30.あの子の為に…
人種の住まうセントラル・タワーに拉致され連行された舞子は密かに親衛隊のカインを魅了し、味方につける。一方、都市ユグドラシルの人種ヴィンスは獣種の血が交じった妹の為に彼女を利用しようと企んでいた…。
30.
「は、はは…。触れる、ああ…君には触れる」
泣く様な呟きに舞子は理解した。してしまった。
この男は間違ったまま妹を愛したのだと。彼もまた重荷を押し付けて勝手に居なくなった母を憎悪し、故にたった一人で途方に暮れていたのだ。
「綺麗だ。マイコ、君は何処までも、綺麗だ」
安心した様に獣相の無い、この身体を確かめるかの如く指を滑らせる美しい青年は、唯一心に『同胞』を求めていた。
それは大きく分類すれば、今際の際に人が母親に救いを求める様なものであったのだろう。
そう、彼は救いと安らぎを求めていた。
拙いな、と舞子は思った。
幼子の咽び泣く様な姿に、このまま抱かれてやってもいいくらいには同情してしまった。
おそらく、こうして彼の一部を支配するのは難しくない。この弱い部分を支えてやりさえすれば、この男はある意味自分から離れられなくなるだろう。
乙女の潔癖さはこの自分には無い。
だから、こうして身体を弄られている最中にも冷静になれるのだが…。
いや。これはやはり、惚れていないからだろうな、と思い直す。
彼にとっての一番は妹で、あたしにとってのそれは、やはりレイクだけなのだ。
それに素直に抱かれるには『切り札』の一枚が不穏過ぎた。
「ヴィンス君、あたしは『出来た子供』をキャサリンの為に使うのは嫌だぞ?」
ぴたり、と動きが止まった。
「……知って、いるのか…?」
するり、と力を失った彼の下から抜け出し、舞子は乱れた着衣を直す。
「いや、自分の持つカードと其方が今、広げたカードを繋げただけ。つまりは、それがあんたの言う『協力』の中身なんだろ?」
広いこの部屋の隣に誂えられた広い研究室。
いや、“実験室”といった所か。
「皮膚だけなら人工皮膚がある。君の物や綺麗な犬種の白い肌を培養すれば、上等な物が出来上がる。だから、表皮加工が目標では無いよな?」
あたしは黄色人種だ。幾ら同じ人種といえど、二人を掛け合わせれば子供には何らかのアジア系の特徴が出るだろう。
そしてそんな“パーツ”の“スペア”は今のキャサリンの役には立たない。
そう、あたしは大事に生かされるだろう。
末長く彼の共犯者として。
「─────脳の“着替え”をさせるつもりなのか?大事な妹に」
それがあたしの出した結論だった。
この世界の科学が何処まで発達し、進化しているのか、そんな事が可能なのか、正解は分からない。
だが、これしかパズルの全体絵として当て嵌まる答えを導き出せなかった。
「聡いのも考えものだね」
今や悪魔の様な狂気の笑みを隠しもせずに、青年は指を鳴らした。
パチ!
「ふ、───────ぐぅッ‼︎」
いつでも身を翻そうと構えていた身体は突如生じた空気の圧に負け、床に膝をついた。
重力を伴う不可視の檻は天井から床まで、とても立っていられない程の圧力をこちらに掛けてくる。
「君も自分の子供になったキャシーなら、可愛がってくれる筈だ。
彼女だってあんないつ獣相を発症するか分からない身体より、僕と君との間に出来た完璧な人種として生まれ変わった方が良いに決まっている。ねぇ、そうだろう?」
跪いたあたしを見下ろす青年は、無邪気にそう尋ねてくる。
「…馬鹿・な‥。キャ‥リ‥はッ気が、狂‥う、ぞッ‼︎」
ある日目を覚ましたら、自分が全く別の人間になっていました。
それは兄と、自分と違い完璧な人の同胞が作ってくれた別の身体。
あの甘ちゃん娘がそんな事に耐えられる訳が無い。何も知らない彼女は自らの容姿と出自に大層な自尊心を持っている。そんな子供が信頼する兄に知らぬ間に肉体を着替えさせられた上、真実を告げられたとすれば。
彼に今までの自分を全否定されたと取るだろう。彼女の世界は全て音を立てて崩壊する。
「そうだ。これで全て上手くいく」
うっとりと目を細めて微笑む、ヴィンスのその瞳に狂気が混じる。
ここまで、壊れていたのか。
生汗を流しながら、舞子は眉を顰めた。
恐らく研究は完成などしていない。
ユグドラシルの長は思わぬ『健康な』同胞を手に入れて、見切り発車に乗り出したのだ。
冗談ではない。そんな無謀な『賭け』に巻き込まれるのは御免蒙る。彼の身勝手の為に我が子を何人犠牲にしろというのだ。
そんな愚行に一度たりとも付き合うつもりはない。
「あん‥たはッ‼︎あたし、を‥見て‥い‥ない。そん、な、男にッ‼︎」
ぐっ、と腹に力を入れた。その瞬間、見えない重圧が消える。
「誰が己を委ねるかッ‼︎」
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8/20修正。




