35.怪物
午前十一時半。
海斗は静かな一室で朝の惰眠を貪っていた。
部屋は八畳程度の広さで、洗面台とベッド、小さな冷蔵庫などを備えた非常に簡素なものだった。
薄っすらと目を開ける海斗。だが、体を重くてどうにも起き上がれそうにない。目を閉じて、再び夢の世界へと旅立つ。
それもそのはず。彼はここ数日間、満足に寝ることも出来なかったのである。
二階堂有紗の誘拐事件は、五年前の襲撃事件とともに劇的な解決を見せた。
すでに死んだとされている、二階堂新蔵本人の肉声を残したデータ。事件当夜の様子を明らかにする映像の数々。事件の関係者である宇佐美春雄の自供。それらによって、真相が明るみになったのである。
この怒涛の展開に、マスコミはこぞってこの事件の顛末を報道した。新聞は第一面で、この事件を連日のように取り上げ、TVのワイドショーなどもこの一件で持ちきりだった。
一方で、悪行が白日の下に晒されたヘルシャフト社は、今や営業停止状態である。本社は家宅捜索の対象になり、事件の関係者は全て逮捕された。おまけに、人体実験を始めとする非合法な行いも露見し、報道の中心は今やヘルシャフトになりつつあった。
事件の解決に喜ぶ暇もなく、二階堂もマスコミの取材の嵐でごった返している。海斗と有紗は事件の中心人物として、記者に追い回される始末である。警察の事情聴取も長く辛いものとなり、二人はへとへとに疲れ果てていた。幸いにも、海斗の正体については隠し通すことができ、彼はただの学生として事態を切り抜けることが出来た。その後、彼は二階堂の屋敷の厄介となったのである。
そういうわけで、海斗は疲れた心身を癒すために休息を必要としていた。
「犀崎君。そろそろ起きてください。もうお昼です」
ドアをノックする音の後、女性の声が聞こえてきた。おそらくは有紗のボディガードである美神凛だろう。
海斗は布団をかぶり直す。断固として起きる気はなかった。
「今色々立て込んでるから後にして。五時間ぐらいしたら行くから」
海斗は耳を塞ぎ、籠城を決意する。
すると、部屋中に強烈な爆発音が響き渡った。
「な……何!?」
驚いた海斗は体を起こす。
見るとドアは哀れなほどに変形し、もう職務を果たすことは無理そうだった。そして、ドアがあったはずの場所に美神凛が立っていた。
「やっと起きましたね。手間を掛けさせないで下さい。……殺しますよ」
恐ろしい言葉を平然と言ってのける。拳はしっかりと握り込まれ、鋭い眼光を放ち、これから殺し合いでも始めるのかといった具合である。
「……は、はい……起きます。すいませんでした」
完全に目が覚めた海斗は、その言葉に従うことに決めた。
(……何なんですかね? この凶暴さは?)
有紗と海斗はヘルシャフトの工場から出た後、すぐに二階堂に連絡を取った。連絡してから間もなく、凛達が車に乗って現れたのであるが、その時からずっと凛は海斗に対してキツイ物言いだった。
海斗は恐る恐る尋ねてみることにした。
「あ、あのう……もしかして、屋敷を襲ってGRD壊したの、怒ってる?」
途端に凛の顔つきが厳しいものへと変わる。
「……ご、ごめんなさい!」
海斗はその姿に恐怖を感じ、ただただ平謝りすることしか出来なかった。
その様子を見て凛は表情を崩し、ため息をついた。
「……そのことについては、何も思っていません。あなたの事情も理解しています。仕方がない状況だったと……。ですから、それについては謝る必要はありません」
咳払いをしながらそう答える。
その言葉に海斗は安心した。だがそれでは一体何が、彼女にこれほど敵対的な態度を取らせているのか。それが疑問だった。
会話が途切れ、変な空気が流れる。
「……一つ質問があるのですが、よろしいですか?」
凛は少しだけ迷った素振りを見せ、口を開いた。
「……別に良いですけど。何か?」
海斗はぶっきらぼうに答える。どんな質問が飛び出すのか、思わず身構えてしまう。
「では単刀直入にお聞きします。……あなたは有紗お嬢様に、恋愛感情をお持ちですか?」
「はい!?」
予想外の質問に、海斗は驚きを隠せない。
「ちょ、ちょっと待て! 何だそれは!? 俺が有紗に……そんなわけないだろ! 俺は曲がりなりにも、あいつの親代わりみたいな存在だったんだぞ! ……まあ、正確には俺じゃないけど……」
発言しながら、なんだか元気がなくなっていく海斗。凛はその様子を気にも留めず、尚も捲し立てる。
「本当にそうでしょうか? 私たちがあなた方の元へと急行した際、あなたはお嬢様の肩を抱いていたようですが?」
(え? ……そうだっけ?)
