2.覚醒
見知らぬ部屋で海斗が目を覚ましてから、三日が経過した。
幸いにも冷蔵庫の中には飲み物があり、保存食の類もキッチンの下に用意されていた。(誰の物か分からないが)
結果として、海斗は部屋から出る必要はなかった。
また、起きた直後は気づかなかったがベッドの脇の所に、GRD――Gift(才覚) Revelation(発現) Device(装置)が置いてあった。
GRDとはタッチパネルのような形状をしているデバイスのことで、大きさは掌よりも少し大きく、手首に装着して使用する。一昔前の携帯電話やスマートフォンの機能のほとんどを網羅しているとともに、身分証明としての側面や、公共施設の利用、日常的な機械製品の使用にもGRDが必要になる場合もある。
だが、これらはGRDの機能を説明するうえで主たるものとは言えない。
GRDが最も社会に恩恵をもたらしたのは、人間の未知なる力を引き出したこと――わかりやすく言うと、誰もが超能力を身に付けられるようになったのである。
人間の脳は、普通に生活しているだけではそのほとんどを使用しないと言われてきたが、実際にはそれはデマで、本当はそのほとんどすべて使われているのである。
しかしながら、同時に全ての部位が使われているというわけではないし、どの領域がどのような役割を果たしているか詳細には分かっていなかった。
GRDは外部から電気的な刺激を加え、脳のそれぞれの能力を司る領域のバランスを変えて、特殊な才覚が発現するように導く。
研究の初期段階では、記憶能力や処理能力を向上させ、知能を強化することが目的だった。しかし、臨床試験の段階において原因不明の物理現象や説明がつかない能力を有する被験者が現れ、研究は当初よりも違う方面へと発展する。
最終的に、人々が様々な能力を持つという超能力社会が誕生したのである。
海斗は、ノートパソコンを使って自分が眠っていた五年間の出来事や情報を集めたが、GRDの技術そのものはそれほど進化も発展もしておらず、ホッとする反面、ガッカリした。
部屋に置いてあったGRDは起動できたものの、完全に新品で特に得られるものはなかった。
ひとまず、海斗本人が使用できるように登録認証だけを行い、今は放置している状態だ。だが、この作業だけではプリインストールされている一部の機能しか使えないため、ほとんど役に立たない。
三日間ひたすらパソコンとにらめっこを続け、海斗の大まかな疑問は取り払われた。
海斗が巻き込まれた研究所襲撃事件により、彼が所属していた二階堂グループはGRDの国内シェアの大部分を失ったようだった。グループのトップであり、彼が師と仰いだ二階堂新蔵の死、研究データの消失、過剰な報道によってグループの競争力は一気に低迷した。
現在では黒縄財閥が業界のトップとなっており、他にも急激な成長を経たヘルシャフト社が追走しているのがGRDの市場の現状である。
そして例の事件は未解決のままで、犯人グループの特定には至っていないようだ。
「それにしても、何で俺死んだことになってるんだ?」
ノートパソコンを通して、ネットワークにアクセスするも、中央情報管理局にあるはずの『竜崎海斗の国民情報』を引き出すことが出来なかった。というより、IDとパスワードを入力してもログインが出来ず、何度も『入力をやり直してください』という文字が表示されるだけだった。
「……どうやら、死亡扱いで俺の個人情報は外部からではもうアクセスできない状態らしいな……」
さてどうしよう、と海斗は考えた。
八方ふさがりと言える状態に陥ってしまった海斗は、部屋にあるベッドに身体を預け、仰向けになって意味もなく天井を見つめる。
海斗の両親は、彼が二十代になってすぐに交通事故で亡くなっており、他に親戚もおらず、彼は天涯孤独の身になっていた。その時にはすでに働いている身であったため、困りはしなったが、今この瞬間、頼れる存在がいないというのは非常事態ともいえた。
おまけに恩師である二階堂新蔵の死は、海斗に衝撃を与えた。
初めて出会ったときの事はもう思い出したくなかったが、彼と過ごした研究の日々は、海斗にとって幸福な日々であったに違いなかった。
感情を一切表には出さず、そばにいるだけで威圧感を与え、相手を射殺すかのような鋭い眼光を放つ魔人。
あれ程までに、一個の存在として完成されている人間に、海斗は会ったことがなかった。
そんな海斗にとって最大の目標でもあり最強の壁でもあった新蔵が殺され、もうこの世には存在しない。彼にはそれがにわかには信じられなかった。
「……有り得ないだろ……まだ追い越してなかったのに――」
海斗の恨みがこもったような声が、虚しく部屋に響く。右手に力が入り、握りこぶしになっていた。が、しばらくして大きなため息とともに目を閉じ、腕を大きく広げ、ベッドの上でバンザイの状態になってしまう。
(はいはい、もうヤダ。ボク寝まーす!)
