10.挑発
放課後になり、校舎が夕暮れの光に照らされ赤橙色に染まっている中、海斗は懲りずに有紗の教室に姿を現していた。
「おーい、二階堂!」
教室の入り口から大声を出して有紗の名前を呼ぶ。彼女のクラスメイト達はもう慣れたのか、彼を見て飽き飽きしたような表情を浮かべる。
教室の隅の窓側に座っていた有紗は、その中でも軒並み不満そうで、不機嫌で、不服そうな様子だった。
「おい! なんだよ無視すんなよ! ……あ、もしかして念動力試験で俺より低い点数だったの気にしてるのか?」
海斗はすっ呆けた振りをして有紗を挑発する。周囲の生徒たちは顔を引きつらせて、出来る限り二人の姿を見ないように努める。
「……あなた、毎日毎日何の用なの? 私を怒らせたいのかしら? ……だったら成功してるわよ。……法律さえなければ、もうとっくの昔に八つ裂きにしてるから」
ついに無視できなくなったのか、有紗は返答した。無表情ながらも、その言葉には信じられないほどのプレッシャーがあった。
「そんなこと言うなよ。知ってるか? 高等部の中じゃあ、俺とお前が出来てるんじゃないかって噂になってるらしいぜ」
海斗がそう言った瞬間、何かがへしゃげるような音が教室に響いた。どうやら、有紗の机が少しだけ変形しているようだった。
「――誰なのかしら? ……そんな噂を振りまいた愉快な人は? ぜひ、知りたいわね」
「良くわからんけど、俺転校してからこのクラスばっか来てるから、ここのヤツが言ったんじゃねーの?」
極めて無害そうな顔つきで、周囲の人間を巻き込む爆弾を投下する。有紗のクラスメイト達は、海斗に殴りかかってきそうな形相をしつつも、有紗を恐れて、ただただ彼を睨み付けることしか出来なかった。
「……そう、わかったわ。それは置いときましょう。……それで、あなたはここに何しに来たの? もう迷惑なんだけど?」
怒りに震える有紗だが、育ちの良さが出たのだろうか、表面上は笑顔を浮かべ、なんとか平静を保っているようだった。
「おいおい、男が女の元に毎日通い詰める理由なんて、考えなくてもわかるもんじゃないか?」
馬鹿にするような口調でそう告げる。
有紗の笑顔は引きつっており、却って恐ろしさを演出していた。
「……そうね、最初は下半身で物を考える猿どもと同じように、愛を囁いてくるのかと思ったけれど、そうじゃないわね。あなたには好意じゃなくて、悪意を感じるから」
もはや言葉遣いにも上品さは失われつつあった。
「俺もお前には悪意しか感じないけどな」
気にせず海斗は言い返した。
「……はあ、じゃあ用件を聞かせてくれるかしら?」
有紗はこのやり取りにほとほと嫌気がさした様子で、あきらめたように大きくため息をついた。
教室中に充満していた殺意のオーラが薄れて、生徒達もほっとしたようだ。
「おう、悪いな。俺も迷惑だと思ったし、酷いこと言いたくなかったけど、……そうしないとずっと無視されてそうでさ。手短に済ますわ!」
海斗もその言葉に安堵し、笑顔になる。彼の正直な本音を聞いて、クラスの人間達も平穏な日常が帰ってきたことを実感し、神に感謝した。
「はいはい、もういいから」
有紗も先ほどよりは、ほんのちょっぴりだが柔らかい態度になっていた。
「それで、何なの?」
彼女は再度聞き返した。
「ああ、俺今日忙しくてさ、お前の相手出来そうにないんだ。……なあに、心配しなくていいぜ! 明日も同じように来てやるから! じゃ!」
そう言って海斗は入口から姿を消した。
――しばらく沈黙がその空間を支配した。
「あ、悪い悪い、言い忘れてた」
何か思い出した海斗は、再び先ほどと同じ位置に出没した。
「さっきのお前と俺が出来てるって噂だけど、あれ別に誰もそんなこと言ってないから。純粋なんだな、お前。少し見直したぜ。じゃ!」
彼はそう言い残して、今度は本当に去って行った
戦争が終結し平和な世の中がやってきたところに、今度は核爆弾を投下されてしまったと誰もが理解できた。そして、今日ここに存在する若者たちは、今から始まるであろう嵐の予感に戦慄する。
「……ふ……ふふふ、ふふふふふふ……」
この世のものとは思えない、思いたくない笑い声が聞こえる。
「……もう殺しても大丈夫よね? ここまでされたら、仕方ないわ。うん、私よく我慢したわ。……ね?」
恐ろしさのあまり、その同意を求める言葉に、誰も『うん』と頷くことすらできなかった。