2話「村での暮らし」
ダルカスに連れられたどり着いたのは、小さな木の小屋。小屋には、屋根と壁がかろうじてあるが、小屋の中から外が見えるくらい隙間が空いている。唯一、小屋の中にある家具は、ベッドと言えるかどうか迷うような木で作られた寝台が無造作においてあるだけで布団のような布すらそこにはない。
「ここで」「寝ろ」
「ダルカスの家だろう。俺が外で寝るよ」
「おまえ」「子供」「無理だ」
確かに今のクロウは、7歳児の身体だ。雨風にさらされればすぐに病にかかるだろう。ましてクロウは、良家の子どもであり、これまでにこのような場所で寝起きした事も暮らしたこともない。
「すまない」
「子供が」「謝るな」
「わかった。ありがとう」
「礼も」「いらない」
こうしてはじまった2人の生活は、クロウにとってすべてが新鮮なものだった。晴耕雨読と言えば言えない事もない暮らし。ダルカスは、目が覚めるとすぐにクワを持ち畑へ向かうので一緒について行き野良仕事の手伝いをする。そして、ダルカスと一緒に森に狩りへ出かける。森を歩き食べられる物を探しながら、時には大きなネズミや猪などの獣を狩って家にもどる。天気が悪く外に出られない日は、自宅にこもりじっとして過ごす。その日食べる物がなければ何も食べずに我慢するしかないからだ。だから皆必死に食糧を求めて山や森へ向かった。
クロウは、ダルカスの手伝いをする以外の時間を魔道の探求にあてるか身体を鍛えることにあてるしかなかった。特に天候が悪い時には、朝から晩まで狭い部屋の中にこもらなくてはならないため一日が長かった。だが、かつて剣と魔法を突き詰めたクロウにとって、このいやでも集中できる環境と時間は決してつまらないものではなかった。雨の日には極めた魔道を再点検し、天気が良い時には突き詰めた剣技をさらに昇華していく。魔法を忘れたわけでも剣の扱い方を忘れてわけでもないので、身体の成長と共におさらいをしていくようなものだ。
ダルカスが、元獣人族の戦士だと聞いた時からダルカスに頼んで剣の相手をしてもらった。拾った枝や木を削って作った木剣でも膂力のある獅子の獣人であるダルカスが使うとすぐに凶器にかわった。片手で振り回すダルカスの凶器を避けながら身体の最適化に努める。
そしてクロウの村での暮らしも8年の歳月が流れる。
「クロウ頼む」
「わかった。任せろ」
仲間の獣人が追い込んだ巨大な猪を正面にクロウは木剣をかまえる。
「ブギ! ブギギ!」
3mはあろうかと言う巨大猪がものすごい早さで猛進してくるが、クロウはそれを避けようともしない。
「アクセル!」
クロウは、身体強化魔法を使うと一瞬で猪の視界から消え、再び現れたと思った時には、木剣を猪の側頭部に突き刺していた。
側頭部から貫通した木剣が反対側から飛び出すと猪は痙攣を起こしたあと、どすんと横に倒れる。
「やったなクロウ。こんな大物はしばらくぶりだぞ」
「ああ。これで今日は村の皆で猪鍋だな」
「今日は」「肉だな」
村での暮らしにもすっかり慣れたクロウは、今では村一番の稼ぎ頭だ。四肢の欠損者が多い村では、狩りをできる者はそれほど多くない。最近では、クロウの仕事はほとんどが狩りとなっていた。
「しかし、ここまででかい猪だと村まで運ぶのもゆるくないぞ」
「大丈夫だ。これくらいなら俺たちで運べると思うぞ」
クロウはそう言うと倒れた猪の前にたち
「パワー!」
クロウの身体を光が覆う。身体強化魔法パワーは、その名の通り力を強化させることができる。ただ、それほど長続きさせられるような魔法ではないのだが、クロウは平然と持続させている。
「よいしょっと」
倒れた猪の前足をつかみ両肩に載せると2、300kgはありそうな猪がまるで立ち上がったかのように起き上がる。しかし、後ろ脚は、まだ地面につき引きずられたままだ。成長と共に背も伸びたが、さすがに巨大な猪よりは大きくない。
「うーん。さすがに後ろ脚は無理か。ダルカスとロドスで後ろ脚をもってくれないか」
「承知」
「ああ。それなら何とかいけそうだな」
クロウ達3人は、巨大な猪を背負うと村へと歩きはじめる。ようやく村の入り口まで来ると何人かの男達が驚いているのが見えた。
「おいおい。とんでもないものを狩ってきたな」
「またクロウか?」
村の者もあまりにも大きい猪を見て驚いている。村の中まで猪を運び地面に降ろすとクロウは、婆様の家まで走る。村の決まりで狩りの恵みに感謝するためだ。クロウは婆の家まで来ると
「婆様いるか?」
小屋の中に顔を入れて婆様の姿を探す
「なんだい大声で」
「猪を狩ったからいつもどおり頼むよ」
「またかい? 最近、少し狩りすぎじゃないのかい?」
「仕方ないじゃないか。最近の日照りで作物の実りが悪いからな」
「まったくお前ときたら」
「でも今日の獲物は婆様の好きな猪だぞ」
「それを早く言いな! ほれさっさと行くよ」
