22.奪取
時刻は八時過ぎ。春筑研究開発都市のとある道路を、五人乗りのセダンが走っていた。車は真っ赤にカラーリングされており、流線型のボディは町の光に照らされ宝石のように光っている。
交差点を曲がったところで、ドライバーが口を開いた。
「……あの、ホントに上手く行くんですか?」
ハンドルを切り、運転しているのは夏目亜紀である。彼女は相変わらず胸元が開いたセクシーな服を着ていた。
「大丈夫だ。お前らは作戦通り待機してろ」
後部座席の黒づくめの男――海斗がそう語る。顔はマスク、おまけに黒いコートを着ており、いつかの正体不明の襲撃者を思わせるような恰好だった。
「けど、……こんな強盗みたいなこと……。僕たちも犯罪者になっちゃいますよ!」
助手席から不安そうな声が上がる。図体に似合わない小心者っぷりに、海斗はため息をついた。
「良太……、俺がやるんだぞ? 竜崎海斗が万が一にも失敗すると思ってんのか?」
海斗は口元を吊り上げ、自身に満ち溢れた言葉を発する。彼は、左手首に装着しているGRDを我が物顔で見せつけていた。
「先輩、これが頼まれていた物です」
赤信号を確認しブレーキを踏んで車を止めた亜紀は、海斗にデータチップのようなものを渡した。
「おう、サンキュー」
海斗はチップをGRDに挿入し、パネルに映ったデータを確認する。
集中し始めたのか彼は黙り込み、車内はしばらく静寂に包まれた。
海斗、亜紀、良太の三人は車で二階堂家を目指していた。
目的は竜崎海斗が所有していたGRDであり、有紗の部屋でそれを見つけ出し奪取することである。
生前海斗が使用していたものである以上、彼ならばそれを起動することも中のデータを取り出すことも可能である。その中には事件の手がかりが眠っている可能性が高く、絶対に手に入れなければならない。しかしながら有紗の許可を得られない以上、実際に彼が手にすることはできない。
そういう経緯で彼らはこのような暴挙に出たということである。
数十分後、車は二階堂家と目と鼻の先の位置にまでやって来た。
「よし。じゃあ、サクッと盗んでくる。……何かあったら連絡するから」
「分かりました」
亜紀の返事を聞いた後、海斗はためらう様子もなく車のドアを開け、その瞬間に念動力を行使して空へと飛び立った。
地上から数十メートルにまで上昇し、二階堂家が一望できる位置にまで移動する。
海斗は肉体強化を目に作用させ、屋敷の外観を事細かに観察した。
(……門の所に二名、巡回しているガードマンが八名、センサーやカメラもかなりの数が仕掛けられている……)
彼は以前ここを訪れた時に把握した屋敷内の構造を視覚情報に追加し、自分のこれからの行動をシミュレートした。
(本邸の二階に有紗の部屋はある。二階に直接飛び込むか……。GRDを他の場所に移されたら面倒だからな……)
海斗は空中で身構える。
念動力を起こすための方程式を組み換え、演算を開始する。
(――よし。行くぞ!)
その瞬間に海斗の体が砲弾のように放たれた。一瞬のうちに屋敷の外壁――そのはるか上を通過する。
センサーが反応し警報音が鳴り響く。
だがその時には、彼は建物の窓を突き破り、二階の廊下に侵入していた。
海斗は周囲を見回す。
外的の存在は確認できず、今いるポイントから通路の奥にある有紗の部屋へと駆け出した。
「――ッ!?」
通路を走っていた彼は、自身の左側面――その部屋の中から能力の発現を感知し、すぐにその場から離れた。
けたたましい爆発音とともに周囲のドアや壁が破壊される。
海斗は爆発の中心にいる敵対者を見据えた。
「……こんな時間に、アポなしで訪問する方がいるとは……。――何者ですか?」
海斗を睨み付ける美神凛の姿がそこにはあった。
(……やはりコイツと戦わなきゃなんないか)
自らを有紗の護衛と名乗っていた以上、海斗は凛が出張ってくることを予想していた。
「……あなたがどこのどなたか存じませんが、……制圧させていただきます」
凛は拳を握りしめ、即座に海斗の方へと突撃する。
海斗はコートの中から直径2cm程度のボールを無数にばら撒き、それらを制御下へと置く。そして念動力によって運動エネルギーを付加し、弾丸のように凛へと撃ち出した。
海斗の攻撃を認識した凛は両腕を顔の前で組み、防御の姿勢をとりながらも疾走し続けた。
無数の球体が全弾同時に凛へと衝突する。
――その刹那、彼女の体が爆発に包まれた。
海斗はその様子を視界に捉え続ける。
「――チ!?」
粉塵の中の敵が健在であると分かり、海斗は後退する。
「――無駄です。私にそんな攻撃は効きません」
凛は海斗との距離を一メートルにまで縮め、右の拳で殴りかかる。
(――相当なレベルの肉体強化……直接受けるのはヤバい!)
