17話 名はアリス
「さて、これでキミの魔力は完全に解放されたわけだけど」
座り直し丸テーブルの前で茶を啜る神様。
先ほどあんなことがあったのにも関わらず、その表情は冷静沈着。事務的に淡々と茶を啜るのみであった。
僕はと言うと、押し倒されたままの体勢で見知らぬ天井を見つめる。まるで、魂が抜け落ちたかのように。
いや実際、アレのせいで僕の魂は遥か彼方へ行ってしまった気がする。もう、なんて言うか心ここに在らずである。
何度も思い出されるあのシーン。
何度思い出しても色褪せることなく、鮮明にフラッシュバックする。それが何度もヘビーローテション。思い出しただけで、何かこう……アレだ。
僕は神様に、完璧に惚れてしまった。
あーやだ。恋心を抱いたなんて初めてだ。
女なんて興味ねーし、が僕の今までのポリシーだったのに。二次元サイコーだったのにも関わらず、クールぶって女なんて嫌いだしとか思ってたのにも関わらず、僕のポリシーはあっさりと砕け散った。
「てか、聞いてる? これでキミの魔力は解放されたんだよ? 後はキミが決めることだけれど」
「ああ、聞いてる聞いてる……って、いきなりなんだよ」
「いや、だからさ、さっきのアレでキミの魔力は解放されたの。私の力を持ってしてそれは保証してあげる。だから、後はキミ次第ってこと」
何を言っているんだこいつは。
後はキミ次第って、これから待つ僕の運命は消えるのみ。魔力を解放したところでこれからもクソもない。
まぁ、出来ればこのままここで神様と過ごしたいという願望が生まれたわけだが、僕がどうこう出来る問題でもなさそうだし、何より当の本人が神様という立場だ。正直、僕なんかがって思うところもある。
だから、僕はいつでも消える覚悟は出来ている。もう悔いなんてない。未練なんてない。
最期の最期にあんなことをされたんだ──それで十分だ。
ところが神様は意外なことを口にする。
「それで、キミには二つの選択肢を与えようと思うの」
茶を啜りながら、
「一つ目は以前言ったようにキミはあの世界で死んでしまったので、今ここで存在を消し去り無に成り果てる。二つ目はさっき与えた力を駆使するため、あの世界への復帰。さ、どっちを選ぶ?」
「な、何を言って……」
僕は耳を疑った。重要なことなのにさらっと言うものだから、一瞬聞き間違いかと思いきや、確かに神様の口からはこう述べられた。
──あの世界への復帰。
僕はすぐさま神様の真ん前に座り混む。
そして、テーブルの上に出された湯飲みに入った茶を一気に──茶は冷めきっておらず、舌を火傷。だが、おかげで神様への恋心で浮かれていた気分の浄化に成功。
赤面も晴れ、面と向かって神様の前に座ることが出来た。
「まぁ、簡単に言うと消えるか生き返るかどっちが良いってこと」
つまり、復活。生き返るのだ。
ここは素直に喜ぶべきなのだろうか。しかし、それは苦難の日々の始まりを意味するものとなる。いっそのこと、消えて無になった方が精神衛生上良いのではとも考える。
どちらにせよ、真意が気になるところである。
「詳しく聞かせてくれ」
「うん、いいよ」
一間おき、
「一つ目は一応、私神様だから以前言ったことは厳守ということで選択肢に入れてみたの。で、二つ目はさっきも言った通り、私はキミのことを贔屓する。もう一度だけチャンスを与える。でも、それは私のミスが原因だったからであって、私情とかではなく、あくまで公平にということなんだからね」
そういうことだったのか。
てっきり僕は、今まで辛い思いをさせてごめんねの意で、未だかつてない贔屓としての濃厚な『お詫び』のキスをされたと思っていたのだが、つまり、アレは再び行われた濃厚バージョンの『魔力解放の儀』であり、僕の境遇に感化された神様からの贈り物ではない、と。
