8.跡地
時刻はそろそろ午後五時になろうとしていた。海斗は悠や美弥子と別れて、一人街を歩いていた。
南北に細長く展開する研究開発地区を相互に連絡する幹線道路。歩行者専用道路はきれいに舗装され、街路樹が等間隔で植えられているとともに、電子パネルなどの機械類も数多く配備されていた。大きなビルや店が立ち並び、横断する人々の多くがGRDを身に付けている。
大きく変わり映えはしていないが、微妙に見たことがない店や建物があり、海斗は自分が本当に五年間眠っていたのだと改めて実感した。
そんな景色を眺めながら、彼はこの街にやってきてからの事を思い出した。
竜崎海斗と二階堂新蔵が初めて会ったのは、海斗が二十歳の時だった。海外で博士号を取得した後、日本で最も能力の研究開発が盛んだったこの都市にやってきた彼は、二階堂の研究所で働くことになった。
破格の待遇で迎えられた彼は、新蔵と初めて出会い、人生で初めて自分より優れた人間の存在を目の当たりにする。正面切って能力者として実力を競い、その差を嫌というほど理解させられたのである。
新蔵と一緒に研究することは海斗にとって、何度も何度もRPGの最終決戦に挑むようなものだった。常に裁判にかけられた被告のように、緊張感を肌に感じ、全力で食らいつかなければならない――そんな戦場のような世界に何年も居たのだ。
(そういえば、先生にはいつも同じ質問を投げかけられたな……)
海斗は懐かしむように新蔵の言葉を反芻する。
――人間の本質とは何なのか?――
超能力が発見されて以来、人間の脳に関する研究は世界各地で取り組まれるようになった。コンピュータ技術などの工学の発展により、人間に近い挙動や思考が出来るロボットも、最近では実現されるようになってきた。一方で倫理に反するものの、クローン技術や遺伝子操作で顔や肌の色を好きなように弄った人間もこの世に作り出せるようになってきている。
近い未来、自分と全く同じ――寸分の狂いもないもう一人の自分を作れるようになるかもしれない。
――そんな世界で、人間を人間たらしめるものとは何なのか?――
要は、その人間を決定づける要素は何なのか、という命題である。
新蔵はいつもそれを考えていた。
しかしながら、目の前の研究や開発に夢中になっていた海斗にとって、それはあまり興味が持てない問題であった。
(何か、答えたような気がするけど……何て言ったっけ?)
頭を捻るが、自分が何と言ったか思い出せない海斗だった。
海斗は街を歩き続けて、ようやく目的地に到着した。
「……はあ、マジですか……」
しかし、到着した途端、彼は落胆することになった。
そこは広い公園だった。遊具などはほとんど見当たらないが、視界には生い茂る木々や一面を覆っている芝生、公園内の道沿いにあるベンチなどが確認できた。
それらは全て彼の予想した光景とは違ったものだった。
なぜなら、ここはかつて二階堂新蔵によって作られた研究所があった場所なのである。
「……事件があった後、どうなったのか気になって来てみたら、これか……」
彼は近くにあったベンチに腰かけてがっくりとうなだれる。
(街並みはそんなに変わってなかったのにここは変わるのかよ……)
彼はしばらく下を向いてへこんでいた。
数分が経って、ここまで歩いてきたことを思い出して、どっと疲れを感じたのか、彼はベンチの前にあった自動販売機の前に立った。
GRDを前面部分に設置されているセンサー部分に当てる。音がピッと鳴り、スポーツドリンクが音を立てて出てきた。取り出し口から目的の物を取り出そうと屈もうとする。
そこで海斗は自分のすぐ横に誰かいることに気づいた。
「……え?」
そこにいたのは十歳ぐらいの少女だった。腰辺りまで伸ばした髪が特徴的で、服装は白いカーティガンに青いフリルのスカートを着ていた。
その少女は、海斗が今しがた召喚したペットボトルを手に持ち、ちょうどお召しになられているところだった。
「……おい、それは俺が等価交換で得たものなんだが?」
彼の問いかけに、少女は首を傾げつつ一生懸命、中の液体を飲み下していた。
(あ、かわいい……じゃない!)
