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記し手の英雄  作者: rintin
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プロローグ

 鷹崎綾人は木刀を手に握りしめ、竹林で息を吐いた。そろそろ掌に滲んだ汗が木刀の柄にじわじわと沁み出した頃だ。これは、綾人にとっての練習の終わりを意味する。毎週三回、自宅の近くにある竹林に足を運び、こうして木刀を振る。そうして汗が沁み出した頃に終わる。こんな生活を二十三になった今まで、十二年ほど続けていた。もう剣術は相当なものである。三年前に、それまで剣術を教えてくれた祖父が無くなった。しかし綾人は修行をやめることなく、独りで木刀を振り続けた。

 綾人は竹林を出て、家に着いた。額から流れる汗をタオルで拭いながら、和風家屋の玄関に入る。すると、不思議な感覚に陥った。身体が軽くなり、まるで宙に浮いているような感覚だ。綾人はすぐさま足元を見る。そこには、眩いほどの青い光が溢れ出ていた。綾人は身動ぎをするが、足が地面から離れなかった。


「は?え?ちょっ…」


 綾人はまともな声を出すこともできず、その場からふっと姿を消した。



 ティオラは苛立ちで貧乏ゆすりが止まらなかった。もうグルロイが森の中に入ってから二時間以上も経過した。自分に任せろと偉そうに豪語しておきながら、全然戻ってこない。森のはずれにある小屋の中で、ティオラはスープをコトコトと煮ながらずっと待っていた。グルロイが帰って来たら振舞おうと思っていたが、これでは話が違う。ティオラは、グルロイが確かに、すぐに帰ってくると言っていたのを覚えていた。

ティオラは立ち上がり、暖炉の火を消すと、大股で小屋を出た。


 森の中に入ってすぐの所に、グルロイの姿が見えた。一本の木の前に座り込み、両手を合わせて何やらブツブツと唱えている。皺くちゃの顔では、皺と口の違いが分からない。ティオラは相変わらずのしわしわ顔を心の中で馬鹿にしながら、少し前に進む。しかし、案の定グルロイの周りには結界が張ってある。目に見えない結界だ。時間をかけてもこの結界を破って中に入ることは、ティオラには出来ない。ティオラは仕方なく、結界の前で立ち止まり、グルロイに声を掛けた。


「師匠!いつまでやってんだい!」


 ティオラは女にしては低めの声で叫んだ。しかし、グルロイは反応を見せない。聞こえていないのか、あるいは聞こえていないふりをしているのか。グルロイの性格から考えれば、絶対後者だ。ティオラは艶のある黒髪を指で掻きながら、一つ深いため息を吐いた。   

 そんなティオラの小麦色の肌に一滴の汗が流れた。何やら異様なオーラを感じ取った。ティオラは辺りを見回す。しかし、目に付くのは木々だけ。たまにする小鳥の(さえず)りですら怪しく感じてしまうほど、何もない。すると、先ほどまで反応を見せなかったグルロイが、突然口を開いた。


「探しても無駄じゃよ」

「師匠。どうなんですか?もう二時間も経っていますよ?」

「さすがわしの弟子といったところか、ティオラ。ちょうど、出てくるころじゃよ」


 グルロイは唇に不敵な笑みを浮かべながら、合わせていた手を離し、ゆっくりと立ち上がった。ティオラはグルロイの目の前の木に目をやった。何の変哲もない普通の木だが、木の幹にはグルロイがその血で描いた不思議な模様があった。ティオラは不意にグルロイに近付いた。気付くと辺りの結界は解かれていた。

 すると、木の幹は、中心から縦に亀裂が入った。亀裂の隙間からは、青い光が漏れ出た。眩いほどのその光に、ティオラは思わず目を細める。それを横目に、グルロイが口を開いた。


