30.両雄
海斗がその場を制圧してから、少しの間静寂が流れ、二人を取り囲んでいたヘルシャフトの人間達は一人の例外もなく意識を失っていた。
「……あ、その、ありがとう……」
海斗によって縛られていた手首の縄を解かれた有紗は、心ここに非ずと言った様子だった。
そんな彼女を見て、海斗はどのような声を掛ければいいのか迷っていた。
「……」
話さなければならないことはいくつもあった。だが、第一声がどうしても見つからない。
「……」
有紗の方も困ったような顔をしている。
しばらく頭の整理をするために海斗は目を瞑った。
(……何から話そうか。いや、まずはあらためて自己紹介か?)
どうでもいいことばかりに思考が至ってしまう。
「……あーその、なんだ。……悪かったな、色々酷いこと言って……」
ようやく絞りだした言葉は極めて些細なものだった。
有紗はポカンとした表情を浮かべる。
そして何故だかわからないが泣き出してしまった。
「え!? ちょっと!? なんで泣くんだ!? わ、悪かったよ、……その、だがな、俺にも簡単に話せない事情があってだな!」
「……違う、そうじゃない! ……相変わらず、何にも分かってない!」
有紗は泣きじゃくりながら、必死になって話そうとしているようだった。
「あなたは竜崎先生なの? それとも犀崎君なの?」
その問いはあらゆる疑問を凝縮したものだった。
「……竜崎海斗という男は死んだ。あの日に……お前を想いながら……。今お前の前に居るのは、その記憶を持ったクローン……コピーだ。そして、それが犀崎海斗という人間の全てだ」
海斗はあえて非情とも言えるような発言をする。それは有紗だけではなく自分に向けた答えでもあった。
「……なら、どうして私を助けようとするの? そんな……あなた自身とは関係ないじゃない……」
「……そうだな。……お前の言う通り、俺とお前には直接的な関係なんてないのかもしれない……」
海斗は再び目を瞑ってしまう。
有紗もそれを聞いて悲しそうな面持ちになってしまった。
「……でもな、そういうのは気にしないことにしたんだ」
「……え?」
笑顔になった海斗に有紗は驚いた。
「クローン人間ってやつはオリジナルと自分の存在に悩んじゃうみたいだけど、生憎俺は天才だから割り切れちゃうんだな、これが」
楽しそうに海斗は語る。
「俺は今生きているわけだから、これから好きなように生きていける。竜崎海斗の二六年間の記憶はあるけど、長く生きていれば、いずれ犀崎海斗として生きた年月がそれを追い越すだろ? なら別に気にする必要もないかなって」
「……」
有紗の目に海斗はどう映ったのだろうか、窺い知ることは出来ない。表情を変えない有紗とは対照的に海斗は明るかった。
「とにかくだ。俺はお前を助けるって決めたから助ける。それを決めたのは今のおれ自身だ。だから、文句は言わせないぞ」
はっきりと断言する海斗。
そこまで聞いて有紗は口を開いた。
「……そう、そうなんだ。……何と言うかその……変なの……」
有紗も海斗に釣られたように笑ってしまっていた。
一方で海斗もその様子を見て安心した。
「これからは、その、あなたのことは、犀崎海斗君でいいのかしら?」
最後に確認するかのように有紗が問いかける。
「ああ、それで頼む」
お互いに納得と結論が出たようであった。
「さてと、こんなところさっさと帰るか」
海斗がその一歩を踏み出す。
「待ちたまえ。まだ、終幕には早いぞ」
最大の難敵が姿を現した。
「……そうだった。まだお前が居たんだよな。……宇佐美!」
海斗と有紗は声の主――宇佐美の方を向く。宇佐美の傍には当たり前のように静香の姿もあった。
「宇佐美さん! ……あなた、この期に及んで、まだ……」
有紗は憎い仇を見るように鋭い視線をぶつける。
だが宇佐美はいつも通り、微動だにしない。
「そう言うな有紗君。仇敵がそう簡単に心変わりするのはつまらないだろう? 私は一貫して君の敵であるべき。……そう思っているのだよ」
宇佐美は心底つまらなそうな表情である。
「宇佐美……こんなくだらないことはもう止めろ」
海斗の言葉に宇佐美はわずかに反応した。
「くだらない? ……いやいや、私にとってこの状態は理想的だよ。……竜崎……お前とこうして決着をつけることが出来るのだからな!」
口元を吊り上げて凶悪な笑みを浮かべる。
「お前のことを有紗君から聞いたとき、どれほど私が歓喜したか、お前には分からないだろう?……私はお前が死んだなど認めていなかった。……お前と二階堂新蔵が死んだなど、あってはならない」
宇佐美は激しい感情を露わにする。そこに込められているものは怒り、悲しみ、憎し……そのどれか、判断がつかない。
「宇佐美……お前……」
海斗にはその姿が狂人に見えた。
「先生の作った人工知能から、事件の詳細は聞いた。証拠だけじゃなく、その中には二階堂先生自身の肉声データも残っていたよ。宇佐美、お前はこのままおとなしく投降するべきだ」
「……人工知能、そんなものを二階堂新蔵は作っていたのか。……なるほど、そんなオーバーテクノロジーとも言えるべきものが、お前をここまで導いたのか」
宇佐美は海斗の助言を無視して笑い続けている。
「この瞬間をこの五年間ずっと待ち続けた。……今さら退く気など毛頭ない!」
宇佐美は右手に装着したGRDを操作し始めた。
「宇佐美!」
それを見て海斗が叫ぶ。
「竜崎、私は手加減などせんぞ。これまで積み上げた全てをぶつけさせてもらう。そのために、ここまで手を貸したのだから」
「……やはり、お前が!?」
二人組に襲われたときの黒い介入者。それは宇佐美の手によるものだったのである。
「……静香は私のこれまで全て……その成果の結晶だ。あの二人を相手にするなど造作もない」
静香の念動力は精密で強力である。それをもってすれば、体格の違う人間――先の介入者のような人間の動きも忠実に再現できる。つまり、コートを被り全く違う人物を装うことも可能なのだ。
「……さあ、静香、目の前の現実を支配しろ」
宇佐美はGRDを起動させ、そう命令する。
「はい」
静香は感情の籠っていない目で、海斗を見る。
「……っ!?」
海斗は静香を中心にした強大な力の発露を感じ取った。
(結局こうなるか! やるしかない!)
海斗は覚悟を決める。そして、その有紗の方を少しだけ振り返った。
「……海斗!」
不安げな様子の有紗。彼女の言葉が耳に届く。
「……安心しろ。お前は俺が守る」
心を鉄に変え、静香と宇佐美を鋭い双眸で捉える。
海斗は自分の存在理由を背にして、眼前の仇敵に特攻する。
今二人の天才が、五年という時間を越えて激突した。