3.来訪者
朝の新鮮な空気を感じられる、清々しい朝日の中に海斗はいた。
関東地方の某所に、世界有数の研究開発都市が存在する。
その名は春筑研究開発都市。
約四百に及ぶ研究機関・企業と二万人近くの研究者・能力者が存在し、2030年に設置された。研究教育施設地区、住宅地区、都心地区の合わせて約四千ヘクタールからなる広大な土地。
そこには、GRDを中心とした文明の最先端ともいうべき科学技術が結集されている。
(ククク……ついに戻ってきたぜ!)
海斗にとってもここは、研究開発に勤しんだ故郷とも言える場所だった。
趣向凝らしたとされる様々な形のビルや施設。
緑を意識した木々が生い茂る景観。
そして彼が歩いている、区画毎に彩色されしっかり舗装された公共道路。
車はすでにこの都市では自動制御で、標識の支柱にはカメラや各種センサーが設置されている。
まさに人々が思い描いた未来の世界。
パッと見てもわからないが、IGCS――Intelligent(知的) Environmental(環境) Conservation(保全) System(機能)という都市の環境・機能を管理しているシステムのおかげだろう。
春筑研究開発都市がここまで発展したのには理由がある。
それは経済の発展や最先端の研究開発が行われるように、政府から法的・行政的に特別な地位を与えられているという点だ。
このような地域は特別経済特区と呼ばれる。
独自の統治やルールを設けることが許可され、エリア内に限り従来の規制を大幅に緩め、外国企業の誘致も積極的に行われている。
(相変わらず、無駄にきれいだな)
海斗は、そんなことを思いながらも内心はワクワクしていた。
犀崎海斗という新しい人間として振る舞うことを決めた彼は、実のところ、高校生――学校生活に憧れていた。
海斗に才能を感じた両親は、海外に移り住んで彼の望むように何でも挑戦させた。そのおかげか、とんでもない速度で進級し、十八才で博士号を取るまでに成長した。
一方、学校で友達と遊んだり、異性と触れ合ったりという経験はまるでなかった。
そんな青春を置いてきた海斗にとっては、この状況は悩ましくも、同時に嬉しいものだったのである。
学生証のデータはGRDの中にあり、他の必要な書類もここに来る途中でコンビニエンスストアのコピー機を利用して準備した。電子マネーがGRDにチャージされていたため、生活費なども問題なかった。
学生服はどうするのか。彼はこれに気づき思案したが、目覚めた一室のクローゼットをよく探したら、ぴったりのサイズのものが用意されていた。
(何から何までホントに周到だな……。一体誰だ?)
彼を導く存在は、未だに皆目見当がつかなかった。そもそも、個人情報やGRDの登録認証を偽装し、別人の来歴を作り出すなんて一人の人間には無理だ。
相当な力を持つ組織の力が働いているのではないか、と彼は考える。
(そういえば、この類の妄想は十歳の時あたりに毎日のようにしてたな……)
なんだか頭痛がする海斗だった。
そんなことを考えるうちに、荘厳な校門の前に彼は到着した。
「よっしゃ、待ってろよ学園生活!」
海斗はようやく目的地に到着した。
校門の所には『開明学園』と書かれてある。
開明学園とは春筑研究開発都市に存在する小等部・中等部・高等部・大学・大学院・研究機関という側面を併せ持つ教育施設のことだ。広い敷地面積を持ち、森林公園のような景観を意識したキャンパスデザインで、各種の研究教育施設だけでなく、医療施設やスポーツ施設も設置してある。
基本的にここに入学した学生はそのままエスカレーター式に進級し、研究者兼能力者としての知識や技術を習得する。飛び級などの制度に加え、中等部・高等部の在籍でも能力が認められれば研究施設の出入り及び使用が許可される。
ようはエリートが集うエリートのための学園だった。
「それにしても、他の生徒の姿が見えないな……」
海斗はGRDに目を落とし、現在の時刻を確認する。
午前十時十五分。
完全に遅刻だった。
(仕方ないよ。布団とは一心同体なんだ。むしろこれだけ早く来たんだから感謝されてもいいくらいだろ!)
