24.別離
昼休みの時間帯、二年一組の教室は重苦しい空気に包まれていた。各々の生徒たちは、その空間にいる事が心底苦痛なようであり、中には震えている者までいた。
彼らを悩ましているであろう原因は有紗だった。
しかしながら、それは以前までのように単に機嫌が悪いという類のものではない。彼女は意気消沈しているように見えて、危険な空気を醸し出している。一言でいえば、非常に不安定な状態だった。
机の上には何も出さず、目からは生気がなくなり、ただ茫然としている。
その彼女はずっと昨日の事を考えていた。
事件直後、竜崎海斗の死を突き付けられた彼女は、唯一の遺留品である彼のGRDを手に入れることに躍起になっていた。重要な証拠だとして取り返すのに長い時間が掛かったが、手元に置いたことでようやく安心できたのだった。
それだけにそれを奪われたことは、彼女にとって衝撃だった。
「……悪い、有紗はいるか?」
どんよりとした教室の空気を打ち破るように扉が開き、見慣れた人物が現れた。
姿を見せたのは海斗である。
いつものような飄々とした態度ではなく、至極真面目な表情をしていた。
「有紗。話があるんだが……」
目の前に立った彼の言葉にわずかに反応を示した有紗は、ゆっくりとそちらに顔を向けた。
「……海斗。……何か用?」
有紗の声にはいつものような覇気が全くなかった。海斗は彼女の様子に一瞬だけ顔を曇らせたかのように見えたが、すぐに平静を取り戻した。
「……話したいことがある。お前の家に行きたい」
「……ごめんなさい。今日は、そんな気分になれないの。……日を改めてくれないかしら?」
有紗は海斗から目を背けて力なく呟いた。
「すまないが、そういうわけにはいかない。今すぐでないとダメだ。……今のお前にとっても必要なことかもしれない」
「……今の私?」
有紗は海斗の言い回しに違和感を覚えたようだった。
「どういうことかしら? あなたは何か知っているの?」
「……竜崎海斗のGRDが盗まれたんだろ? 気にするようなことじゃない。とにかく、話を――」
その瞬間、彼女は机を叩き付けて海斗に迫った。
「あなたに何が分かるの!? あれが私にとって、どれだけ大切か分かるの!?」
対して海斗は表情を崩さずに答える。
「死んだ人間に囚われるな。お前にとって重要なのはこれから――未来だろ? 竜崎海斗もそう願ってるはずだ」
「――何ですって!? 部外者の分際で、よくそんなことが言えるわね。……自分の事はまともに話さないくせに、人の事には口を出すなんて! ……最低ね」
有紗は激情に身を任せるように罵声を浴びせる。
驚いた様子の海斗だが、目を閉じて少しの間沈黙した。
そして目を開いたとき、彼の目つきは氷のように冷たくなっていた。
「……お前にどう思われるかなんてどうでもいい。俺には関係ない」
海斗は何の感情も込めずにそう言い放つ。
有紗はその言葉を聞き、身体が縫いとめられたかのように動かなくなった。
「……本気で言ってるの?」
彼女は信じられないものを見るかのような表情で問いかける。
「ああ、俺は今お情けでお前にチャンスをくれてやってるんだ。……お前が知りたがってることを教えてやる。聞くか聞かないかはお前次第だ」
彼は冷たい言葉をぶつける。そこにどんな意図があるのか、有紗には窺い知ることは出来ない。
「……」
有紗は茫然と海斗を見続ける。
「さあどうする? 俺は次の言葉で決める。断れば……望み通り、お前の前から永遠に消えてやるよ。安心しろ、俺から聞かなくても……いずれお前は全て知ることが出来る」
「……」
有紗は下を向いてしまい、微かに震えていた。
「俺から聞くか、他から聞くかの違いだ。好きな方を選べ」
もう有紗には彼が何と言っているのか聞こえていなかった。
「……あなたは……」
消え入りそうな声で彼女は呟く。
「……あなたは他の人とは違うと思ってた……」
「……」
その声が果たして海斗に聞こえたかどうかは分からなかった。
有紗は顔を上げて彼を見据えた。
「話は聞くわ。今から行きましょう、犀崎君」
彼女は以前のような強固な仮面を被り、教室の外へと足を向けた。
「……ああ」
その彼女の後を海斗は追従した。
少女の足取りは機械のように重く、弱さを微塵も感じさせない。だが、その後ろ姿はまるで泣いているかのようだった。