記録の子
「こんにちは、ケイさん」
「ああ、こんにちは、レイディー」
「いやー、今日も疲れましたよ」
「まぁ、あれだけ本を運んでいれば疲れるだろうな」
「本当ですよ。しかも今日は倉庫から取り出した古い本ばっかで、服から髪まで埃だらけですよ」
「その腰まである髪、邪魔じゃないか。思いきって切ったらどうだ」
「何言ってるんですか。 赤い、長い、でもサラサラ。こんな自慢の髪の毛を切るなんてとんでもないですよ……少し邪魔ですけど」
「……で、どうしたんだ」
「お話を聴かせてもらいに」
「またか」
「ええ、またです。ですからその手にある本をしまってください」
「わかった。さて、どんな話にするか」
「なんでもいいですよ。楽しい話でも、悲しい話でも」
「それなら話そう。とある子供の話を。あれはここに来る前の話、三人で旅をしていた時の話だ」
「三人っということは、あなた、サキさん、後もう一人は先生でしたっけ?」
「そう、ルーリッヒ先生だ。その時は、まだ、先生たちと出会ってからあまり経ってない時で、俺は旅というものをあまり知らなかったんだ。馬車にどうも慣れなくてな」
「馬車で旅をしていたんですか。わたしも初めて乗った時、これは拷問道具か、 と思いましたよ。しかも途中で車輪が壊れたんですよ」
「それは災難だったな。それでまだ子供で旅に不慣れな俺とサキは辛くてな。雨あり、風あり、時に吐瀉物ありの旅を先生に介抱されながら送っていたわけだが」
「汚いですね」
「そう言うんじゃない。辛かったんだ。それで到着したんだよ……記録の子のいる村に」
「記録の子ですか」
「そうだ、村のすべてを記録している本を持っている子がいたんだ。村に着いてから俺たちは宿を取ろうと思ったんだよ。農作業をしている人に宿の場所を聞きながら、穏やかで森に囲まれている、その村を歩いていたんだ。それから宿を見つけて入ってみると子供が居たんだ」
「記録の本を持ってる子が、ですか」」
「そうだ。土の色の布地に穴を開けてそのままかぶせたような服を着た、その服と同じ色の髪の男の子がな。俺みたいな大柄な男のヘソくらいの身長だったかな」
「ふむふむ。続けて」
「それで、その子が背表紙の赤い目立つ本になにやら色々書いたから気になってな。何をしているのか聞いてみたんだよ。そうしたら『村の歴史を記録している』と言ったんだ」
「へー。変わった子ですね」
「その時、宿の女主人が説明してくれたんだよ。その子は村で起きる全てを記録する子供だとね。何でも、生まれてからほとんど外に出たことがなく、いつも宿の椅子に座り、本と向き合っている。村の人とも話さないし、親であるその女主人とですらも会話らしいものはほとんどしないそうだ」
「ふむ」
「何を話すにも必要最低限の言葉しか使わない。そして、いつも赤い本にその村で起きた全て出来事をそれに記録しているらしい。見せてもいいって言うからそうしたらな、村のことがズラーっと書いてあったんだ」
「うわー、何だかすごいですね。それにしても全てですか。具体的にはどれくらいまでに詳細なことが書いてあるんですか」
「やっぱり気になるよな」
「ええ、気になりますよ」
「はっきり言うぞ。書いてあることの一部を見れば住人の一生が詳細にわかる。性格、職業、人間関係、周りで起こった些細なことまで。それが今の人でも、百年前の人でも」
「えっ、それってどういう」
「そう、おかしいんだよ。本に書いてあることがその子の知識であるのなら、あまりにも知りすぎている。何たって『五十八年前に誰それが仲違いをした』とか書いてあるんだぜ。理解できなかった。ただの妄想かと思ったが、親が確認したところ仲違いについては知らなかったが、何から何まで正しいらしい」
「というか親とも村の人とも話さない。しかも外にも出ないのにどうやって何かを知ることができるんですか」