彼は半ば現実から逃避しようとしていた。
明日目を覚ませば、全てが元通りになっているかもしれないと、有り得ない妄想までしていた。
その瞬間、部屋中にオーケストラでも始まったのではないかと錯覚するほどに激しいメロディが流れ始めた。
何事かと音源の方へ急いで駆け寄った海斗は、彼を現実に引き戻した憎々しい仇敵の正体を知った。
それは、目覚めた時から部屋にあったGRDだった。
一体これに何が起こったのかとディスプレイを確認する。どうやら電子メールを受信したらしかった。
「何でこんな大ボリュームで音量を設定してるんだよ! しかもメールで!」
海斗は誰かわからないが、とにかく文句が言いたかった。
恐らく、メールが来ることを生きがいにしているようなかまってちゃんがこの部屋の持ち主なのだろう、と勝手に彼は人物像を膨らませた。
(……?)
その騒音の原因を手でつかみ取ったとき、海斗は違和感を覚えた。
GRD本体の初期設定と認証は行ったが、それだけではネットワークにアクセスできない。
中央情報管理局に登録してある個人情報と同期させなければ、GRDは一般のネットワークにアクセス出来ない上、能力行使も行えない。おまけに個人情報との同期するための手続きは、専用の施設でしか出来ない。
そのため、目の前の現象は非常に不可解なものであった。
海斗は、警戒しながらも送られてきたメールを確認した。
『コード:スピリット』
メールの文面はそれだけだった。
「……なにこれ? 痛い中学生か何かですか?」
自分の中学生時代を思い出して必死に否定したくなる海斗だった。頭は良かったのだが、難しい用語を無駄に使いまくって周囲から変人呼ばわりされていた、
そんなほろ苦い思い出が頭を過ぎったようだった。
(ん? これは……)
海斗はディスプレイのタスクバーの中に、無線通信が可能と表示してあるアイコンを見つける。
ネットワークアクセスが可能になっているようだった。
驚いた海斗は、続けてGRDのディスプレイ上に、リンクしている個人情報や設定を確認するための画面を呼び出す。
しばらくしてから、お目当ての情報を閲覧することが出来た。
『 氏名:犀崎海斗
生年月日:二〇五三年 七月二十八日
年齢:十六歳
国民番号:589-3923-319
イルミナティランク:Cマイナー
登録GRD:K‐SB‐705‐B E62704E5J233673
能力者コード:088-5934-112 』
(さ……犀崎海斗? 俺、竜崎なんだけど……。それに一六歳ってどういうこと!?)
