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魔素の哲学―伝説の精霊樹―  作者: 晴乃チユキ
1/8

プロローグ  ※12/31 訂正


 陽炎の揺れる商店街を歩いている。

 空は晴れ渡り、雲の一つも見当たらない。その青い中にじっと居座る太陽は、これでもかと言わんばかりにギラギラとした光を放っている。


「暑い」


 しかめっ面の青年の横を車が通り過ぎ、熱をはらんだ風がアスファルトの塵を巻き上げた。


「うぐ、くそ暑い」


 荒い吐息と一緒にこぼれて出た言葉は、彼の辟易とした心情を如実に表していた。

 流れ出る汗は顎の先からアスファルトに落ち、すぐに消えていく。全身が汗だくなのだが、この炎天下、もはや拭う気力すらないらしい。

 見れば、いつもは人通りの多そうなこの通りも、熱気を避けてか少し閑散としている。


「おかーさん、ジュースのみたーい」


「はいはい、ちょっと待ってね」


 近くの自販機では女の子が飲み物を強請っているが、目つきの怪しい彼は気にもとめていない。据わりが悪かったのか、肩にかけていた鞄を手に持ち直していた。


 オフィスでの徹夜仕事を終え、仕上がった書類を彼の上司に渡したところで、


「このまま休んでいいよ、お疲れさま。どこか遊びに行けば?」


 と言われたらしい。

 予想もしなかった申し出に喜んだ彼は、会社を出た後に、帰路から少し外れたカラオケ店に足を向けた。しかし、ものの数分で冒頭の通りである。

 店まではわずか三百メートルほど。いつもなら何ということはない距離なのだが、仕事終わりの疲れた体にこの炎天下だ。

 その表情からは、辞めときゃ良かった、という気持ちがありありと見てとれる。

(いやいや、でも折角の半休なんだから、このまま帰って寝るには惜しいって)

 妙な勿体無い精神が顔を覗かせたらしく、踵を返す様子はない。


 そんな彼の心情を知ってか知らずか、蝉が一斉に鳴き始めた。このコンクリートジャングルのどこに居たのか、と思うほどの大合唱である。道の先が歪むほどの熱気に、これでもかと言わんばかりの蝉の鳴き声。


「ぐっ、うるせぇし(あち)い!いくら温暖化たってもうちったぁ頑張れよ地球!」


 その原因である人間に言われるのだから地球もかわいそうである。とはいえ徹夜明けだ、この環境はかなり堪えるのだろう。

 ほんの気まぐれか彼が視線を横に向けると、電気屋のテレビがあった。ニュース番組のテロップには「七十年ぶりに最高気温を更新」とある。


「ぬあーーーーーーーー!」


 ここにきて不満もピークに達したらしい。


「ねー、おじさんさけんでるよ」


「しっ、見ちゃいけません!」


 はたから見れば熱にやられた〈かわいそうな人〉であるが、当人には自分を省みるだけの余裕などない。


 その側を車がまた一台、熱と埃をかき混ぜながら走り過ぎていった。




――――――――――――――――――――




 俺こと、千代田栄一は、そこいらを見回せばいくらでもいそうな普通の会社員だ。勤め先はというと、そこそこ大きい会社の飲食事業部で、今はマネージメントをしている。

 オフィスといくつかの店舗、あちらこちらと移動しながら仕事をしているから、休みは不定期な上に少ない。

 特に月末なんてのは、全店の売上集計に店舗経費の精算、在庫管理表の確認と修正、果ては月初の定例報告会議用の資料作成などで忙殺される。

 この上、各店舗のマネージャーとしての仕事が大量にあるんだ。控えめに言っても〈社畜〉だろう。

 そんな俺の特徴はと言えば、最低限整えただけの雑な髪型と、無駄にセクシーな泣きぼくろ。――この泣きぼくろだけは、方々で評判がいいので、俺自身も気に入っている。

 一応は社会人らしく清潔感のある格好を心掛けているが、必要以上にお洒落をするつもりもない。しかし、二十代なのに、〈おじさん〉と間違われるほど草臥れているのはどうにかしたい。


