12.反芻
日はすっかり沈んでしまい、都市の通りの電灯が光り輝いていた。
そんな中、不機嫌な様子の女性が走ってどこかを目指していた。白衣を身にまとっているが、その下はやたらと露出度が高い服装をしていた。胸元が開いたシャツに、太腿が丸見えのミニスカート、ショートカットの髪型に眼鏡。一見すると女医か何かと思うであろう出で立ちだった。
その女性は息を切らして、なおも目的地を目指して走り続けていた。
しばらくして、オシャレな喫茶店の前に到着した。店の前まで来て、彼女はようやく息を整えながら、心を落ち着かせる。
「……あのう、待ち合わせしている者なんですが……」
入口の自動ドアをくぐって店内に入った彼女は、近くにいた店員に話しかける。
店員は意図を理解したのか、彼女を席まで案内する。その顔がなぜか引きつっていたのを彼女は疑問に思ったが、気にしないことにした。
案内された先に居たのは、両腕を組んで瞑想している奇妙な二人組の男たちだった。店員も役割を果たし、そそくさとカウンターの方へ戻って行き、店長らしき人とヒソヒソ何か話している。
「……あんたら、何やってんの?」
女性は不機嫌というか、不可解な物を見ているかのような態度で話しかけた。
「あ、来てくれたんだね亜紀ちゃん! 待ちくたびれちゃったよ! 相変わらずエロエロな服装だね!」
彼女の存在に気づいた坂井良太は、目を開けて嬉しそうに答えた。
「……で、そこにいるのが竜崎先輩なの?」
良太の発言を無視して、彼女は気になっていたことを早速問いただす。
「お前こそ、夏目亜紀で間違いないんだろうな?」
その問いに対して、海斗は質問で返した。
「……そうですよ。先ほど急に電話で呼びつけられた夏目亜紀です。……もう一度聞きます。あなたは、本当に竜崎先輩なんですか?」
亜紀は冷静に振る舞いつつ、海斗に疑いのまなざしを向ける。
「お前がそんなビッチみたいな恰好をしているのにも関わらず、なぜいつも男に相手にされていないか教えてやろうか?」
「――な!?」
亜紀は男に持てないという事実を海斗が知っていることに驚いた。
「――それはな、良太が周囲の人間にお前ら二人が結婚を約束している関係である、と嘘の噂を流しているからだ」
「ちょ、ちょっと、先輩!? それは言わない約束――!?」
「――良太?」
その言葉を聞いた亜紀は良太の胸倉を掴み、片腕で持ち上げてしまう。
「ち、違うんだよ、亜紀ちゃん!? 僕は亜紀ちゃんの周りに変な虫が寄ってこないように、あえてそういう噂を――」
「……良く分かったわ。――果てろ」
その瞬間良太の体が窓ガラスを突き破って、外に吹き飛んでいってしまった。店内の他の客たちはあまりの出来事にテロか何かだと騒ぎ出し、先ほどから海斗達に対応していた店員は涙目になり、店長は呆然とその光景を眺める。
「……ど、どうだ? これで俺が竜崎海斗だって信じたか?」
海斗は目の前で起こった惨事に若干ビクつきながら、問いかけた。
「……ええ、まあ。……電話で話した通りなんでしょう?」
「ああ、とにかく手が足りないし、情報も足りない。協力してくれ」
亜紀の所業によって風通しが良くなった店内には、海斗達三人と店長、店員しか存在していなかった。海斗が持っていた電子マネーによって破壊した窓ガラスの修理代と、口封じのための裏金が支払われ、なんとか店を開け続けてもらうことが出来た。
「なんか、店長がこちらを怯えた目で見てるんだけど?」
海斗は不満そうな口ぶりで良太と亜紀に話しかける。三人が店長の方に目を向けると、ライオンに睨まれたハムスターのように縮こまってしまった。
「仕方ないですよ。亜紀ちゃんものすごく怖いから!」
「良太? 空飛んでみたい?」
「ははは……。勘弁してください……」
