19.選択の行方
うーん、この世界を舞子が生きやすいと見るか、生きにくいと見るか、一緒に悩んでみるつもりですので、少し森での旧作をご存知の方にはストーリーが変わる事もあるかと思います。宜しくお付き合い下さいませ。
19.
その日、営業時間中の士官専用食堂に、創業以来初めての静寂が訪れた。
と、いうか緊張。
「お腹空いたー」
「貴女様専用の料理人がおります‼︎お部屋でゆっくりとお取り下さい!」
それが衆目を集める二人の会話だった。
「フ・フィメール…?」「嘘っ。こんなに簡単にお姿をお見せになられるなんて…」
その場にはメール・フィメール付きの近衛や秘書も居た。勿論、好んでカインしか付けない変わり種と違って、交代制である彼らも数える程ではあるが、そこに居た。
だが、親衛隊を除けば、各庁職員はそれでも一般職員程では無いが、滅多に拝顔もままならない。
ましてや期待の星である新しいフィメールは僕を一人しか従えず、それも畑違いの元メール付きの武官から彼女自身から望まれたとあって、カインへの妬みは相当なものとなった。
大皿二枚を乗せたトレイを彼に持たせ、舞子はバイキング形式の料理を次々に盛ってゆく。
キラキラと好奇心に溢れた麗しき貴人は、窓際の空いた席を嬉々として陣取った。
向かいに座らされた僕がまだ何か進言していたが、その口に舞子は「煩いよ」とパスタを巻いたフォークを突っ込んだ。
引き抜いた同じそれで自分も食べ始め、徐に顔を上げると、カインは真っ赤になって口元を覆っている。
その視線の先は共有したフォークだ。元の世界では仲の良い友人同士、料理をシェアするのも当たり前だった舞子は不思議そうに目をぱちくりさせる。
あまりの光景に、もう我慢がならないとばかりに数人が駆け寄り、彼女の側に跪いた。
素早く気配を察したカインが席を立ち、舞子の横に控えた。
「フィメールにおかれましてはご機嫌麗しく。どうかお寛ぎの処を騒がせます下僕の無礼をお赦し下さいますよう」
黒髪・赤瞳の鋭いイメージがする彼は中々の美貌を誇っている。他に男装の麗人といった女士官やら、柔らかい物腰の中に気品を備えた者…と、数人が彼に続いていた。
「うん、どうしたの?」
紅茶を一口飲んで、舞子は無垢を装って尋ねた。
「有り難い、直答をお許し戴けますか。ならば、お時間を無意味に裂かすは忍びない。
些か不躾ではありますが、どうしてもお尋ねしたい儀がございます。宜しいでしょうか?」
思い詰めた表情の面々に、ふんふんと頷きながら脇を見れば、カインがさりげなく緊張を漲らせている。何か起こる筈も無いのに、有事の際には逸早く楯になれる様に目を光らせて。
「貴女様が近衛を置かれます際にルーファス他、過去に於いて彼の貴き方にお仕えした数名を拒まれました事、僭越ながらお気持ちを察し上げる次第でございます。
ですが、何故その後もそこな武官のみに寵愛を注がれ、我らの一人もお傍に召し上げては下さいませぬ?」
ひた、とこちらに据えられた赤い瞳に、切なさと僅かな苛立ちを感じて、そっかー自信があるんだね〜と舞子は納得してうんうんと頷く。
実は彼が自分付きになって二週間になるが、見えない処に傷を負っているのを彼女は既に知っていた。
恐らくそういう事もあるだろう、と思っていたのは彼女だからこそ。注意深く目を配り、湯を使う時に僅かに顔を歪めた僕の様子だけで気付けたが、唯の天然お嬢であれば恐らくこの或る意味鉄面皮に騙されていたに違いない。
青年はこれも承知の上だった筈だから。
だが、こうして見れば一方的なリンチでは無かったらしい。
時折、身体を動かす度に彼らの顔が歪む。
舞子が絡め取った近衛は幸いにも、殊の外優秀であった様だ。
「別に君達が嫌いなんじゃないんだよ。どうにも落ち着かないんだよね、周りに人が多いと。ほら、あたしはさ『はぐれ』じゃない?だから、何でも今まで一人でやってきたんだし…今更ねぇ?」
たった一人の僕に寄り掛かる様にして凭れて甘えると、カインは一触即発の空気を削がれ、青年達はその舞子の悪戯っぽくも笑わぬ目を見て、ごり押しを得策ではないと悟った。
それを正確に見て取った舞子は更にダメ押しをする。
リーダーに当たる赤い彼と後ろの彼女の手を取って、微笑みながら立たせたのだ。
彼等を左右に従えて、その腕を抱え込むと、
「君達は普段、何処に居るの?」
柔らかな手に包まれた二人は、赤くなりながらも『行政室でございます』と答える。
「じゃあ、あたしが遊びに行くよ!仲良くしてくれるんだよね?ねえ、君等の仕事の邪魔にならない時間を教えて」