「んぐぁーっ、…………ハッ!」


 地球、蝉、会社、その他諸々に向けての恨みをひとしきり叫んだところで平静を取り戻した。

 近いようで遠い、そんな絶妙な距離にいる親子が何とも言えない表情でこちらを見ている。見るな、ほっとけ。

 叫んだところで気分は晴れず、自分を取り巻く最低な環境は何も変わらない。そして今気がついたが、遠くに見えるカラオケ店が陽炎に包まれている。――もう諦めてさっさと帰ろう。そう思ったところで、ふと、違和感に気がついた。


「あ、あれ、なんだろう。何かおかしいな」


 気のせいでなければ、先ほどよりも気温が上がっている。妙に暑苦しいのだ。叫んでいたから身体が火照ってしまったのだろうか……そんな風に考えて首を傾げていると、


「おかーさん、かおがあつい!」


 先ほどの女の子が手で顔を覆って叫んでいる。

(そうだ、()()。暑いのではなく、なぜだか焼けるように熱いのだ)

 そうか、と違和感の正体に納得したのも束の間、急激に温度が上がった。


「なっ、なんじゃこら! あ、あつ! 熱いっ! これ日差しか!」


 慌てて建物の陰に入り、ふーふー言いながら火照った顔を手で扇いだ。すると少し和らいだ気がする。おでこから流れる汗に顔をしかめつつ空に目を向けると、思わず息を呑んだ。


 建物の合間から見える空が、陽の光を何倍にも増幅したように薄く白んでいたのだ。その中で雲は、タイムラプスで撮影された映像のように現れては消えていく。先ほどまでの穏やかで憎たらしい青空はどこにもない。

(なんだあれ、おかしいだろ。どうなっちまってんだ!)

 どうやら大気という大気が、一斉に熱せられているらしいのだ。


「真理子、急いで! いいから走るの!」


「おかーさん! いたいよ!」


 親子が近くのコンビニに躓きながら駆け込んでいった。

(ってこうしちゃいらんねぇ、俺も早く行こう!)

 走り始めたのはいいが、あまりの熱気に喉と鼻が焼け付くように痛む。

(おかしい、いや、おかしいなんてものじゃない。これ以上熱くなったらそれこそ死んじまうぞ)

 突然訪れた異常な状況に、頭は混乱するばかりである。

 堪え難い不安と死の恐怖に駆り立てられながら、とにかく足を動かした。無我夢中でたどり着いたコンビニの入り口――その敷居を跨いだ瞬間に、ピタリと足が止まった。


――なんだ、これ


 店員も客も、みんな床の上で転げ回っている。


――なんでみんな苦しんでんだ


 追い詰められた精神、消える音。極限まで引き伸ばされた時間の中で瞳が捉えた。


――あ、さっきの親子


 母親が女の子を庇うようにして覆いかぶさっているが、その全身からは蒸気が立ち上っている。


――っ


 次の瞬間、強く仰け反った母親の目玉が破裂した。流れ出る血も赤い煙を出しながらすぐに蒸発していく。

 店内の誰もがそうだった、見れば屋外の人間も皆同じように、赤く爛れた体から湯気を出している。

 いやそれだけじゃない。陳列棚の雑誌や食品、タバコ、ありとあらゆるものが燃えていく。

 窓のサッシや棚の骨組みは、表面を黒く焦がした次の瞬間には赤く熱を帯び始めた。


 あまりに(むご)い光景を前に言葉が出なかった。力なく視線を下げれば、足元で愛用の鞄が溶け始めていた。いつの間にか手から滑り落ちていたらしい。そして、気がついた。


――あれ、おかしいな


 そう、おかしいのだ、この状況は。


――()()()()()()()()()()()()


 周囲全てが燃え始めている中、自分だけは苦しみもせずにそれを見ている。本来なら、みんなと同じようにとっくに死んでいるはずなのに。


――生きてる


 直後、彼の世界に時間と音が戻ってきた。


「ぎゃああああああああああああああああああああ――」


 死んだはずの幾人もの叫び声が、店内に響いた。



 人と物が焼ける匂い、ペットボトルが破裂する音。もつれそうになる足を必死に動かし、何かに駆り立てられるように店から走り出す。信じたくなかった、今この瞬間の何もかもを。