設定画面をスクロールすると、以上の内容に加えて居住地や戸籍などのデータも書き加えられていた。
――新品同然のGRDは海斗専用の物になっていた。
どこの誰がこのような細工を行ったか分からないが、海斗はこれで犀崎海斗という人間として生きていけるようになった。
「意味分からねえよ……何なの? 誰かおしえてよう……」
涙目になっている海斗。
再び先ほどのメールの画面を呼び出す。
文面は先ほどの記述だけだが、添付ファイルがあることに海斗は気が付く。
添付ファイルは、一つのファイルに複数のデータが格納されている圧縮ファイルのようで、それ以外には何もなかった。
ディスプレイを操作し、プレインストールされている解凍ソフトを使用して、中のデータを展開する。
格納されていたデータは全部で三つだった。
一つ目のデータは、犀崎海斗という人間の来歴が非常に詳細に記述されている文書のデータだった。どうやらこのメールの送り主は、情報を頭に叩き込んで『犀崎海斗として振る舞え』と言いたいらしい。
「ふむふむ、まるでわからん!」
海斗は一応文句の言葉を唱える。
二つ目のデータは、『開明学園』という高等学校の資料だった。なぜこのような資料が添付されているのか海斗にはピンとこなかったが、それは三つ目のデータを開くことで解決した。
三つ目のデータは、開明学園の学生証のデータだった。
「一体……誰の学生証だというのだ!?」
当然のように犀崎海斗の情報が記載されている学生証だった。
おまけに撮った覚えのない写真つきだ。
(なーるほど、今から高校生活が待っているんですね!)
合点がいったような様子で相槌を打つ海斗。
「……ってどういうことだよ!? なんでいきなり高校生!?」
海斗は、目を覚ましてから何度目になるか分からない疑問の言葉を口にした。分かり切ったことだが、答えてくれるような親切心の塊のような人はいない。
海斗の立場からすれば、長い間眠っていて、その間に自分が死んでいたり若返ったりしており、おまけに新しく他の人間として生きるように命令されている――ありえないような状況だ。
普通に考えれば、警察なり市役所なりに事情を話して何とかしてもらうのが良いだろう。初めは信じてもらえないかもしれないが、頼れる人がいない以上そうする他ない。この生活感のない部屋で目覚めた当初は、事態を把握することで精一杯だった彼だが、もう外出して助けを求める方が得策のはずである。
「正体不明のヤツに従って生きていくなんて、馬鹿以外の何物でもない! 未だにわけわからんことが多いが、もう自分ではどうしようもないし……」
海斗はこれから自分がどうなっていくのか想像がつかず、不安な気持ちに押しつぶされてしまいそうだった。
(とりあえず、もう一度毛布にくるまって現実逃避に勤しもう)
流れるような思考を経て彼はそう結論した。
その瞬間、再び例の大音量な音楽が流れだした。
GRDを腕に装着していた彼は、頭を銃で撃ち抜かれたような衝撃を受けてしまう。
「ぐああああ! 何なんだよ! もういやあああああ!」
海斗は叩き付けるように乱暴な手つきでディスプレイを操作して、何とか音を止めた。もうこんな目に合わないように、音量のアイコンをタッチしてミュートに設定する。
このまま正拳をお見舞いして、破壊してやろうかと海斗は思ったが、深呼吸をして心を落ち着かせ、とりあえず謎の人物からのメールを開いた。
『二階堂有紗の命が危ない』
メールにはその記述しか書かれておらず、今度は添付ファイルもなかった。
海斗はその文面をじっと見つめ続けた。
先ほどまでは、何か起こるたびに不満を口にし、ただただ悩むだけだった。
しかしながら、今回のメールについては鋭い目つきでディスプレイを睨み付けているだけだった。
その後、ゆっくりと目を閉じて、その場に立ち尽くす。
ほんの数秒、静寂に包まれた時間が流れた――。
目を開いた彼はもはや別人だった。
海斗はGRDのディスプレイを目まぐるしい速度で操作し、無線通信を利用してノートパソコンと同期させた。
パソコンとGRDの両方に、先ほどの解凍したデータをそれぞれ表示させ、同時に別のウィンドウでローカルエリアマップを開く。
そして現在地と開明学園、その周辺の施設を表示させる。
ノートパソコンとGRDを操作しながらも海斗は頭をフル回転させた。
――自分の今からのタスクをパズルのように組み上げる。
――視界に入る大量の情報を処理、記憶していく。
――頭の隅ではメールの送り主の正体や目的、事件の顛末や海斗自身のこれまでの経緯を推測する。
彼の頭の中ではこれらすべての活動が同時に行われていた。
見た目には静かだが、常軌を逸しているとも言える程のキャパシティを発揮して作業をこなしていく。
見知らぬ部屋で目を覚まして三日後の夜、竜崎海斗はようやく覚醒した。