8話「不幸な兄妹」
「兄上」
「もう少しだ。頑張れアリア」
小高い丘の頂に立ち、後ろから必死に追いかけてくる妹の姿を待つ。その間もラムセルは、周囲の警戒を緩めない。ラムセルが任務を任されたのは2日ほど前にさかのぼる。
エルフ国の首都、エルフリードで王女シルフィシア様から直々にご下命があり、獣人国3元首の一人である師子王バルゴウへ密書を運ぶと言う任務は、国の未来を左右しかねない重要な物だと説明を受けた。今、ラムセルはその期待に応えるべく妹のアリアと共に獣人国へ向かう。
「まだ先は長いぞ。大丈夫か」
妹のアリアは、エルフ国の魔法士としては優秀だが、少々体力がないのが欠点だ。見目麗しいその容姿は兄としてはうれしいのだが周りがちやほやするせいで一向に体力がつかない。
「ちょっと待てよ」
そう言うとラムセルは、探査魔法を使い周囲を確認する。エルフ特有の探査魔法は、木々を介して周囲に潜む者などを見つける事ができる。
「大丈夫のようだな」
安堵したラムセルは、アリアの手を引き獣人国へと向かい歩きだす。しばらく進むと、不意に前方に人影を見つけ木々に隠れるように身を伏せた。
「アリア。前に人族の斥候がいる」
「わかったわ。処分すれば良いのね」
「できるか?」
「そのために私がいるのでしょ?」
アリアは、目を閉じると両手を胸の前に組み願うように周囲に働きかける。
「エレメントアース」
アリアが使った精霊魔法は、森の中では比類なき力を振るう大地の精霊を召喚するものだ。大地から浮かび上がるように現れた精霊たちが、アリアの声を聞くと姿を消していく。
はるか前方で周囲をうかがう人族兵士が、何かに転ばされるように倒れると動かなくなった。
「しばらくは起き上がれないと思うよ」
アリアの返答にラムセルは少し不満だったが、これもアリアの性分だから仕方ない。精霊に愛される者しか利用できない精霊魔法は、エルフ特有のものだ。精霊魔法は、有用な魔法だがエルフの中でも誰もが使える魔法ではなくラムセルにも使う事ができない。精霊魔法を使える妹はラムセルの自慢の1つでもあった。
「さあ。今のうちに先に進むよ」
再びアリアの手を引いて歩き出す。日が落ちるまでアリアを休ませながら歩き続け、小さな洞を見つけて今日はここで寝る事に決める。念のため探査魔法で周囲を確認したが、周囲に気配は感じられなかった。
「よし今日はここで寝るぞ。明日は一気に獣人国だ」
頷くアリアの頭をなでると洞の中で二人は眠りに落ちる。翌朝まで何事もなくラムセルは、目を覚ますと側にはまだ夢の中にいるアリアの顔があった。頭をなでるとむにゃむにゃと言ってすぐには目を覚まさない。耳元で
「蜂蜜パンが焼けたぞ」
とアリアの大好物の蜂蜜パンの名前を出すとアリアの目がパッチリと開いて周囲をきょろきょろとした。
「兄上……」
怒っていても愛くるしい妹の頭を再びなでると
「おはよう。ようやく起きたな」
と言うとアリアは子供扱いしたことを怒ってラムセルの肩をポカポカと叩いた。
「さあ、獣人国へ向かうぞ」
簡単な携帯食を口に入れると二人は洞から出る。心配はないと思うが念のために探査魔法を使ってから出発しようとラムセルが魔法を発動させると周囲にうごめくたくさんの気配を感じ取った。
一瞬で危険を悟り、アリアの手を引いて気配の少ない方へ駆け出した。
「兄上?」
「まずい! 囲まれているぞ! 早く逃げないと」
慌てて走るが、アリアの足はなかなかついてこない。そして嬉しくない事に周囲に目に見える距離まで人族の兵士が2人を囲いつつあった。
「アリア! 精霊魔法を使えるか?」
「は、走りながらじゃちょっと……」
集中が必要な精霊魔法は使えない。ラムセルは、細見の剣を抜くと有事に備えるように右手に握った。前方を塞ぐように人族の兵士が現れた所を、刺突して兵士を倒す。アリアの手を握る左手にも力が入りアリアの顔がゆがむ。
「頑張れ」
アリアに声をかけ走るが、木の根に躓いてアリアが転ぶと起こしている間に周囲を囲まれた。前後左右に合わせて8名ほどの兵士が2人を取り囲む。
「アリア! 離れるなよ」
「うん」
アリアを庇いながらラムセルは近づく兵士を牽制し隙あれば、倒していく。2人目の兵士の首を剣で突き刺した時、握っていた左手からアリアの手が離れた。振り返ると無理やりアリアを引っ張る兵士の姿があった。あわててその兵士の手を剣で切りさくとようやく手は離れたが、背後からラムセルの背中が切り裂かれた。
「ぐううう」
激しい痛みが背を襲ったが、歯を食いしばり倒れる事を避ける。
「兄上!」
アリアの悲痛な叫びが耳に届いたが、身体がうまく反応しない。視界がぼやけ、剣を握る手に力が入らない。ラムセルを庇うように前に出たアリアを拘束した兵士たちが、ラムセルに剣を向けたときはほとんど身体が動かなかった。