「アンタがやれって言ってやったんだ。しっかり見届けるんだよ」


 グルロイの冷酷とも取れるその言葉に、ティオラはぞっとした。そして、細めていた目を徐々に開き、しっかりと割れる木の幹に目をやった。そして次の瞬間に、木は音を立てて砕け散った。あたりには土煙が舞い、これにはさすがのグルロイも目を細めた。

 土煙が晴れると、そこには一人の男の姿があった。ティオラは男をまじまじと見る。この国ではあまり見ることのない動きにくそうな服装で、手には布と木刀を持っている。剣士か何かだろうか。


「大成功だよ。後はこいつに“ペン”を握らせるんだね」


 グルロイはそう言い捨て、その場を去ってしまった。ティオラは不思議そうな顔を浮かべ、男を見た。

 綾人は、突然目の前に現れた褐色の女に驚いていた。肩を露出したような大胆な服を着ている。綾人の好みではなかったが、綺麗な女だった。綾人は自分が、剣術の修行をしていた時の格好のままであったことに気付いた。比較的動き易い和服を身に纏い、右手には木刀を持っている。左手にはタオルときたもんだ。


「あの…ここは…?」

「私はティオラ。突然こんな所に呼んで悪いね。あんたはこっちの世界の人間じゃない。別世界から私の師匠が呼んだのさ」


 綾人はきょとんとしていた。突然こんな頓珍漢なことを言われるとは思っていなかった。ティオラは戸惑う綾人を見て見ぬふりをし、どこからか一本のペンを取り出した。赤を基調としていて、生い茂るツタのような黒い線模様が刻まれている美しいペンだった。ティオラはそれを自分の眼で一度見ると、綾人に差し出した。


「このペンを持ってみて欲しい」


 綾人は言われるままにティオラからペンを受け取った。瞬間、掌が熱くなるような感覚が綾人を襲った。その後、身体全体に何かが流れ出したような気がした。血流が一気に良くなった気分だ。綾人は息をのみ、口を開く。


「なんだこのペン。すごい、不思議な感覚なんだが」

「…やはり、師匠の読みは合っていたようだね。そこはさすがと言っておこうかね」


 ティオラはそう言い捨て、一人、小屋に向かって歩き出した。綾人を手招きすると、綾人はティオラに続く様に歩き出した。

 どんな状況になっても、冷静にいられるのが綾人の長所だった。剣術の修行をしている時も例外ではない。突然腐った竹が倒れてきたときも冷静に対処した。修行相手である祖父が、木刀を持っている自分相手に真剣で襲い掛かってきたときも冷静に対処した。この精神力は、剣術を学んでいる間に身に付いたものだった。もともと泣き虫だった綾人は、小さい時に母を亡くした。強盗殺人だった。その時から綾人は、人を護れる力を身に着けようと決めた。祖父に弟子入りをし、十二年間、剣術を嗜んだ。

 そんな、古い記憶をたどっている間に、綾人は小屋についていた。森のはずれにある綺麗な小屋だった。ティオラに続いて中に入ると、そこには先ほどの老人の姿があった。


「紹介する。師匠のグルロイ。あんたを呼び出した張本人さ」

「馬鹿言うでない。お前がやれと言ったのじゃ」


 グルロイは不愉快そうな表情を浮かべ、そっぽを向いた。ここを出る前にティオラが作っていたスープを飲んでいる。ティオラは暖炉に近付き、鍋の中のスープを分け、綾人に渡した。綾人は小さく頭を下げ、何の警戒をすることもなくそれを飲んだ。体感したことのない味だったが、美味い。


「美味い」

「そいつはどうも。さて、本題に入ろうかな」


 ティオラは自分の分のスープをよそうことはなかった。もともと、この世界に来た綾人と、グルロイの労をねぎらう為に作っておいたものだった。

 綾人はスープを飲みながら、ティオラの眼を見る。赤茶色のティオラの眼には、何か高貴なものを感じた。


「私はとある事情から、この世界を旅していた。最もその事情は話せば長くなる。この世界を旅し、見聞したことを書き留めているんだ」


 ティオラは腰のポーチから何かを取り出した。それは、紐で結ばれた数枚の紙だった。かなり数が多い。葉書程の大きさの紙が、二十枚はありそうだ。綾人はそれを手に取り、一枚一枚流すように眺めた。そこには、旅の記録が文字で書かれていた。ティオラの話では、ここは別世界の筈だ。文字が読めるのが、綾人にとって意外だった。


