29.新生
海斗と有紗の二人は、本多を始めとした数人に誘導されて移動していた。海斗の視界は鉛色のパイプや工作機械、ベルトコンベアで埋め尽くされている。どうやら彼らが連れて来られたのは工場プラントの一角のようである。
「早く解放してくれよ本多さん。いい加減、手が痛くて堪んないんだよ」
海斗と有紗の両腕は縛られたままだった。
「もう少しご足労お願いします。そこであなたには一働きしていただきますので」
涼しい顔で本多はそう告げる。
しばらく歩き続けると、彼らは開けたエリアへと足を踏み入れた。何人かが到着を待っていたようで、中央にはパソコンや計測機器などが用意されていた。
「っ――お前らは!」
待機していた中に見知った顔があった。以前海斗を襲った二人組の能力者である。
「彼らは私たちがイルミナティから雇った能力者。神崎諒さんと火渡詩音さんです。あなたの動向を見張らせたり、排除をお願いしたりしました」
詩音の方は紹介されたにも関わらず、一切表情を崩さない。対照的に、諒の方はヘラヘラしたような笑みを浮かべている。
「へーへー、まあそんなことだろうと思ったよ」
「そういえば、その時には他にもお客さんがいましたね。あの黒い方……あれはお知り合いですか?」
詩音と諒に襲撃された時に介入してきた謎の人物。ヘルシャフトの方でもその正体は分かっていないようであった。
本多の視線を掻い潜るように、海斗は言葉を紡いだ。
「質問するなら縄を解いてからにしてくれ」
「……まあ、それもいずれ分かることですね」
特に気にも留めない様子で本多は前を向いた。
「では、犀崎さんはこちらへ」
本多に催促され用意されたデスクの前に立つ。周りにいた黒服たちは海斗を警戒するように囲んでいる。
「おいおい、随分な歓迎の仕方だな」
「あなたを完全に信用したわけではないですからね。予防線というやつですよ」
本多は悪びれる様子もなくそう告げる。
「了解了解。……それで、竜崎海斗のGRDは持ってきたのか?」
海斗の質問を受けた本多は控えていた男に目配せし、何かしらの合図を送った。
「その前に一つ。能力なしで竜崎氏のGRDを開示できると仰いましたが、それはどうやるのですか? 通常GRDは一台につき一人までしか登録できません。つまり何の用意もなしに使用できる人間は登録者のみです。……あなたが普段通りの力を使えるのなら分かりますが……」
本多は疑いの言葉を投げかける。
海斗は横目で注視しながら口を開いた。
「それは俺が特別なんじゃなくてコイツそのものが特別なんだよ」
「どういうことでしょうか?」
「竜崎海斗のGRDは、複数の人間が一度に登録できるようにOSが組まれている。能力の使用が可能なのはメイン登録者の竜崎海斗だけみたいだが、中の情報を閲覧する分にはサブアカウントでも出来るみたいだ。事実、サブアカウントには二階堂新蔵の名前入ってるしな」
本多は大げさなほど首を縦に振って納得した様子である。
「なるほど、これで合点がいきました。そもそもどうやってこのGRDの中に、研究データだけでなく監視カメラのデータまで入っていたのか、疑問に思ってたんですよ。……二階堂氏が事件当夜この中に証拠を入れたのですね、……死に際に全く面倒なことをしてくれる」
その言葉に、離れた位置に居た有紗がわずかに反応する。海斗はそれを視界の端に捕えながらも、極めて冷静だった。
「嘘付け。そんなことホントは知ってたんだろ? 宇佐美はその二人と交流があったらしいな? なら当然、このGRDの設計仕様ぐらい知ってるはずだ」
海斗の指摘に対し、表情を崩さず本多は答える。
「……その可能性しかないとは思っていましたけど、まあ確認ですよ。……あなたが本当の事を話しているかどうか、我々に協力する意思があるのかを……」
「性格ひん曲がってるな。これは黒い噂が絶えないわけだわ。……そういえば俺のGRDはいつになったら帰って来るんだ?」
