15話 頂きます
「甘木くん」
闇の中、聞こえてきた声。
それは儚く、流麗で聞き入ってしまうような声だった。
誰だろう。
こんな僕の名を呼ぶのは一体誰なのだろうか。
と言うか、そもそも僕は死んだはずじゃなかったのか。確か、魔人に頭を潰されて──ああ、その結果、今こうして僕は暗闇の中で彷徨っているのか。言わば、ここが死後の世界というやつか。
でも、自我というか意識みたいなものはしっかりとあるんだな……。存在が消えるとかなんとか言われてたから、てっきり無になるかと思っていたが。なんだ。自我はあるんだな。だとしたら、こうやって永遠と闇の中を彷徨い続けなければならないのか。なんか……嫌だな。
「……甘木くん?」
すると、再び耳に入ってくる鈴音。
この声……何処か懐かしさを憶える。聞いたことのある声だ。誰だ。誰なのだろう──ああ、もうなんか考えるのも面倒くさいというか、何だかこのままじっとしていたい。
不思議とこの空間に心地よさを感じる僕がいた。というのも、このままこうして何もしないということに幸せを感じているからだ。
何もせず、何も考えず、ただじっとしている。それが出来るのがこの暗闇の中。
案外、ここが天国なのかもしれない。
嫌なことも楽しいことも何もない。生きていく上で必然的に囚われてしまうしがらみもない。最高じゃないか。
「……ちょっと、甘木くん……?」
まただ。さっきから誰だ。
今、僕は最高の状態でいるのにそれを邪魔する声の主。
この声があっては最高の安堵に浸れない。
ああ、もう邪魔をしないでくれ。
僕はこのまま……このまま──────────。
バシンッッ!!
右の頬を打たれた感覚。即ち、痛いという感覚が僕を襲った。
刹那、現る光。
希望の光なのか、はたまた絶望の光なのか──それはこちらへ伸びてくる手を握らなければわからない。
★
「……なんだ……ここは……」
まず目に飛び込んできたのは部屋の照明器具であるシーリングライトから発せられる光だった。
しかし、強い光というわけでもなく、何処と無く目に優しいくらいの明るさだ。
周りを見渡してみると、どうやらここは誰かの部屋らしく、狭いという印象を受ける六畳一間の畳部屋だった。だが、何処と無く落ち着くというか懐かしいというか、居心地の良さを感じた。
すると、
「……全く、何度呼びかけても返事がないんだもん。死んでいるのに死んでいると思っちゃうじゃない」
不意に誰かが僕の顔を覗き込む。
淡い桃色にも似た白い髪。何処かあどけなさを残す整った顔立ち。薄く触れる事を許さない禁忌の唇。そして、引き込まれそうなほど綺麗な海を連想させる大きな瞳。
まさに美少女。紛う事なき美少女。
常人とは比べものにはならないほどの神がかった美貌を持った神がそこにはいた。
僕たちをあの世界へ導いた神様である。
「……なんでお前……」
死んだらそこでゲームオーバー。つまり、存在が消えると聞いていたので、今この状況に困惑を隠せない僕。さらに、それを言った当の本人が目の前にいるのだから、何がなんだか。
「お前って……。仮にも私、神様なんだけど。その辺どうなってるの? 神様よ! 神様! 敬うっていうか、もっとこう私に有り難みを感じてもらわなきゃ」
「……うるせぇな。んなこと今はどうでもいいんだよ」
「あ! 今うるせぇって言った! 何なのかなキミは……。普通の人間ならば私の存在にもっと萎縮する態度を取るんだけど」
なんだこいつは。やけに騒がしい。
「で、なんでおま……神様が僕の目の前にいるんだよ。死んだら存在が消えるとかなんとか言ってなかったっけ」
「それなんだけどさ」
何やら言葉を詰まらせながら、ぎこちない作り笑顔を見せ、
「……えっと、その……その前にまずはご飯食べよっか?」
