〔八〕
グローリアの王都。そこには似合わない『うらぶれた』という表現が似合う場所。そこにはいつ建てられたのか誰も知らないような建物があるのだった。それはちょっと見た感じではお化け屋敷といっても過言ではない。しかし、生活している人物がいるのも間違いがないことだった。
この場所にハートヴィル侯爵令嬢であるセシリアが出入りしているのは有名な話である。だからこそ、ここの住人は『お化け屋敷』という評判を気にする必要はない。もっとも、その人物自身がある意味での有名人であるのだからこの屋敷の風評は関係ないともいえるのだった。近隣の人々からは『占いのババ』、セシリアのように懇意にしている相手からは『グラン・マ』と呼ばれている相手。その占いのうでは確実であり、彼女が占えないことはまず無いと信頼もされている相手。その彼女は部屋の中で水晶玉をみながら、浮かない顔をしているのだった。
「この分だと、何かが起きるんだろうね……リアも帰ってきているんなら、こっちに顔を出せばいいのに……」
そう呟いた彼女は商売道具でもある水晶玉を大切そうにしまうと、ゆっくりと立ち上がっていた。彼女がここに住み始めてからどれくらいの時間がたっているのか。誰もそのことを知ってはいない。いつの間にか彼女はここに住み着き、偶然のことからセシリアという後ろ盾を手に入れたのだった。もっとも、彼女の占いの腕を疑うものなど王都にはいない。セシリアという保護者がいなくても彼女は十分に生きていけるだろう。それにもかかわらず、彼女は何くれとなくセシリアに気を配っているのだった。
そんな彼女の滅多に変えられることのない表情。それが今はどこか不安げな色を浮かべている。彼女は古いタンスの扉をあけると、中に入っているものを大切そうに取り出しているのだった。
「これを着ることになるとは思ってもいなかった……でも、そうしなきゃいけないようだ。もっとも、今のあたしがこれを着るのが相応しいかどうか、わかったものじゃないけどね」
その彼女の手にあるものは、どうみても巫女の装束でしかない。占い師である彼女がどうしてそれを持っているのか。その場に誰かがいればきくことも可能だったろう。しかし、そこにいるのは彼女だけである。そして、グラン・マは同じタンスの中に入っている箱の中からロザリオも取り出していた。
「創世神様、聖教皇様。再び、これを身につける日がくるとは思ってもおりませんでした。しかし、今はその時であると思います。あの時、惨めに生きながらえてしまった私ではあります。しかし、それもあなた様の思し召しでありましょう」
それは、セシリアや町の人々が知っているグラン・マの姿ではない。真摯に祈りを捧げる姿は、神々しささえ感じさせていた。
「これに相応しい自分であるとは思っておりません。しかし、お許しください。そして、私にすべてを語る勇気を与えてください。それこそが、この長い時を生かされた理由だと思っておりますから」
深々と頭を下げ、彼女は祈り続けている。
そんな時、外では人々が何かに驚いたように大声を張り上げているようだった。急いで窓に駆け寄り、外の様子をみた彼女は驚きの色を隠すことができなかった。
「…………」
思わず声をなくし、立ち尽くしている彼女。そして、何かを決めたような顔で巫女装束を身につけると首からロザリオをかけると、外へと飛び出しているのだった。
彼女が外で目にしたもの。それは、人がここまで暴力に訴えるのか、という光景でもあった。お互いの顔がわからないかのように罵りあう人々。店の扉や窓を破り、中の商品を根こそぎもっていく不埒な輩。そして、互いの意見を押し付けようとするかのように暴力に訴える人々。
それは、人間の弱さをさらけ出したあまりにも惨めな光景であったのだろう。グラン・マは痛ましいものをみたかのように目を背けている。しかし、いつまでもそんなことをするわけにはいかないことも彼女にはわかっている。
「ばあさん、こんなところをうろちょろすんじゃないぞ。目障りなんだ!」
自分につっかかってくる相手の手首をグイッと握っているグラン・マ。その目に浮かんでいる光は巫女の装束には似合わない物騒なものともいえる。
