19.妙案
時刻は八時過ぎ。
海斗はとあるアパートに足を運んでいた。五階建て、オートロックなどは標準装備、小奇麗ではある。しかし、この都市においてはそれほど優良な物件とは言えなかった。
彼はその三階のとある一室の前にまでやって来た。
「うおーい! 良太! 俺だ!」
海斗は扉を右手でガンガン叩く。良く見れば、表札には『坂井』と書いてあった。
インターホンが反応し、中の人間が応答する。
「……何者だ?」
聞いたことがある男の声が、いやに重々しく発せられる。
「……Dの意志を継ぐ者」
海斗がもったいぶるように低い声音で語りかける。
すると鍵が開く音とともに、扉が開いた。
「先輩、いっらしゃーい!」
そこから現れたのは坂井良太だった。
「おお、悪いなこんな時間。ちょっと家に帰るのが億劫でな」
海斗は遠慮する素振りも見せず、自分の家にように上がり込む。
部屋は2LDKで、男の一人暮らしにしてはきれいに片付いた部屋だった。
「構わないですけど、どうかしたんですか?」
海斗が脱ぎ散らかした靴をキチンと並べながら、良太は尋ねた。
「……とりあえず、亜紀を呼んでくれ。話はそれからだ」
数十分後、電話で亜紀を呼び出し、海斗は二人に今日の出来事を話し出した。
「はあ!? 襲われた!?」
亜紀と良太が示し合せたかのように驚きの声を上げる。
「そうなんだよ。死ぬかと思ったわ」
二人の様子とは対照的に、海斗は端的に感想を述べる。
「えー……、何で殺されかけたのに、そんな他人事のような態度なんですか?」
亜紀は心底呆れているようだった。
「……一体誰に!? どうして!?」
良太は狼狽しながら問いかける。
「二人組だった。片方は弾丸を操る能力。もう一人は爆発か発火か、どちらかを引き起こせる奴。どこの誰かは分からん」
「……固有領域持ちですか。よく生きて帰れましたね……」
「ああ、手強かったよ。ビルごと叩き潰してもピンピンしてたからな」
亜紀と良太はその言葉を聞いて、開いた口が塞がらない様子だった。
「……あなた、本当に竜崎先輩なんですね」
亜紀が確認するように呟く。
「信じてなかったの!? 最初から言ってたじゃん!」
海斗はムッとしたようで、口を尖らせて文句を言う。
「ああ、いえ……改めて認識しただけです。……そうですね、先輩なら戦闘に特化した能力者でも相手にできますね」
亜紀は納得したようで、テーブルに用意された赤いマグカップに口を付ける。
「あとは話した通り、二階堂家に俺のGRDがあった。そこには、以前話題に上がった宇佐美も居ましたよっと。以上」
海斗は話し切ったことに満足し、良太が出した夕食に手を付け始める。
「……宇佐美さん、二階堂に居たんですね?」
良太は少しだけ悲しそうに呟いた。
「ああ、俺はヤツが手引きしたんだと思ってる」
海斗ははっきりと二人に言い放った。二人の顔色は目に見えて悪くなり、不安と悲しみに包まれていた。
「……そんな、宇佐美さんが……。確かに、無口であまり人と話しているのを見たことなかったですけど、そんな人には見えなかった……」
良太は信じられないといった様子だった。
「……あの人の実力はみんな分かっていて、一目置いてました。裏切るメリットがあったとは思えないのですが……」
亜紀も不可解だという意見を口にする。
「……だよなあ。俺もアイツがそんなことするとは思えなかったけど……。でもアイツの事を何でもかんでも知ってるわけじゃないし、一番怪しいのは確かだからな」
海斗も宇佐美の行動には理解できない点が多かった。しかし、二階堂での様子やその帰り道に襲われた事から、警戒すべき相手であるのは間違いなかった。
「ま、そういうわけなんだよ。で、俺は自分のGRDを何とかして手に入れにゃならん。……何かアイデアない?」
海斗はモグモグ口を動かしながら二人に尋ねる。
「……有紗ちゃんに何とか見せてもらうしかないですよ。彼女が持っているんですし」
至極真っ当なことを言う良太。
「……でもなあ、それが一番無理なんだけど……」
ここまで平然としていた海斗は途端に顔を曇らせてしまった。
「有紗ちゃんの信頼を勝ち取るしかないですね! やれることは何でも試してみるべきです!」
亜紀は自身に満ち溢れたような口調で話す。その後マグカップのコーヒーを呑み切り、おっさんのようにテーブルに叩き付けた。
(……そんなんだから、モテないんだよ。……人の事言えないけど)
海斗は呆れ果てた様子で口を開く。
「具体的にどうすればいいんだよ?」
「そんなの決まってるじゃないですか……。デートですよデート!」
亜紀は生き生きとしている。四捨五入すれば三十路のはずだが、目は乙女だった。
「……デートねえ……」
嫌そうな気持ちを隠そうともしない。彼は女の子とデートなどしたことがなかった。
(……そういうの一番苦手なんだけど)
考えるだけで不安に押し潰れそうになる。
そこで海斗はふと思い出したように、二人にあることを尋ねようとした。
「そう言えば、お前ら付き合ってんの?」
海斗は疑問に思ったことを何の臆面もなく口にした。
「……は!?」
亜紀は驚愕の表情を浮かべる。手足は石化したように動かない。
「あ、先輩いいこと言いますね! 亜紀ちゃんももう年なんだから、早いとこ身を固めた方が良いよ! 早く結婚しよう!」
良太はニコニコ笑顔全開だった。
「……ふざけんな! 何であんたの奥さんにならなきゃなんないのよ!? 私はもっとワイルドな男性が好みなの!」
亜紀は顔を真っ赤にして拒絶する。
「んー? でもお前、そう言う割には生活用品をコイツん家に置きまくってるじゃん。俺はてっきり同棲してるのかと……」
海斗は部屋の中を見渡す。ベランダから取り込んだ女性物の服や、花柄の食器類などが目に入る。加えて海斗は上がり込むときに、洗面所の歯ブラシが二つあることに気づいていた。
「――あ、いやそれは……」
亜紀は痛いところを点かれてしまい、言葉に詰まってしまう。
「あーそれはですね……」
良太が海斗の疑問に答える。
「亜紀ちゃんって全然片付けとか出来ないんですよ。掃除も洗濯もしないし、料理もホント芸術的で……。一人じゃとてもじゃないけど生活できないんです」
良太は親指を立てて良い笑顔を浮かべる。
「なーるほど、丁度いいじゃん。もう結婚しろよ」
海斗は手をポンと叩き、そう結論付けた。
「ですね! 僕も亜紀ちゃん家に掃除しに行くの大変ですし」
(そんなことまでしてんのかよ……)
海斗は良太に少しばかり同情した。
「……」
男二人は女子力が圧倒的不足している亜紀を見つめる。
「……う!? ……な、何ですかその目は?」
亜紀は二人の目線にやや怯んでしまう。
「別に」
「何も」
二人は素晴らしいコンビネーションで答えた。
この後数分間、主婦適性のない女を、モテない男たちは苛め続けた。