25.支配
二階堂家に向かう車内は沈黙が支配していた。
(……これで良かったよな?)
後部座席に座った海斗はぼんやりと窓の外を眺めながら考え事をしていた。
自身が竜崎海斗のクローンだと知ってから、彼の考え方には変化が見られていた。
当初、彼は事件の真相が分かり次第、有紗にも自分の正体を明かすつもりだった。しかしながら、自分が偽物だと分かったことから、名乗り出ずにそのまま彼女前から消えた方が良いのではないかと考え始めたのである。
(……ちょうど別の人間としての人生も用意してあるし……。とにかく残りの仕事が終わってから、後の事は決めるか……)
そのような思考に至ったために、海斗は有紗にわざと嫌われるような態度を取っていたのであった。
彼は窓に反射して映った有紗の姿を盗み見る。隣に座っている彼女も海斗と同じく窓の外に顔を向けており、どんな顔をしているのかは分からなかった。
先ほどのやり取りで胸が締め付けられるような思いをした海斗だが、有紗を心配することも気遣うことも、犀崎海斗という他人がやっていいことではない。そう感じてしまっていた。
このまま二階堂の家に赴き、自分の正体以外の事実を話し、ヘルシャフト社が犯人だと断定する証拠のデータを渡す。そしてそれらを終えた後、竜崎海斗のGRDを破壊する。
これが彼の残りの責務だった。
(……有紗には酷かもしれないが、あんなモノはない方が良いだろう。存在しない人間の事であれこれ悩むなんて……しない方が良い……)
胸ポケットの中にある証拠を内蔵したデータチップに触れながら、そんなことを考える。
そこまで考えて、彼は竜崎海斗と言うオリジナルに自分が嫉妬しているのではないかと分析し、酷く無様な気持ちになった。
(……あれ? そういえば、まだ分かんないことがあるな……)
支柱によって地表から高いところに設置された幹線道路に差し掛かったところで、海斗はある事柄に考えをめぐらせる。
ウロボロスという人工知能から話を聞き、二階堂新蔵の肉声データを確認した彼だが、ひとつだけ未解決な事柄があったのだ。
それは海斗が二人組の能力者に襲われたとき、介入してきた黒づくめの謎の存在である。
当初その人物の正体は、自分を甦らせて犀崎海斗として行動できるお膳立てを整えた人物、もしくはその関係者だと海斗は考えていた。
しかしウロボロスも新蔵の肉声データの中でも、そんな人物については触れられていなかった。
(……こんな大事なことを忘れてるなんて……)
自分がクローン人間だというあまりに衝撃的な出来事が、彼からまともな思考力を奪っていたのであろうか。
すると突然、けたたましいブレーキの音とともに車が止まった。
海斗と有紗はその衝撃に苦悶の声を上げる。
「――ッ!? 一体何だ!?」
海斗は前のめりになった体を起こし、異常を確認する。有紗も困惑した表情で運転手の方を見た。
「そ、それが……突然道路にだれか出てきまして!?」
運転手が彼らの方を振り返り、狼狽しながら説明した。
海斗はシートベルトを外して運転席に身を乗り出し、前方の人物を視界に捉える。
「……――あれは!?」
視線の先に居たのは予想外の人間だった。
その人物はGRDを付けた左手をこちらに突き出していた。
「――ヤバい!? 車から出ろ!」
危険を感じ取った海斗は、大声を出しながらGRDを起動する。
「――え!? 何を――!?」
海斗は有紗を抱え込み、扉を吹き飛ばして車内から脱出する。
彼らが飛び出した刹那、車はまるでおもちゃのように宙を舞い、そのまま地面へと叩き付けられた。
運転手と助手席にいた使用人はその途中で車から投げ出され、落下した後道路の上で動かなくなってしまった。
「――そんな!? ……な、何が!?」
突然の出来事に言葉が出ない様子の有紗。
海斗は彼女がケガをしていないことを確かめ、周囲を警戒する。
車からは炎と煙が上がっており、あたりにはその残骸が飛び散っている。その三十メートルほど先に件の襲撃者。そして海斗達の後方からは、数台の黒塗りの車がやって来ていた。
(クソ! こんな直接的な手段に打って出るなんて!?)
