イタクァ
かつての戦後すぐの物語。
この紅羽の地で、鳳凰の像を制作していた一組の男女がいた。
男の名は「篁」 女の名は「雪乃」
そして篁の彫る鳳凰像に導かれ、この地に一体の物の怪が舞い込む。
それは、座敷わらしの「花」
篁の死後、座敷わらしはこの地に永く留まるが、そこで新たな住人である少年「翔太」と知り合う。
少年を深く想うようになった座敷わらしは、いつしか自分も、翔太と同じ人間になりたいと願うようになった。
座敷わらしは、人に幸せをもたらす子どもの神様。
しかし人間になりたいと願ったその時から、座敷わらしは幸せを導く能力を失ってしまった・・・。
そして、翔太のもとに訪れた災厄「イタクァ」。
おそらく花の心の中には、木枯らしがのような寂しさと悲しみがあったのだろう。
しかし今その心の中に、まるで冬の空に太陽が輝くように、
彼女のことを考えてくれる少女、花のことを想ってくれる友人が現れたのだ。
それが詩織。
花は再び、自分が座敷わらしであることを思い出したのだ。
★
意を決した詩織は黙って倉庫の奥に進むと、そこにある目立たない花瓶の1つに手を入れた。
そして何かをつかむと急いで木田島の前まで戻り、その手を差し出した。
「はい、あったのだ!」
詩織の手に握られていたもの。
それは、間違いなく車のキーだったのである。
木田島にも詩織にも、花の姿は見えてはいない。
なぜ詩織の心の中に突然探し当てる自信が生まれたのか、そして見つけることができたのか、それを今知っているのは真夢だけだ。
真夢はこのゲームに詩織が勝ったことで、自分は解放されるとその時は思っていた。
しかし、身勝手な大人が簡単に約束を守るはずがない。
あまりに簡単に木田島の出したゲームをクリアしてしまったことに、彼は少し唖然としていたが、やがて表情が怒りに満ち始め、感情を爆発させるように詩織の腕をつかんだ。
詩織と真夢に、再び危害を加えるつもりなのだ。
「ふざけるなバカヤロウ!!今すぐ2人とも殺してやる!!」
しかし、その時だった。
ふいに倉庫の外で風の音がした。
風はすぐに暴風に変わり、まるで倉庫の壁を叩くように激しく吹きすさぶ。
「な、なんだ急に・・・?」
突然の出来事に、木田島がうろたえた。
風は収まる気配を見せず、老朽化した倉庫の壁をさらに強く打ち付ける。
そして風の圧力に耐え切れなくなった壁が次第に崩れ始め、やがてそれに伴い天井が激しい音を上げて落下してきた。
「危ない!」
詩織たちに襲いかかるように降り注ぐ古い木片の数々。
ところが、ここで2つの不思議な出来事が起きた。
1つは風。
先程まであれだけ激しく吹き荒れていた風が、倉庫が崩壊した途端にピタリと止んだのである。
そしてもう1つ。巨大な天井が落下してきたにも関わらず、詩織と真夢とティムは、その破片の間に上手に収まるように倒れていて、結果的に傷1つ負わなかったのだ。
そして詩織と真夢がガレキの中から顔を出した時・・・・・。
彼女たち2人は、そこで信じられないものを目撃してしまった。
目を大きく見開き、恐怖で唖然として立っている木田島の前にいたもの。
『・・・・・・イタクァだ・・・・・。』
ティムが小さくつぶやいた。
人に似た巨大な体。美しくも邪悪さを感じさせる白い体毛。
そして、赤く禍々しく輝く2つの凶眼。
ティムがささやいた通り、そこにはかつて翔太を連れ去ったあのイタクァが、邪悪な眼差しで木田島を見下ろし屹立していたのである。
突然現れた大きな災厄に、木田島は何もすることができない。
攻撃しようにも、自分の持つどの方法も、この怪物に通用しないのは直感的に理解できたし、逃げ出そうにも、とてもではないが逃げ切れないと木田島は思ったのだ。
イタクァは無造作に木田島の頭をつかむと、そのまま彼を抱え上げ、その怪物の恐ろしいほどの力に、木田島は悲鳴を上げた。
彼が生命を持つ個体であることを考えていない、まるで物を扱うような持ち上げ方だ。
「た・助け・・・・・・!?」
詩織たちに助けを求めようとした最期の瞬間、木田島は奇妙なものを見ていた。
さっきまで彼の前にいたのは、女の子が2人とネコが1匹だけ。
しかし今そちらを見た時、そこにはいないはずの3人目の女の子の姿が見えたのだ。
おかっぱの髪型。古めかしい和服姿。
その3人目の女の子は厳しい表情で、どこか物悲しい瞳で連れ去られる木田島を見つめていた。
そして、再び巻き起こる暴風。
詩織と真夢が我に返った時、彼女たちの耳には、断末魔に似た木田島の悲鳴が聞こえたような気がした。
イタクァに連れ去られた者に残された選択肢は、おそらくは『死』あるいは『変化』
その者は世界中を連れ回された後、遥か上空から地面に叩き落される運命にある。
どこまでが幸運で、どこまでが座敷わらしの能力なのかはわからない。
しかし木田島はイタクァに連れ去られ、詩織と真夢とティムは、無事にこの困難を乗り越えたのだ。