海斗は二人の様子を見てため息をつく。
(……このコンビは全く変わらないな。もう付き合えばいいじゃん)
亜紀と良太は両名とも海斗の後輩だった。共同研究で開明学園を出入りしていた彼は、学生の間二人を世話して、その後二階堂に引き抜いたのである。飛び級や奨学金取得のための推薦、能力開発や研究における技術的指導などを行い、研究者として一人前に仕立てたのは海斗なのだ。
「まあまあ、痴話喧嘩はそこまでにしてくれ。お前らに事件のことや二階堂の事を教えてもらいたいんだ」
真剣な顔つきで二人に詰め寄る海斗。
「そうは言っても、僕たちも報道以上の事は事件のこと把握してないですし……」
良太は歯切れの悪い答えを返す。
「そうだな……。犯行グループの目星さえついてないのか?」
海斗は質問を変えて聞いていくことにした。
「それは……二階堂は当時、能力開発の分野ではトップでしたから……ライバル企業からテロリストまで、考えたらきりがありません」
「……警備システムが事件当夜落とされてたって記事に書いてあったのを見たんだが、研究所内の人間で容疑者に挙げられた奴はいなかったのか?」
海斗はPCで確認できた事件の詳細を思い出す。
「うーん、確かその日非番だった人たちが協力者じゃないかって思われて、最初に取り調べを受けてましたね。ただ、全員アリバイが確認できて、その後関連施設の……僕たちのような人間の所にも警察が来ました。……でも、警備システムが落ちてたことや施設の火災なんかで入館記録が消失しちゃってて、結局誰がやったのか分からなかったんです」
良太は頭を捻って当時の事を思い出している。
「だれがやったか分からず、協力者もわからないと……。犯行グル―プの目的は何だったんだ?」
海斗は矢継ぎ早に疑問を口にする。
「十中八九、研究データでしょうね。それ以外、あそこを狙う理由がないですから。二階堂グループが管轄する研究所ではなく、二階堂氏個人が所有する施設でしたし。……ほら、結構噂が流れてたじゃないですか、二階堂新蔵があそこで秘密の研究しているって」
冷静な口調で考えを述べる亜紀。
「うーん、それじゃあ全く犯人像が見えてこないな……」
海斗は全く新しい情報が得られず頭を抱える。
「事件のことは僕たちだけじゃ、どうしようもないですよ……。警察だって今でも捜査しているぐらいですから……。とにかく、手がかりもなんもなくて、お手上げですね」
良太があきらめたように肩を落とす。確かに警察が解決できないことを、関係者とは言え、一般人にどうこうできるとは海斗にも到底思えなかった。
「じゃあ、事件の事はいいや。二階堂はどうなったんだ?」
海斗はもう一つ気になっていたことを聞く。
「大変でしたよ。毎日毎日、記者やカメラマンが研究所まで来て。自宅前まで来られた人もいましたし。それに二階堂新蔵氏が亡くなったことで、大本の二階堂家もてんやわんやの事態だったみたいで……。報道が沈静化した時には、職員の多くが他社に移動したり、引き抜かれたりしてた始末です」
亜紀はそのときの事を思い出して渋い顔をする。
「二階堂新蔵というカリスマの存在が大きかったですからね。だからその分、居なくなってしまったときの反動も……」
そこまで言って亜紀は温くなったカップに口をつけた。
(うーん、何か手がかりが得られるかもと思ったけど……)
「……はあ、お前ら役に立たないなー。ネットで得られる情報とあんまり変わりないぞ?」
海斗は机に突っ伏しながら落胆しているようだ。
「そうは言われても……、僕たちも身の振り方を考えるのでその時は精いっぱいで……。先輩も死んじゃってたし……」
良太は悲しそうにそう呟く。彼らを世話して引き抜いた責任がある以上、海斗にはぐうの音も出なかった。
「……事件の後に最もおいしい思いをした奴は誰だ?」
