33.罪過
男は夢を見ていた。
それは、果てもなく自分を探し続けた日々の記憶だった。
男は生まれて間もなくしたころから、利発な子供として周囲には認識されていた。おもちゃやゲームには興味を示さず、いつも本ばかり読むような子供であったため、友達はいなかった。
しかし、彼はそれに満足していた。
書籍の中には自分の知らないことがたくさん詰まっており、それに没頭できるということは幸福なことだと感じていたからだ。図書館に何度も何度も通い、そのたびに山ほど本を借りて読み耽る。
小中高と、他人とはほとんど会話することなく過ごし続けた。
一方で、彼の両親はそれを心配していた。
子の知能が普通の人間よりも優れている事。それは、親からすれば喜ぶことなのかもしれない。しかしながら、友達と遊ばず、自分の世界に籠りっぱなしの息子。平凡な彼らからすると、その姿は不気味に映ったことであろう。
彼は賢かったため、自分を見る両親の気持ちを理解していた。
そしてその上で、両親には感謝の念を抱いていた。自分のような異端者を生み、育ててくれたこと。
ただそれだけで十分だった。
――それ以上は望まない。
彼は自分が普通とは違うことを正確に把握していた。家に居る時も、学校に居る時も、どこに居ても、彼は、自分の居場所はここではないと感じていた。噛み合わない会話、反りの合わない価値観。世界は違和感に満ちていた。
一体、自分はどこにいるのか。
闇雲に探し回った彼の居場所は、研究というものだった。現象と睨めっこし、物言わぬ実験装置と触れ合い、神秘に迫る。人と関わるより、よっぽど性に合っていた。
だが、それは現実からの逃避だったのかもしれない。
大学院を早々に卒業した後、彼は超能力の研究に従事できる二階堂グループへと入社した。彼をそこへ導いた理由は単純明快。少しでも歯ごたえのあるような事象に出会えると思ったから。そして彼の予想通り、そこにはこれ以上ないぐらいの最高の環境が揃っていた。
彼は幾分、それまでよりも充実した日々を過ごすことができた。
それでも、彼の違和感は消え去らなかった。悶々とした心境のまま、時間は進んでいった。
そんなある日、彼は食堂で昼食を静かに摂っていた。片手には、今取り組んでいるテーマに関する研究資料が握られている。
食事を摂る時間すら惜しい、と彼は思っていた。
フロアの隅で一人、黙々と食事に勤しむ。
すると、目の前に席に何者かが陣取った。その人物は何かに追われているように、急いで食事を始めた。
孤独を好む彼にとって、その出現は不愉快だった。誰かは知らないが、目を合わせないように努めよう。そう思いながら、彼は書類に再び目を通す。
突如、その紙束が視界から消失した。
何が起きたのか、理解できなかった。我に戻った彼は、すぐに犯人である眼前の人物に抗議した。
彼の声を無視して、その男は黙々と書類に読む。
あまりにも失礼極まりない。
関わるのは止めよう、と彼は即座に判断した。
昼食は途中であるが、ここにいるのは無意味、いやむしろ不快だった。彼はその男を意識の外に追い出し、自身に割り当てられたデスクへと戻ることにした。
自室に戻って冷静になった彼は、作業に戻ることにした。奪い取られた書類をもう一度印刷し直し、一息つくためにコーヒーを用意する。先ほどのイレギュラーなどなかったかのように、普段通りの時が流れた。
しかし、一時間ほど過ぎた後のことであった。モニターに向かい、今後設計する予定の試作機、その基本コンセプトを考えているときの事だった。
扉を壊しかねない程の大音量のノックが部屋に響き渡る。
今日は厄日だ、と彼は思った。
仕方なく扉を開いてみる。
そこには大量の機材と資料を抱えた男がいた。
先刻、彼に無礼をはたらいた人物である。
この男こそが、竜崎海斗だった。
それからというもの、彼は竜崎と毎日のように言葉を交わすことになった。
GRDの設計、プログラム構築だけでなく、脳科学やコンピュータサイエンスなどの他分野に渡って議論を交わし続けた。彼はそれまでの人生において、竜崎ほど卓越した思考と独創性を持つ男に出会ったことがなかった。それはどうやら竜崎にとっても同様だったようである。議論の中には、少女用の洋服はどんなものが良いかというテーマもあり、値段が高い物の方が機能性と品質に優れるという結論に至った。この議論にどんな意味があるのか不明だったが、後年この経験が彼自身を助けることになった。
