16話 キスから始まりキスで終わる
団欒とまでいかないが、僕と神様は温かいご飯を食べながらテレビを観て、談笑し笑い合う。
当然、飯も美味いがこのひと時がまたなんとも言えぬ居心地さ。
時折、見せる神様の無邪気な笑顔。それはとても神々しくも愛おしく。
今、その笑顔を独り占めしていると思うと何だかとても幸せな気分になれた。
だが、何故だろう。
こんなにも楽しいのに、何故か心の奥底ではこの楽しさを拒否している。
妙な不安感。
妙な焦燥感。
何かが胸につっかえているような気がした。
「ん? どうしたの甘木くん」
「んいやー、その……」
「辛かったよね」
急に。
神妙なトーンでそんなことを口にした神様。
いつもの飄々とした態度とは裏腹な口調に、僕は困惑するも、その真意を理解するまであまり時間を要さなかった。
──辛かったよね。
ああ、そうだった。忘れていた。嫌な事を忘れていた。
現実を忘れていた。
こうして、楽しい時間を過ごすと共に忘却される嫌な現実。本心が忘れたがっていた故か、僕はあっさりとそれを忘却しようとしていた。
──辛かったよ本当。
最悪な世界を訪れ、最悪な少女と出会い、最悪な数日間を過ごし。
少女と最悪な別れ方をして、再会を果たしたと思ったら最悪な状況に陥っていて、最悪な絶望を味わい。
最悪な死に様を晒しながら僕は死んだ。
これを辛いと言わず何と言う。
僕は普通の人間だ。その辺にいる高校生よりも高校生らしく、まだ歳も18と幼く子供だ。
なのに、何をどう間違えればこんな悲惨な人生を歩まなきゃならないんだ。
今、何故自分が神様と呼ばれる上位の存在の目の前にいるのかすらもわからない。
ただの人間なのに。ただの人間だったのに。
全く持っておかしな話だ。
「本当にごめんなさい。辛かったよね。悲しかったよね。痛かったよね。ごめんなさい」
連ねられる、僕の生前の気持ちを代弁したかのような言葉たちと共に口にされる謝罪。
辛かった。
悲しかった。
痛かった。
神様の言う通り。全くその通りだった。
「だからさ、泣いてもいいんだよ? 私は神様だから。全部受け止めてあげるから」
慈愛に満ちたその表情はまさに神そのもの。
先ほどの温かいご飯とこの居心地の良い空間と相まってか、僕の胸中は何かで溢れ出しそうだった。
「だいたい何で神様が謝るんだよ。悪いのは僕だ。僕が無力だから……」
「違うんだよ。無力なのは私の方。私が無力だから甘木くんに辛い思いをさせちゃったの」
一体、どういうことなのだろうか。
真意がわからず困惑。
「一体、どういう……」
「魔力、全くなかったでしょ? だから、キミは何も出来なかった。魔装で戦うことも出来なかった。結果、キミは辛い思いをしながらあの世界で過ごし、辛い思いをしながら死んでいった。でも、アレは私のミスが原因なの。キミの魔力の扉を上手く開けれなかった私が原因」
ああ、そういうことか。
おかしいとは思っていた。同じ『魔力解放の儀』を行った風流楓にはきちんと魔力が宿っていたのにも関わらず、僕には宿っていなかった。
結果として、僕はそれを受け入れたのだが、今思えば僕にきちんと魔力が宿っていれば、僕は死なずに済んだのかもしれない。もっと言えば、心にゆとりができ喧嘩の原因にもならなかったのかもしれない。
まぁ、〜ればの話をしてもしょうがない。あの時〜していれば、はただの負け犬の遠吠え。みっともない。
「確かに魔力解放の儀は行った。でも、私の力及ばずそれは叶わなかったみたい。本当に──ごめんなさい」
もう済んだ話だ。
いくら神様が謝ろうが時は戻らない。
別に僕は神様を恨んじゃいないし、今となっては、あの世界での出来事は良い思い出になったのかもしれない。
これから僕がどうなるのかわからないが、恐らく、ここで過ごした後、僕は消えるのだろう。
神様は僕に謝罪をするためにここに呼んだのだ。そして、振舞われた最期の晩餐。
質素ながらも美味しかったし、何よりこうして誰かと頭を空っぽにして楽しく話が出来ただけでも僕はもう満足だ。
しかし、未だに信じられないな。
普通の高校生だった僕が、神様と出会ったり、異世界に行ったり、現地の人たちと触れ合ったり、魔法を生で見たり、魔物や魔人といった化物と対峙したり、死んだり──そう言えば、元々いた世界も滅んでいるんだっけか。全く信じられないな。実感が湧かない。