「グルロイ師匠の御手柄だ。こっちの文字はお前にも読めるようになっている。それは、私がこれまでの旅の中で書いた記録だ。旅といっても、まだここら近辺を少し歩いたくらいだけどね。私はこれから、世界中を旅し、それを文字で残したいんだ。最終目標はそれじゃないけどね」

「ふ~ん。事情は聞かない方がいい感じですかね?」

「話が早くて助かる。できれば話したくはない。勝手だが許してほしい」


 ティオラは深々と頭を下げた。綾人はそれを止めることもなく、ただじっとティオラを見ていた。そして、その旅の記録を纏め、ティオラの所へと置いた。ティオラは頭を上げ、話を続けた。


「旅の記録が完成したら、私はそれを、ある国へと届けたいんだ。ここからものすごく遠い所にある国だ。でも、その国へは普通にはいけない。大陸と国に挟まれるように巨大な川が流れているんだ。幅は計り知れないほど巨大だ。川の中には強力なモンスターの姿も確認されている。普通には通れない。そこでこいつだ」


 ティオラは少し立ち上がり、背後の棚の上に置いてあった一つの巻物を手に取った。金色の巻物で、紫色の紐で結んである、如何にも豪華な巻物だった。紐を解き、それを机に広げる。巻物には、中心に円が書いてあった。ティオラは円の上に左手を翳した。そして、自分の顔を左手に近付け、(かじか)んだ手を温めるように甲に息を吐きかけた。すると、掌から薄い光が巻物の円に向かって伸び、突如一羽の鳥が姿を現した。青い毛並みに、黄色いモヒカン頭が特徴的な鳥だった。


「おいおい!また呼び出しやがって!」


 その鳥は喋った。インコの様に何かを真似て喋るとか、そういうレベルではない。人間と同等に、むしろそれ以上に流暢だとも取れる。さすがの綾人もこれには驚き、興味を示す。そして、顔を鳥に近付ける。


「なんだハンサムだなお前!ふざけんな!」


 鳥は綾人の鼻を(くちばし)で二回突く。ピリッとした痛みが鼻を襲い、綾人はうめき声をあげて顔を上げる。ハンサムだと褒められた割には、酷い仕打ちである。綾人は鼻筋に合わせて鼻をさすった。


「悪い。こいつはジャム。これまた一身上の都合で私と契約を結んだ結息獣(けっそくじゅう)だ。結息獣っていうのは、まあ契約を結んで従わせる動物の事だ。ジャムはその中でも貴族階級の高貴な結息獣なんだ」

「なんでまたこんな鳥を…」

「巨大な川の向こうにある国に辿り着くには、空を飛ぶしかないと私は踏んだ。そこでジャムと契約を結び、こいつに旅の記録を運ばせようという魂胆だ。こいつと契約を結ぶのは大変だった。こいつ、こう見えて結構めんどくさい奴でな。知識がある分、色々と私に契約の条件を押し付けてきたもんだ。契約を結ぶのに半年以上かかったね」

「あったりめーだ!俺は高貴な鳥だぞっ!」


 ジャムは偉そうに首を動かしてそう言った。声や喋り方から察するに雄のようだ。もっとも、雄ですか?雌ですか?なんて質問をしたら、トラウマになるレベルて突かれそうだ。綾人は苦笑いを浮かべた。そして、そのままティオラを見る。


「それで、なんで俺をこの世界に呼んだんだよ」

「ああ。実はその国は、強力な魔術師たちの張った結界で守られていて、普通の紙に記したものじゃ、拒絶されてしまうんだ。紙すら拒絶する結界。グルロイ師匠でも解析不可能な結界だよ」


