プロローグ1
夏の終わり。まだ、秋と言うには早いくらいの日差しが降り注ぐ庭を見ながら落ち着きなく男は部屋の中を行ったり来たりしている。
男がそわそわしていると侍女が静かにドアを開けた。
「生まれたのか?」
慌てた様子でそう侍女に聞いたのは、王国の宮廷魔道士長であるマイネル・ベイクウッド。およそ100年余り続くこのフリーデン王国で魔道兵団長と言う高職に上り詰めた男だ。
「セレナ入るぞ」
入室の許可をもらったマイネルが勢いよく部屋のドアを開け、中に入るとベッドの上で横になっている妻セレナと隣に寝る小さな子供の姿が目に入った。
「旦那様おめでとうございます。お世継ぎ様でございますよ」
侍女長であり、セレナの世話を一手に引き受けてくれていたポーラがマイネルにうやうやしく頭をさげた。
「ああ。ポーラ達もありがとう。そしてこれからも2人を頼む」
マイネルは、ポーラ達にねぎらいの言葉をかけるとすぐにベッドサイドへ向かった。そこには愛しい妻と愛くるしい我が子の姿がある。
「あなた……」
「セレナ。よく頑張ったな」
マイネルは、妻であるセレナの頭をそっとなでながら横に寝る子供の顔を覗き込む。
「どうだろう…君に似ているかな?将来が楽しみだね」
「私はあなたに似ていると思いますけど」
美男美女の2人が言うと嫌味なのだが、この場所に不満を言う者はいない。
「名前を決めなければいけないね」
「ええ。ですけどもう決めていたではありませんか?」
「もちろんだ。だけどね、いざこうして対面してみるとね」
「クロフォード…。私は良い名前だと思いますよ」
クロフォードは、王国貴族マイネル・ベイクウッドの長子として生を受ける。父は、フリーデン王国魔道兵団長、母も結婚前は魔道長と言うその血筋は魔道士としては最高のものだ。
「きっとこの子は、偉大な魔道士になるだろう」
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クロフォードは、その血筋の影響もあってか幼少時から周囲を驚かせ続ける。普通なら学校に入学できるようになる7歳頃になってようやく覚える魔法を3歳の時に使って見せた。しかも魔法は誰かが教えたわけではなく、たまたま一度侍女が使った魔法を見て理解し使えるようになった。クロフォードは、父親から魔法を習い始めるとまるで乾いたスポンジが水を吸うように次々と魔法を習得していった。
クロフォードは7歳で王立ルシエル学園に入学する。入学してすぐに行われた魔法の実技試験で、卒業試験で使われることもあるような高度な魔法を使い学校関係者を驚かせた。
入学後も常に魔法科でトップの成績を収めるクロフォードへの期待は高く両親の鼻も高かった。
「クロフォードにかかると父さんも形無しだな」
「だ、旦那さま。魔道兵団長である旦那様がそのような事を言っては」
「事実だから仕方ないなだろう。僕が研鑽してきた魔道もこの子にかかれば大したものではないようだ」
「あなたが、研鑽した魔道は大変なものですよ。学園時代からあなたに及ぶ者など私は見た事がないですからね」
執事のセドリーと妻のセレナにどれだけ言われても、目の前で自ら作ったオリジナル魔法すら一度見ただけで使ってしまうクロフォードを見ているとマイネルはやはりそう考えてしまう。
だが、それでも当のクロフォードはどこか物足りなさそうな顔をしている。
「クロフォード何かあったの?」
母であるセレナがそんな様子にいち早く気づいてクロフォードにそう尋ねると
「魔法の発動までの時間が……」
「魔法の発動までの時間?」
「魔法には詠唱が必要です。ですが、詠唱を終えるまでにどうしても時間がかかります」
「それは、仕方がない事だと思うわ」
「ですが、それでは魔法が発動するまでに何もできません」
ルシエル学園に入学して3年。10歳の子供が考える事ではない。母親のセレナもどう答えてよいのか返答に迷い視線で父親であるマイネルに返答をゆだねる。
「クロフォード…君の詠唱は、すでに高速化もできているだろう。すでにそこらへんの魔道士よりもはやいと思うけど?」
「魔法詠唱の高速化を進め最終的には無詠唱をめざして工夫していきますが、それでも目の前の敵が剣を抜いて向かってくれば対応できない場面もあります」