五感から回収した情報を使って未来視を発動し、凛の動きを予測する。
肉体の動きを完全に読み切った海斗は、最小の動作で彼女の攻撃を躱し切る。
「――ッ!?」
驚く彼女だがすぐに切り返し、頭部を狙う凶悪な角度の蹴りを繰り出した。海斗はその一撃を紙一重で避け、僅かな隙をついて瞬間移動で間合いから脱出する。
両者の距離は二十メートル程度に広がっていた。
「……どうやらかなり危険なお客様のようですね……」
凛はスーツを脱ぎ捨てて、黒い戦闘服のような姿になった。体のラインが浮き彫りになっており、腰や太腿に武器を携帯しているようだった。普段の海斗なら、鼻の下を伸ばしてもおかしくない格好だが、彼は全く動じていない。
「……手加減はしません。殺す気でいきます」
床に亀裂が走るほど踏み込みんだ彼女は、先ほどよりも更に速く海斗に接近する。
海斗は距離を詰められないように念動力を使って引きながら、尚も携行していた球を凛に向けて撃ち出し続けた。
球が着弾する度に凛の体は爆風に包まれ、そして無傷だった。
(なるほど、これがコイツの能力――自律装甲か)
海斗は亜紀から渡されたデータチップの中身を思い返す。
そこには美神凛という能力者の詳細が掛かれていたのである。
(――物体や現象に触れた瞬間に、指向性の爆発を起こす能力――たしかにこれは戦闘向きな能力だな)
凛は敵からの攻撃を受けた際は、そのベクトルと逆方向に同じだけのエネルギーを持った爆発を起こして防御。攻撃の際は接触部分から放射状または指定したポイントにのみ爆発を起こして対象を破壊する。言わば攻防が同時に行える能力と言える。
(とにかく、ここは引くか……)
彼は凛との戦闘を維持しながらも、ある突破口を考えていた。
****
戦闘が始まって数分が経過し、屋敷内は美しい景観から変貌を遂げつつあった。
海斗は凛からの攻撃を回避しつつ、広いエントランスまでやって来ていた。
「さあ、どうするのですか? 大人しく降参した方が身のためだと思いますが……」
凛は無表情で身構えている。
さらに彼の周りには待機していたガードマンなどが集まりだしており、それぞれが彼に銃口を向けている。
(……さて、どうするか?)
海斗は周りを見渡しながら考える。
「――そいつね。侵入者っていうのは」
その言葉の方を向いた途端、海斗は体の自由が奪われてしまった。
(……これは……!?)
「お嬢様!? ここは危険です! 下がってください!」
凛は有紗の登場に心底驚いているようだった。
「ガードマンもいるし、あなたもいるから平気よ。……それより、早くそこの侵入者を拘束しなさい。今なら動けないわ」
有紗は能力を行使するため海斗の方をにらみ続けていた。
(……また、あれにやられてしまったのか……)
彼は凛と同じく有紗の能力も把握していた。
凍結魔眼――両目から特定の信号パターンの命令を発信し、相手の神経の伝達を狂わせて行動を制限する能力。対象が有紗の目を見ることで発動する。能力者は五感、主に視覚を強化するためそれを逆手に取った能力である。発現が早く、光情報を媒介とするため、初見の相手にはほぼ間違いなく効果を与えられる。
(……敵に直接干渉する必要がない、おまけに能力者であればある程効きやすい――低コストで使い勝手が良い能力だな……)
「……わかりました。念のため、先にGRDを破壊します」
凛は警戒しながらも海斗の方へと近づく。
(――一度食らっておいて良かったぜ!)