苦虫を潰したような表情になる凛。それとは対照的に、海斗は困惑した顔つきになった。
冷静になった彼は、即座に否定の言葉を考える。
「あの時は心身ともに疲弊してただろ? 有紗は誘拐されて、非常に不安定な状態だったんだ。だから年上として、気を遣うのは当然の事。 そもそも、あいつだって俺の事は、血のつながってない兄貴ぐらいにしか思ってないって。……な? 問題ないでしょう?」
いつもと違い論が通ってないような答えになるが、海斗は無理やり結論付けた。
凛は顎に手を添えて考えている。
「……まあ、分かりました。そういうことにしておきましょう。あまり詮索するのは、お嬢様を救ってくださった方に、あまりに無礼と言うもの」
凛はそう言って、海斗に背を向けて歩き出した。
(……すでに無礼だと思うんだけど……)
部屋の惨状を見て、そう言わずにはいられない海斗。しかし、学習したのか口には出さなかった。
余計なひと言は災いを招く。
彼は今までの経験から、何となくそれを察していた。
****
凛に急かされて昼食を摂った海斗は、屋敷内のある場所を目指していた。華美な廊下を黙々と歩き続ける。そして、以前お邪魔した応接室へとやって来た。
「……うーす」
ノックもせずに、海斗は部屋の中へと踏み入った。
中にはソファに腰かける有紗の姿があった。
「おはよう。……いえ、時間的には『こんにちは』……かしら?」
有紗は落ち着いた色調の服を纏っている。どうやら、海斗を待っていたようだった。中央に鎮座したテーブルの上には、ノートパソコンが用意されていた。
「悪いな。……じゃあ、早速、例のモノを拝見するか」
海斗は 有紗の対面にあるソファに腰かけた。そして、胸ポケットから黒いメモリのようなものを取り出す。
「……それが、お父様の……」
有紗はまじまじとそのメモリを見つめる。表情にはやや緊張の色が見て取れた。
海斗が取り出したメモリには、二階堂新蔵が残した音声ファイルが入っていた。海斗がウロボロスから与えられたファイルは二つ。その内の一方は、証拠品として警察へと提出された。目の前にあるものは、残されたもう一方のデータであった。
「証拠品として押収されたデータでは、人工知能や俺の事については何も触れられていない。事件当夜の状況だけが先生の肉声で語られていた。いわば、証拠用ってわけだな。そしてこれは、俺とお前に向けられたメッセージが込められている……らしい」
「……らしいって、あなたはまだ聞いてないの?」
有紗は疑問の声を上げる。
「……まあ、忙しくてだな……。とにかく、俺も今から聞く」
聞く気がなかったとは言わない。そもそも、手に入れた時は自分がクローンだと知ったばかりだった。彼はメッセージを確認せず、有紗の前から消えるつもりだったのだ。
海斗はメモリをパソコンに差し込み、中のデータを再生しようとする。
「……」
何となく、海斗の手は作業を中断してしまった。
(……何を怖がっているんだ? 俺は?)