「クロフォード…そのために騎士や兵士がいるんだよ。父さんたち魔道士が、魔法を使うときには騎士がそれを守るんだ」
「騎士や兵士がいなければ魔道士は何もできません」
実際にマイネルが指揮する魔導兵団の編成も魔道士を中心にしているが、護衛役の兵士も編成されている。
「そうだね。確かに魔道士だけでは困る場面もあるかもしれないね。じゃあクロフォードはどうしようと思うんだい?」
「魔法も使えて剣でも相手に負けないくらい強くなれば、どのような場面にも対応できると思います。僕は、騎士になりたいと思っています」
「魔道士が騎士になると言うのかい?」
「見ていてください」
クロフォードはそう言うと杖を剣のように持ち構え
「アクセル!」
身体強化魔法アクセルを使用する。アクセルやパワーと言った身体強化魔法は、魔道士にとっては割とポピュラーな魔法だが、使いどころが難しい魔法と言われている。剣や槍を使う事のない魔道士が自身の身体を強化して戦う事はない。また、味方の騎士や兵士に使用しても騎士や兵士がその力を調整できるわけではないためうまく加減できないのだ。
一部の騎士が、さらなる強さを求めて身体強化魔法を使い身体能力を高める事ができるように訓練しているがそれは騎士の中でもほんの一握りの存在と言える。
そして今、クロフォードは、自身の素早さを飛躍的に向上させる魔法アクセルを使うと自在に動いて見せた。
「どうです?」
一通り動き終えたクロフォードは息を整えながら父親に尋ねる。確かにクロフォードの魔法の効果はすばらしいものだが、普段から鍛えている騎士の事を考えるとマイネルもすぐに肯定するわけにはいかない。クロフォードの素質があれば歴代最高の魔道士になる事も夢ではないのだから。
「だがね……」
そう言いかけたマイネルに
「すでに騎士の鍛錬は初めています。今はまだ基礎の段階ですが、これから身体を鍛え数年後には魔法抜きで騎士になるつもりです」
マイネルが現実的でない事を説明しようとしたが、すぐにクロフォードに詰め寄られる。王国の騎士と言うのは、誰もがなれるものではない。幼いころから鍛え続けた者がさらにふるいにかけられ本当に素質のある者だけが騎士になることができる。魔道の道がそうであるように騎士の道も決して簡単なものではない。
「本気で言っているのかい?」
「はい。本気です」
クロフォードの目は真剣そのものだ
「その間、魔道はどうするんだい?」
「ルシエル学園で習う魔法は、すでに習得を終えています。今は、騎士になった時に運用できる魔法をいくつか考えていますので、先ほど見せたアクセルなどをより効果的に使えるようになりたいと考えています」
「魔道の道も剣の道も両立させるという事かい?」
いつになくマイネルの顔は真剣だ。クロフォードもそれを理解してか真剣な顔で応えている。
「はい。両立と言うよりも組み合わせたいと考えています」
「ルシエル学園ではどうするんだい?僕はきちんと学園での勉強もしてほしいのだけど」
「魔法科から騎士科へ移りたいと思います」
クロフォードがそう言うのもマイネルは理解している。クロフォードにとって学園の魔法科で習う事はすでに多くない。このまま魔法科にいれば主席卒業も夢ではないのだが…
「ルシエル学校で習う魔法はもう必要ないか?」
「はい」
はっきり言ったほうが良いと考えたクロフォードは迷わず父にそう答えた。
「わかった。クロフォードがそこまで考えて決めた事なら僕は君の意見を尊重しよう。魔法科から騎士科に移れるように僕からも学校へ頼んでおく。そのかわり、これからは僕が時間の許す限り君に魔道を教えよう。それが条件だ」
「はい。ありがとうございます」
なかば呆れ気味な両親にクロフォードは笑顔で頭を下げた。
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「ねえクロフォード」
「なんだいメアリ?」
王立ルシエル学園は、フリーデン王国が優秀な人材を育成するために初代国王が作った学校だ。学校には、騎士科、魔法科の他に軍略や外交などを教える軍務科などがある。貴族の子女をはじめ優秀な人材を入学させ専門教育を受けさせるための学園であり、そこから多くの騎士や魔道士が誕生している。
