27.偽装
「……う。……ここは?」
体にじんわりと残っている痛みによって、海斗は意識を取り戻した。
「……気が付いたみたいね」
ぼやけた彼の視界は有紗の声を聴いた途端、鮮明なものになった。
「有紗! ――あれ、俺達は……」
窓が一つもない狭い部屋の中に彼らは居た。椅子に身体を縛り付けられており、身動きが出来ないようにされている。
「……どうやら私たちはどこかに運ばれたみたい。GRDも奪われてしまったみたいだし、打つ手なしってところかしら」
海斗よりも先に目を覚ましていたのか、有紗は怯えたり動揺したりした様子を見せず、その声は淡々としていた。
「……」
「凛がいれば、こんなことにはならなかったかもしれないけれど……。いえ、そんな仮定の話を考えても無意味ね。……あなた、ケガは大丈夫?」
拘束された体に無理やり力を入れ、海斗は全身の状態を確認する。
「ああ、体中痛いけど……何とかな。……どうにかして俺たちはここから脱出しさなきゃならんってわけか」
「それは不可能ですよ」
部屋の扉が開くと同時に男性らしき声が響く。
「――誰だ!?」
海斗は警戒しつつ現れた人物の方へと顔を向ける。
部屋へと入って来たのは二人。先頭に立っているのはオールバックにスーツを着た男性だった。
「お初にお目にかかります。私はヘルシャフト社能力開発支部の長を務めている本多正則と申します。以後お見知りおきを。……そしてこちらは――ああ、もう見知った仲でしたね」
仰々しいとまで言える程に、頭を下げて挨拶する本多という男性。その後ろに控えるのは、白衣を着た見知った人物――宇佐美春雄だった。
「――宇佐美!」
「……」
いつものように宇佐美は無表情を貫いていた。
「宇佐美さん! どうしてここに!?」
彼がこの場に現れたことに驚きを隠せない様子の有紗。
「彼と私は五年前からビジネスパートナーを組んでいるんですよ。――どういう意味か分かりますか? 二階堂有紗さん」
「五年前……――ッ!? もしかして、あの事件は!?」
有紗は本多の言葉を聞き、ショックを受けているようだった。
「ええ、ご想像の通り、私達と宇佐美君によって行われたものです。……まあ、うまく事を運べず、狙っていた研究データはほとんど得られませんでしたが……」
「そんな……」
驚愕と失望の表情を浮かべ、有紗は俯いてしまった。
「……有紗君、君は甘い。不用意に人を信用し過ぎだ。だから私のようなものに付け入る隙を与えることになる」
宇佐美は低い声でそう忠告する。
「……」
海斗はそんな宇佐美を睨み続けていた。
「さて、我々の自己紹介はもう良いでしょう。今度はあなた方の事をお聞かせ願いたい」
本多は手をパンパンと叩いて話を切り替える。そのわざとらしい仕草に海斗は呆れた顔つきになった。
「おいおい、そんなこともう知ってるだろ? 散々付け回してたみたいだしな!」
「……ふふ、それがですね……あなたことは調べたのですけれども、全く分からないというのが本音のところでして……」
本多はどこか楽しげである。
「犀崎海斗一六歳。開明学園二年十四組所属。生まれは日本で、育ちはアメリカ。最近やっと持病が収まって通学できるようになったただの学生です」
海斗は自分の経歴を棒読みで読み上げる。本多はその様子に苦笑した。
「ええ、そうでしょうね。私たちもそれくらいは把握しています。……しかしですね、あなたの経歴には実態がありません。おまけに、通常では知り得ないことまでご存知のようだ。なぜ有紗さんに近づいたのですか? そしてあなたの本当の正体――それを教えてくれませんか?」
「……」
「できれば手荒な真似はしたくありません。ですが、このまま黙り込まれては困ります。我々も危ない橋を渡っていますから」
(……どうする?)
海斗は自分の置かれている状況を冷静に分析する。
このままでは有紗も海斗も命はない。それは自明である。有紗だけでも何とか生還させたいと彼は考えるが、犯人を知ってしまった以上それは不可能に近い。
「……俺の正体ね。あんたの推測ではどうなんだ?」
会話を持たせ、場を引き延ばそうとする。
「そうですね。……他所の企業からの刺客なんてどうでしょうか? あなたは竜崎海斗のGRDが目的だったようですし。……この業界に広い情報網を持っていなければ、その存在を知ることは難しい。中央情報管理局のデータまで改竄できたとなると、相当大きな後ろ盾があるのでしょう」
本多はこのやり取りを心底楽しんでいるようだった。
「……」
一方で、海斗は本多の発言から少しでも情報を得ようとする。さらに、自身の知り得る事実を総動員して突破口を探していた。
「いかがですか? 私の推理は……」
採点を求めるように本多が迫る。
海斗は覚悟を決めて博打に走ることを決意した。
「――そうだな、その通りだ。事実俺は竜崎海斗のGRDを手に入れたわけだからな」
「――な!?」
思いもよらぬ答えに有紗は狼狽する。
対照的に本多はそれを予想していたのか、余裕を崩さなかった。
「……ほほう。やはりあなたが二階堂邸から件のモノを奪取したのですね。……宇佐美君の言った通りだったということですか」
宇佐美の方を見て納得したような笑みを零す。
「ああ。俺は黒縄財閥に雇われて竜崎海斗のGRDを奪う任務を請け負っていた。ご明察の通り、ただの産業スパイみたいなもんだ」
ぶっきらぼうにそう告げる。
(ここはこれで乗り切るしかない……!)