しばらくすると昼食のたびに行われていた日課は、いつしか他の者たちも参加するようになり、もはや会議のような体を成していた。そんな状況に彼は内心驚いていたが、元来の不器用な性分ゆえに、顔には出さないようにしていた。
気づくと彼は共に働く職員たちから研究開発についてアドバイスを求められるようになっていた。後で聞いた話であるが、彼は周囲から、質問されたことに必要なことを端的に分かりやすく回答してくれる、という評価を受けるようになっていたらしい。当の本人としては、不要なことに時間を使いたくないという考えだったが。
竜崎と関わりだしてから、彼の元には面倒事が舞い込んでくるようになった。
やはり他人と交流するということは極めて厄介である。
そう思いながらも、彼はその状況がどこか楽しいと感じるようになっていた。
周囲の人間からから必要とされる。
切磋琢磨し、張り合うことが出来る程の好敵手もいる。
それまでの彼にはなかったモノだった。
数年が過ぎ、二階堂においてもそれなりの実績を積み、研究開発部の管理職のポストにまで彼は昇進した。
そして――全ての元凶がやってきたのである。
それは彼が共同研究を行っていたヘルシャフト社。そこから持ちかけられた非合法な案件だった。
『そちらの研究所からデータを秘密裏に回収したい。それに協力して欲しい』
それは到底不可能な話だった。彼自身が管轄する範囲の研究データならば、彼らに横流しすることも出来なくはない。だが、彼らの欲する最重要機密はトップの二階堂新蔵が握っている。
そして彼にとっても、協力する気などさらさらなかった。
多額の報酬と地位を用意されても、彼には不要だった。今の環境を考えれば、むしろ断固として拒否するほどである。
彼は考えさせてほしいとヘルシャフト社に返答した。そしてすぐさま、二階堂新蔵の元へと赴いた。この件を通報しても良かったが、当時からヘルシャフトには黒い噂が絶えず、警察そのものと癒着していると彼は聞いたことがあった。そのために、まずは新蔵に報告するのがベストだと判断したのである。
しかしそれを聞いた新蔵の答えは、予想外のモノだった。
『相手の要求通りの行動を取れ。後はこちらで対応する』
彼は新蔵の意図を計り兼ねていた。
疑問の声を上げた彼に、新蔵は答えた。
『反撃するならば一網打尽にしなければならない。現状では直接接触してきた人間は処理できる。が、ヘルシャフトという組織すべてを瓦解させるには決め手に欠ける。そのためにあえて襲撃させ、決定的な現場を押さえ、確たる物証をもって打倒する』
つまり今は泳がせておき、一方こちらでも準備を進める、というものだった。彼はそれが二階堂側のダメージをゼロにするための手段だと解釈した。多少リスクはあるものの、理には適っている。何より二階堂新蔵にかかれば、その程度できないわけがない。長年二階堂で働いてきた彼にとって、二階堂新蔵に不可能はない。そう認識していた。
彼は新蔵の案に従うことを決意し、ヘルシャフトの指示通りに動いた。
――これが悲劇の始まりだった。
襲撃の日。彼の目に映ったのは信じられない光景だった。
苦楽を共にした同僚たちの死体。
日々を過ごした研究所の荒れ果てた姿。
彼は理解が出来なかった。新蔵による何かしらの対応はなかった。引き起こされたことはあまりにも現実離れしていた。
彼の手によって、彼の居場所は蹂躙されたのである。
そこからの彼の記憶はあやふやだった。
事件から少し時が経ってからも、彼は何もできないでいた。それが自己保身のためなのか、それとも現実を受け入れられないためか、彼には判断できなかった。仮に自首しても、死んだ者が生き返るわけでもない。どうすれば良いのか、彼には分からなかった。
彼は定まらない意識のまま、ある場所にやって来ていた。襲撃で死んだ者たちの葬式に出られるほど、彼は非情な人間ではない。
それでも今回は足を運ぶ必要があった。
斎場内の祭壇には花が所狭しと供えられていた。その中に飾られている遺影に映っている人間――それは竜崎海斗だった。
呆然とその在り様を見つめる。
そのときに彼は初めて、失ったものを正しく認識できた。
自分の居場所、自分自身、長年探し求め、手に入れたモノ。
それらがなくなったのだと。
彼の虚ろな目は、斎場内で泣き叫ぶ少女の姿を捉えた。彼女の声が、彼に重く重く圧し掛かった。
――許さない。絶対に許さない。
襲撃者に向けたであろう怨嗟の言葉。
自分を失くしてしまった彼にとって、その言葉はむしろ救いだった。
役割が見つかったのである。
自分は彼女にとっての悪なのだと。
それが自分なのだと。
――それが、宇佐美春雄という人間なのだと。