海斗は二人に再び問いかける。
「え……それは……競合していた同業種の企業はみんな喜んだんじゃないでしょうか?」
亜紀が少し考えてそう返答する。
「あー違う違う、二階堂に居た人間で、その後得をした奴――つまり高待遇で他社に迎えられたりした奴のことだよ」
海斗の質問に亜紀と良太の二人はしばらく考え込んだ。その後、思い当たる人物に至った様子で、良太は口を開く。
「……それなら、宇佐美さんじゃないですかね?」
「宇佐美?」
海斗は記憶の海から宇佐美のという人物の事を探し出す。海斗はその宇佐美という人物と面識があった。
「宇佐美って、あの寡黙で何考えてるか分からなかった宇佐美春雄のことだよな?」
「ええ、その宇佐美さんです。確かあの人は今、ヘルシャフト社で研究員をやっていると思います。……たしか二年ぐらい前に、能力者の演算能力を強化できるシステムをGRDに搭載したことで有名になりました」
海斗の言葉に相槌を打ちながら、良太は宇佐美という男について話す。
「宇佐美か……。でも、こんな裏切りみたいなことをやるような奴とは思えないんだけどな……」
「そうですね……。そもそも、業界トップだった二階堂から他に行くって考えの人がいるとは、考えづらいですね」
亜紀も同意するような意見を述べる。
「そうですねえ。それ以外の人は特に目立ってなかったですし……。はあー……八方ふさがりですね」
三人はあまり実のある話にならなかったことに落胆し、黙り込んでしまった。窓の大穴から風が入ってきて、なんだか虚しい雰囲気になってしまう。
「……でも、これから何かが動くはずだ……」
海斗は確信があるかのようにそう言い切った。
(俺が目を覚ましたこと。有紗の身に危険が迫っているということ。正体不明のメッセージ主。これらは全て、事件から五年後の今動き出したことだ)
「やっぱり、何とかして有紗からも事情を聴くしかないな」
話の中心である二階堂――その家の一人娘である二階堂有紗。海斗は彼女がキーマンであると感じていた。
「でも大丈夫なんですか? 妹に聞きましたよー。先輩、有紗ちゃんにしつこく付きまとってる割に相手にされてないって!」
良太は馬鹿にした様子で、口元を手で押さえて笑いを堪えるように話す。
「お前は年中そうだろ。一緒にすんな」
良太はその一撃でノックアウトされたようだった。椅子に座っているのに、その上で膝を抱えてしまった
「有紗ちゃん……確か先輩が何度か家庭教師みたいなことをして世話してましたよね? ……正体がばれてないんですか?」
亜紀は良太のことを全く気にせず、話を続ける。
「いや、大丈夫だ。そもそもお前らも見た目からじゃピンとこなかっただろ?」
「……それは……年齢は違うし、髪は白いし、おまけに不健康っぽい死んだ魚のような目やクズみたいな顔をしてませんから」
(……最後のはどういうことなのか? 俺は別に徹夜したりするだけだぞ)
亜紀の言葉に引っ掛かりを覚える海斗だが、流すことにした。
「……というか、事情を一部しか話さない人と話し合いの場を持つとは思えないんですけど……。ご令嬢ですから、学校以外ではそもそも近づけないでしょう?」
有紗の攻略難易度の高さに、不安しか感じていない様子の亜紀。
「それは、たぶん大丈夫だ」
自信を持った口ぶりで海斗は答える。
「こっちが何もしなくても、あっちからそろそろアクションがあるはずだ」
目を閉じて再び思考に移る。
(そして、恐らく……。命を狙われるような心当たりが、最近になってできたはずだ。でなければ、五年間そんな事態になっていなかったことの説明がつかない)
「……ホント、誰かさんがお膳立てしてくれたおかげで、スムーズに事が進むわ」
海斗は右手でGRDに触れながら、楽しそうに笑みを浮かべた。