16.セントラル・タワー
この先、舞子が取る手段を嫌悪される方がいらっしゃるおそれアリ。結構、悪どいと思います。取れる手段は全て使うヒトなので。
16.
彼女は一瞬、無表情になり、カインを見つめた。そして、おもむろに腕を差し出し、
「よし。じゃカイン君、部屋まで抱っこだ!」
あり得ない貴人の願いに犬種の美青年が数秒凍った。次いで、首から上が真っ赤に染まる。
「何だあ、ヤなのかぁ?伏して願うくらいなら、これくらい軽いだろー?」
不機嫌そうに足を鳴らす彼女に急いで否定して、その頭をそっと差し出すと、彼女の柔らかな腕が首にするりと絡んで巻き付いた。
両脚を服が万が一にも乱れぬ様にゆっくりと攫って抱き上げると、あろう事か艶やかな太腿の感触が直に伝わってきて、日々鍛錬を欠かさぬ腕も脚も畏れ故、僅かに震える。
進行方向に居た同僚が略礼をして通路脇に控えるが、こちらの光景に驚いて、顔を伏せる事も忘れ口を間抜けに開けている。
さもありなん。他人事なら己も同じく前に倣い、だとカインは思った。
とはいえ、不躾にじろじろと見続ける事も適わず、慌てて面を伏せるが、皆驚愕に表情を歪めている。いや、それは過ぎた寵を受ける男への嫉妬か。
「何を、している!カイン‼︎」
荒げられた声に視線を送ると、三人の美々しい犬種の男女が部屋の前に待っていた。
そして口々に、「何故、フィメールの玉体に!」とか、「ああ、フィメール‼︎」とか叫んでいた。
目だけで射殺せそうな視線をカインに向け、彼らは駆け寄って来た。
「だあれ?このヒト達…」
怯えた体を装って、舞子はわざとカインに身を寄せる。その様を見せ付けられたそれぞれに美形な三人は途端に神妙になり、腕の中の青年の体温が2度は上がった。
「御前での無作法をお許し下さいフィメール。我らは貴女様付きの近衛でございます。私はルーファス、こちらに控えますはジェラルド、クローディア。何れも以前、キャサリン様付きの栄誉を賜った者でありますれば、フィメールのお世話は熟知しており、傍仕えとしてそちらのカインの様なメール付きの無骨な武官などとは一線を画すと自負しております」
キャサリン、と聞いて舞子の眉が顰まった。
「さ、どうかフィメール、こちらへ。僭越ながら、私めが玉体をお運び致しましょう」
だが、腕を差し出したルーファスに舞子は全く興味を示さない。
「あたしの為に態々出向いてくれてありがとう。でも、貴方達の手を煩わせるのは忍びないわ。カイン一人で大丈夫だから、皆、本来の部署に戻って頂戴。この『我が儘』の顛末はヴィンス君にあたしから直に伝えておくわ」
『良くあるヒュータイプの気まぐれ』として処理してやるから退け、と言外に言われ、三人は驚き、口々に反論しかけた。
「『温室の花』と同列に見るのはやめて。あたしがいい、と言っているの」
ぐ、と詰まって去る彼等を他所に、腕から降りて部屋に足を踏み入れる。
ソファーにその身を沈めると、茶髪の青年が茶器のワゴンを回してきた。
「よろしかったのですか?」
「何が、よ?」
「彼等を帰してしまって。確かに私一人では満足なお世話も侭ならぬかと」
香り高い茶を受け取りながら、舞子はうんざりした顔をした。
「この歳で何を世話して貰うっつーのよ。それに、いつもあんなにわさわさ人が周りに居たら、逆に寛げないでしょうが…」
硬質なガラス張りのテラスに出て、足元の広大な都市を見る。
太陽はもう中天に差し掛かり、燦々と陽射しを注いでいる。思いは昨日に馳せていて、あの二人は無事だろうかとただ、憂う。
こうして一人安全な場所に据えられ、無策に案じる事しか出来ないなんて…。
「レイク……」
ガラスに凭れてそう呟くと、傍で青年が気遣わしげな瞳で少女を見つめ、跪いた。
「お身体が冷えます、フィメール」
「あたしはそんな名前じゃないわ‼︎」
ばん、と硬いガラスを華奢な拳で叩いた。
カインが素早くその手を抱き取ると、黒髪の人種は身を捩って、更に冷たい壁に拳を振るおうと力を籠めた。それは既に身を入れ替えた青年の広い胸板に置き換えられていて。
