1.復活
物音ひとつない静けさに包まれた空間で海斗は目を覚ました。
薄っすらと目を開き、寝ぼけた頭を必死に働かせようとする。しかしながら、どうにも目の焦点が合わず、ピンボケしたような光景しか彼には認識できない。体から伝わってくる心地よい感触から、中々に高級なシーツと毛布に包まれて寝ていたようである。
それくらいしか、覚醒して数分間、彼は外界からの情報を得ることができなかった。
だんだんと目が冴えてきて、海斗は意を決してベッドから飛び出した。
彼はようやく二本足で歩く生物としての責務を果たした。
(海斗……大地に立つ!)
朝に弱い彼は、起き上がった自分を褒め称える。
両足で体を支えたことで、幾分視野が良くなり、ついでに頭の方にもようやく血液が巡りだしたのか、彼は自分のいる空間をようやく理解できるようになった。
そこは殺風景な部屋だった。
それまで自分が寝ていたまだ温かみが残っているベッド。
部屋の片隅でこれでもかというぐらいに存在をアピールする冷蔵庫。
対照的に、台も付属品もなにもない、ただコードに繋がれ床に無造作に放置してあるノートパソコン。
それ以外には、使われていなさそうなキッチンとエアコンが備えてある――十畳程度の広さがあるフローリングの部屋。
(うーんと、ええと……ここは――)
全く記憶にない、見たことがない部屋だった。
海斗は、顎に手を当て、自分がどういう経緯でこの部屋に至り、あのベッドに飛び込んだのかを思い出そうとした。だが、いくら考えても答えは出なかった。どうにもまだ頭が完全には目覚めていないようだ。
海斗はドアを開けて、その一室から玄関の方へとつながる廊下へと気怠そうに足を向ける。その丁度右手側に洗面台を発見し、のっそりと歩を進める。
蛇口をひねり、水道水の清涼な刺激を何度も顔に叩き付ける。
「ふう……効くなあ……!」
息を大きく吐き出し、頭から霧が晴れていくような感覚を得た。誰が用意したのか、手すりにかけてあったタオルで顔をゴシゴシ拭く。
そして、何の気なしに洗面台の鏡を視界に捉えた。
そこには、こちらを見つめる見ず知らずの人間が存在していた。
「……え……誰?」
その人間は鏡の向こう側から、驚いたような、間の抜けたような表情を浮かべ、なおもこちらを凝視し続ける。
しかし、最も注目しなければならないのは、その男の頭髪が真っ白に染まっていたことだ。
その謎の男が、自分であることに気づくのに、数秒の時が海斗には必要だった。
「え……これ……俺!? なんでこんな髪白いの!?」
自問自答する海斗だが、その問いに答えてくれるような親切な人は残念ながらいなかった。
髪に手を触れて、本物かどうか確認する。真っ白な髪の毛は、そのまま海斗の頭皮までしっかりと繋がっており、立派な根を下ろしているようだった。
「……意味わかんねえよ……。目を覚ましたらいきなりじじいになってるなんて……」
そこまで言って、海斗はハッと何かに気づき、もう一度注意深く鏡に映る自分を観察した。
「いや、歳を取ったわけじゃない……。これは……むしろ……」
顔をまじまじと、ありとあらゆる角度から観察する。一見するとナルシストのようである。
海斗は再び言葉を詰まらせる。
彼の容姿は以前よりも幼く……少年のような顔つきになっていた。
記憶にある彼の顔は、徹夜続きの生活によって目の下に常にクマを備えており、髭もまともに剃らず、二十代の若い男性というより、疲れ切った三十代という印象が見受けられるような人間だった。
しかし、今の彼は髪の毛は真っ白に染まっているものの、肌はぴちぴちで潤いもあり、髭も生えておらず、目にも輝きが感じられる、十代の少年と言っても差し支えないものになっていた。
「一体どういうことだ……これは……」
鏡を見続けながらも必死に頭を回転させて、この難題に対する解を得ようとする。だが、一向に解法の糸口が浮かんでこなかった。
ふと思い出したように彼は、部屋にあったノートパソコンへと駆け出した。ノートパソコンを開き、焦りながらも電源ボタンを見つけ、起動する。
起動する数十秒の間、この部屋の状態を再度確認する。
(洗面台の蛇口から水が出たこと。ノートパソコンにも十分な電力が供給されている。そうすると、この部屋を管理しているヤツが存在するはず……)
海斗は落ち着かない様子で、目線をあちこちに向ける。
この部屋の持ち主……その人物は一体だれなのか。記憶がない以上、海斗をここまで運んだのは同一人物か関係者のはずである。しかし、現状そんな人間はこの部屋には存在しない。
そうこう考えているうちに、デスクトップ画面が立ち上がり、操作ができるようになった。
スクリーンに映しだされた文字を見て海斗は目を見開く。
「……はあ? 嘘だろこれ!?」
表示されているのは現在の日付と時刻であった。海斗が驚いたのは、その表示が、彼が生きていたはずの時から五年ほどの時間が経過していたからである。
「……二0六九年七月三日……ほぼ五年間……俺は眠っていたのか?」
海斗は体から力が抜けていくくのを感じた。
(どうなってるんだ? そもそも俺は……)
その瞬間、海斗の脳裏に強烈なイメージが走った。
薬品や実験機材に囲まれた薄暗い部屋。
身体を貫いた凶弾と硝煙の香り。
深い闇の底に沈んでいく感覚。
――そして、最後の瞬間に思い続けた少女の面影。
海斗は卒倒しそうになる衝撃から、なんとか正気を保った。
(思い出した……俺は……一体!?)
最大の懸念事項である、自分が殺されかけた事件の顛末について調べる。
海斗はマウスとキーボードを操作してネットにアクセスした。検索エンジンに思いついたワードを入力して、すぐに二階堂の研究施設を襲った事件についての記事を見つけることができた。
記事の内容は、目を覚ました海斗にとって最もショッキングな内容であった。
『二〇六五年七月二〇日 午後十一時過ぎ頃 二階堂グループ代表取締役二階堂新蔵氏の所有する研究施設から火災および爆発が周辺住民によって確認、通報され事件は発覚。
消防や警察が到着して数時間後に火は消し止められたが、研究施設は全壊、多数の死体が発見された。
現場検証や司法解剖の結果、多くの被害者の死因は拳銃などによって撃たれたことによる失血死、ショック死と判明し警察は組織的な殺人事件として捜査を開始。
事件当夜、研究施設の警備システムは何者かにより電源が落とされていた。それにより、監視カメラや警報装置が作動しておらず、また施設の秘匿性から事件の発覚の遅れや目撃者が存在しなかったことから捜査は難航。爆発と火災により研究データだけでなく、その日施設を出入りした人物の入館データも失われ、事件当夜の施設内の正確な人数を把握することは困難を極めた。
事件後、中央情報管理庁にある行方不明者の個人データと死体のDNA情報を照らし合わせ被害者を特定。被害者は研究スタッフ二三名、警備員八名、その他犯人グループの人間と思われる身元不明者四名。
被害者には二階堂新蔵氏本人に加え、
能力開発の分野で注目されていた竜崎海斗氏も確認され――』
海斗はそれ以上記事を読むのを止めた。パソコンの画面を閉じて、大きく息を吐きだし、天井を仰ぎ見る。
「……俺……死んだのか?」