「ちっ。手間かけやがってこいつのせいでずいぶんやられたぞ」
仲間数人をラムセルに倒された兵士の悪態が聞こえる。
「しゃーねーな。その分、こいつで楽しもうぜ」
アリアを捕まえる兵士が嫌らしく笑う。やめてくれと叫びたいラムセルは、かろうじて意識を保っているが、すでに身体は言う事を聞かない。ラムセルも懐を検められ大切な密書も奪われる。
「や、やめて!」
必死にアリアが兵士に抵抗するが、容赦なく兵士たちがアリアを力ずく押さえつける。そのまま地面に無理やり組み伏せられたアリアは、兵士の男達に服をはぎ取られていく。
「いやー!」
愛くるしい妹の悲痛な叫びが耳に届くが、ラムセルの身体はいまだ言う事を聞かない。それでもラムセル歯を食いしばり何とかしようと試みるが、手の感覚もなかった。
茂みの向こうで兵士たちに乱暴されているだろうアリアの悲鳴が嗚咽に変わる。怒りと悔しさがラムセルを満たすがその身体は何もできない。
男達の下卑た笑い声とすすり泣くような妹の声が聞こえる
意識が朦朧としてきたラムセルを前に事を終えた兵士が、ニタニタと笑いながら
「お前の女か妹か? 生娘だったんだろ?」
朦朧とした意識を怒りで取り戻す。
「悪いな壊れちまったよ」
兵士の男がアリアがいた方を見てラムセルに話しかける。すでにアリアの嗚咽も聞こえない。
「な、何を……」
「ああ。俺達で廻してやったらあいつ舌噛みやがった」
ラムセルの目から涙があふれる。
「安心しろよ。お前もすぐに送ってやるからな。この密書も燃やしておいてやるよ」
ラムセルは、兵士の言葉に憎悪を燃やす。動かない体も何もできない自分すらも憎い。兵士の男が手にした密書を目の前で燃やされる。そして兵士の男が剣を逆手に持つとラムセルの腹に突き刺した。
「ぐふっ!」
口からも刺された腹からも血があふれだす。しかもひと思いに殺すのではなくあえて、いたぶるように兵士は剣を突き刺した。
「おまえの女がもう少し相手してくれたら楽に殺してやったんだがな」
激痛が走る。あまりの痛みに遠のいていく意識の中、ラムセルが耳にしたのは
「ぐあ!」
「誰だ?」
「やめろ……やめてくれ……」
兵士たちの悲鳴と命乞いする声。剣戟が止み、近づく男がラムセルの傍までくると
「どうするこのまま死ぬか? それとも憎い人族に抗うか?」
ラムセルの耳に不思議な問いが聞こえた。このまま死ぬ? そうだなアリアと一緒ならそれも悪くないかもしれない。だが……
「憎い……」
「そうか。ならお前は俺の仲間だな」
黒い剣がラムセルの腹部に刺さった剣を打ち払うと刺さった剣が消え失せた。
「贄とした人族を糧として新たな力を授ける」
何が起こったからわからないラムセルに聞こえた声。徐々に回復していく意識と体の傷……。
「どうして?」
死ぬ寸前だった自分が回復した事に驚く
「人族に抗うんだろ? ならお前は俺達の仲間だ」
ラムセルは、起き上がるとすぐそばにアリアの姿を見つける。女性の獣人がアリアに服を着せてくれたのか悲惨な目にあったわりにアリアは静かに目を閉じていた。ラムセルの目から涙がこぼれアリアの頬を打つ。
「ごめんな」
ラムセルがアリアの頭をなでる。別れの時間を惜しむように頭を撫でつづけたラムセルが覚悟を決めたように振り向くと。
「なんのつもりで俺を助けた?」
「人族に抗うためだ。お前は、人族が憎いと言っただろう。だから命を助けた」
「お前達は何者だ?」
「俺はクロウ。人族に抗う者だ。一緒にいるのは仲間だな」
「お、お前達は何をするつもりだ?」
「別に何かをするつもりもない。ただ、欲深く罪深い人族に抗うだけだ。そうだな、おまえのような者が増えないようにするのも目的のひとつだな」
ラムセルはじっとアリアを見る。
「妹の名前は、アリアだ。アリアのような者が増えないと言うのならば、俺は残りの命をお前に懸けても良い」
「名前は?」
「ラムセルだ」
「ならラムセル。お前は俺達の仲間だ。共に人族に抗おう」
クロウは手を差し出すとラムセルがその手を握った。
「ひとつ言っておくが、ラムセルには贄の剣で力を与えたからな。勝手かと思ったが魔法の力を与えておいた」
「どう言うことだ?」
「俺の剣は、願いを叶える剣でもある。ラムセルには、新たに魔法の力を与えた。そうだな……ただ何となくそうしなければならない気がした」
クロウがそう言うとラムセルもどこか不思議な空気を感じていた。そして、何の疑いもなく
「エレメントアース!」
ラムセルが詠唱すると大地の精霊が姿を現した。そしてラムセルの目から涙がまたあふれる。
「アリアが俺に頑張れと……」
顔を出した大地の精霊たちが首をかしげながらラムセルの周りをぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ああ。おまえは妹の分まで頑張らないとな」