「ばあさんはないだろう。それに、あたしにはあんたみたいな極道は身内にはいないよ」
「ばあさんだと思っていたら好きなこと言いやがって!」
そんな相手の手首をグラン・マは簡単に捻りあげている。
「ばあさん、やるじゃないか」
ニヤリ、と笑う男たちの視線に怯えるようなところはグラン・マからは感じることができない。彼女はどこか憐れみのこもった声で呟いているだけだった。
「まったく、人間はここまで堕落できるんだね。見限りたくなるって言う気持ちがわからないでもないんだがね」
「ばあさん、そういうあんただって人間じゃないか」
そう言うと男たちはゲラゲラと笑い出している。それをみたグラン・マはため息をつくことしかできないようだった。
「好きに言っているがいいさ。あたしはこの先に用があるんだよ」
「そうはいかないって」
あくまでも彼女の邪魔をしようとする男たち。そんな相手をグラン・マは姿勢を低くしてやりすごすと膝を払っている。相手の勢いというものも利用したそれの効果は計り知れないだろう。無惨にも地面に叩きつけられた格好になって呻いている相手には目もくれず、グラン・マは進んでいるのだった。その姿はまるで何かに導かれているようにもみえる。そうやって先を急ぐ彼女の邪魔をする者はなくならない。だが、そのすべてを適当にあしらいながら進んでいく姿。それは、どうみても老婆とはいえないものだった。
「創世神様。どうか、この者たちにご慈悲を。これも彼らのうちにある感情でしょうが、これが人間の本質ではないのです。あなた様の大いなる自愛の御心をおみせくださいませ。心より伏してお願いいたします」
首から下げているロザリオを繰りながら祈りの言葉を捧げているグラン・マ。そうやって進んでいる彼女の目の前から人々の影がなくなっている。そのかわりのように立っている影。
「やっぱり、お前だったね」
その影が誰なのか、グラン・マにはよくわかっているのだろう。思わず憎々しげな響きがその口からもれていた。
「それはこちらのセリフだわ。本当によく生きていたこと。てっきり、どこかで野垂れ死にしていると思っていたのに」
そう言うなり高笑いをする相手。ウェーブのきいた黒髪、黒い瞳、身体にピッタリとした黒のスリッドドレス。その相手はマレーネでしかありえない。彼女はグラン・マの顔をまっすぐにみたまま、これ以上の楽しみはないという表情も浮かべている。
「どんな気持ちかしら。狩る者が狩られる側になったんですものね。でも、その格好ってことはまだ諦めていないのかしら?」
そう言うなり、再び笑っているマレーネ。その彼女はグラン・マの後ろからやってきている人影に気がついているのだろう。ますます楽しみが増えたという表情を浮かべている。
「いいところに来たわ。あなた方も真実を知るべきよ」
※
都は騒然とした空気に包まれている。しかし、それは王宮にまでは届いていない。だが、穏やかな朝の雰囲気というものを味わっていない人物がいるというのも間違いない。その一人であるウィアは、不機嫌そうな顔色を隠そうとはしていなかった。一緒にいるカルロスはそのことに気がついているが無視を決め込んでいる。それがますますウィアの苛立ちを助長するのだろう。彼はチラチラとカルロスの様子を伺っているのだった。
「ウィア、何か言いたいことでもあるのか」
「いえ、感心しているんですよ」
その一言はウィアの今の気持ちを代弁するもの。しかし、カルロスにはそれがわからないのだろう。彼はキョトンとしたような顔でウィアをみているのだった。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言え。俺が回りくどい喋り方が嫌いなのは知っているだろう」
「単なる直情馬鹿」
「何か言ったか」
この反応はいつもと同じだとウィアは思っている。しかし、彼が勘づいていることにカルロスは気がついていない可能性もある。いや、十中八九そうなのだろうという確信がウィアの中にはある。それを思った時、彼の口からは盛大なため息がもれているのだった。
「本当に、こんな直情馬鹿のどこがいいんでしょうかね」
「いつものお前らしくないぞ。何が言いたいんだ」