海斗は口を開きながらも思考を続ける。
「……ふむ。しかしそれでは辻褄が合わない所があるんですよ。ここまであなた方を運搬する途中、勝手ながら持ちモノを検査させていただきました。……その結果、犀崎さんの胸ポケットから興味深いものが出てきましてね……」
本多は海斗の前に小さな黒いモノを見せつけた。
「……!」
それがなんで何であるかを悟った海斗は、心の内で舌打ちをする。
「どこから手に入れたか知りませんが……我々の悪行を証明するデータが詰め込まれたデータチップ。それが発見されたのですよ。……さて犀崎さん。あなたはご自身を産業スパイと仰りましたが、これはどういうことですか? そしてどこからこんなものを手に入れたのですか?」
海斗は自分の心臓の心拍数が上がっているのを実感した。
だが動揺を一瞬たりとも表に出さず、返答する。
「――簡単だ。竜崎海斗のGRDから出て来たんだよ、その証拠たちはな」
「!?」
その言葉を聞き、有紗だけでなく本多も驚く。
そしてそう答えることが最も安全だと瞬時に判断した海斗は、怪しまれないように間を置かずに話を続ける。
「黒縄から雇われたとはいえ、これは非合法な仕事だ。無事に終わって報酬受け取ってハイサヨナラとはいかないだろう。……もしかしたら、奴らは口封じに俺の命を消しにかかるかもしれない」
「……」
一方宇佐美は尚も顔色変えることなく、沈黙を守っている。
「そこでいざ目的のブツを手に入れてみれば、……その中には研究データだけじゃなく、かの有名な二階堂の襲撃事件の真相を示すデータも入っていた……」
呼吸を整えるような素振りをして、再び口を開く。
「どういう経緯でそんなものがGRDに入っていたのか、それは俺にも分からない。……でも俺は考えたわけ。このまま黒縄の犬でいるよりも、二階堂にまとめてこれらのデータを売りつける方が良いんじゃないかってな!」
有紗は海斗を凝視し続けていたが、彼はそれを無視して論理のパズルを組み立てる。
(……信じざるを得ないはずだ。証拠のデータが今になって出て来たという事実。そんなものが発見される可能性があるのは、現場に残された唯一の品――竜崎海斗のGRD以外には思いつかないはずだ)
軽妙な口ぶりの海斗に、本多は不信感を募らせているようだった。
「――待ってください犀崎さん。……ということは、あなたはあのGRDのセキュリティを破ったのですか? ……俄かには信じられませんね」
本多の疑問は彼らにとっては当然のモノだった。長い歳月をかけても、警察はおろか二階堂ですら破れなかった強固な箱。それが第三者に容易に開けられたなど、到底納得できるわけがない。
しかし、逆にそれが海斗の狙いだった。
「……悪いが俺はそれにのみ特化してるんだよ」
したり顔でそう答える海斗。
「……どういうことでしょうか?」
「俺の固有領域はESPをベースにした情報体へのアクセスと改竄だ。電子情報だろうが思念情報だろうが、俺はどんなものでも視ることが出来る」
全くの嘘であるが、このハッタリは問題なかった。
一つ目は海斗が今までに固有領域を一度も行使していないという点。二つ目は実際に竜崎海斗のGRDを開くことが出来たという点。
これらは、戦闘ではなく諜報に適した能力持っているという海斗の嘘――その信頼性を強める。
「……情報を視る能力。なるほど、だからあなたが黒縄に雇われたのですね?」
本多は多少納得したような様子だった。
「まあな。黒縄からのバックアップを借りて、俺は犀崎海斗という存在しない人間をこの力で作り出した。そんでもって上手いこと立ち回り、首尾よく竜崎海斗のGRDを手に入れ、中身を盗んだってわけだ。……まさに今回の仕事は俺向きだ」
身分の偽証も、彼の改竄というありもしない能力の存在を肯定する材料となる。どれだけ大きな権力を持っていても、中央情報管理局のデータを偽ることは困難である。だが、それが能力によるものだとしたら話は変わる。
「ふむ。そんな能力者がいるとは……。イルミナティでもそんな方にはお会いしたことがありませんが……」
「本物はイルミナティなんかに力を借りなくても、わんさか仕事が来るってことだ。なんなら、証明しても良いぜ。GRDを返してくれたらな」
海斗はあえて意味がないと分かっている要求をした。
「まことに残念ですが、……あなたのGRDは修復不能な状態になっていまして……」