消えるだの最期だの厨二全開で悟りきってたのが恥ずかしい。
これからまた無ではなく有の中で生きていくにあたって、このエピソードは僕史に残る真っ黒なエピソードとなるだろう。いわゆる黒歴史。
まぁ、何はともあれまだ生きていけるのなら二つ目を選択するしか他ない。
だが、一つ気になる点がある。
「ちょっと聞きたいんだが、仮に二つ目を選択したとして、当然転移先は僕が殺されたあの場所なんだよな?」
「そうなるね」
「それじゃあ、また、僕は死ぬんじゃないのか? 結局、生き返り損というか、死に損というか」
「言ったでしょ。今のキミは以前のキミとは違う──キミには確かに魔力が宿っている。さっきの私の渾身の『魔力解放の儀』が、キミを強くした。いや、元からキミは強かったよ。強かったゆえに、その扉は固く閉ざされていた。だから、最初の『魔力解放の儀』では魔力は解放されなかった。その節は本当にごめんね。私の見誤りが原因だった。でも、逆に言えばキミの力は私が見誤ってしまうほどのものとも言える。まぁ、何はともあれ後はキミ次第だよ」
なんと言う衝撃の事実。
無能、無力だと思っていた僕にそんな隠された力が宿っていたとは。しかし、実感の湧かない話だ。魔力が解放されたと言われても、以前と何ら変わりないようだし、風流楓みたいに戦える気がしない。彼女はすごいよ、本当。生き物を殺すという行為自体に躊躇いを覚えている僕が馬鹿と思うほど、彼女はすんなりと生き物を殺生する。
芯の強さこそ、真の強さだと僕は思う。
だから、芯の強さを持ち合わせていない僕は以前と変わらぬ無力なのだと自嘲。
再び生き返りすることは大変喜ばしいことなのだが、ここは潔く一つ目の選択肢を選択するのもまた美学なのかもしれない。
──なんて、格好つけていても仕方ないか。
負け犬なら負け犬らしく藁にでも縋る気持ちで──乞食と思われても良い。無様だと思われても良い。格好悪いと思われても良い。僕はノコノコと尻尾を振りながら、現場に戻るよ。
「じゃあ、神様。僕は二つ目で」
「そっか」
神様は短く言い残し、
「よいしょ」
腰を重そうに上げ、僕の隣へ。そのまま僕を見下ろす形で、
「私の名はアリス」
白く柔らかな手をこちらへ差し出した。
傍目から見れば、まるで主従関係を結ぶような絵面。主人の神様──アリスと従者の僕。
僕は有無を言わずその手を握った。
「これで契約完了です。私たちは晴れて悪友になれたわけだけど」
「悪友か。はは。面白いこと言うな神様は」
「言ったでしょ? 私たちは悪友。だから、名前で呼んでよ夏くん」
「ああ、アリス」
その手は固く契られ、向かい合う双眸に相違なし。
悪友──つまり、僕たちはそれぞれ業を背負った仲。
アリスは僕を贔屓したという業。
僕は風流楓を救えなかったのとその場から逃げてしまったという業。
僕たちは互いに秘密を共有し合う仲でもあり、それ以上の関係でもなければそれ以下の関係でもない。
悪友である。
僕は神様に見送られながら玄関へ。靴を履き、回すタイプのドアノブに手をかける。
曰く、このドアをくぐれば生き返るらしい。
なんだよそのどこでもドアの上位互換は、というツッコミもあるが興醒めするため割愛。
そんな時、
「あ、ちょっと待って」
アリスがそんなことを言うものだから、僕は思わず振り返る。
「いってらっしゃい」
そこには神がかった神のとびっきりの笑顔。まさに額縁に収めたい一枚絵。女の子の魅力を最大限に引き出した笑顔が待っていた。
「ああ、いってきます」
やがて、僕はドアを開けた。
最高の笑顔に見送られながら。