得体のしれない何かが、一瞬だけ彼を引き止めたような気がした。有紗の不安げな視線を感じ、海斗は再生ウィンドウを起こした。
「……いいか?」
海斗は有紗の方を振り返り、その覚悟を問う。
「……ええ、大丈夫」
いつもの強い瞳を取り戻し、有紗は真っ直ぐに海斗を見返した。
その姿を確認し、海斗は再生ボタンをクリックする。するとパソコンのスピーカーから、音声が流れだした。
『……私は二階堂新蔵だ。……このファイルを開いているということは、すでに事態は収束していると考えていいだろう。まずは、ここまでたどり着いたことに、賞賛を送らせてもらおう、竜崎海斗のクローンよ』
その聞き覚えがある声に、海斗は懐かしさと威圧感を感じた。有紗も同じなのか、顔を少しばかり引き締める。
『……すでに知っているだろうが、私はここで最後を迎える。宇佐美には悪いと思うが、それは私には関係のないことだ。すでに私は、この世界に興味がない。ぞして自分自身の命にも、同様に関心がなくなった』
部屋に流れる音声は、無機質で、無色だった。音声だけでは、新蔵の意図がまるで分らない。
『常日頃から私自身が、追及していた命題を覚えているか? 人間の本質、それを私は求めていた。……そして、私はある結論に至ったのだ。……私では永久に答えに到達できない……と』
海斗の心臓が跳ね上がる。
有り得ない発言。二階堂新蔵が、これほど簡単に、敗北を宣言するという、その言葉。
『私は、答えに辿り着く術を、もう何年も前に失っていたのだ。そんなことに気づかず、……いや気づかない振りをしていたのだ。この私が――二階堂新蔵が――』
平坦な声に、わずかばかりの感情が込められているように感じたのは、海斗の錯覚だろうか。
『愚かにも私は、存在しない物を取り戻そうとしていた。……病死した妻を――二階堂朱里を、作り出そうとしたのだ』
「――!?」
海斗と有紗は、その言葉に驚きを禁じ得なかった。
(……妻を甦らせる!? そんなことできるわけが……――ッ!?)
海斗の思考はすぐさま、ある可能性へと結びついた。
オーバーテクノロジーとも言える人工知能――ウロボロス。狙い澄ましたかのように研究室の地下に用意されていた、クローン培養装置。
この二つの存在は――。
『私は朱里の人格をコンピュータ上に再現しようとした。肉体は生前のDNAを元に、全く同じものを用意すれば良い。……当時の私には、それが可能だと思っていた』
人間の思考を再現できるようにするには、膨大な量の外部装置が必要になる。革新的な理論があったとしても、到底不可能だと海斗は感じた。
『GRD――超能力という脳の可能性を切り開く技術の誕生。この事実が私を後押しした。この新技術を組み合わせ、私の持てる知識を総動員し、ある程度まで人工知能は完成した。……だが、私にはそこが限界だった』
海斗は一度頭を切り替え、冷静になるよう努めた。有紗の方を見ると、彼女は辛い表情を浮かべていた。実の父が、死んだ母を作り出そうとしていたなど、おそらくこれほどの衝撃はない。
『出来上がった人格は、決して朱里ではなかった。それは私が一番よく知っている。何度構築し直しても、完全からは程遠い。……長い時間をかけて、私は自身が無意味な行為に及んでいると悟った』
再生される音声には、少しずつノイズが混ざりつつあった。
『だから、私はこれを機に死ぬことにしたのだ。後の余生など、私にとって無価値だ。……それ故に、勝手ではあるが、ウロボロスを使って後の事を全て君に任せたのだ。――犀崎海斗』
新蔵はその時初めて、犀崎海斗という名を呼んだ。
海斗は再び、自分の体が何者かに囚われているかのような錯覚に陥った。
『お前は竜崎海斗ではない。同じ人間――はない。……それは――保証する。君は、――惑わされずに、自分の――生きていくが良い』
だんだんとノイズが大きくなっていく。
二階堂新蔵という人間の最後が近づきつつある。海斗と有紗にはそれが分かった。
『――が、もし君が――ならば、私の――聞いて欲しい――』
二階堂新蔵の世界が崩壊していく。
途切れ途切れの声は、泣いているのか、笑っているのか、――それともいつものように、不動なのか――それさえも判断できない。
海斗はパソコン画面を両手でつかみ、その声を拾おうと必死になる。
『――娘を――』
そこで時間は止まった。
「……」
呆然となる海斗と有紗。
再生が終わった後の黒い画面を、海斗はただ見つめることしか出来ない。
怪物は、あまりにもあっけなく、不可解な形で、終わりへと収束した。