いつの間にか事が起きて、過ぎて──まるで、人生を濃縮したような数日だった。
「そうか」
僕は短く返事をした。
「…………怒らないの……?」
「怒るだなんて、そんな野蛮なことしないよ」
「…………泣かないの……?」
「泣くだなんて、そんな男らしくないことしないよ」
「…………悔しくないの……?」
「…………」
冷静さを装いながらも、神様の最後の質問に僕は何も言えなかった。
悔しい。
何も出来なかったのが悔しい。
唇を噛みきるほど悔しい。
でも、それを言ったところで、どうこうなるわけでもなく──過去は変えられない。
後は消えるのみである。
「そっか」
と、さっきの僕同様に短く返事をした。
後に沈黙が部屋を支配する。
見えぬどんよりとした空気だった。
そんな中、
「ならさ、甘木くん」
口を開いたのは神様だった。
「お詫び」
と、短く。
神様はじっと僕の顔を見据え、やがて僕の両肩を掴んだ。その表情に動揺は見られず、揺るぎない確固たる決意を感じた。
そして、何をするかと思えば、白い華奢な身体が僕を押し倒す。
肉薄し合う身体と身体。
抗議しようとするも口はその人差し指によって当てられ発言権を得ず。
静寂の中、互いの心音が噛み合い至高のメロディーを奏でられた。
「神って、本当はさ人間にあまり干渉しちゃいけないんだよね。神は全てにおいて平等でなくてはならないの。チャンスを与えること自体は別に構わないけれど、贔屓はしちゃいけないんだよね」
「……で、何が言いたいんだよ」
紅潮しきった顔を背け、冷静さを装う。故のドライな返し。
「つまりね、甘木くん。私は今からあなただけに贔屓します。まぁ、原因は私が作ったことだけれど、贔屓は贔屓だからね。悪いことなの。その辺、きちんと戒めを受けるつもりでいるから────目、瞑って」
僕は言われた通り目を瞑る。
高鳴る鼓動。
確か前にもこんなことあったっけ。
あの時は確か『魔力解放の儀』たるものを行う際、神様に顔を近づけられ、キスをされた。
恥ずかしかったたけれど、同時に嬉しくもあった。
恐らく、今回も僕は神様から接吻を賜るのだろう。
それが神様の言う「お詫び」。
それのために今まで辛い思いをしてきたかと思うと、何だかなぁ……。
キスから始まりキスで終わる。
思い返してみれば、そんな数日間だった。
言葉だけを並べてみたら、さぞロマンティックな物語を想像するだろう。
だが、現実は非情でロマンティックな物語とは程遠くかけ離れていた。
「ふふふ。とびっきりのお詫び。いや、とびっきりのご褒美とでも言っておこうかな」
でもまぁ、これも悪くないのかもしれない。
とびっきりの美少女が、とびっきりのもてなしと、とびっきりのご褒美を持ってして僕の最期を見届けてくれる。
──最高じゃないか。
「お疲れ様──甘木くん」
目を瞑っていてもわかる。
神様の女のらしい甘い香り。
甘い吐息。
柔らかな禁忌の唇が徐々に近く。
同時に身体と身体の隙間は消滅し、完璧な密着状態へ。程よい大きさの胸も隙間なく密着。僕は理性がぶっ飛びそうなほどの感触を堪能する。
何もかもが柔らかく、そしてまた温かい。これが人の温もりなのだろうか。至福の時とはまさにこのことなのだろうと、最期の最期に女の子の全てを理解したような気がした。
そして、やがて触れ合う唇。
どぎまぎし過ぎで頭がおかしくなりそうなほどの感触。同時に欲するほど欲してしまう中毒性のある甘い蜜を堪能した。
出来るならば、ずっと──永遠にこのままで居たい。こうしている間は辛いこと、悲しいこと、楽しいこと全て忘れられる気がするから。
ああ、でも、もう時間だ。
終わりは神様の唇が離されることにより告げられた。
「目、開けていいよ」
神様は蜜で乱れた口元を軽く拭き、緩ませ人差し指で僕の唇に触れる。
「ここまでしたのはキミが初めてなんだからねっ。あとはキミ次第かな」
妙なツンデレ紛いの演技で先ほどのキスを有耶無耶に。
だが、僕はもうそれどころでなく、神様に向ける目は恍惚のみ。
これから消えるというのにも関わらず色恋に興味を持ち出した僕であった。