「新しい物を手配させていますよ。これが終わったら、今度は有紗さんの記憶を改竄して頂かなければなりませんからね。安心してください」
すると先ほど指示を出した男が再び現れ、本多に何かを手渡した。
それをしげしげと眺めた後、海斗に回す。
「それでは早速お願いします」
海斗に渡されたのは竜崎海斗のGRDだった。
「……支部長、こいつにGRDを触らせるのはやはり危険では? 改竄できるという能力があれば、事前にこのGRDを自分でも使用できる状態に出来たんじゃ――」
心配しているのか、周りにいた黒服の一人がそう警告する。
「それは大丈夫です。このGRDは特殊かつハイスペックな反面、調整には相当な作業が必要です。そもそも設計段階から竜崎氏本人が使うことを想定していたらしいですから、ハード面からも他人には使えません」
本多は即座にそう断言した。おそらくは宇佐美から聞きかじったことなのであろうと海斗は思った。
「ああ申し訳ない。手を止めずに続けてください」
笑顔を装って海斗に語りかける。しかしながら周囲の空気は明らかに海斗に敵対的なものであった。
「……いや、銃口を向けられると、少し緊張しちゃうんだけど……」
海斗は斜め後ろを振り返り、体に走る悪寒の正体を確認する。そこには二丁の拳銃を構えた詩音の姿があった。
「念のためですよ。ああ、変な気は起こさないでくださいね。とはいえ、何も出来ないと思いますけれど」
楽しそうに口元を吊り上げた表情は、丁寧な口調と相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。
「……」
海斗は手に掴んだ竜崎海斗のGRDに視線を落とす。
(……結局これか)
海斗は目覚めてから、ここに至るまでの出来事を思い出す。
脳裏に浮かぶのは、やはり有紗との思い出だった。
「なあ、人間の本質って何だと思う?」
海斗はその場の人間すべてに聞こえるような大きな声で話し出した。
「本質……? そんなことは良いですから早く作業を――」
急に何を言い出したのか理解できない本多は、不満そうな声を上げる。
一方で有紗だけは、何かを感じ取っていたようだった。
海斗は彼女の方へと顔を向ける。
両者の視線が重なり合う。
一瞬――ほんの刹那、海斗は有紗と自分の二人だけがこの場に存在しているかのような錯覚を覚えた。
(……俺が必ず助ける……)
装着したGRDを起動させ、パネルを操作する。
そして目を瞑って、己を形作るかのように思いを言葉へと変える。
「……俺は心だと思う。なぜならいつだって人間は……」
彼の良く知る怪物――二階堂新蔵に突き付けられた命題に解を見出す。
「――誰かを思って生きているのだから――!」
その瞬間、彼を取り囲んだ空間が炸裂した。
****
「――」
有紗はその有様をただただ呆然と眺めていた。
海斗の言葉を聞いた瞬間、辺り一面に不可視の衝撃が走った。それはまるで爆心地に居合わせたのかと疑うぐらいに強力なものだった。
何より一番不可解なのは、有紗だけは全くの無傷だったということだ。
周囲の床には重機が通ったかのような大きな爪痕。何人もいたはずの黒服の男たちは、吹き飛ばされてしまっていた。
他に彼女の視界に映ったのは、粉塵が飛び交う世界だけである。
有紗は事態を何とか理解しようと必死に頭を働かせる。
だが頭を過ぎるのは、亡き恩師――竜崎海斗と過ごした記憶。加えて犀崎海斗と過ごした記憶。
(……なんで、こんな……)
どうして今、そんなことばかり考えてしまうのか。
有紗は苦悶の表情を浮かべる。
(……いえ、何となく分かってたんだわ……)
竜崎海斗、そして犀崎海斗。
この二人は似ていた。
それは姿形だけではなく、その在り方が。
何度も何度もそんな事を考えていた有紗であるが、現実がそれを許さなかった。
竜崎海斗はすでに死んでいる。
死体も見つかっているし、それが彼のモノだと確認もしたのだ。
そのときの事を、彼女は決して思い出したくなかった。
(……なのに……どうしてこんなに……っ!)