 グルロイは、聞こえないふりをしてスープをすする。気付くと、鍋の中のスープは既に飲み干されていた。


「そこでこのジャムの名案だよ」

「そうそう!俺の名案だ!その国の結界を通ることのできる紙ってのが無いか考えてみたんだが、あったんだよ!それは豪樹と呼ばれる木から作られるジッペロという紙だ。豪樹ってのは大層高貴な木で、そこらじゃ殆ど生えてない。俺は空を飛びまわってやっとその木を見つけた。後はこいつらの仕事。その紙からジッペロを作ることに成功した」


 ジャムの、意外に分かりやすい説明に綾人は頷きながら聞いていた。その傍らで、ティオラはポーチから一つの手帳を取り出した。黒い革表紙の手帳だった。受け取り、ペラペラとめくる。中身も外見も、普通の手帳と大して変わらなかった。


「これがそのジッペロで作られた手帳だ。よくできているだろ。後はこれに旅の記録を書けばいいと、思っていたんだが…」


 ジャムがよちよちと歩き、綾人の持っていたペンを突いた。先ほどティオラから受け取った、黒と赤のあのペンだった。


「これは豪樹の樹液と葉を原料に作られたペンだ。調べたところ、このペンじゃないとジッペロには文字を書けないらしい。ところが…」


 ティオラは綾人からペンを受け取ると、それを使って手帳の一ページ目をなぞった。しかし、インクは愚か、紙にはペンの後すらつかない。ティオラは渋い顔を浮かべて息を吐き、再びそのペンを綾人に手渡した。


「ご覧の通り、誰もこのペンを使って文字を書けないんだ。そこでお前の出番だ。このペンは、使用者の内に秘める何かを探っているらしくて、自分の好きじゃない使用者が使おうとすると、たちまちインクを出さなくなるんだ。グルロイ師匠はそれを突き止め、別世界に居る人間であれば、このペンを使いこなせるのではないかと踏んだ。そこでお前を呼んだんだよ」


 すると、先ほどまで黙っていたグルロイが口を開いた。


「ふん。本当に厄介な注文じゃったよ。できれば戦闘に強い男を頼む…なんてね。あんたのいる世界じゃ、モンスターは愚か魔術すら存在しないらしいじゃないか。強い男なんて言われても見当がつかなかった。やっとの思いでアンタを見つけたが、強いかどうかは最早知ったこっちゃないね」

「なるほど」


 綾人は情報を何とか整理していた。要は、自分がこのペンを使ってこの手帳に文字が書ければいいという訳か。綾人は冷静にペンを握り直し、手帳を開いた。そして、先ほどティオラから受け取った二十数枚の紙を再び受け取り、内容を写すように書き出した。

 瞬間、稲妻が走ったように、綾人のペンも走り出した。血液の流れが速くなったような感覚で、ペンのインクが滲み出る。綾人は迷いなく、内容を写した。黒いインクで埋められていく手帳を見て、ティオラは思わず口元を抑えた。これにはジャムもグルロイも驚いていた。


「なんということじゃ…まさか本当に…ここまで流れるように…!」

「わ、わかんねえけど。何かこのペンすげえ書きやすい」


 綾人はあっという間に、二十数枚の内容を写し取った。ページ数にして凡そ三ページ。まだまだ空白の方が遥かに多い手帳だが、それでもティオラは感動で、思わず涙を浮かべそうになった。嬉しそうに笑みを浮かべるティオラを見て、綾人も少しほっとした。


「どうやら、役に立てたようだな」

「ああ。さすがですグルロイ師匠」

「当然だよ」


 グルロイは鼻を鳴らした。ジャムがよちよちと綾人に近付いた。


「おい!お前!名前は何だ!」

「あ、綾人だよ…」

「よし!じゃあこれから旅に出るぞっ!さあ出発だ!」

「は…?」


 ジャムの唐突な掛け声に、綾人は戸惑った。


 旅…?


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