向けられた満面の笑みと、その気高き者の謙虚な物言いに、まさに都市の政治の中枢に携わる若きホープである故に天より高いプライドを誇る彼等があっさりと落ちた。
様子を固唾を飲んで眺めていた士官の面々は、理性を飛ばし我も続けとばかりに彼女の足下に押し寄せ、口々に愛を強請り自己アピールを始める。
それを止め、整理するのは今や『仲良し』となった『エリートの彼等』だ。
「ああ、ダメダメ。そんなに覚えきれないわ。あたしは君等の優劣なんか分からない。それに面倒な事はぜーんぶ彼を一度通しているのよ。言わば代理人だね?だから誰に会うのも彼に任せるからさ。皆、後でカインに言っておいて」
背後で唯一の近衛が目を見張るのが分かる。
彼の存在の『重要性』をその場に居る士官全員の頭に叩き込むと、舞子は手を振って部屋に戻った。
疲れた様子で新米フィメールはその身体をソファーに沈めた。俯せにでれーん、と伸びて。
「カイーン?」
近衛を呼びつけると既に心得ていたらしく、直ぐに薄い手袋を嵌めながら傍に侍り、主人の小さな背中にマッサージを始めた。
「マイコ様、先日お尋ねになった件ですが…報告が上がって参りました」
ぴくり、と掌の下にある身体が反応して、呼吸すら止まった。
「────────無事なの?」
いえ、と答えると、力の入っていた背中が更に強張った。
「貴女様を保護致しました折、彼はかなり抵抗した様で。レイクラスと違い、上からの指示が何一つ無かった彼は撃たれた場所が運悪く。既に儚き者と成り果てました」
何も隠すな、飾るなとありのままを報告させた。だから、カインに心配を掛けてはならないのだ。
しかし、熱い塊が込み上げてくるのを耐える事がどうしても出来ない。
やがて、伏せた彼女から、えっえっ、と低い嗚咽が漏れ始め、熱い雫がソファーの柔らかな革を濡らしていった。
泣く資格なんて無いのに、この世界で犬種の忠誠を甘く見過ぎていたのだ。だって出会って別れて一日も無い。なのにあんなに綺麗な人が、この身に命を掛けてそして呆気なく死んでしまうなんて、思ってもみなかった。
なのに、自分はこの僕までも自分の為に使い捨てるのだ。さっき行った『小さな偽善』など、己の罪悪感を僅かにでも軽減させたい為の一因にしかならない。ごめんなさい、ごめんなさいリュシオン。
あたしは貴方に気持ちを揺らされるべきでは無かった。『誰かが喜んであたしの為に死ぬ』そんな覚悟、この先も絶対に持てはしないのだから。
「その様にお嘆きなさいますな。彼とて、貴女様の落涙を賜る程に御心に残れば、きっと本望にございましょう」
カインは戸惑いながらも主を優しく抱き起こし、その腕で包み込んだ。
くたりと力無い柔らかな身体はいつにも増して彼の為すがままで。
透明の涙を滔々と頬に伝す彼女を心から慰めたい傍ら、愛しさと嫉妬に激しく牡の本能を刺激され、自然に高鳴る鼓動を苦労して自制する。
「ぐうぅ、あた、あたしの、所為だ…。フィメールだなんて気付かせなければ!何も……そうすればこんな!」
リュシオン・アスマクス。セントラル・タワー出仕時代は確かフィメール担当の近衛だったと記憶している。
メールの親衛隊である自分は親しく言葉を交わす機会も無かったが、血統も申し分なく、近衛の中でも華やかな美貌を誇り、良く武にも通じていたという。
そんな彼が『ヴィンス』の不興を買い、穏やかな勧告でタワーを追われたと聞いた時は驚いたものだった。
キャサリンと違い、ヴィンスはそうそう癇癪を起こすタイプでは無い。
苛烈な時もあるが、どちらかというと激しく感情を顕にするのを嫌う彼は、常に穏やかだ。
それが畑違いの近衛に?
他ならぬ自らの主人であるメールの決定故、当時は疑問に思う事も無かった自分だが…。
「彼が───あの場に居合わせ、絶対服従していたタワーに刃向かった。しかも、貴女様をフィメールと気付いて?……マイコ様、もしや彼も…?」
声を上げぬ代わりに激しくしがみ付いてきた娘の仕草で、カインは全てを理解してしまった。
そう、彼は自分の前に同じ様に誓いを立てた。
だから、死んだのだ。
ああ、何と残酷で甘美な人生だろう。リュシオンは彼女の為に全てを捨て、レイクラスは彼女を生涯守り通す為に、敢えて憤怒を堪え見送った。
まさに罪作りな女。
存在するだけで、男をすっかり作り変えてしまうなんて。
だが、レイクラスの夢は容易く他者の夢にすり替わる。この娘があの男だけをと望まなければ、一体どれだけの血が大地に流される事か。いや、だからこそ。
いつか自分こそが、と望んでしまうのか。
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8/20修正。




