3.4. 晴海謙治
写真を一度でも見れば見つけるには苦労しないほど、目立つ容姿の少女だ。明るく振舞っていれば相応に人好きもするだろう。だがそうはいかないのは、己の過去のためか。
五年前、交通事故で両親が他界、および弟が内臓破裂等の重症で入院。ただひとり事故を免れ、現在に至るまでの間は祖母の家に身を寄せている。長須高校一年。帰宅部。家庭事情を鑑み、ファミリーレストランでのアルバイトを学校に認可されている。
小町恋歌に関して、それは少し調べれば出てくるような情報だ。だが調べようとしなければ出てこない情報でもある。おそらく、高校内で彼女に関して詳細を知っているのは、被害者である仲楯常賢だけだろう。小町恋歌は人間関係に少し問題があると聞いているし、同じ中学から進学したのは彼女と常賢だけという話だ。
そうした話を聞けば、晴海でも彼女のことを可哀想な境遇だとは思う。
哀れで、それでいて美しくて、だから仲楯常賢は庇ったのだろうか?
最初に疑問に思ったのは、報告用の調書を作っているときの小町恋歌の態度だった。怯えているような態度は、単に男が怖いだとか、人馴れしていないだとか、その程度ではないように見えた。だが、もし彼女とだけ会っていたならば、晴海は恋歌のことを不審に感じただけで終わっただろう。
疑うことになったのは、仲楯常賢が明らかに庇っているように見えたからだ。
(ありえない話ではないが………)
仲楯常賢は大きな怪我をしたわけではないが、自分の事故原因を庇っているのだという考えは、当初は己が事故を都合良く解釈しようとしているだけに感じられていた。
だがきっかけがなんであるかは問題ではなく、事実として小町恋歌という少女には訝しい点が出てきた。道行く学生がたちに、事故当時の状況を見たものはいないかどうかと尋ねるとともに、被害者やその周辺——つまり仲楯常賢と小町恋歌について尋ねてみた。そうしていくうちに形成された小町恋歌という少女の像は、酷く歪だった。
「可愛い」
「あんまり喋らない」
「美人」
「顔はわりと可愛いけど、暗い」
「何やっているのかわからない」
「いつも独りでいる」
「たまに仲楯くんと一緒にいる」
「付き合っているんじゃないの?」
晴海は彼らが日頃接する大人である教師らの平均より年齢が下なので舐められているのかもしれないが、相手が役人だとわかっていながらここまで明け透けに話してくれるのはありがたいことだ。
小町恋歌という少女は、基本的に男子学生からの評判は悪くない一方で、女学生からは刃物を刺繍柄の布で包んだような回答を渡された。共通しているのは、顔が良くて、あまり人付き合いが多くないということだ。そして仲楯常賢とときたま共にいるということ。
「でも、あんまり仲良さそうじゃないですよ」
そんな話もあった。
疑えたのは、仲楯常賢の怪我が結果としてあまりに軽傷だったからだ。もし彼の怪我がもっと酷かったら――たとえば骨折したり、神経を傷つけたりして、走ったり飛んだりといった部活動を続けられないようなものであったら、その場合は常賢の隠匿を疑えなかったかもしれない。いや、そうなっていたら、そもそも彼は恋歌のことを庇っていなかっただろうが。
が、少なくとも今回に限っていえば、常賢はまったくの擦り傷しか負わなかった。だから、疑えた。
いや、やはり信じにくいことではある。
確かに軽傷ではあったが、己を怪我させたのだ。仲楯常賢の神経は常軌を逸している。己を交通事故に遭わせた相手を庇おうとしているのだ。自分が彼の年齢だった頃――すなわちそれはただの馬鹿な餓鬼だった頃だったら、考えられないようなことだ。
「きみのことを幾つか聞いていたのでね、本当は仲楯くんをきみが道路に突き飛ばしたんじゃないかと思ったんだ。何か、喧嘩だとかしてね。日頃から、あまり仲は良くなかったようだし」
忙しく働く恋歌を呼び、そんなふうに声をかけてみようかとも思った。小町恋歌という少女は脆く儚い、硝子細工のようにも見え、叩けば簡単に崩せるようにも感じられた。
煙が漏れる。晴海は惚けたように己の口が薄開いたままになっていたことに気付き、煙草を咥えた口元を手で覆った。
彼女の高校の友人たち、否、同級生らは、小町恋歌がアルバイトをしていることを知らないらしい。両親が他界していることや、弟が入院していること。僅かな蓄えや死亡保険金は、両親の事故の際の慰謝料や弟の入院費で消えてしまったこと。食いつなぐためにアルバイトをしていることも。彼女自身が話さないのだから、当然だろう。
哀れな話だとは思う。だが哀れな立場だからといって、犯した罪が問われないというのはまた間違いだとも思う。
仲楯常賢が彼女を庇う理由があるとすれば、そうした背景を知っているからだろう。幼馴染みだという。それで――いや、それだって、なんだって許せる? 突き飛ばされて、事故に遭わされて、たまたま大怪我をしなかったから幸運だったわけだが、だとしてもなぜ自分を傷つけようとした女を許せるのだ? それとも彼は小町恋歌に、そうされても仕方がないようなことを仕出かしでもしたというのか? そうでもなければ……そうでもなければ、晴海には常賢のことが理解できない。
仲楯常賢に認めてもらうのが、いちばん簡単なのだ。彼は恋歌に突き飛ばされたのだ、と。あるいは庇う気があるなら、愚かな馬鹿学生が道路に飛び出したことにすればいい――いや、やはり恋歌が突き飛ばしたことを認めてくれたほうが良い。そのほうが、責任の所在をより明らかにできるからだ。
菜々子の夫、石和明は罪に問われている。人を轢いたからだ。いかに怪我がほとんどなかったとはいえ、轢いたことそのものは変わらないからだ。
だがもし責任の所在の一部でも小町恋歌に押し付けられれば……石和明の罪は軽くはならないとしても
支払わなくてはならない対価は軽減される。
常賢が恋歌の罪を認めないなら、恋歌のほうに自供させたほうが早いかもしれない。彼女は不安定だ。注文の品が届き、腹を満たしてから、晴海は決意を固めた。酒が欲しかった。酔いたかった。
「あなたが何を言っているのか、よくわかりません」
だがファミリーレストランに現れた仲楯常賢は、それを許そうとしなかった。