8.溺れる者は…
このお話もじわじわと読んで下さる方が増えて、凄く嬉しいです。
8.
「は⁉︎」
「マイコもマイコだ。…一体自分は誰の主人だと思っている。その肌に触れていいのは俺だけじゃなかったのか?」
明らかな嫉妬に顔がにやけるのを止められない彼女を見たレイクは、差し出した椅子に自分が座ってむくれた様にそっぽを向いた。
すると、慌てて舞子が青年の膝の上に乗って、頭を傾け目を閉じる。
「はい、どうぞ〜」
その素直さに苦笑したレイクは縺れない様にそっと彼女の髪を梳く。
「どうか、忘れないでくれ。トール・レイクラスはもうあんたのものなんだ」
頭皮を少しも傷付けないその優しさと、言葉の激しさのギャップに、目眩がする様に囚われる。
「俺を好きに出来るのはあんただけだ、マイコ」
そんな言葉を彼は魅惑的な低音で囁いた。
目を開けて彼の手から櫛を奪うと、空いた手はするりと彼女の腰に回り、支え、熱を与えた。
舞子は立ち上がって、青年の愛しい端整な顔を両手で包む。
当たり前の様に自分の支配を受け入れる美しい男に、震える程の歓喜を覚える。
何をしても、いいのだと。
うっとりと脳が熔ける様な感覚が、湧き上がる衝動が彼女を衝き動かす。
接吻は彼女から。
好きに唇を許してから、抱き寄せて愛しく頬を撫でる。
青年は覆い被さる柔らかな身体を優しく受け止め、口内を侵してきた舌を捕らえ、あらゆる技巧を凝らして自分に夢中にさせた。
独占欲を高めて、心の一片まで搦め捕る。
それがレイクが決めた彼女の扱い方。
下僕志願者など掃いて捨てる程溢れ返っている。それを知らない筈は無いのに、彼女は自分に固執する。それは『恋』故だ。
その気持ちがどんなに脆いものか、レイクは知っていた。
勿論、愛に変わる程強い気持ちもあるのだという事も知ってはいる。
だが、彼女と知り合ってまだ日が浅い。素直な為人は知っているが、それでも全く自信が無かった。
彼女が元の世界に戻る術など無論知りようも無かったが、知ろうとも思わないし、逃避行を重ねる上でうやむやにしてしまう気も充分にある。
帰還出来ない怖ろしさ、心細さ故にあの存在に自分がこんなにも求められている事も、自分だけは分かっている。
元より彼女を手放すほんの僅かな危険さえ、青年は酷く怖れた。それならば、もっと確かな感情で己に縛り付けようと。
思考を白濁とさせる程の快楽を与えて、逃さない。
少し癖のある黒髪が斜に流れて、まるでカーテンの様に触れ合いを隠す。
髪に指を入れられ更に求められると、自分の中の欲望が高まった。制御するのにかなり苦労して。だが、決して悟らせない。
こちらが溺れていけない。
求めるのは常に彼女で、俺はどんな望みも叶えよう。
そして、絶対に気付かせない。
片手で舞子の項にするりと指を滑らせて、彼女に気取られぬ様見計らって腕を一閃する。
ドン、と音がして窓枠に小ぶりのナイフが突き立った。それが興味本位に覗いていた輩を追い払ったのを気配だけで確認して。
「な、何?」と驚いて離された唇を「気にするな」と、引き戻す。
言葉と仕草と身体で、自らの価値に構わぬ一人の女を懸命に搦め捕り、冴え冴えと冷えた瞳で心の中のマグマの様に滾る己を何度も突き放す。
俺に溺れてくれ。もっと、求めてくれ。
何もかも貴女に差し出すから。
可愛い、哀れな人。俺が何をも選べなくしたのにも気付かず。
綺麗な貴女は全てを掴む事が出来たのに。
この奇跡の女との接吻を、唾液の一滴まで味わいながら貪る自分こそが…彼女に溺れているのだと、犬種に生まれた青年は分かっていたのだ。
☆
「何にも無かったんでしょうね?」
本当に朝から押しかけてきたリンダの問い掛けに、情けない思いで舞子は頷いた。
ほーんとに、なーんも無かった。
頼めば何でも先回りして過剰なくらいやってくれるクセに、望まなければ何にもしてくれない!襲わなきゃ駄目なの⁉︎あたしから?あたしからなのかッ⁉︎
ご飯よそってくれて、洗った髪の毛を丁寧にタオルで乾かして、一つしかない寝台で優しく添い寝して貰って。
駄目押しで、もう一回濃厚(笑)な接吻して。
なーんも、無し(泣)。
「─────ははは〜二十代前半ってな、もっとガツガツしてるもんだろ?そうだろ⁉︎」
ブツブツ言いながら、半泣きで虚ろに笑うあたしをメイがポンポンと叩いた。
何やら慰められているらしい。弱っているので、胸にジーンとキた。
「ありがとうねー」と、言いながら、少女の頭の天辺にすりすりして癒される。
そうよ、フフフ。どこの世界の女が朝から好きな人にご飯作って貰って、髪を梳かして編んで(付け耳を落ちない様に)『気を付けて遊べ』と抱き締めて送り出して貰えるっつーの?
幸せなのよ、あたし‼︎
「何処行く〜?」「まずは非常路からだろー」「馬鹿、もっと楽しいとこ選びなさいよ」「…………」と少年少女に両手を引っ張られながら、午前中いっぱい、イヤもーいっぱいいっぱい引き回された。
「そろそろお腹空いた?マイコ。俺達の知り合いの店に連れてくけど、いい?」
ハンクが気を利かせて尋ねてくれた。前を歩いていたシンがニカッと笑って、「ハマー親父ン店か!」と振り返った。
「スープがとっても美味しいのよ」と、右手のリンダが教えてくれて、左手を握ったメイがコクコクと頷いている。
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