「さあな。まあ、そんなあり得ない事をしている子がとても不気味だった。それでも食事や睡眠は取るんだが、その時ですらおかしかった。動かないときはひたすらに止まっている。身じろぎひとつしない。何をするにも最低限のことしかしない」
「それはそれは」
「親でさえもその子に向ける視線に冷たいものが混じっているようだった。子供が親に対して愛を要求していないんだ。その子供はただ記録者であり、それ以外には何にもなろうともしないんだよ。日記にも親と他人で書き方に相違はなかった。『私に子供はいない』まるで自分に言い聞かせるようにそんなことを言った彼女の胸中を俺には推し量ることはできなかった」
「辛いことですね。自分の子が自分の愛を受け入れないのは」
「そうだな。まあ、そういうこともありながら、宿を発つ日になったんだがな。見つけたんだよ」
「何をですか」
「赤い本を__紙片が一面に散らばり、背表紙には刃物で刺したような幾つもの穴がある本をな」
「えっ」
「その朝、俺たちは村を発とうと道を歩いていたら、森の方から本の子どもとその子の父親が一緒に歩いていたんだよ。そしてなんと、その子供が笑顔で父親と手をつなぎながら歩いていたんだ。俺にはその笑顔が偽物には見えなかった。すごく驚いたよ」
「いままで人に対して、親に対してですら観察者であった子供が、いきなり普通の子供のようになった。不思議ですねぇ。それって父親だけは元から特別であった、ということではないんですか」
「いいや。その子供のそれは、例外なくすべてのものに向けられていたらしい。更におかしなことに、その子の腕には決して浅くない、しかし、どう見ても転んだというわけではないように見える一筋の切り傷があったんだ。先生が色々と聞いていたがはぐらかされたようでな、二人がいなくなった後、気になって三人でその森のなかを少し探ってみたんだよ。そうしたら、少し歩いたところで例のものを見つけたんだよ」
「人為的なものと思われる傷と、壊された本。そしてそこから出てきた笑顔の父と子。一体何があったのでしょうか」
「それは俺にもわからない。ただ、ちぎれた紙片の中に気になる文を見つけた」
「なんて書いてあったんですか」
「たしか 、”お父さんが僕を殺した”」
「お父さんが僕を殺した。でも生きていますよね」
「そう、生きている。でも記録者は殺したと残す。どういうことなんだろうな」
「それでその後はどうなったんですか」
「どうもなかったさ。俺達も変に思ったが予定は変えられない。流石に一回宿に戻ったが、結局良く分からなかった。ただひとつ言えることは、村の夫婦に一人の子供が出来た、ということだけだ」
「これまたなんとも不思議な話ですね。で、その後あなた達三人は村を出て目的地に出発した、ということですか」
「そうだな、しばらくは三人でいろいろ考えて推論を立てたが、結局そこまでだった。実際に起きたことを聞けなかったからな。その後もそこに訪れることはなく、どうなったのかも終ぞ知ることはなかった」
「なるほど、変な話でしたね。それにしても”お父さんが僕を”ですか」
「そう、”お父さんが僕を”だ」
「それに村の全てを知ることができる
不思議な何か。どういうことなんですかね」
「さあな」
「まあ、いいです。興味深い話ありがとうございました。それにしてもちゃんと外に出てますか? 館の中でしか見かけませんけど」
「ちゃんと外に出てるよ。よく門番といっしょに体動かしてるし」
「あっ、そうなんですか。筋肉モリモリな見た目に反して本好きの引きこもりさんかと思ってましたよ」
「そんなわけ無いだろ。見ればわかるようにちゃんと身体は鍛えてる。ただ、必要なこととして脳みそも鍛えてるだけさ」
「なるほど、それは素晴らしいことです。それなら今日はここまでにしておきましょう」
「そうだな。また聞きたくなったらいつでもどうぞ。十数年くらい旅をしてきたんだ。まだ話の種はたくさんあるさ」
「なら、また話を聞かせてもらいに来ますよ。ではまた夕食の時に会いましょう」
「そうだな」