★
トントントンとリズミカルな包丁捌きの音と共に漂ってくる晩飯時を彷彿とさせる料理の匂い。蓋をされた鍋はグツグツと煮え、カタカタと音を立てる。
「味付けよし」
束ねられた長い髪を揺らしながら、台所で鍋を前に納得気に頷く少女──Tシャツにデニムのショートパンツをはいてその上からエプロンを着用しているのは手慣れたベテラン主婦──もとい神様である。
なんだこいつ。いきなり。
ご飯を食べようと言い出したと思ったら、そそくさとエプロンを着用し手慣れた感じで台所で料理を始めやがった。
神様は「すぐ出来るから。待っててね」と言い残し、作業を開始。僕は丸テーブルの前で座り込み、その姿を1時間くらいずっと眺めている始末だ。
人が料理している姿を眺めるのがこんなにも退屈だなんて。
テレビの料理番組は見ていて退屈だとは思ったことないのだが、というか寧ろ好きなのだが、素人の料理というのは新鮮味もなく目新しさもなくごく平凡で面白くない。
そこで気を紛らわそうと、部屋の隅に置いてある液晶テレビのスイッチを押し適当にチャンネルを回してみたが、テレビ通である僕が知らない番組、知らない芸能人たちばかりでこちらも面白くなかった。
不思議なもんで、番組の雰囲気自体は僕の知っているそれと大差ないが、雰囲気が何処と無く異なっていて不気味に感じる。
ここが何処の世界だか知らないが、とりあえず妙な異世界感を感じだ。
「よし! これでオッケー!」
やっとこさ調理し終えたようだ。長かった。
すると今度はそそくさと狭い部屋の隅に置いてある食器棚に向かう神様。そこから食器類を取り出し、
「甘木くん。今から盛り付けするから出来たらテーブルに持って行ってくれる?」
「なんで僕が……。僕は一応客人なんだが」
「もうー! つべこべ言わないの! ご飯早く食べたいでしょ!?」
夕飯時のお母さんみたいな口調が耳に障る。
「……わかったよ」
重い腰を上げ、渋々神様のいる台所へ。
「ご飯炊けてるから、よそっておいてね。あ、茶碗そこにあるから」
「はいはい」
何だろうこの尻に敷かれている感じ。
だが、以外と悪くない気もする。そりゃそうだ。だって、一人の女の子が僕のために料理を作ってくれたのだから、自ずと気分も高揚する。
っていうか、今更だが神様も普通に料理とかするんだな……。
だとしたら、神様も僕たち人間と同じような生活をしているのかな。見た感じこの部屋が神様の住まいのようだ。
となると、神様はこの空間で毎日生活しているというわけか。
朝起きて、顔を洗い歯を磨く。そして、朝食を食べ、神事というか神様的仕事に勤しむ。夕方頃、仕事で疲れた神様は重々しい玄関の扉を開け、ひと段落。夕飯を作り、その後お風呂に入り、歯を磨き就寝、と。そんな一般的生活サイクルをこの部屋からは見受けられる。
と言ってもまぁ、これは僕の勝手な妄想であり、事実かどうなのかは定かではないが。
「盛り付け完了っと。さ、出来たから持っていってテーブルに並べて」
そうこうしているうちに料理が完成した。
僕は言われるがままに料理を食卓へ。
テーブルには茶碗に盛られた白米、味噌汁、焼き魚、何やら煮物、付け合せのお漬物が並んだ。
配膳完了の合図である。
後は食すのみ。
ひと段落ついて、神様はエプロンを外し、ラフなTシャツにデニムのショートパンツ姿で丸テーブルの前に座る。
僕もそのまま神様に合わせ正座。
にしても、テーブルに並べられた料理……改めて見るとババくさいというか質素だな……。
「それじゃ、頂きましょうか」
「そ、そうだな」
慣れぬ他人ん家での食事に、困惑しながらもそれなりの作法を持ってして僕は手を合わせる。
「「頂きます」」
何ともわけの分からぬ食事が始まったのだった。