なんだかんだで、クロウは婆様を気に入っている。この村で生活するようになったばかりの頃、慣れない環境に何度も風邪を引いたりしては生死をさまよったが、その都度手当や看病をしてくれたのはほかならぬ婆様だった。ダルカスが育ての父であるならば、婆様は育ての母と言える存在だ。
婆様をつれて村の中央まで来るとすでに村中の人が集まっていた。
「お、婆様のお出ましだ」
「今日は、猪か涎が止まらないぞ」
ざわざわとする中、婆様がその輪に加わると喧騒がやむ。婆様が、うやうやしく猪に向かって頭をさげると皆いっせい頭をさげる。
「大地の恵み、自然の恵みに感謝したします。この糧を無駄とせず血肉に変えて生きる我らをどうかお許しください」
婆様の言葉が終わると再びがやがやと話しはじめる。
「よし、クロウが狩った猪だ。あとはクロウが決めてくれ」
ロドスがそう言うと皆の期待の視線がクロウに集まる。
「いつもどおりだ。皆で食べてくれ。ただし喧嘩だけはするなよ」
クロウの言葉に皆から歓声があがる。この村の決まりで、獲物は狩ったものに権利がある。分けるも分けないもその者の自由なのだ。
クロウは、巨大な猪を解体する皆の顔を見て満足する。
「ほら婆様も良い所をもらわないとなくなるぞ。最近、硬い肉はだめなのだろう?」
「本当にお前はうるさいね。まだ固い肉だって食べられるさ」
「婆様。クロウの言うとおりだ。ほら一番やわらかい部位を切り分けたからこれをもっていけよ」
ロドスが、猪の肉を婆様に渡す。
「まったくおせっかいだね」
「うれしそうに受け取っておいて言うことじゃないだろ」
「あんたたちは、だまってなさい」
貧しく、そして厳しい暮らしの中にあるほんのわずかの幸せ。苦しいからこそ感じられる喜びがそこにあった。
「なにあんたも笑ってるんだい?」
婆様に指摘されクロウはふと思う。クロフォードと呼ばれていたころにこんなに笑った事があっただろうか?
「そりゃうれしいからに決まっているだろ」
クロウは、心からそう言える自分もまんざらではないと思っている。
「クロウ! また、そのうち頼むよ」
「ああ。婆様に怒られない程度にな」
「まったく。私が悪者かい? それより、クロウはこの後ちょっとうちに寄りな」
「なんだよ」
「いいから黙ってついてきな」
クロウは、婆様の肉を持ち婆様の後を歩く。婆様の家につくと婆様の指示どおり向かい側に座った。
「どうしたんだ?」
クロウが尋ねると婆様が襟を正すように姿勢を正した。自然とクロウも自分の態度を改める。
「少し大事な話しをする」
「お、おう」
「この村にお前が来てもう8年だ。もうあの頃のような子供じゃない」
「婆様の・・・皆のおかげだな」
「別に礼はよい。それよりもお前はこれからどうするつもりだい?」
「これから?」
「そう。あんな猪を狩れる者ともなれば成人と言えるだろう。もう一人立ちできる歳だ」
「なんだ。婆様は俺に村を出て行けと言うのか?」
「そうじゃないよ。ここに来た時に言ったはずだよ。お前には呪いがかかっている。そしてその呪いは避けられるものじゃないと」
「そうだったな。村での暮らしの中ですっかり忘れそうだった」
「私達だってね。今じゃあんたが希望みたいになっちまった」
「希望か……」
「ああ。家族も故郷も夢も失った者が集まってできたこの村で、明日の話しをするなんて事はお前が来るまではなかったからね。だから聞いておきたいのさ。お前はこれからどうするつもりだと」
「今こうして生きているのは、最初に会ったシャーマンの呪いのせいなのだろう? あのシャーマンが俺に何をさせようとしいてるのかまではわからないが、婆様たちとこうして過ごしている今、俺の中に昔はなかった感情がある」
「昔はなかった感情?」
「ああ。一緒に生きるって気持ちだ。俺達は1人で生きているわけじゃない。仲間と共に自然と共に生き、共に生かされているって言う気持ちだ。これが婆の言う理なのだろう?」
クロウの話しを聞いて自然と婆様の残された目から涙があふれる
「そう……そうじゃ。わかっていてもなかなか言葉にできん事じゃ」
「なぜ婆様が泣く?」
「うれしい時には、涙のひとつもでるじゃろう。その考えは、我らシャーマンのものじゃお前の中には我らの理がある。これほどうれしい事が他にあるか……」
「さっきの質問だが、俺は婆様たちがよければここから出ていくつもりはないぞ」
「お前の気持ちはうれしいが……いや、それが定めか」
「何だよ定めって」
「こっちのことじゃ。そうか我らにもまだ意義があったのか……」
「だからなんだよ?」
「もうよい。今後もお前の好きにすると良い」
もう行けとばかりに婆様から言われ首をかしげながらクロウは小屋を後にする。婆様の言う定めが何を言うのかはわからないが、好きにしてよいと言うのだから遠慮なくそうしようと考えた。