やるせなさしか感じさせないウィアの声にそう言っているカルロス。この調子では、ちゃんと言葉にしないとわからないのだろうと思うと、ますますため息は深くなるようだった。
「この頃のセシリア殿をどう思われます」
「セシリアか?」
何を言い出すのだというような顔でウィアをみているカルロス。そんな彼の様子に、ウィアは再び最大のため息でこたえていた。それをみたカルロスはわけがわからないという顔で叫んでいる。
「お前は何が言いたいんだ。そりゃ、この頃のあいつはちょっと変わったかとは思ってたがな」
カルロスの言葉にウィアは疲れた表情を浮かべている。そこには、この人は何をみているのだと言いたげな表情が浮かんでいた。
「わからないんですか、本当に?」
この鈍感になんと言えばいいのだろうとウィアは思案していた。しかし、それを口にしようとした時、慌てたような声が聞こえてきたのだった。
「セシリア、セシリアはいるか!」
その声に聞き覚えのあるウィアは、ヒョイとその方をみている。するとそこには、すっかり慌てた顔のジャスティンがいるのだった。
「どうかされましたか?」
「セシリアは?」
「こちらにはおられませんよ」
その言葉にチッと舌打ちをするジャスティン。そんな彼をウィアは興味深そうにみている。
「どのあたりにいられるか見当はつきます。ご案内しましょうか」
それに慌ただしくうなずいているジャスティン。その頃、セシリアはミスティリーナと庭の一角にいるのだった。もっとも、ミスティリーナの表情は先ほどのウィアに似ていなくもない。つまり、彼女も彼と同じような思いを抱いているのだった。
「リア、きいてもいい?」
ミスティリーナの声に何をきいてくるのだというような顔をしているセシリア。
「リアって、好きな人とかいないの?」
ミスティリーナは自分が社交辞令といわれる物が苦手なのをよくわかっている。そして、セシリアがそういうものに通じているのは間違いがない。それならば、単刀直入に質問する方がいいと思っているのだった。そして、それは間違っていなかった。ミスティリーナの質問に見る間に顔を赤くし、ドギマギして言葉の出せないセシリアがそこにはいる。
「そんな人、いるはずないじゃない」
強がった様子でそう言うセシリアだが、それが本心であるとはミスティリーナは思ってもいない。
「じゃあ、このままお姫様がみつかってもかまわないのね」
「どういうこと。まるで、私がアルディスを捜すつもりがないみたいな言い方しないで」
ミスティリーナに詰め寄っているセシリア。そんな彼女の顔をじっとみているミスティリーナ。
「だって、あんたをみてたら気になるのよ。自分の気持ちを殺しているんじゃないの」
ミスティリーナのそれに、セシリアは俯きながらこたえるしかできないようだった。
「そんなことはないわ。私は……」
そう言いかけたセシリアの声がつまり、涙が浮かびかけている。それをみたミスティリーナはため息をついているのだった。
「自分の気持ちに正直になりなさいよ。あんたは恋をしてるって認めたくないの?」
「そんなことわからないわ。この気持ちのことをなんて言えばいいのか、私にもわからないもの」
セシリアの声にミスティリーナはお手上げというような表情を浮かべていた。
「だから、貴族のお嬢様ってなんにもわかってないっていうのよ」
ミスティリーナの言葉にセシリアが反論しようとした時、ウィアに案内された格好のジャスティンが二人のそばに来たのだった。
「セシリア、こんなところにいたのか」
ジャスティンの声にミスティリーナの質問に答えずにすむとホッとした表情を浮かべているセシリア。しかし、彼の顔色は普段とは違う。彼がこんなに慌てているところなどみたこともないのだ。
「ジャスティン、どうかしたの?」
確認するために発せられる声は緊張感のあるピンとしたもの。彼女はジャスティンがあまりいい知らせをもってきていないと本能的に気付いているのだろう。
「信じられないんだがな」
「だから、何だっていうの。あなたがそんな顔してるところ、みたこともないのよ!」
そう。いつもは人を食ったような印象のある彼が真剣な表情を浮かべている。そして、彼は舌で唇を湿らすようにすると、大きく息をはいていた。
