地面に降ろされた。


「た、助けてくれたんですね、いや、かたじけない。センキュー、センキュー」


 どうやら謝意は伝わったようで、軽く苦笑いしながら〈いやいや気にするな〉みたいなジェスチャー。

 これなら殺される心配はなかったか、とホッとしていると、リーダーが話しかけてきた。が、やはり分からない。あまり馴染みのない語感なのだ。強いていえば、南米とか、アフリカっぽい響き。首を傾げていると、今度は身振り手振りで話してくれた。〈ついてこい〉とのこと。首肯で答えると、リーダーが歩き出し、それに続いて他の四人も歩き始めた。

(結局は助かったみたいだけど、なんだかなぁ)

 大丈夫だろうか、そう思うとため息が出た。


 全身が鉛のように重く、吊るされていた足はズキズキと痛む。ふと空を見上げれば、オレンジ色と紺色が半分ずつに混ざり合い、そのちょうど真ん中で小さな星がぽつりと佇んでいる。なんだか出来の悪いカシスオレンジのようだった。

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