メアリは、クロフォードが在籍している(た)魔法科の同級生で、王国宰相の娘と言う王国内でも有数の貴族のご令嬢だ。魔法科の成績も優秀でいつもクロフォードの次点についていると言う才女で、クロフォードと共に将来を嘱望されている。
「あなた魔法科から騎士科に移るって本当?」
「本当だよ」
「あなた魔法科のトップでしょ? どうして騎士科になんて移る必要があるの?」
「騎士になりたいからだよ」
「あなたの父君って宮廷魔道士長でしょ? よく許可してもらえたわね。それに今から騎士になるのって簡単な事じゃないわよ」
メアリが言うのも当然だ。7歳から入学できるこの学園で10歳で魔法科から騎士科に移ると言う事例は過去にないものだ。ありえるとすれば騎士科で怪我をしたものや魔道の素質がなく他の科へ移動すると言ったケースくらいなものだろう。
「簡単じゃないとは思っているよ。でも僕は騎士になるつもりだ」
無理だと言いたいメアリもクロフォードがここまで自信を持って言われるとそれ以上何も言えなくなる。
「もういいわ。せいぜい頑張ってね」
騎士科に移籍したクロフォードを騎士科の生徒が喜んで迎える事はなかった。自分達が必死に研鑽してきたものを安易にとらえられることに怒りすら感じる者もいた。しかし、騎士科に移ったクロフォードは、周囲の想いなど気にする様子もなく淡々と身体を鍛えひたすら剣を振る日々を送る。3年と言うハンディキャップは決して小さいものではなく、慣れない習慣や環境に戸惑いを見せていたクロフォードだったが、3年も経つと周囲の騎士科たちに追いつき、最後には追い抜いていった。
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「クロフォード・ベイクウッドを騎士として認める」
騎士科を卒業する生徒にとって始めて受ける騎士試験に合格できれば卒業と同時に騎士となることができる。騎士試験は、1対1で行われる決闘方式で行われる実技試験だ。そこで優秀な成績を納めれば晴れて騎士を名乗る事ができる。
騎士試験の参加要件は、ルシエル学園の騎士科を卒業した(する)者、騎士団や有力貴族の推薦などとなっており毎年参加者が多い。中には、貴族の特権を使い様々な工夫の上、騎士になる者もいるが…。大半は、実力で騎士として認められる。
「全勝か……本当に騎士になっちまったな」
「リカルド達の指導のおかげだよ」
「それは嫌味か? 俺は最近おまえの剣をすべて見切る自信はないぞ」
騎士科の同級生リカルドは、騎士科に移ってからの付き合いだ。王国騎士団長の父を持ち、幼いころから剣を振り続けただけあってクロフォードと同様に卒業と同時に実力で騎士の資格を手にしている。
「本当に騎士になったんだね」
「君こそ魔法科を主席卒業して魔道士になったんだろ?」
後ろから声をかけてきたメアリに聞き返す。
「あなたがいないからよ。主席って言われてもうれしくないわ」
「そんなことないよ。君の素質と鍛錬の結果さ」
「途中で騎士科に移って騎士科を次席卒業するあなたに言われたくないわ」
メアリが不満そうに言うと
「そうだぞ俺の立場も考えろよ。俺が主席をとれなかったら途中から来た魔道士に負けたとずっと言われるんだぞ。もしそうなっていたら親父になんて説明したらよかったんだよ」
実際にクロフォードとリカルドの力の差はほとんどない。魔法を使ってもよければクロフォードがリカルドを圧倒するだろうが、騎士科では魔法の使用は禁止されている。
「リカルドあなたの話しはいいわ。それよりも卒業したらどこに配属されるのよ?」
「魔道兵団だね。父のところへ行くつもりだよ」
「騎士のくせに魔道兵団かよ」
「魔道士試験も受けるつもりだからね。それよりも君たちは?」
「俺は、騎士だぜ。騎士団に所属するに決まっているだろ」
「私は、一度実家に戻ってからね」
「なんだ。花嫁修業か?」
リカルドがメアリを茶化す。
「うるさいわね。両親がうるさいのよ仕方ないでしょ」
成人すれば当然あり得る事だ。まして高職についている貴族なら。
クロフォードは、ルシエル学園を卒業する。騎士としても魔道士としても一流の者として