彼は頭を左右にブンブン振って、冷静に対処しようとする。
「そんな天使のような顔をしても無駄だ! おら! 返さんかいクソガキ!」
彼女が飲んでいるそばから、ドリンクを奪い返す。
そして彼はその中身を(何となく口が付くのはまずいと思ったので)ラッパ飲みで全てを飲み干した。
「見たか! これが大人の力だ!」
目の前の少女は呆気にとられたのか、ただただ立ち尽くす。
「……う……うぇ……」
なぜか少女は泣き出しそうになっていた。
「え……何で泣きそうな顔をしてるの!? 俺悪くないよ! むしろきちんと社会のルールを教えたんだから褒められてもいいはず!? 俺を褒めてー!?」
慌てて弁解するが、目の前の少女の涙腺は決壊寸前だった。
「わかったよ!? なんでも頼んで良いから! ほら!」
焦って少女にそう言い、海斗はGRDを自販機のセンサーに認識させる。
その行動を確認したのか、少女はぴたりと嗚咽を止めて無表情になり、ボタンを押して、オレンジジュースを手に入れる。
少女は缶の蓋を開けて、海斗と同じようにラッパ飲みであっという間に飲み干してしまった。
彼は呆然とその様子を眺めていた。
少女は缶をゴミ箱へ投げ捨て、海斗の方を向いてほくそ笑んだ。
(……今のお子様は一体どうなってるんですかね……?)
海斗は五年間の間に世界が恐ろしいモノへと変わったと錯覚した。
日が落ちそうな景色を背にして、海斗は新しく買ったコーヒーを飲みながら少女とともにベンチに腰かけていた。
「……なるほど、暇だから俺に絡んできたんだな?」
「うん」
少女は先ほどの悪意を持った行動の理由をあっさり白状した。
「今、お父さんが出かけてて、暇だったの。だから、ロリコンっぽいあなたなら相手してくれるかなって」
「おい、どういうこと?」
少女の言葉に海斗は憮然とした態度で臨んだ。
「……え? だってロリコンでしょ? あ、ロリコンはロリータコンプレックスの略称だよ!」
「そこじゃない! だから、どこをどう見たらそうなるんですか!? 俺はフツーの男子高校生だ!」
「だって私の胸や足ばっかり見てるし、パンツの色だって妄想でカバーしたんでしょ?」
真面目な顔で淡々とそう述べる。
「見てないからね? あと妄想もしてない。ただ、知り合いに君ぐらいの子がいて、ちょっと懐かしくなったんだよ」
海斗は二階堂有紗の事を思い出していた。幼いころの有紗は、目の前の少女と同じようなフリフリの格好をしていて、いつも不機嫌そうな顔を浮かべていた。
「うわ……もうすでにだれか毒牙に掛けたんだ……」
「……なんでそうなるのかな? ……普段からどういう躾をされてるんだ?」
笑顔で対処しようとするが、こめかみには青筋が走っている。
「けど、どうせその子もあなたのこと、変態か不審者としか考えてないでしょ?」
「……ぐ、それは……」
今日の学校の出来事が頭を過ぎった彼は、言い返せなかった。
「い、今はそういう時期なんだよ! お前だって今はお父さん大好きかもしれないけど、あと五年もしたら『何このオヤジ、キモッ!?』とか言ってるんだからな!」
「それはない」
海斗はいちゃもん付けるように言い返すが、少女は全く動じず、絶対の自信を持ってそう答えた。
彼女のあまりの気迫に、彼は一瞬たじろいでしまった。
「……な、何だ、そんなに親父と仲良いのかよ……?」
勢いに押されて声のボリュームが小さくなってしまっていた。
「……」
その海斗の弱々しい言葉に、初めて彼女は言葉を窮してしまった。
(……? ……ふーん、これは……)
少女は少しだけしょんぼりした様子で下を向いてしまった。
「……なるほど、上手くいってないのか?」
正直怒り出すかもしれないと思った海斗だが、その予想に反して彼女は増々元気をなくしていた。
「……お父さん……私と一緒いるの嫌じゃないかな……?」
彼女は不安そうな表情を露わにしていた。
「はあ? ……だって娘だろ? 親父は娘には滅法弱いんだよ!」
そんな彼の数少ない一般論を言ってのける。
「……だって、血が繋がってないし……」
「……」
(……そんな、複雑な家庭状況だったのかよ!?)
