If you hope.
放課後。学校の屋上には誰も居ない。
私は、フェンスに体を預けて空を眺めていた。冬の冷たい風が吹き抜ける。
何もかもが上手くいかない。そんな毎日に嫌気が差している自分を、少しの間だけでも良いから忘れたい。それが毎日ここに来る理由だった。
「はぁ……」
何度目かの溜め息が漏れる。もう全てに疲れてしまった。
「何してるの?」
静かな屋上に、高くて綺麗な声が響いた。驚いて後ろを振り向く。
そこに立っていたのは、同じクラスの吉沢さんだった。
黒く艶のある長めの髪に、ぱっちりとした黒い瞳、白い肌。誰もが振り向くような美少女だ。成績も学年トップで、学校内でもかなりの有名人で通っている。
そんな彼女が、どうしてここに?
「別に……ただ外を眺めてただけ。吉沢さんは?」
私は質問を返した。そういえば、彼女とまともに話すのは初めてだ。いつも色んな人に囲まれていて、私が入る隙など無いのだから。
「私も、ちょっと外の空気を吸おうと思って」
彼女は少し笑って答えた。その笑顔でさえも、十分人を惹き付ける力を持っている。自分とは大違いだな、思った。
「私ね、一度ここに来て見たかったんだ」
明るい声で話しながら、周りを見渡す。
「思ったより広いんだね。……いつもはどこに行こうにも誰かが着いてくるから、一人になる時間が無くて。今日は何とか皆から離れてここに来たんだ」
周りの風景から、私へと視線を移す。黒い瞳は少女のようにキラキラと輝いていた。
「そう……なんだ」
彼女にも、色々と大変なことがあるんだ。
「人気者も楽じゃないんだね」
つい思ったことを口にしてしまった。嫌味だと思われたかな、と少し心配になる。
「フフ、まぁね」
しかし私の心配をよそに、彼女は笑って返してくれた。多分、もう慣れっこなのだろう。
「立花さんは、よくここに来るの?」
ふいに彼女が尋ねた。
「うん。最近はよくここに来てる。……ここに来ると、嫌な事とか忘れられるから」
「ふぅん…そうなんだ」
「うん」
会話が途切れると、彼女はまた辺りを見回し始めた。その姿は無邪気な子供のようだ。
「吉沢さんにはさ、何もかもが上手くいかない時って無いの?」
「…え?」
私が聞くと、彼女はまた私へと視線を動かした。
「上手くいかない時? うーん…あるかもしれないけど、気にしないようにしてるかな」
彼女は答えたが、私が突然こんな質問をしたからか、少し不思議そうな顔をしている。
「前向きなんだね。私なんか、何やっても上手くいかなくて……
もう……死んじゃいたいよ」
冗談ぽく言ったつもりだったが、作った笑顔が引きつっているのは自分でも感じていた。
どうして今日初めて話した人にこんな事を言っているんだろう? もう自分の全てが嫌になる。
「じゃあさ、私が殺してあげようか?」
自分の耳を疑った。目の前の彼女を凝視する。
「……え…………?」
彼女からは、今までの明るさや笑顔が全て消えていた。
あるのは、美しすぎる仮面のような顔。
「死んじゃいたいんでしょ? だったら、私が殺してあげる」
彼女の言っている意味を理解するまでには時間が掛かった。冗談で言っているようには見えない。彼女の中にある確かな殺意を感じた時、私は身が凍るような恐怖を覚えた。
「吉沢……さん?」
私は震える声で彼女に呼び掛ける。
気が付くと、彼女の右手には銀色に光る鋭い「何か」が握られていた。
それをゆっくりと、丁度自分の顔の横に構える。
夕日に照らされたそれは、手術で使われるようなハサミだった。そしてゆっくりと、一歩ずつ……近付いて…………
「吉沢さん? ねぇ……嘘でしょ……」
彼女の瞳は、恐ろしいほど冷たく光っていた。もう私の声は届かない。人形のような無表情が、さらに私を恐怖に落とし入れる。
一歩……また一歩――
「ねぇ、どうしちゃったの? やめて……イヤ……」
背後には、錆び付いたフェンス。そして、目の前には……逃げる場所など何処にもない。
一歩…また一歩――
「やだ……やだ……」
体が動かない。蛇に睨まれたかのように、彼女の冷たい瞳から目を逸らすことが出来ない。
ついに私と彼女の距離が数センチになった。
「い……や……」
殺される……。
真っ赤な夕日に照らされて銀色に輝くそれは、弧を描き……
私は思いきり目を閉じて、叫ぶ。
「いや!死にたくないよ!!」
───ガンッ
すぐ耳元で、金属のぶつかり合う音が聞こえた。
ゆっくりと、目を開ける。
そこには、吉沢さんがいた。今までのことが夢だったのかと疑う程、綺麗で優しい笑みを浮かべて。
「あ……れ……?」
しかし、すぐ左横には間違いなく銀色のハサミが刺さっていた。フェンスの網の部分に見事に食い込んでいる。
「どう、して……?」
「立花さんが、死にたくないって言ったからだよ」
握っていたハサミから手を離し、右手を軽く動かしながら彼女が答えた。
まるで、何も無かったと言うように。
「じゃあ、もし私が何も言わなかったら……?」
「さぁ、どうかな」
笑みを絶やさずに明るく話す彼女を見ていると、さっきの事が全て嘘のように思えてくる。
「あ、そろそろ帰らなきゃ。じゃあ、また明日ね」
そう言うと、くるっと踵を返して出入口の方へと歩き出す。
ドアに手を掛けた時、彼女が不意にこちらを向いた。
「死にたいなんて、簡単に言わない方が良いよ」
私がその言葉を聞いた時には、彼女はもう消えていた。
If you hope.――あなたが望むなら。