「都が大変なんだ。みんな、何かに操られたみたいに暴れまくっている。このままだと都は無茶苦茶になるぞ」
「都が? わかったわ。リーナも手伝って」
「当然。アンデッドが絡んでいるなら大変だし」
「それなら私も。除霊はできませんが、役に立てることもあるでしょう」
『そうじゃのう。儂も行くからの。何かあれば祓ってやろう』
ウィアの声にかぶさるように聞こえる神竜の声にセシリアとミスティリーナも脱力感を覚えている。しかし、今はそのことをとやかく言えない。セシリアたちは城下に入っているのだった。
しかし、そこはいつもの活気に満ちた町ではない。怒号と暴力がその場を支配している。荒々しい怒鳴り声、ものがぶつかり壊れる音。そして、女子供の泣き叫ぶ声。
「どうなっているの……」
思った以上に荒廃している町の様子にセシリアは呆然としてしまっている。
「リア、ボッとしていたら危ないわよ」
「ウィア、こいつらを操っている奴は?」
ミスティリーナの注意を促す声とカルロスがウィアに問いかける声。それらが町に渦巻いている阿鼻叫喚と混じりあっている。
「どっちにいけばいいのよ」
ちゃっかりとウィアの服の中を居場所に決めた神竜にたずねているミスティリーナ。この場合は神竜が一番当てになると判断したのだった。そして、それは間違いではない。
『こちらじゃの。ついてくるがいい』
そう言うなりウィアに方向を指し示す神竜。それに遅れないようについていくセシリアたち。
彼女たちが進む道にも暴徒はいるが、それをミスティリーナは手当たり次第に投げ飛ばしている。
「リーナ、魔法を使った方が早くない?」
「ダメ。操られているだけだもん。魔法は楽だけと殺しかねない」
ミスティリーナの返事に押し黙っているセシリア。そして、彼女とカルロスは剣を鞘から抜くことなく、かかってくる相手を打ちのめしている。
そんな中、まるで導かれでもするかのようにセシリアたちは都の中心ともいえる広場に近付いていた。そして、その場はまるで台風の目のように静まり返り、二人の人影が対峙しているだけのようだった。
「あの二人のうちのどちらかなの?」
人影に気がついたミスティリーナがそう言っている。
『そうじゃのう。じゃが、一人は巫女のようじゃのう』
相変わらず緊張感を削ぐような神竜の声だが、言っていることは重大ともいえること。それがわかっている一同は、その場で足を止めているのだった。
「じゃあ、あたしたちの味方なの?」
安心したようにミスティリーナは呟いているが、セシリアは自分たちの方をみている相手の顔にすっかり驚いていた。
「お、お前は……」
セシリアのその声が聞こえたのだろう。相手は彼女たちをみるとニヤリと笑ったようだった。
「ここでお目にかかれて本当によかったですわ」
「お前はたしか……」
記憶の中にある雰囲気とはまるで違う。それでも、この容姿にあてはまる相手をセシリアは一人しか知らない。
「マレーネ。そうよね、間違いないわね」
呟くようなセシリアの声を間違いなく聞き取ったのだろう。相手は極上の笑顔を浮かべている。
「わかってくださいましたのね。ええ、わたくしはマレーネですわ」
その声が聞こえたのだろう。ウィアの服の中にいた神竜が首を出している。神竜はマレーネの姿を認めると、唖然としたようだった。
『お主はマレーネ! どうして、お主がここにいるのじゃ!』
「その声は神竜ですわね。本当にお久し振りですこと。でも、そのお姿も可愛らしいものですわね」
どうみても、白蛇にしかみえない神竜を見てクスクス笑っているマレーネ。そして、彼女の言葉に振り向いた巫女の姿をみた時、セシリアは言葉をなくしているのだった。
「グラン・マ! グラン・マは巫女でしたの?」
「そいつは巫女だけれど巫女じゃないのよ」
セシリアの声にこたえられないグラン・マにかわるかのように、マレーネが勝ち誇ってそう言っている。
「どうして」
セシリアの呟きに答えるものはない。そして、グラン・マは神竜の姿をみるとどこか安心したような表情を浮かべているのだった。しかし、神竜の方はそうではないようだった。蛇であるために表情をうかがうことはできない。それでも、驚いているような気配は感じることができる。