『再起動』
突如、海斗の装着していたGRDが勝手に動き出した
「――な!?」
凛は一瞬たじろぎ、対して海斗は息を吹き返す。
(……有紗の能力はあらかじめ対策プログラムをGRDに組み込んでおけば、容易に対応できる……そうでなくとも感覚と脳を一度切り離し、再起動させれば問題ない)
彼女の能力は、初見でこそ効力を発揮するのである。
そのまま、彼は凛へと襲い掛かった。
彼女は反射的に防御の構えを取ってしまう。
(――干渉領域、把握。演算完了)
海斗は右手に自身の領域を収束する。
(自律装甲――この能力を破るには敵の領域、つまり外敵を感知するセンサーそのものを破壊するしかない)
海斗は用意していたいくつもの球体をぶつけることで、反応速度や領域、演算アルゴリズムを全て解析していた。
彼は拳を凛のGRDへと叩き付け、使用不能にした。
「――そんな!?」
凛は信じれらない様子で海斗から離れる。
「――凛!?」
突然の出来事に驚きを隠せない有紗。
「お嬢様! お逃げください!」
大声で有紗に警告した凛は、太腿の拳銃を引き抜き海斗に向けて発砲する。周囲のガードマンもそれに続いて引き金を引く。
しかしながら念動力が使える海斗に対して、ただの弾丸など無意味でしかない。
(悪いが、相手をする暇はないんでね……)
海斗は瞬間移動でその場から姿を消した。
****
正体不明の侵入者が消えて、数秒の時が流れていた。
「凛! 大丈夫?」
有紗は凛の元に駆け寄って、ケガをしていないか確認した。
「大丈夫です。GRDは破壊されてしまいましたが……」
凛は自分の不甲斐なさに少し落ち込んでいるようだった。
「そんなことはどうでもいいわ! とにかく、何もなくてよかった……。あなたまでいなくなったら、私……」
凛が無事だったことから、有紗は心底安心したようである。
有紗は新蔵と海斗を亡くし、数多くの人が去っていく中で人間不信に陥ってしまったが、それを支えたのが凛だった。凛は生真面目で世話を焼いてしまう性分から有紗を立ち直らせようと懸命に尽くし、結果として彼女の信頼を得たのである。そして護衛になってから二年後に専属契約をして今にまで至っている。
凛はそんな有紗の様子を見て、再び強い表情に戻った。
「……まだ邸内にいるかもしれません。油断は禁物です。それに敵の目的は未だに分かっていませんし……」
周囲のガードマンは連絡を取り合い、侵入者の行方を捜していた。
「……ええ。でも、一体何が――」
そこで有紗はある物に思考が至った。
「――まさか!?」
有紗はその場から駆け出していた。
「お、お嬢様!? 危険です! お戻りください!」
凛の制止も聞こえない様子で、GRDを使って急いで自室へと急いだ。
(あれだけは奪わせない!)
有紗は焦っていた。
自室に隠してる金庫。その中には彼女の大事な物――竜崎海斗のGRDが保管してあるのである。
(……このことは何人かにしか話していないのに。一体誰が!?)
有紗の脳裏にはある存在がチラついていた。だが、彼女はそれを必死に否定した。
(彼じゃない! そもそも彼にはどこにあるかなんて話してないし、……それにこんなことする人じゃない!)
有紗は今日の昼の出来事を思い出していた。
彼女にとって犀崎海斗とのデートは、ここ五年間で一番楽しい思い出だった。普通の高校生のように友達と遊んで、何も考えずバカをやる、そんなことが彼女にとっては特別だったのである。
そして――海斗は異性とのデートなんて初めてだと言っていたが、それは有紗の方も同じだった。
「……止まりなさい!」
彼女の部屋の窓際に例の侵入者が立っていた。
有紗は自室へと足を踏み入れ、中の様子を詳しく確認した。
部屋の中は特に大きく荒らされたわけではなかったが、絵画の裏に隠していた金庫が破壊されていた。
――そして、竜崎海斗のGRDを侵入者は持っていた。
「それを今すぐ返しなさい!」
その声とともに有紗は念動力を発現し、侵入者を捕えようとした。
しかし相手の方が数段上の念動力を行使し、防がれるだけでなく、有紗のGRDだけを吹き飛ばしてしまった。
「……あ……」
成す術がない彼女はその場にへたり込んでしまった。
「……お願い、それを返して。……それは私にとって、大事な……唯一の……」
有紗は涙を浮かべながら懇願する。いつもの強い彼女の面影はなく、そこにいたのは無力な少女だった。
少しの間、彼女と相手の間に沈黙が流れた。
「……あ」
侵入者は背を向けてしまう。
そしてそのまま窓の向こうへ消え去ってしまった。
残された少女は、ただ茫然と虚空を眺めることしかできなかった。