海斗は事の深刻さ具合に何も言えなくなってしまった。
嫌な間が彼ら二人きりの空間に流れた。
「……親父さん、お前に酷いこと言ったりすんのか?」
「そんなこと、されたことない!」
彼女は顔を真っ赤にして即座に否定する。
「……ただ、お父さん、無口で……いつも一人で何か考え込んでるから……」
彼女はまた少しずつ覇気がなくなっていってしまった。
(……はいはい、なるほど)
少女の言動を見た後、両腕を組んで、確信に至ったように頷く。
「ふーん、ま、お前はいろいろ悩んでるだろうが」
海斗はベンチから立ち上がって、手に持っていた缶をゴミ箱へと放り投げた。
「そりゃ、取り越し苦労だよ」
少女の方を振り返って、そう宣言した。彼女は、その言葉を聞いてもどうやら納得がいっていないようだった。
「あなたなんかに何が分かるの?」
やや苛立ちが含まれているような口調で彼女は答えた。
「……その服。お前の親父さんが買ったやつだろ?」
少女の着ているフリフリの服を指さして、質問を投げかける。
「……そうだけど、それが?」
指摘されたことが合っていて、少し驚く彼女。
「そんなフリフリの服、恥ずかしくて普通は買えねーよ! そういうのはセンスのない奴が買うもんなんだよ」
やれやれといった様子で両手をあげる海斗。
「けど、結構良い生地を使ってるっぽいし、ブランド物みたいだからお値段は結構してるはずだ」
彼女のスカートを眺めながらそう評価する。
「……ロリコン知識を披露しなくていいんだけど?」
彼女は不可解なものを見ているかのような顔で呟く。
「ロリコンから離れろ! ……知り合いにお前と同い年ぐらいの子がいるって言ったろ? ……そいつに買ってやったことがあるんだよ……」
彼は少しだけ恥ずかしそうに顔を掻いている。
「苦労したぜ……。研究ばっかで服なんか碌に買ったことなかったし、まして女の子用の洋服店なんか暗黒大陸みたいなもんだったからな!」
彼は大きなため息をつく。服の値段もブランドも、流行も知らない彼は、プレゼントとして用意するためにいくつも店を廻って、結局一番値段が高いものを買ったのだった。
「買っていったときは苦笑いされたよ。おかげでいつも不機嫌そうな、恥ずかしそうな顔してやがった」
彼の言葉に、少女は目を丸くして驚いているようだった。
「……つまりだ。お前のその服! おそらく、親父さんが分からないなりに苦労して手に入れた物なんだよ。たぶん、若い奴のファッションなんて知らないような人なんだろ?」
その問い掛けに、少女は思い当るところがあったようだった。
「うん。お父さんもいっつも研究ばっかだから……」
ようやく少女の顔に朗らかな笑顔が灯った。だが、そこで再び彼女は頭を抱えて考え込んでしまった。
「……でも、じゃあどうすればいいのかな、私?」
少女は期待を込めたまなざしで海斗の顔を見上げる。
「そんなもん簡単だろ。大事に着てやれ、そのゴージャスな服。それだけで……まあ、嬉しいもんなんだよ……」
彼は自分の過去を思い出して、また赤面する。
少女は自分の服をまじまじと見下ろし、大事そうに両手で触れる。
「……うん!」
彼女は海斗が今日出会ってから、一番元気な笑顔を見せた。
「……そうしてやってくれ」
彼は昔有紗にしていた癖が出てしまったのか、無意識に少女の頭を撫でていた。
「……あ、わ、悪い!」
自分の行動に狼狽し、すぐさま手を放した。
(や、やばいなー。せっかくカッコよく決めれたと思ったのに……)
恐る恐る少女の方へと目を向ける。
「やっぱり、ロリコンね……」
少女はジト目で海斗を見つめる。が、少し照れくさそうに頬を染めていた。
「もう帰る。そろそろお父さんも帰って来ると思うから」
海斗に別れの言葉を言い残した彼女は、走っていってしまう。
「お、おう……」
彼はその後ろ姿を見ながら気のない返事を返す。
すると少女は遠くから、もう一度海斗の方を振り返った。
「私、斬島静香! あなたは?」
静香は大きな声で彼の名前を尋ねる。
「さ、犀崎海斗だ!」
「……海斗! ありがと! なんだか、あなたお父さんに雰囲気が似てたから……」
「え?」
(俺一応今は高校生なんだけど……)
今一釈然としない海斗。
彼の困惑した顔を見て、静香は意地悪っぽい表情を浮かべていた。
「……でも、お父さんロリコンじゃないし、何百倍もカッコいいから!」
最後にお約束になった言葉を告げて、今度こそ彼女は去って行った。