『お主、シンシアじゃのう。聖戦の折に姿がみえなくなったという報告を受けて、死んだものと思っておったのじゃが。どうして、ここにおるというのじゃ』
「簡単よ。その巫女はあの時、盟主様の洗礼をうけたわ。つまり、わたくしたちの仲間というわけ」
マレーネの言葉にグラン・マは何も言うことができないようである。まるで黙っていることが彼女にできる唯一のことだといっているようにもみえる態度。
「つまり、あんたはあたしたちを騙していたわけ? あんたは占い師じゃなくて、アンデッドの仲間だったわけだ。だから、ルディアであたしたちを襲うことができたんだ」
グラン・マが何も言おうとしないことに苛立ったミスティリーナがそう決め付けるように言っている。しかし、そこまで言われてもグラン・マは黙ったままでいる。
『シンシア、お主はどうなのじゃ。その姿でいるということは、巫女を捨てたわけではないのじゃろう』
神竜のその言葉に、ようやくグラン・マは顔を上げている。今まで生きてきたことは、彼女にとって苦痛以外の何物でもなかったのだろう。それを物語るかのように刻まれている深い皺。
「私もこのように長い時を生きなければならないとは思ってもおりませんでした」
グラン・マの喋り方はいつもの彼女とは違う。そのことに不思議な感覚を覚えたセシリアが何かを言おうとした時、マレーネの声がそれをさえぎっていた。
「わたくし、あまり時間がないのよ。楽しませてくれるのはありがたいけど、遊んでばかりだと用事が終わらないわ」
「どうして、アンデッドの仲間がアルディス様のお世話をすることができたの」
これだけは確かめておかなければいけないと思っているセシリアはマレーネを睨みながらそう言っている。そんな彼女に楽しげな表情を浮かべているマレーネ。
「そんなのいくらでも方法はあるわ」
そう言い切って微笑むマレーネ。その微笑は清楚であり妖艶。二つの相反する要素でありながら、それが違和感をもつことがない。
『なんといってもこの女は妖花ともいわれておった女じゃ。ただの人間なら、たらしこんでしまうくらいわけないことじゃ』
「ずいぶんな言い方ですわね。でも、それはその方の責任でもありますわ。そうそう、わたくしセシリア様に御用がありましたのよ」
「今さら何を言い出すの」
自分たちと敵対する立場にあると公言しているようなマレーネ。それにも関わらず、まだ用があるのかとセシリアは不信感を抱いている。
「わたくしはセシリア様のお役にたとうと申しているんですのよ」
「だったらさっさとおっしゃい。私もあなたの相手ばかりしていたくないのよ」
苛々した表情でそう言っているセシリア。そんな彼女の様子をいかにも楽しんでいたマレーネだが、そろそろ潮時だと思ったのだろう。彼女は舌なめずりをするといかにも重大なことを告げるような顔をしている。
「いいことを教えて差し上げますわ。セシリア様がお捜しの聖王女はフェーベの大神殿におりましてよ」
マレーネのその言葉に誰も声を出すことができない。それくらい、その場所は信じられない場所でもあるのだった。『平和の象徴』ともいわれる場所。そんなところにアルディスがいるのなら、どうして連絡をくれないのだろうというセシリアの疑問。しかし、それまでも解消するつもりはマレーネにはさらさらないことだった。彼女は自分の仕事は終わったとばかりにその場から姿を消そうとしている。
「待ちなさいよ。どうして、あんたはそんなことを教えてくれるのよ」
ミスティリーナの怒鳴り声も彼女には効果はないようだった。薄笑いを浮かべながらその場を去ろうとしている。そんなマレーネにグラン・マが静かに声をかけているのだった。
「こいつが教えるのは当然だよ。こいつらは大神殿には入れないからね」
グラン・マの言葉をきいたとたん、マレーネの態度が変わっている。それまでの自信に満ちたものが焦りに変わっているかのようでもあった。
「あなたと甘くみていたわね、シンシア」
「お前たちの考えていることを理解するくらいの時間は生きているよ。それはあたしが自分から望んだものじゃなかったけどね」
グラン・マのその言葉を馬鹿にしたような表情できいているマレーネ。理由はどうあれ、お前は長寿を得たのだろうといわんばかりの色が浮かんでいる。