「舞子、舞子よ!深水舞子‼︎─────そんな記号で呼ばないで‼︎」
困惑した美しい犬種の僕は、遂に爆発した彼女の癇癪を一身に受けている。
「帰りたい。帰りたいのよ‼︎もう、叶わないのに、あたしはこの世界に唯一人しか居ないのに!どうしてあのままにしてくれなかったの。戻れないなら、帰れないなら、あの人に溺れていたかったのに!二人で幸せだったの、なのにどうして?こんな所嫌よ、ねぇお願い…」
潤んだ瞳にキラキラと輝く黒曜石の瞳を琥珀が優しく包んでいる。
興奮して、懇願する、こんなに取り乱したフィメールなどカインは見た事が無かった。
それでも孤独と愛を訴える彼女は青年の胸を打った。綺麗だった。身震いがする程に。
「レイクラスの何がその様に…」
「好きなの」
絶句する。彼はヴィンスと共に、彼の捕縛と彼女の保護の為の部隊に編入されていて。あの場所で舞子の、レイクへの執着を耳にした一人だった。
「あの人の傍に居たいのよ。それの何処がいけないの?誰にも迷惑掛けてないわ。あたしの事なんて忘れてくれればいいじゃない!」
その慟哭と嘆きを耳にしたその瞬間、彼女への畏敬がカインの脳裏から飛んだ。
腕にぎゅっと抱き込む事で拙い抵抗を封じてしまう。その熱がこの先、彼の一生を左右しようとは夢にも思わず。
「────無理です。貴女様を存じ上げない時なら未だしも、今こうしてこの黒髪に触れ、奇跡の存在を目の当たりにしてしまった後では。どうして、ここではいけないのです。私達に御身を委ねて下されば、彼の者の傍などより幾段も上の贅沢も出来ましょう。どんな願いも叶い、幾万の民が貴女様を慕いましょう」
懸命に言葉を重ねながらも青年には分かっていた。
彼女の瞳に書いてある。お前に私の何が分かるのだと。『はぐれ』た家族も集落も滅んでしまったのだろうか。だから、レイクラスに保護されるまで一人だったのだろうか?世界に唯一人の彼女の嘆きを受け止めたのが、あの男だけだったのなら、身体はここにあっても彼女の心はここには無い。
唯一人の男がそれを奪ってしまった。あの、トール・レイクラスが。
「あれは気が狂ってしまっている。貴き存在を唯の女に貶め、自分一人のものにしてしまおうとは…‼︎正気の沙汰とは思えないっ」
力一杯胸を突き、身体を離すとガラスに両手をついて、舞子は彼を真っ直ぐ見つめた。
「あたしがそうさせたのよ」
強いその瞳に愕然として、青年は力無く膝を折る。耳を疑った。
「可愛い服を着せてくれたわ。作ってくれたご飯も美味しかった。それ以上の贅沢って何?綺麗で強いあの人はあたしが好きなんですって…他に何の幸せがあるの?」
空に融ける様に舞子は焦がれる視線を外に向ける。
「フィメールならキャサリンでもいいんでしょう?貴方達は。あたしには『それが』王とか王妃だとかっていう特別な人の称号にしか聞こえない。でもそんな風にあたし、育てられてないから義務なんて無い。権利なら、いらない」
この薔薇は野趣溢れる野薔薇だ。
カインはそう思った。
温室で彼等が懸命に育て、手入れした儚い花では無い。
外で力強く咲く、命に満ちた美しい大輪の野薔薇。誰の手も借りず、僅かな水と、外の陽光で花開く。
「ねぇ、同じに見えるんでしょう?あたしと彼女が。ただ、ちょっと色違いで珍しいのね?きっと、二人並んだら神様が増えた様に思えて嬉しかったのよね、皆。
それが悪いとは言わないわ。でも、だからと言って、あたしにそれを押し付けないで」
「あの男の何処が私と違うのです。あの男とて貴女を主人に望んだ筈だ‼︎」
『私達』から『私』にカインの意識が変わった。それに気付かず言葉を尚も募る。
「…うん。でも、他の誰かじゃ駄目なんですって。あたしだけ、このあたしで無ければいらない、って言った」
「それは決して愛などではございません‼︎」
「それも、リュシオンに言われたよ。知ってる」
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5/20、誤字修正。8/19修正。




