6話 決意
胸糞悪い食事を一人で終えた僕は、店主のおっさんに挨拶を済ませ、見知らぬ地を這うような気持ちで歩いていた。理由は簡単だ。彼女──風流楓に見捨てられたような気がしたから。
今の時刻は午後九時くらいだろうか、街は現実世界と大差ない人々の賑わいをみせている。親子連れやカップルと思しき男女、飲み過ぎで道の傍らにてぐったりとしたオヤジ、ガラの悪そうなにいちゃんたち。彼らは何やら楽しそうに今を生きていた。
思わず、渇いた笑が込み上げてくる。
「ハハ、何一つ現実世界と変わりはしないじゃないか」
結局、人間何処の世界も同じらしい。
魔物、魔人、魔王──それらと関わらずに生きている人々があちらこちらにいる。彼らのように過ごしていれば命の危機など味わうことなく暮らすことが出来るのだろう。そこは現実世界と同じで戦地に赴く兵士や治安維持に徹する警察など以外ならば、常に命のことを考えずに済むわけだ。
だけど、今の僕はこの世界において一般人とはかけ離れた存在。常に死と隣り合わせといっても過言ではない。
今僕が神様から与えられた使命を捨て、風流楓との関係も捨てることが出来れば、晴れて僕も一般人の仲間入りなのだが。
捨てられない。
何故だろうか。
「何をやっているんだ僕……」
全く自分勝手である。
そんな時、
「な、夏様ぁぁーー!」
通りの向こうから、一人の女の声が聞こえた。
ブロンドの髪の少女──ユーリである。
彼女は風で煽られてクシャクシャになった髪を気にも留めず、また質素な寝巻き姿で、人混みをかき分けながらこちらへ駆け寄ってきた。
はぁはぁ、と息を切らせ顔面蒼白気味に、
「た、大変です!」
「……どうしたんだよ」
「か、楓様が一人で……」
珍しくも取り乱していた。
★
ユーリが落ち着くところを見計らい、しばらくして僕たちは人気の無いところへ移動した。
誰もいない路地裏。
不気味にも夜空に上がっている満月が唯一の光源だった。
再び問う。
「で、どうしたんだよ」
「はい、それが……」
ユーリはうつむきながら、手を胸に当てた。何か、負い目を感じているのだろうか、後に手をギュッと握りしめ、続ける。
「楓様が一人で魔人の討伐に向かわれたのです」
予想通りというか何というか。
──私、行きますから。
そして、
──サヨナラ。
さっき風流楓と喧嘩別れした時に彼女が残した言葉たち。
だいたいの察しはついていた。だが、僕には何も関係がない──所詮は赤の他人なのだから。
故に僕はドライな反応しかみせることができない。
「ああ、そうか。そんなことか」
「な、夏様……? 何故、そんな他人事のように……」
「他人だからだよ」
どいつもこいつも他人事、他人事他人事。
うるせぇよ。
僕がそんなに親身に厄介事に首を突っ込むとでも思っているのかよ。僕は何だ? 正義の味方か? 違うだろ。ただのゴミ屑だ。その辺にいるチンピラと何一つ変わらないカスだ。この装備だってただの飾り。
だから、僕は何も出来ないし、しようとも思わない。
「あいつは強い。だから、一人でもやってのけるさ」
そうは言ったものの、魔装のリミットは三分。それを過ぎれば風流楓は今の僕以下の価値になるだろう。ま、僕には関係のない話なんだが。
「夏様は、行かれないのですか……?」
「行かないよ。行くメリットがないし」
「夏様……?」
向けられたのは疑念の目。
散々ホラを吹き、豪語しといて今はこの有様にこの言動だ。ユーリの反応は正しい。何一つ間違ってはいない。
だが、何故だろうか。
無性に胸が苦しく感じる。
このまま、ユーリを見捨て、風流楓の事も見捨てて──そしたら一体僕には何が残るのだろうか。恐らく、そこには何も残らないだろう。
もちろん、命かその変なプライドを天秤にかければ命の方が大切だ。無力な僕が風流楓の後を追ったところで、何も出来ないことなんてわかりきっている。
それに本来ならば風流楓は僕の敵だ。優先的に消し去らなければならない存在だ。助ける義理などない。
けど。
この世に生を受け十八と余年。随分らしくないことを言うと、風流楓に恩返しがしたい。
唐突に風流楓と出会った頃の事を思い出す。
彼女は僕の事を救ってくれた。そのあと命を狙われたが、救われたことに変わりはない。
出会ってまだ二日と少し。どちらかと言うと、僕は風流楓のことが嫌いだ。何を考えているのかわからないし、いつまた殺しにくるかもわからないし、お節介だし、煩いし。
でも、風流楓にこの命を救われたのもまた事実。
こうして今生きているのは、風流楓のお陰と言っても差し支えない。
「あ……」
言いかけた。僕は何かを言いかけた。
ここで風流楓の後を追うと言ってしまえば、恐らく僕は本当の本当に今度こそ命が危うくなるかもしれない。死んでしまうかもしれない。
まだ、この世界へ来て二日と少しの間だけれど、何度死を悟ったことか。だが、今回は以前とは比べものにならないほど死に対して只ならぬ不安が込み上げてくる。
僕が風流楓を追ったところで、何か出来るわけでもない。
だが、男にはやらなきゃいけない時がある。
無力でもいい。何も出来なくてもいい。逃げることをしなければ、それこそ真の男と言えよう。
って、僕は何を言っているんだか。以前の僕だったらこんなこと言わない。そんなことをして得るものなどないと考えていたのだから。僕は自分に益があることしかしない。所謂、利己主義というか自己中心というかどちらにせよカスだった。ゴミだった。クズだった。
けど、僕も変わらなければならない時が来たのかもしれない。折角、この世界へ来たのだから。そして、素晴らしい仲間に出会えたのだから。
「あ、あの……ユーリ」
「どうされたのですか?」
決意。
「…………魔人の居る場所を教えてくれ……!」