悪いのはどう考えても海斗だが、彼はそれを認めるような性格でなく、この歳になってはそれを修正することも出来なかった。
生徒の流れに乗って学園に入ろうと考えていた彼は、校門付近でキョロキョロ周りを伺ってしまう。それはまるで不審者のようだった。
すると彼の背後で車の止まる音が聞こえた。
思わず彼は振り返った。
その途端、海斗は車から現れた存在に目を奪われた。
彼を魅了したのは、一人の美しい少女。
ツインテールに結んだ美しい長髪。凛とした雰囲気のある整った顔立ち。人形のように細い手足。ミニスカートの制服、膝まである黒のニーソックス。全体的に肌の露出を抑えた格好をしている。
誰もが見れば神々しく感じるであろう、そんな奇跡のような少女だった。
しばらく海斗は微動だに出来なかった。
車から降りた女生徒は、運転手に声をかけて、そのまま校門の方へと足を向ける。
海斗は自分でも良くわからない危機感から、急いで校門の柱の裏に姿を隠す。
(えー!? 何やってんの俺!?)
自分の行動の不可解さにツッコんでしまうが、コソコソ隠れる姿は滑稽以外の何物でもなかった。
歩を進める女生徒だが、案の定、校門の裏の不審者に気づき歩みを止める。
海斗のいる方を明らかにガン見していた。
(マズ―い! このままでは通報されてしまう!)
このままでいるのが危険だと即座に判断した彼は、何事もなかったかのようにさわやかな顔つきで姿を現した。
「よーし、ここも異常なし! ……学園の平和は俺が守る!」
海斗は謎の勢力から学園を密かに守るヒーロー、という設定でこの場を回避することにした。
「暗黒物質の存在は感知されない。平行世界からの干渉もないようだ……。この地帯一帯の存在密度は現在安定している……」
そこまで言って彼は女生徒の方を、盗み見た。
海斗を見つめる少女の表情は、完全な無だった。
(く!? 失敗か!)
割と気に入っていた設定だっただけに少しショッキングな海斗だった。
「君の言いたいことは分かる。俺が怪しい奴だと思っているんだろう?」
海斗は諦めて少女の方を向き、スピーチコンテストを行っているかのようなオーバーな身振りを繰り返す。
「確かに一般的に、校門の裏でコソコソしている人間は怪しいと思う。それは同感だ」
海斗は右手を額に当て、哲学者のようなポーズをとる。
「だが、俺の姿をまず確認してほしい。……制服を見てわかると思うが俺はここの生徒だ。正確には今日ここに転入することになっている、いわゆる転校生というやつだ。今日ここに赴き、新生活をスタートさせる……その心境を考えてみてほしい」
眼前の少女は全く反応を示さない。むしろ訝しむような目線を海斗の方に向けている。
「そう……そうなんだ! 俺は非常に緊張しているんだ! 俺は緊張してしまうと、思わず校門の裏でコソコソと縮こまってしまうという習性があるんだ!」
少女の顔つきがより険しくなっていく。なんとかして打開しなければ海斗に未来はないかもしれない。
(くそ! とにかくこの状況を打破しなければ!)
海斗は膝から崩れ落ち、顔を両手で押さえて懇願する。
「おかしいって笑ってくれていい! 俺だって好きでこんなことをしているわけじゃないんだ! でもどうしても……どうしても、この悪しき理から逃げられないんだ!」
涙を浮かべながら海斗は天を仰ぎ見る。そして神に――この裁定を下す少女に祈りを捧げる。
「それでも、こんな俺でも……前に進めるかもしれない! 人並みの幸せを掴めるかもしれない! 勇気を出せば何だってできるんだって……そう思って、そう信じて、ここまでやって来たんだ!」
そろそろ海斗は自分でも何を言ってるのか分からなくなっていた。目の前の少女は膝まづいた彼を無表情で見下ろしている。
「だから……どうかお願いだ! こんな俺を……こんな俺にも……チャンスを与えてほしい!」
海斗の心の叫びが響き渡る。もう彼は引っ込みが効かない暴走列車のようだった。
絶叫した彼は、俯いて、ただただ少女の神託を待った。
「……それで? あなたは何が望みなの?」
初めて聞いた少女の凛とした声によって、彼はやっと本当の自分に戻ることが出来た。
彼は自分の本当の気持ちを伝える。
「……職員室、どこですか?」