海斗は自身の――竜崎海斗本来のGRDを置いてきたことを激しく後悔していた。
「……有紗。GRDは身に付けてるな?」
海斗は有紗の方を向かず、背を向けたまま声を掛ける。
「え……ええ。一体どうする気?」
困惑しながらも有紗は海斗の問に答える。
「あっちにいる襲撃者……車をぶっ壊した野郎は、相当なレベルの能力者だ。……そいつは俺が何とかする。だからお前は自分の身を最優先に考えて、この場から脱出しろ」
そう言って、海斗は身構えた。
「はあ!? 戦うつもり!? ……なら私もやるわ。これでも訓練を受けてるから」
有紗は強気な意見を述べる。
しかしながら、海斗はその発言の無謀さを理解していた。
襲撃者は有紗の手におえるような相手ではない。先ほどの念動力はかなりの距離から行使された上、相当な精度を誇っていた。
(――それに、相手がアイツでは――)
襲撃者の方へと領域を拡大し、いつでも対応できる状態にする。
「――来た!」
海斗は前方の空間内に異変を感知した。
すると次の瞬間、周囲の瓦礫を吹き飛ばすほどの突風に二人は襲われた。
海斗は念動力を展開し、有紗の盾になるように風を防ぐ。
「――ぐ!?」
しかしながら、あまりにも強大なエネルギーに堪えきれなくなった彼の体は、いとも簡単に吹き飛ばされてしまう。
「――ぐあ!?」
道路の壁に叩き付けられた海斗は、体に走ったあまりの痛みに悲鳴を上げる。
(――マズイ! これでは!)
GRDで神経を制御することで痛みを和らげ、彼はボロボロの体に鞭打ってすぐに立ち上がった。
「か、海斗!?」
有紗は急いで海斗の元へと駆けつけようとする。
その行動に海斗は焦りを抱く。
「……馬鹿野郎! 俺なんかより――」
その言葉を遮るように、再び嵐が彼らを引き裂く。
最早疲労困憊した海斗では、それに抗うことは出来なかった。
「――」
海斗は混濁する意識を何とか繋ぎ留め、念動力で自分の体を保護し、その奔流から脱出する。
「――ッ!? 有紗!」
襲撃者の力の範囲外へと逃げ延びた海斗は、有紗の姿を探す。
「ここだよ、海斗」
彼のはるか頭上から、どこかで聞き覚えのある少女の声が耳に入って来た。
海斗はその方向を睨み付ける。
「――静香。……何でお前が?」
そこにいたのは斬島静香だった。いつものようにフリルのついた衣装を身に纏っていたが、その目には冷酷な意志が宿っていた。
「お父さんの言いつけなの。海斗とお姉ちゃんを捕まえて来いって」
静香は淡々とした口調でそう告げる。
支配者のように宙に浮かぶ彼女の傍らには、意識を失った有紗が空間に縫いとめられていた。
「お前の父親? ……そうか――宇佐美春雄か?」
海斗は彼女の言動から、その人物に即座に思い至った。
「そうだよ。申し訳ないけど、海斗にはここで倒れてもらう」
「……そういうわけにはいかないな。その子は俺の命を掛けても助けさせてもらう。――そのためなら、誰が相手でも容赦しない」
殺意を明確に発しながら海斗は構える。
そんな彼の様子を眺めながらも、静香は微動だにしない。それどころか、笑っているようにさえ見えた。
「……全然ダメだよ……」
静香は滑稽なものを見るかのように海斗に語りかける。
「……だって、もう――」
静香は海斗に最後の言葉を告げる。
「――あなたは私の手の中だもの――」
その言葉を聞いた瞬間、海斗は異変を感じ取った。
(――これは!?)
彼はその場に倒れる。
(――い、息が――!?)
海斗は呼吸が出来ないことに気づく。GRDを操作しようとするが、一連の出来事で使用できない程にそれは破損していた。
(――コイツの能力は――)
視界が真っ赤に染まりながら、彼は静香の能力の本質を理解した。
「――残念ね。どんなに強くても、私の空間掌握には敵わない――」
海斗にはもう少女の声を認識することが出来なくなっていた。
(――有紗――)
意識を失うまで彼の思考を支配していたのは、一人の少女の面影だった。