犀崎海斗を見るたびにおかしくなってしまう。
胸が締め付けられるような感覚。
涙を零してしまいそうになるほどの温かい気持ち。
どうしようもないほどに愛おしい思い。
そのどれもが、彼との出会いから彼女の心の中に現れていた。
「――海斗」
小さくか細い声が響く。
一秒でも早く、彼の姿が見たかった。
目の前に引き起こされた現象は間違いなく彼によるものだ。
有紗はそれを確信していた。
犀崎海斗は健在である。
今も、この白い世界の向こうで不敵に笑っているはずだ。
自信満々に、ふてぶてしく、誇らしげに――そこに君臨しているはずだ。
「――海斗!」
その声が通じたのか、何かの意志を持っているかのように風が吹く。
辺り一面の白い世界は瞬く間に収束し、消え去った。
そして、彼女の前に見知った後ろ姿が映った。
「――」
彼女はその在り様に、言葉が出なかった。
なぜならその姿があまりにも――。
「よう、有紗。ケガはないな?」
彼女の方を振り返ることなく、海斗は言葉を掛けた。
その問いに、有紗は答えることが出来なかった。
ただ彼の姿を見続けることしか彼女には出来ない。
「……ま、無事であることなんて、もう知ってるんだけどな」
海斗はやれやれとジェスチャーを取りながら、声を発する。
「……な、なんなんだ、……お前!?」
声のする方を見ると、少し離れた位置に座り込んでいる本多の姿があった。傍には詩音と諒の姿もある。おそらくは彼ら二人が、咄嗟に本多をあの爆風から守ったのだろう。
「……」
海斗は驚くそぶりも見せず、沈黙で返した。
「答えろ! なぜ、そのGRDが起動できる!? ……まさか、自分のGRDをどこかに隠し持って――」
冷静さを失い、顔には焦りの表情が浮かんでいる。
横で構えた二人も海斗の動きを警戒している。
「隠し持ってなんかねーよ。それは、お前が一番よく知ってるだろ? 大体、俺の能力は情報の改竄なんかじゃない」
「な……っ!? なら、お前はもしかして……っ!?」
本多は目を見開いて驚愕する。
特別な能力もなしに他人のGRDを動かせる。しかもそれが本人にしか絶対に使えない物となると、答えは一目瞭然だった。
だが海斗は首を横に振って否定する。
「……竜崎海斗は死んだ。それは間違いようがない現実だ。……でもな……」
海斗は魔人のように力強く、ゆっくりと歩き出した。
「死の間際……竜崎海斗は強く思い続けた。……二階堂有紗を守ると。……必ず幸せにすると。……命が尽きるその瞬間まで……」
有紗はそれを聞き、頬に熱いものが流れたのを感じた。
「く……離れろ!」
詩音が構えていた銃の引き金を引く。
空間を疾走する弾丸は湾曲した軌跡を描き、海斗に襲い掛かった。
しかし、弾丸が命中したというのに、彼の体は無傷のままだった。
海斗は歩みを止めない。
「何なんだ!? 何者だ!? お前は一体!?」
目の前の存在に恐怖を抱いたのだろうか、本多は体をがたがたと震わせている。
海斗は悩む素振りもせずに答える。
「俺が何者か……そんなことはどうだっていい。……竜崎海斗が、死ぬ瞬間まで、貫き続けたその思い……。それが本物であれば、俺がたとえ偽物だろうが……関係ない」
その言葉には強い意志が感じ取れた。
もはや似ているなんて話ではない。
「……でも、この場では、あえてこう名乗らせてもらおうか」
その姿はまさしく――。
「よくも俺――竜崎海斗を殺してくれたな!」
今、有紗の前に本物の天才が姿を現した。
それは彼女が追いかけ、思い焦がれた存在だった。
****
海斗の言葉を皮切りに、詩音と諒の二人は戦闘態勢へと入った。