「これ以上、ここにいても無駄ね。セシリア様、わたくしの言ったことは嘘ではありませんわよ。聖王女は大神殿、聖水晶の結界の中におりますわ。もっとも、そこから彼女を解放できるかはわかりませんけれどもね」
そう言うなり、その場から姿を消しているマレーネ。彼女が消えた後には荒廃した都と暴れまわる人々だけが残されているともいえるのだった。それをみてため息をついているウィアと神竜。
「ここまでですと浄化が必要ですね」
『そうじゃのう。ここまで人心を操られておってはな』
そう言った神竜は何かに気がついたようにじっとグラン・マの顔をみている。そのグラン・マは静かに神竜に語りかけている。
「神竜様、私のことでしたらご心配にはおよびません。それが私の望みでもありますから」
『シンシア、お主はそれでもかまわぬのか』
その声と態度は蛇のままの姿であっても神竜は神竜だと思わせるような威厳がある。そんな中、ミスティリーナは気になることがあったのか、真剣な顔で神竜をみつめている。
「都がアンデッドに蹂躙されないためにも浄化しないといけないのはわかる。でも、あたしにはそれをするのをためらっているようにもみえる。でも、浄化はしなきゃいけないことなんでしょう」
「神竜様、気になさらずにやってください。そうしないとこの都は滅茶苦茶になってしまいます」
「グラン・マ、浄化っていうのはアンデットたちの気を正常なものに戻すことよね。そうなると、ヴァンパイアの洗礼を受けたっていうあなたはどうなるの」
グラン・マに問いかけるセシリアの声は震えている。彼女はグラン・マがどうなるのかということにうすうす気がついてしまったのだった。そのことを否定して欲しいと願うセシリア。しかし、その望みはかなえられるものではない。
「リア、あたしの存在もたしかになくなってしまう。でも、それでもいいんだ。あたしは長いこと生きてきた。そろそろ楽にさせてくれないかい」
「グラン・マ、それがあなたの望みであったとしても、私は納得いかないわ」
思いつめたようなセシリアの声。そんな彼女を諭すようなグラン・マの声が響いている。
「あたしは十分に生きてきた。たくさんのものも見たし、いろいろと楽しみもした。でも、この身体は自分から死ぬことはできないんだよ」
彼女のその言葉にセシリアのみならずミスティリーナもハッとなっている。ヴァンパイアの洗礼をうけたグラン・マが彼らと同じように『不老不死』になっているのは間違いないのだろう。そうなると、自分から死を選ぶということができないのも道理というもの。
「リア、あたしからあんたに最後の助言をあげようね」
グラン・マのその言葉に思わず目をつぶってしまうセシリア。そんな彼女を見ながら、グラン・マは優しい声で話し続けている。
「あんたの思い。それがすべての鍵になるよ。聖王女は聖水晶の中で眠っている。その彼女を目覚めさせるんだよ。彼女を大事に思う気持ちの強い者の呼びかけは必ず聞こえるからね。そして、目覚めさえすれば大丈夫。聖水晶は自然にその姿を消すからね」
グラン・マのその言葉にセシリアはコクリとうなずいている。それを確かめた彼女は真剣な顔で神竜に向き直っているのだった。
「神竜様、お願いいたします。この地の浄化と私の解放を!」
その言葉に神竜は本来の竜の姿に戻っている。もう一度たしかめるようにグラン・マの顔をみた神竜はおもむろに大きく息を吐いていた。
あたりに響く地響きともなんともいえぬもの。それだけではなく、柔らかな七色の光が都を覆いつくそうとしている。その光は滅こそ持っていないが、眩しく目を開けていることができなかった。
そして――。
『終わったぞ』
神の託宣を告げるかのような重々しい神竜の声。そして、目を開けた一同の前にグラン・マの姿は残されていなかった。ただ、彼女が着ていた巫女の装束とロザリオが残されているだけ。そのロザリオを拾い上げたセシリアの瞳からは涙がとめどなく零れ落ちている。
『これがシンシアの望みじゃった』
神竜のその言葉もセシリアの耳には入っていない。それでも、彼女は自分が前に進まなければいけないことを感じているのだった。