 視界の隅で、母親の体が崩れ落ちた。





「くそっ! なんだよ!」


 息を切らせながらとにかく走る。火事場の馬鹿力なのか、体はいつもよりずっと軽かった。赤い景色が流れるように過ぎていく。

(確かに熱いけど耐えられないほどじゃない、呼吸も何とか出来る。なのに何でみんな燃えているんだ)


 巨大隕石の落下、火山の大噴火、いや地震なんて無かったし、太陽フレアとかいうやつだろうか――。考えたところで答えは出なかった。その間にも周囲はより一層激しく燃え盛り、近くの死体は口や目から火を噴いていた。 

(くそっ、くそっ!)

 心の中で悪態をつきながらひた走る。どこかへ向かってるわけではない、どこでもいいのだ、この地獄のような景色から逃れられるなら。

(夢じゃねぇ、でも信じらんねぇ。何がどうなりゃこうなるんだ!)

 走っても走ってもこの景色が終わらない。いや、頭ではわかっているのだ、どこまで行こうが終わりがないと。なぜなら遠くに見える山が燃えているから。その山肌全てが赤く燃え、真っ黒な煙をいっぺんに吐き出しているから。

(山の木だけじゃない、今通り過ぎた街路樹も、川岸の桜も、みんな燃えている。本当に何もかも燃えているっ)

 力なく不安げに揺れていた瞳が、ふと遠くに燃える桜の木を捉えた。

(川岸の桜、そうだ、川岸だ! あそこの土手さえ登れば川がある!)

 少しだけ強く踏みしめた足が、黒ずんだアスファルトを砕いた。体に活力が戻り、グッと歯を食いしばる。

 土手の芝はすでに燃え尽きて灰になっていた。その白い絨毯のような斜面をかけ上がると、今度こそ頭が真っ白になった。



――う、そ



 ここまでの全力疾走で心臓が悲鳴をあげていたが、そんなことは気にならなかった。そんなことよりも、目の前の光景が信じられなかった。


――なんで川が茹だってるんだ


 この街の自慢といえば、綺麗で穏やかなこの川と、その岸辺に咲く桜並木だ。その川の水が、ボコボコと音を立てて沸騰していた。

 ここまでくれば自分にも分かる。普通に熱に曝されるだけではあんな風に眼球は破裂しないし、金属は赤熱しない。何よりこれだけの量の水が沸騰するはずはないのだ。


――あぁ、だめだ


 体から力が抜けた。咄嗟に手をつこうとしたが、すでに黒い地面と白い空とを半々に見ている。どうやら腕が動くより先に倒れたらしい。

 そうして、諦めた。理解しようとすることも、生きようとすることも。

 体の下の土が酷く熱くなっている。

(なんだよ、これ。でも……)


――なんだか気持ちがいいな


 とても眠い。あれほど俺を強く突き動かした生存本能も、今はもう燃え尽きたらしい。

 ゆっくりと呼吸が浅くなり、世界から音が消えていく。


――静かになるのはいいことだ


 そう思えば、怖いものはなにもなかった。そこには静寂と安らぎだけがあった。

 晴乃チユキと申します。いきなり主人公死んでますが神様転生ではありません。

 あらすじにも書いてますが、処女作なので暖かい目で見てやって下さい。あと、物語上とても重要なので、このプロローグはシリアスですが、次話の中盤以降はあらすじのようなノリになります。


 当面の目標は週2更新ですが果たして可能かどうか。何はともあれ宜しくお願い致します。


 12/16 いくつかの記述ミスと行間を訂正しました。ちなみにこの燃える街ですが、厳密にいえば燃焼しているわけではありません。あることが原因で、結果的に燃え出しているだけです。大量の水が沸騰しているのもそれが理由です。


 12/31 日本語のおかしいところを直しました。

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