二人は海斗の右手と左手に分かれて動きだし、それぞれ能力を行使し始める。
「――死ね!」
詩音の容赦のない一斉射撃が海斗を襲う。
「……無駄なんだよ!」
両腕を顔の前で交差し、頭部だけを守ろうとする海斗。捻じれ曲がった軌跡の銃弾が全て海斗の体に衝突しする。
それを見た詩音は笑みを浮かべる。
だが、その銃弾全てが土くれのようにへし曲り、床に落ちる。
「……っ!? また空気の膜を作ったのか?」
以前の戦闘から、海斗の弾丸を防御する方法は二人に露見していた。
詩音は両手の二丁拳銃を投げ捨て、コートの中から黒いライフルのようなものを取り出した。
「これはさっきのと威力は段違い。いくら高レベルの念動力を行使しても、直接受け切れるほどヤワなものじゃない」
詩音は即座に構えて引き金を引く。
放たれた弾丸はその口径、速度が段違いだった。先ほどの拳銃とは比較にならない程のエネルギーを持った弾丸が海斗に迫る。
捕食者のような意志を持った凶弾が海斗に命中した。
詩音の能力名は〈弾丸操縦〉。
弾丸のエネルギーとベクトルを操作する能力である。装填時に弾丸を支配下に置き、撃ち放った後に弾丸の方向・速度の変化に加え、螺旋回転の増減まで行える。一方で、弾丸のエネルギーの総量は不変という制限が存在し、制御範囲はおおよそ視界内である。
故に運動エネルギーが大きくなる高威力の銃を使用すれば、それだけ彼女の戦闘力に影響を与える。
「……」
詩音は討ち取った標的を注意深く見つめる。
「無駄だと言っただろう」
「……なっ!?」
着弾と同時にのけ反っていた海斗だが、全くの無傷だった。
驚きの声を上げる詩音に対し、諒はすぐに海斗が健在だと確認し、次の行動に映る。
念動力で諒は海斗との距離を詰める。
「……どうやったかは知らないが、これならばどうだ!?」
その声とともに諒の双眸が鋭く光る。
すると海斗のいる位置に異変が起こった。
空気の圧力か密度が変化したのだろうか、海斗の姿が蜃気楼のように歪む。
そして強大な爆発が起こった。
諒の固有領域である〈火薬庫〉が発現したのである。
彼の力は右目と左目の焦点を合わせた座標に火種なしで発火を起こし、発現した炎を操る能力である。発現させるまでにややタイムラグがあるが、視界に映る範囲なら基本的にどこでも発火可能である。
諒によって引き起こされた爆発によって周囲は黒煙に包まれる。
念動力だけではどう足掻いても防ぎきれるものではなかった。諒と詩音は互いに視線を交わし、敵の撃破を確認しようとする。
「――っ!?」
その最中、突然諒は不可視の力で壁に叩き付けられてしまった。強力な念動力か何かに囚われた彼はそのまま倒れてしまう。
「なっ!? ……これは!?」
たった一撃のもとに戦闘不能に陥ったパートナーを見て、詩音はその場から急いで離れた。
「お前らの能力はすでに把握している。悪いがここで倒させてもらう」
立ち込めていた煙が霧散し、その中から海斗が姿を現す。
服に多少の汚れが付いていたが、五体全てに損傷は見られない。
「そんな! あれを食らって生きているなんて!」
本多の顔が絶望に染まる。
「一体どうやって!? ……固有領域か!?」
基本能力だけでは説明がつかない現象。その可能性に詩音は気が付く。
だがそれはすでに遅すぎた。
「――くそ!」
自身の手におえる相手じゃないと判断し、詩音は依頼者である本多を連れてその場を脱出しようとする。
が、海斗はそれを許さない。
「……クライアントともども寝てろ!」
海斗は右手を掲げ、能力を行使する。
それを合図に、どうしようもないほどに強力な念動力が、残された彼ら二人を飲み込んだ。