「なんだ、そうなのか」
海斗の持っていたGRDは静香によって破壊されている。
よって彼らは海斗の発言の真偽――固有領域の存在を確かめることが出来ない。
これも海斗は計算づくだった。
「……とにかく合点がいきました。あなたの正体も、事の成り行きも」
「そりゃ良かった。じゃあ、俺からの提案も聞いてくれるか?」
間髪入れず海斗は本題に入る。
「……提案ですか? 良いでしょう、話してみてください」
海斗は深呼吸して、突拍子もないことを言う。
「俺を雇ってくれ!」
「……は!? あなた、何を――!?」
有紗は仰天して口を挟もうとする。が、本多の右手によってそれを無理やり塞がれてしまう。
「……続けてください」
本多は興味深そうに海斗を見つめる。
「俺は自分の命が惜しい。それと金もほしい。だからあんたに身の安全と生活を提供してもらいたい」
「……私にはどんなメリットがあるのでしょうか?」
値踏みするかのような視線が海斗を射抜くが、気にも留めず話を進める。
「あんたは欲しがってた二階堂の研究データを俺の能力で手に入れて、ついでに証拠も握りつぶせる。……おまけに、二階堂有紗の処分にも困らなくなるぜ」
「……処分? それはどういうことですか?」
発言の意図が理解できないのか、眉をひそめる。
「あんたが渡った危ない橋ってのは、二階堂有紗を誘拐したことだろう? さっき言った通り、俺の能力には情報の改竄も含まれる。……つまり、俺なら二階堂有紗の中から誘拐されたという事実を消し去ることが出来るんだよ」
「――!?」
有紗は信じられないのもを見るような目つきになる。
「……あなたの能力は、人の記憶まで操作できるのですか!?」
さすがの本多も目を丸くして驚く。
「言っただろ。電子情報だろうが、思念情報だろうが俺の前では関係ないって」
「……」
「誘拐された記憶だけを消して、コイツを解放すればいい。そうすれば、捜査に乗り出した警察も大人しくなる」
「……運転手や目撃者がいると思いますが……」
本多は懸念材料があるため悩んでいるようである。
「その辺は仕方がない。でも誘拐事件において、人質が無傷で帰ってくれば警察も大がかりには動かないだろうし、少なくとも今よりはマシになるはずだ。それに二階堂の令嬢なら、心当たりだって多いだろうしな。……なんなら、偽の記憶を植え付けて、どっか他所のヤツがやったことにしてやろうか?」
「……」
本多は黙り込んで海斗の提案に対して思案しているようである。
「どうするんだ? 本多さんよ」
その様子を見て急かす海斗。
「本多さん。この話、受け入れましょう」
ここまで静観し続けていた宇佐美が重い口を開いた。
「! 宇佐美君!」
「彼がこの場を切り抜け自分の身を守るには、我々に頼る他ない。それは間違いない。彼の雇い主が黒縄かどうかは確認できませんが、向こうは彼がヘマをしたとすでに知っているかもしれません。よって事は迅速さが求められる」
「……」
宇佐美を相当の信用しているのか、本多は彼の言葉を聞き入れている。
「彼と手を組めば、二階堂有紗を誘拐したというマイナスの事実を消すことができる。そして二階堂の研究データも得られる。このメリットは大きい。……もし裏切るようであれば、その時に処分すればいい。幸い、彼は存在していないも同然なのだから、消したところで誰も探さない。……たとえ彼の発言が嘘でも、外に出さなければ問題ない」
宇佐美ははっきりと断言した。
「……そうですね。首輪を付けて飼えば、これほど便利な駒もいないでしょうし」
本多も提案を呑むようであった。
「なら商談成立だな。早く俺の家から竜崎海斗のGRDを持ってこい」
海斗は偉そうな態度で臨む。
「すでにあなたの家から回収してはいますが……あなたは今能力が使えないでしょう?」
「ハックに成功した後、面倒だから能力なしで開けられるよう細工しておいた。だから問題ない」
海斗の言葉に本多は満面の笑みで答えた。
「それは話が早くて助かる。ですがまだあなたを信用したわけではないので、しばらくここに居てもらいます」
「チ! 早くしろよ!」
「ええ。ではまた後で」
そうして本多は部屋を後にする。
「……」
出て行く瞬間に宇佐美と目が合うが、彼は何も語らずに背を向ける。
その後ろ姿が、まるで何かを叫んでいるように海斗には見えた。